ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.31

影響を受けたレコード(国内編)⑤「In A Model Room/P-MODEL」

影響を受けたレコード5枚目は1979年8月25日発売の

「In A Model Room/P-MODEL」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初にこのバンドの曲を聴いたのは

「Kameari Pop」でした。

ラジオから流れたこの曲を聴いたとき、

それまで聴いたことのない不思議な曲だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエローマジックオーケストラのデビューによって、

テクノポップは時代の最先端の音楽スタイルになっていましたが、

このサウンドは、YMO経由ではなく、

テクノポップの元祖である

クラフトワークから直輸入といった印象でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとから知ったのですが「P-MODEL」はもともと

プログレッシブ・ロックのバンド「MANDRAKE」が前身。

セックス・ピストルズを見て、時代の流れを感じ、

パンク路線に転向した、といいます。

ここでも登場、セックス・ピストルズ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバムは1979年8月25日発売。

初回プレスはピンク色でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たしかにこの「Kameari Pop」はテクノポップですが、

アルバム全体を聴くとパンク~ニューウェーブ色が強く、

初期のXTCと似た印象を受けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1979年7月25日先行シングルとして発売された

「美術館であった人だろ」がA面1曲目ですが、

「Kameari Pop」とずいぶん違った印象にちょっと戸惑いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーカルも演奏もパンク風の曲調ですが、

印象的なのはキーボードの使い方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、テクノポップは「ピコピコ」

という擬音で表現されることが多かったのですが、

P-MODELの曲で用いられている「ピコッ」という音が気に入って

バンドで使いたいと思い、弾けもしないシンセサイザーを買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバム発売の少しあとだと思いますが、

ニューウエーブ~テクノポップのバンドが、

テレビに出演してスタジオライブをやる、という番組がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芳村真理さんが司会をしていたのを覚えているのですが、

調べてみると、それはどうも

日本テレビで金曜日の10時から放送されていた

「金曜娯楽館」という番組だったようです。

司会は山城新伍さんで、女性司会者の2代目が芳村真理さんで

1979年12月から1980年8月まで担当、とありますから、

この間であったと考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時出たのが「P-MODEL」のほかに、

「プラスティックス」「ヒカシュー」で、

この3バンドは当時「テクノ御三家」といわれていました。

いかにもマスコミ的、テレビ的な括りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽コーナーの司会は、

このあいだ、「電撃的東京」で紹介した

近田春夫氏が担当していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、芳村真理さんをよく覚えているかというと、

当時の若者の「新奇な」音楽を紹介する、というコンセプトで、

芳村真理さんは「ヘンテコな若者の音楽が理解できないオバサン」

という役回りだったと思われます。

演奏中、顔をしかめ、耳をふさいで、

そのあとで、「ちょっと、ちょっと、新伍ちゃん、何コレ?」

と言っていたのが大変印象に残っているからです。

実際に、理解できなかったと思われますが、

あのリアクションは番組の演出だったのかも、と今は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこの3バンドはすでに知っていましたが、

同じ番組に出た「チャクラ」は衝撃的でした。

「福の種」を歌ったと思いますが、

ファンになりレコードを買いました。

その後の、小川美潮さんのソロアルバムも好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒカシュー」は舞台演劇出身、

「プラスティックス」はイラストレーター、グラフィックデザイナー、

ファッション・スタイリストなどの音楽経験のない

アート系の人が集まって作ったバンドでしたが、

その中で「P-MODEL」は、

ロック・バンドとしてやってきた中で、

時代の匂いに敏感に反応して音楽性を変えてきた、

という意味ではワタシはシンパシーを感じたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムに入ってる「MOMO色トリック」では

「ユージさんにはわかるまい」

「アホのリノでも見に来るぜ」

という歌詞があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでいう「ユージさん」とは、音楽評論家の今野雄二さんのことで、

当時、洋楽レコードのライナーノーツを多く書いていた

「洋楽崇拝者」の今野さんに、

「P-MODEL」が酷評されたことを受けての歌詞です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アホのリノ」とは、その今野雄二氏が司会を務める

水曜イレブンの、アシスタントだった「かたせ梨乃」さんのことで、

かたせさんは今でこそ立派な女優さんですが、

当時は11PMのカバーガールで、

オッパイの大きいだけのお姉ちゃんと認識されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「MOMO色トリック」は、

ワタシが大学2年生で「不滅の男」ウスイくんと結成したバンドの

デビューライブで、最後に演奏しました。

1980年6月のことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのバンド名「LANDSALE(ランドセル)」は

その2か月前、1980年4月25日に発売されたばかりの

「P-MODEL」の2nd.アルバム

「LANDSALE」からいただきました。

「ランドセル」と「売国奴」のダブルミーニングです。

メンバーチェンジを繰り返しつつ、

ワタシとウスイくんが卒業するまでこのバンドは継続しました。

ナツカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.05.30

影響を受けたレコード(国内編)④「東京ワッショイ/遠藤賢司」

遠藤賢司は日本のフォークソングの草分け的存在です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フォーク・ソングとはもともと「Folk(民族の)」歌、という意味ですから、

もともとは「民謡」という意味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカで生まれたフォークソングは、

1930年から40年代にウディ・ガスリーが

民謡、ゴスペルなどに取材した音楽を、

反戦や、資本主義者に反発する歌詞に載せた独自のスタイルを作り、

コンテンポラリー・フォークとして現在のフォークの原型となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ボブ・ディランに継承されたこのスタイルは、

メッセージ性を前面にし「プロテスト・フォーク」といわれます。

その中でピーター、ポール&マリーのように

公民権運動などのメッセージ性を強くを持った歌詞を歌いながら、

美しいコーラスを聞かせるアーティストがでると、

そのうち、メッセージには興味ないけれど、

美しい声やコーラスが好き、というファンも出てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると、フォークソングは次第に分化してゆき、

スタイルだけを踏襲しながら、

メッセージ性のない、主として恋愛の歌などを歌う

フォークシンガーも増えてくるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のフォークソングもこの流れをなぞっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のフォークソングは1960年代に最初のブームを迎えますが、

このときのアーティストは、

時代の学生運動を受け、

ベトナム戦争反対や日米安全保障条約反対と結びついて

メッセージ性の強い反戦歌を歌ったシンガーが多い。

この時に岡林信康、加川良、中川五郎、高田渡などとともに

第1期フォークブームを担ったのが遠藤賢司なのです。

その後、叙情派フォーク、四畳半フォーク、商業フォークなどが

派生してゆくわけですが、

初期のフォークシンガーは骨太のメッセージを持った「反体制」派で、

アコギ1本であっても、そのスピリットは

のちの「ロック」や「パンク」に極めて近いものでした。

そんな彼が1979年1月に発表したのが、

この「東京ワッショイ/遠藤賢司」です。

1979年1月21日といえば、

ワタシが浪人の時受けた第1回共通一次試験のちょうど1週間後です。

経済的事情から私立大学医学部の受験はなかったのでしたが、

国公立大の来る二次試験に向け、

準備を怠りなく進めなければいけないときでしたが、

ラジオは聴いていました。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはさておき、

そんなわけで、「フォークシンガー」であった遠藤賢司が、

時代のパンクムーブメントの勃興を受け、

このような「パンク・フォーク」というべきスタイルのアルバムを作ったことは

ある意味必然のことだったともいえます。

このアルバムの前、1975年に彼は「HARD FOLK KENJI」という

ロックにインスパイアされた作品を発表しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本人のインタビューを見ると、

このアルバムは「セックス・ピストルズ」を聴いて触発された、

と明言しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで、もう一人上げなくてはならないのが、

ニ―ル・ヤングの存在です。

カナダ出身、バッファロー・スプリングフィールドを経て

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、

そして、自身のバンドクレイジー・ホースを率いてのバンド作品や、

ソロ作品を数多く発表しています。

遠藤賢司はハイトーンの声もあり、

日本のニ―ル・ヤングと呼ばれたこともありしたが、

その後の音楽的変遷も、また、重なるところがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのニ―ル・ヤングが1979年に発表したアルバム

「ラスト・ネバー・スリープス」は

まさに「パンク・ロック」「セックス・ピストルズ」に触発された作品で、

歌詞にも「ジョニー・ロットン」が登場します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洋の東西を隔てて熱いスピリットを抱き続けた

フォーク界の草分け、重鎮が同じようなコンセプトのアルバムを

発表したことになります。

しかも、時間的には遠藤賢司の方が、1年以上早い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも遠藤賢司の方がブチ切れ方がすごい。

このアルバムは音楽的には「電撃的東京」のような

パンクアルバムではありません。

パンクにインスパイアされながらも

フォークシンガーとしてのエンケンの個性を残し、

アコギ1本の曲もあれば、

また、バラエティに富んだ独自の世界観を展開しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「哀愁の東京タワー」では、

「クラフトワーク」のパロディ的に

いち早くテクノポップを取り入れています。

まだ、イエロー・マジック・オーケストラの

デビューアルバムが出た直後、

ソリッド・ステート・サバイバーより前です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学に入ってから、同級生でロック好きなやつがいないかなあ、

と思っていたのですが、

あるときウスイくんと話をした時に

同じく一浪の彼が、ロック好きであることを知りました。

「オレは群大の入学試験の時に

エンケンの『不滅の男』を口ずさみながら試験会場に入ったんだ」

という話をきき、コイツしかない、と思って

それまでまったくバンド経験のない彼を引っ張ってバンドを結成したのでした。

 

 

 

 

 

 

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2020.05.29

影響を受けたレコード(国内編)③ 「電撃的東京/近田春夫とハルヲフォン」

影響を受けたレコード(国内編)第三弾はコレです。

「電撃的東京/近田春夫とハルヲフォン」1978年6月21日発売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このレコードを語るには、まずあるテレビ番組について書かなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組とは「ロックおもしロック」。

1978年4月から東京12チャンネル(現テレビ東京)で放映が始まった

関東ローカル番組。

放送は毎週日曜日午前10時からの30分。

提供はグレコギターの「神田商会」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時としては画期的なロックの情報番組で、

プロのミュージシャンのスタジオライブもあったが、

アマチュアバンドがその腕前を競う、

「勝ち抜きバンド合戦」というのも面白かった。

爆風スランプの前身、「スーパースランプ」と「爆風銃(バップガン)」は

ともにこのコーナーに出ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、この番組司会が近田春夫さんだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルヲフォン」というバンドは知っていて、

エドガー・ウィンターみたいにキーボードをぶら下げて弾くヒトだ、

とは知っていたのですが、

この番組の近田春夫氏のコメント、語り口に興味を持ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、彼がパーソナリティーを務めていた

ニッポン放送のオールナイトニッポンを聴くようになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は1978年10月から同番組火曜2部を担当していました。

ラジオ深夜放送オールナイトニッポンは

第1部が午前1時から3時まで、第2部が3時から朝の5時まででした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、ワタシは受験に失敗し、浪人生。

神田駿河台の駿台高等予備校午前部に通う身分でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、当時我が家には子供を東京に下宿させる経済的余裕がなく、

ワタシは4月から毎日足利市から新御茶ノ水まで電車通学をしていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然、特急列車なんか使う贅沢はできませんから、

毎朝6時30分発の普通列車。

乗換は1回ですが、片道2時間かかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時のワタシの生活は

午後2時くらいに予備校が終わったあと、夕方帰宅。

夕食を食べ、風呂に入ったあとは疲れているのでとりあえず就寝。

夜中に起き、夜食を食べて朝まで勉強。

朝飯を軽く食べて、自転車で駅まで行き

6時半の各駅停車に乗り、そこで仮眠をとる。

北千住で超満員の千代田線に乗り8時半に新御茶ノ水に着き、

9時から授業、以下、その繰り返し、

という毎日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学時代から勉強はラジオを聴きながらの「ながら族」でしたから、

午前3時から5時までの深夜放送ももれなく聴けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組は近田春夫氏がずっとしゃべり続ける、

というものでした。

というと、当たり前のように聞こえますが、

ここで「ずっと」というのは、

曲をかけている間も、ああだ、こうだ、としゃべり続け、

曲の途中でも、ああ、この曲はもういいや、今度はこの曲行きましょう、

と、別の曲をかけさせ、さらにまたしゃべり続ける、

というような破天荒なものでした。

そしたら、ナント、当時の放送の一部がYoutubeにありました。

Youtubeおそるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、近田氏が強調していたのは「歌謡曲のすごさ」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロック・ミュージシャンでロック番組の司会をしているので、

ロックの曲や情報が聴けるかと思いきや、

「もう、オレは、歌謡曲しかかけないからね。」

といい、流れる曲はすべて歌謡曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで近田氏が歌謡曲を実にロック的に聴いてることにビックリ。

歌謡曲が、しっかりした音楽的素地を持った

才能あるプロ集団によって生み出されており、

ヘタなロックや、ニューミューックのアーチストなど、

足元にも及ばない音楽だ、ということを知らされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都倉俊一、馬飼野康二などのヒットメーカーがいかに偉大か、

そして、日本ポップス歌謡界の巨人、筒美京平氏に対しては

最大級の敬意を払っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それまで、歌謡曲の作者など、

あまり考えたことのなかったワタシには、

まさに目から(耳から?)ウロコの話ばかりで、

歌謡曲のすごさ、カッコ良さを再認識させられたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな近田春夫氏が自身の音楽理論を体現すべく(?)

作成したのが、この「全曲歌謡曲のカバー」(ただしラスト1曲を除く)

という、その名も「電撃的東京」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おなじみの歌謡曲が、ほぼすべてパンクロック風のアレンジになり

矢継ぎ早に耳に飛び込んできます。

原曲は森進一ですが、

この、ベースのビビン、という音から入るイントロのカッコよさといったら・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと「ハルヲフォン」は、ナイトクラブの箱バンとして、

ソウル、R&Bの洋楽カバーから、グループサウンズ、ムード歌謡まで、

お客の好みに合わせて何でも演奏していたバンドなので、

演奏力は高い。

これはザ・ピーナッツの曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それまでの歌謡曲の固定観念を取り払い、

歌謡曲を再認識させてくれる格好の入門書でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、このアルバムは、来る80年代に向けて、

新しい音楽が、市場を席巻する可能性を予見していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すなわち、ニューウエーブの台頭と、

新しいポップカルチャー、サブカルチャーの展開。

歌謡界では、松田聖子、小泉今日子や、たのきんトリオなどの、

アイドル黄金時代の到来。

ベンチャーズや、三橋美智也、平山三紀などに

新たな角度からスポットがあてられ、新しい解釈でブームになること。

それら、1980年代初頭の社会現象の一つの預言書としても

このアルバムを聴くことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、わかるか、わからないかで、その人のセンスを問う

「踏み絵」的な存在でもあったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、このレコードの影響で、

ワタシはレコード屋さんに田原俊彦のファーストアルバムを買いに行き、

高校生の頃から馴染みのレコード屋のお兄さんに、

いったい、どうしちゃったんだよ、といわれ、

そののち、大学生になってから結成したバンドで、

「哀愁でいと」のパンク・バージョンを自らアレンジして演奏したのでした。

 

 

 

 

 

 

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2020.05.28

影響を受けたレコード(国内編)②:「黒船/サディスティック・ミカ・バンド」 

第2弾はコレです。

「黒船/サディスティック・ミカ・バンド」1974年11月5日発売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤和彦氏は日本のフォーク・ロック・ミュージシャンの草分けであり、

1967年フォーク・クルセイダーズとして発表した

「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットで、

その名を知られますが、

この曲は当時小学校2年生だったワタシも歌うくらい大人気でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、加藤和彦氏は北山修氏と

名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」などを発表、

当時のスタイルはドノヴァンの影響下にあり、

加藤和彦氏のニックネーム「トノヴァン」もそこから来ています。

そういえば、アメリカのボブ・ディランに対して

イギリスのフォークシーンの代表と並び称された

ドノヴァン氏は最近全く噂を耳にしませんが、どうしてますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、1971年、加藤和彦氏は当時妻だった加藤ミカ氏と

「サディスティック・ミカ・バンド」を結成します。

それまでのフォーク路線からロックへの転向は、

時代の音楽に敏感な加藤和彦氏としては当然の流れだったでしょう。

初代ドラマーはあの「メリー・ジェーン」の角田ヒロ氏、

そしてギターは高中正義氏です。

だが、この頃はまだワタシは小学生。

ほとんど売れなかったらしい「サイクリング・ブギ」は

後追いで聴きました。

CDは持ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシと「サディスティック・ミカ・バンド」の出会いは

1973年10月発売のシングル「ハイ・ベイビー」。

FM東京の番組で、パーソナリティーが、

「サディスティック・ミカ・バンドの曲は変わってる曲が多いですけど、

今度のシングルは、わりと聴きやすいですね。」

と紹介したニューディスクコーナーをエア・チェックしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、この「ハイ・ベイビー」のレコード音源は

Youtubeにはありませんでした。

TVKテレビでの映像がアップされていました。

ドラムは、のちにYMOを結成する高橋幸宏氏、

あー、もう、この時代から、この独特のドラミングです。

いいですねー。

ギターの高中氏は加藤和彦とケンカして、

この時期バンドを離れていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタジオ盤では、最初電話のベルが鳴り、

受話器を上げるガチャッという音のあと曲が始まります。

この直後、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」も

電話のベルから始まったので、

ミカバンドのマネじゃん、と思ったことがあります。

曲自体はギンギンのロックではなく、

どちらかというと当時最先端だったフィラデルフィアソウルの

影響が感じられます。

フィラデルフィアソウルの発端ともいえる

この「オージェイズ」の全米ナンバー1ヒットが1973年2~3月ですから、

加藤和彦氏、さすがの早さです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、「黒船」。

実は、デビューアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」は

日本ではロクに売れなかったがイギリスで話題になり、

このレコードを聴いた超大物プロデューサー、クリス・トーマスから

プロデュースの依頼があったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリス・トーマスといえば

ザ・ビートルズやピンク・フロイドもプロデュースした超大物なので、

当時も、いまも、ホンマかいな、

なんかあったんとちゃう?

と思いますが、

とにかく、そういうことになったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レコーディングに450時間かけた、というアルバムは

日本ロック史上にそれまで類を見ないトータルアルバムでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曲を寄せ集めたヒット曲集や、作品集とは違い、

1曲1強がアルバムを構成するパーツになってる組曲形式のアルバムを

トータルアルバム、あるいはコンセプトアルバムといい、

ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

デビッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」

カーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」

などが有名です。

いわゆる「プログレ」のバンドは多くがこの形式ですし、

先にあげたグリーンデイの「アメリカン・イディオット」

などもこれにあたります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曲調もバラエティに富みますが、

それを支えるのは屈指のテクニックを持ったメンバーたち。

ドラムの高橋幸宏、ベースの小原礼、キーボードの今井裕、

そしてクリス・トーマスの要請で、

バンドに復帰したギターの高中正義の組み合わせは、

あとから考えると、とんでもないスーパーグループだったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とくにクリス・トーマスが見込んだだけあって

高中正義氏のギターはカッコよかった。

彼はこののちギターをヤマハのSGにかえて、

フュージョン的な曲で大人気になるわけですが、

ワタシ的にはそっちに行っちゃったのがまことに残念。

ヤマハのSGなんて、あんなカッコ悪いギター、

サンタナくらいしか弾かないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 問題は加藤ミカのボーカルですが、

巷ではヘタクソ呼ばわりされることも少なくないですが、

ワタシは大変良いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと、加藤和彦氏の追っかけだったという

加藤ミカ氏はミュージシャンとしてはシロート同然だったはずですが、

手練れのメンバーに支えられることにより、

その奔放な魅力が発揮されたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逆に、金子マリやカルメン・マキのような実力派ロックシンガーでは

この味は出せなかったと思われ、

当時のライブ映像でも、そのコケティッシュな魅力が

バンドの大きなアピールポイントになっています。

ちょっと、その後のブロンディのデボラ・ハリ―を連想させます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと「サディスティック・ミカ・バンド」というバンド名は

ジョンとヨーコの「プラスティック・オノ・バンド」にあやかって

つけられたものですから、

立ち位置もオノヨーコと同じだったわけです。

むろん、全然ミカさんの方がステキですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1975年次のアルバム「Hot Menu」を録音。

ロキシー・ミュージックの前座として

イギリス・ツアーを行い、

そのロキシーを食うほどの人気を博したミカバンドは、

本格的な海外進出に向け、着実に前進していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そんな矢先、とんでもない事態になります。

元追っかけの本性が出たのか、

こともあろうにツアー中に加藤ミカさんはクリス・トーマス氏とデキてしまい、

その不倫が発覚した結果、加藤和彦氏と離婚、

バンドは解散に追い込まれることとなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリス・トーマス氏に見いだされ発展したバンドは、

また、クリス・トーマス氏のおかげで消滅する憂き目にあいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1973年に発表されたこの「黒船」は、

いろいろな偶然によってもたらされた孤高のモニュメントとして、

日本のロック史に燦然とその名を残すことになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.05.27

影響を受けたレコード(国内編)①:「一触即発/四人囃子」

 フェイスブック企画の「影響を受けたレコード10選」は

大変楽しませてもらいました。

「好きな」ではなく「影響を受けた」というところで、

当時の時代背景や、自分の人生を振り返ることができて

大変、興味深かったですし、

新たな発見もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシにとってロックは「ほぼ洋楽」であったので、

10枚すべてが海外アーチストの作品になったのは

まったく当然なのですが、

日本のアーチストのレコードを聴かなかったかといえば、

そんなことはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、影響を受けたレコード、国内編をやってみようと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、そこで問題になるのは

ワタシにとって「ロックの魅力」≒「ロックボーカリスト」

で、あったということと、

「ロックの歌詞」は「英語」に限る、という認識があったことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今では考えられないことですが、

当時は「日本語のロックは成立するか否か」

という問題は常に論じられた問題でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はっぴいえんど」は日本語ロックの草分けといわれますが、

当時ワタシは「はっぴいえんど」の

どこをどう聴いたらロックに聴こえるのか

まったく理解できませんでした。

(デビューアルバムの「ゆでめん」はLPを所有していましたが。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、ビートルズの英語の発音や、

イアン・ギラン、ロバート・プラントのシャウトを聴くと、

やはり日本人にはロック・ボーカルはムリなのだ、

と自分なりに解釈していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「クリエイション」は高校生の頃人気があり、

曲は全編英語でしたが、竹田和夫氏の発音は、

高校生が聴いてもカタカナ英語にしか聞こえず、

イマイチ、ノレませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「キャロル」の矢沢永吉氏は、

「日本語を英語っぽく歌う」という歌唱法を発明しました。

「キミ」と発音するところを「クッィミィ」というように

日本には本来ない「無声音」を盛り込むことにより、

ちょっと英語っぽく聞こえる、という歌唱法は、

佐野元春や吉川晃司など、後々多くの人がコピーしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、矢沢氏は歌詞は日本語だが、

サビや歌い出しなど重要なところに英語を混入させる、

という手法も開発しました。

これは、もうその後のニュー・ミュージックからJ-POPの

歌詞の常套手段になっていますが、

矢沢氏が、なんとかロックを日本語で

カッコよく歌いたいという思いが生んだ技でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 のちにゴダイゴに入るタケカワユキヒデ氏のデビュー曲、

「走り去るロマン」を聴いた時はショックでした。

1975年に発売されたこの曲を、ラジオで聴いたとき、

その発音の素晴らしさに感動し、

彼が東京外語大の外国語学部英米語科卒ときいて、

なるほど、と思ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんな背景で、初めて日本語のロックで良いと思ったのが、

この「四人囃子」の「一触即発」でした。

1974年6月25日発売。

当時中学3年生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時代はプログレッシブ・ロック・ブームでした。

雑誌「ミュージックライフ」の人気投票では、

「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」が

「レッド・ツェッペリン」を抑えて1位を獲得。

「イエス」「ピンク・フロイド」といったバンドが

人気を集めていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさに「プログレ」は時代の最先端。

その「Progressive」という単語の意味そのままに

「進歩的な」ロックだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このアルバムが、日本のロックとしてではなく

「ロックのアルバム」としてすんなり受け入れられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、プログレは

「イントロ~歌~間奏~歌~エンディング」

という構成ではないので、

歌の比重は相対的に低くなっています。

ボーカルスタイルもリード・ギターと対決する

シャウトするボーカルではなく、

アンサンブルの一部として機能するものなので、

「聴かせる」歌はむしろ要求されません。

曲によってはインストもアリです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この点が、日本人のボーカルの弱点を、

難なくクリアーしていたので、

非常にすんなりと曲を聴くことができたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、楽曲の良さ、構成力の高さ、

があってのことですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 くわえて「四人囃子」という、ニヤリとさせるセンスあるバンド名、

それに「一触即発」という、

「原子心母」や「危機」と並べても違和感のない

プログレ風のアルバムタイトルもカッコよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、「一触即発」は

ワタシが好きになった日本のロックアルバムでしたが、

それでも一番好きなのはパープルなどの

ハードロックでしたから、ボーカル問題は

解決したわけではありませんでした。

 

 

 

 

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2020.05.26

ビニールシート

 コメントいただきました。

 

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ビニール。桐生にある某総合病院で受付で垂れ下がっていました。
受付の人は、マスクをして話す。患者には、マスクを受付の人がしているから、声が小さく聞こえる。
なおかつ、このビニール、声が、こもるから余計聞きづらい。
患者は、聞きづらいから、ビニールに張り付いて聞いてましたよ。
ビニールに顔がついちゃうよ。とこちらが心配。
ちなみにこの某総合病院、受付は派遣会社の人なので、不親切です。
貴院は耳鼻科で耳の聞こえが悪い患者さんがいると思います。
どうか、ご配慮を。

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 まったくおっしゃる通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あのビニールシート、ワタシはたしかにちょっと抵抗があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、当院でもずっとつけていませんでしたが、

医師会から地元の企業から寄付があったので、

希望する医療機関は申し出てください、との連絡あり。

30枚しかない、というのでどうせダメだろうと、

希望を出したら当選しちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに自主的につけている医療機関が多かったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで、職員に渡したら昼休みにつけたみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たしかに、シートがないと

不快や不安を感じる患者さんもいるかもしれません。

当院に受診する患者さんでも

口は見ないで問診だけでお願いします、

とけっしてマスクをとらない患者さんや、

常にビニールの手袋をつけたままの患者さんもいらっしゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マスク取りたくない方は

再診ですし、ノドがどうだというわけでなかったので、

無理にマスクをとらなくてもいいです、

ということでお話で済ませましたが、

いろいろな心配をする人はいるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタッフも、ひょっとしたら

なにがしかの不安があるので、

シートをつけると安心するかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので世間的な慣例に従ってシートがぶら下がっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳の遠い方の関しての心配は

あまりないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳鼻科なのでかなり耳の遠い方も来院されますが、

以前も今も、そういった方には職員が待合室まで行って

隣に座って説明や会計をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと、総合病院のような広い待合室ではないですし、

何より、今は空いてて待合室はガラガラなので

普段なら、子供の声とかでうるさいのですが、

今はしーんとしてて、声も良く通りますよ。

 

 

 

 

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2020.05.25

ようやく資材が届きだしましたが・・・

 一時、品薄だったマスクもこのところだいぶ出回るようになりました。

そんななか、足利商工会議所から、マスクが届きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別に病院だから、ということではなく

年会費を払っている事業所宛で届いたようですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バリバリ中国製。

品質合格がかえって怪しかったりして・・・・。

でも、用途にウイルス予防と書いてないところは

信用できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、マスクはとりあえず助かります。

10枚ですが・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 足利医師会より、透明ビニールシートも供与され、

一応、受付に貼ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、消毒薬も届きましたが・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ん、これは、ヒビテン?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消毒薬は、ウイルスや細菌の種類によって

効く効かないがありますが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えーと、残念ながら主成分の「グルコン酸クロルヘキシジン」は

コロナウイルスのような

エンベロープを持つタイプのウイルスには無効だったような・・・。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.05.24

ワタシの健康を祈るのは・・・

 さてなんだかんだで、5月ももうすぐ終わり。

5月は、ワタシの誕生月。

誕生日13日の少し前、

ワタシ宛に郵送でプレゼント?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 贈り主は生命保険会社。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんと、使い捨てマスク2枚。(@_@。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つい半月前だが、この当時は、まだ、マスクは品薄で入手困難でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なるほど、ワタシが新型コロナウイルスに罹って入院でもすれば、

保険金を払わなくてはいけない、

保険会社にとっては損失だからなあ。

だから、心から、健康を祈ってくれるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.05.23

「アビガン」有効性を示せず、とは・・・

 新型コロナウイルスの治療薬として期待された

「アビガン」は「有効性を示せず」

という結果に、今のところはなっているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは「効かない」ということではなく

「効くのか効かないのかわからない」

ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもクスリの治験は「有効性」と

「副反応(副作用)」をはかるものですが、

「有効性」の判定はなかなかムズカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜなら人間には本来持ってる「免疫力」があり、

要するに、クスリ飲まなくても自然に治る力がある。

そして、それには「個人差」がタイヘン大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とくにウイルスに対する免疫力というと、

人種、遺伝、病歴(感染歴)、環境、年齢、生活様式などに

大きく左右され、

クスリ飲んで良くなったとしても

クスリで良くなったのか、免疫力で治ったのかの判定は、

さまざまな因子を考慮しないといけないので、

簡単には判定できません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えばインフルエンザ薬として、

日本で認可され広く使われている「イナビル」にしても、

ヨーロッパの治験では「有効性を示せず」

認可されていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも日本ではあの「1回吸入すればいいクスリ」で

インフルエンザが、治って良かった良かった、

とみんな喜んで使っているわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いえ、けっして「ニセモノ」ではありませんよ。

「イナビル」でインフルエンザのウイルス量が減少することは

実証されています。

ただ、ヨーロッパの治験では臨床症状の消失までの期間に

有意な差が確認されなかった、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新型コロナウイルスが多くは自然治癒する風邪であることが、

その判定を困難にしているようで、

アビガンの治験は継続されるようですが、

めちゃくちゃ効く、というわけではない、ということで

「イナビル」程度には効く、ということかも知れません。

 

 

 

 

 

 

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2020.05.22

スイミング再開

 4月20日に休館になってから約1か月。

緊急事態宣言の解除を受けて、

先週土曜日からスイミングプールが営業を再開しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月18日月曜日、夜自由水泳に行ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閉館前最後に泳いだのが、4月17日だったので、

ちょうど1か月のブランク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年末年始や、学会、旅行などで1週間程度休んだことはあるが、

おそらくこの20年でこんなに泳がなかったことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、泳げるのか、という不安も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、溺れずになんとか泳げましたし、

様子を見ながらでしたが、何とかメニューも

予定の1000メートルをこなすことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やれやれ、これでひと安心。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、タイムはだいぶ落ちており、

体力の回復には時間がかかるとは思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まてよ、よく考えれば、若いころとは違うので、

完全には体力は戻らないかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも、同じペースで続けていたとしても、

老化というのは確実に進むわけで、

体力は確実に落ちてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の自分は、昨日の自分より

1日分は確実に劣化しているわけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、せめてコロナ太りの体重を元に戻し、

ビールがおいしく飲めるようになれば、

それでいいかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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