ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.15

影響を受けたレコード⑦「ブラック・シー/XTC」

1980年代に入り、それまでロック・シーンを席巻してきた

パンク~ニューウエーブは、あらたな行き先を求めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一つがジャマイカのローカルミュージックであるレゲエの

ルーツである「ブルービート」や「スカ」であり、

もう1つが「アフリカン・ビート」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1940年代にジャマイカ、キングストンのゲットーで

サウンドシステムという移動式の音響設備をもちいる

野外ダンスパーティーが流行しました。

そこから1950年代に誕生したのが「スカ」という音楽で、

2泊目4泊目を強調した裏打ちリズムが特徴のダンス音楽。

そこから起こったのがややテンポの遅い「ロックステディ」。

さらにそこからやがて「レゲエ」が生まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スペシャルズ」や、

日本でもホンダシティのCMでおなじみになった「マッドネス」は、

この「スカ」を演奏するイギリスのバンドですが、

この「スカ」とか、そのミキシング手法である「ダブ」という手法を

ニューウエーブ系のミュージシャンはこぞって導入し始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先のザ・クラッシュはその先鋒で、

「ハマースミス宮殿の白人」でスカ~レゲエビートを、

「ロンドン・コーリング」に続いて1980年12月に発表された

アルバム「サンディニスタ」ではダブを大幅に取り入れてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時爆発的な人気だった「イエロー・マジック・オーケストラ」の

教授こと坂本龍一氏も1980年9月、ダブを全面的にフィーチャーした

「B2-UNIT」というアルバムをリリースしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、もう一つのアフリカンビートについては、

トーキング・ヘッズが1979年にブライアン・イーノのプロデュースで製作した

「フィア・オブ・ミュージック」にその端緒を見ることができます。

その後、1980年発表の「リメイン・イン・ライト」は

全編がアフリカンビートに覆われ、

彼らの、いや20世紀を代表する名盤になりました。

リーダーのデヴィッド・バーンはさらに

ブライアン・イーノとの共同製作で1981年に

「マイ・ライフ・イン・ブッシュ・オブ・ゴースト」

をリリースしますが、これは「リメイン・イン・ライト」より先に製作され、

権利関係の問題で発売が逆転しましたが、

「リメイン・イン・ライト」の習作といった作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、元ジェネシスのピーター・ガブリエルが

1980年のアルバム「Ⅲ」で発表した「ビコ」も、

アフリカン・サウンドを持ち込んで話題になりました。

ピーター・ガブリエルはその後、

アフリカをはじめ世界中の土着の音楽を紹介する「WOMAD」

というイベントを立ち上げ、

ワールド・ミュージックが時代のキイワードになってゆきます。

「フェラ・クティ」「サリフ・ケイタ」などは、

この流れの中から世界に認知されるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、アフリカン・ビートを前面に取り入れたバンドも多数現れました。

「BOW WOW WOW」はセックス・ピストルズを成功させた

マルコム・マクラーレンが仕掛けたバンドで当時15歳のビルマ系の少女

アナベラちゃんをボーカルに据えたバンド。

パンクバンド「ブームタウン・ラッツ」はアルバム「モンド・ボンゴ」

で、アフリカンビートを取り入れたが、

なんといっても驚きは

プログレッシブ・ロックの大御所「キング・クリムゾン」が

アルバム「ディシプリン」でアフリカンビートを大幅に取り入れて

再起動したことです。

とくに新メンバーのギタリスト、エイドリアン・ブリューは

時代の寵児として注目を集めました。

「エレファント・トーク」で聴かれるゾウの鳴き声のような

エレファント・ギターはワタシも真似したもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんな時代背景で生まれたのが

イギリスのニューウエーブバンド「XTC」の4枚目のアルバム

「ブラック・シー」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

XTCは1978年にデビューアルバム「ホワイト・ミュージック」をリリース。

パンクブーム真っただ中に登場したそのサウンドは、

ねじれたパンクミュージック、という印象がぴったりする。

激しいリズムではあるが、どこかひねくれた、

ユーモアすら感じる独特の演奏で、

それは同じ年に発売した「GO2」でもおおむね踏襲される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、その「GO2」の初回プレスにはボーナス盤として

「GO+」というダブ・ミックスバージョンが付属していました。

これは、手に入らず、あとから聴いたのですが、

これがスゴイ。

坂本龍一氏の2年も前にこんな先進的な音を作っていたのかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして3rdアルバム「ドラムス&ワイヤーズ」を1979年にリリース。

そして、今度はリーダーのアンディ・パートリッジが

Mr.パートリッジ名義で、

そのダブミックスフルアルバム「テイク・アウエイ」

を1980年に発表します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、さらにすごかった。

実はこのあとこのアンディ・パートリッジ本人が、乞われて

例の坂本龍一の「B2-UNIT」の作成にかかわったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、今夜取り上げる「ブラック・シー」の話になります。

(ここまで、長かった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな経緯があったので、

ワタシはこのアルバム発売を心待ちにしており、

レコード屋さんに予約を入れて、発売当日に買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、(@_@)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1曲目の「リスペクタブル・ストリート」の

ギターのイントロからやられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザクザクいうギター。

そしてバスッバスッとぶった切れるようなドラム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、ゲートリバーブ、あるいはゲートエコー

と呼ばれるレコーディング法で、

この「ブラック・シー」をレコーディングしたプロデューサーの

スティーブ・リリィホワイトが、

先に述べたピーター・ガブリエルの「Ⅲ」で導入し、

おおいにインパクトを与えたサウンドでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単にいうと、音源の残響音を

ノイズゲートというエフェクターでぶった切ること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノイズゲートとはもともと、

エレキギターなどが音を出してないとき

ジーというノイズが発生する場合があるので、

一定以下の音量の音をカットして、

静かな演奏でノイズが聞こえちゃうのを防ぐためのエフェクターでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを、深くかけると、

ゆるやかに減衰していく音があるところで

急にカットされ無音になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうすると、ズバーン、ズバーンという音が

ズバッ、ズバッという音になり、ビートが強調されるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この手法はその後たいへん流行り、

日本の歌謡界でも見境なく導入され

吉川晃司も、シブがき隊も、

みんなズッ、バン、ズッ、バンやっておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、このアルバムはゲートリバーブを全体に用いて

ビート感を強調しながら、ところどころに

ダブ風のアレンジを加えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かといって、もろアフリカ風の曲でもなく、

ダブアルバムでもなく、

中心はメロディのしっかりした良質な英国風ポップ・ミュージック。

当時はまだ、ブリット・ポップという言葉がありませんでしたが、

ザ・ビートルズ直系のまさにあのサウンドです。

ただしそこにXTC風の「ヒネリ」が加えられて、

また、それが心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全編に当時の流行の最先端のアレンジが施され、

さながら1980年代の「サージャント・ペパーズ」を

聴いているような感じでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一番好きだったのは3曲目の

「リビング・スルー・アナザー・キューバ」。

ちょっとひねくれたギターのリフと、

歯切れのいいビート、

中盤のダブ風のアレンジが楽曲にスリリングさを加えています。

まさに、ヤラレタ―、という感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時はLPなので、A面が終わると、

レコードをひっくり返してB面をかけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると流れてくる、軽快な「タワーズ・オブ・ロンドン」。

この流れも好きでした。

やはりA面、B面で楽しむ、というのがレコード時代にはありましたね。

ホワイトサイドとブラックサイドに分けた「クイーンⅡ」とか。

「明日無き暴走」もB面の1曲目がタイトル曲なので、

CDだと、この辺の感覚が味わえません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、次々に演奏されるヒット・チャートメドレーのような

ポップ・チューンの最後、アルバムは突然、

「トラベルズ・イン・ニヒロン」という、

にわかに陰鬱な曲で、幕を下ろします。

どことなく、チャイコフスキーの

交響曲第6番「悲愴」を思わせる幕切れです。

もっとも、当時はクラシック音楽には

まったく興味も知識もなかったのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 LPレコード、アルバムは曲を集めただけのモノではなく、

全体を一つの作品と考えることができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、「リスペクタブル・ストリート」から始まって、

「トラベルズ・イン・ニヒロン」で終わるこのアルバムは、

まさに全体で一つの作品となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 LPレコード時代のアルバムが、

CD化されて発売されるとき、

CDの方が収録時間が長いので、ボーナストラックとか

未発表テイクなどを追加収録したものが多いのですが、

アルバム本来のコンセプトをスポイルしている場合が

少なからずあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、このアルバムもCD化された時に3曲ほど追加されていますが、

はっきり言って、余分です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、このアルバムを発売日に聴くことができたのは、

大作曲家の初演を聴いたと同じように、

人生において、大きな幸運だったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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