影響を受けたレコード(国内編)①:「一触即発/四人囃子」
フェイスブック企画の「影響を受けたレコード10選」は
大変楽しませてもらいました。
「好きな」ではなく「影響を受けた」というところで、
当時の時代背景や、自分の人生を振り返ることができて
大変、興味深かったですし、
新たな発見もありました。
ワタシにとってロックは「ほぼ洋楽」であったので、
10枚すべてが海外アーチストの作品になったのは
まったく当然なのですが、
日本のアーチストのレコードを聴かなかったかといえば、
そんなことはありません。
なので、影響を受けたレコード、国内編をやってみようと思いました。
ただ、そこで問題になるのは
ワタシにとって「ロックの魅力」≒「ロックボーカリスト」
で、あったということと、
「ロックの歌詞」は「英語」に限る、という認識があったことです。
今では考えられないことですが、
当時は「日本語のロックは成立するか否か」
という問題は常に論じられた問題でした。
「はっぴいえんど」は日本語ロックの草分けといわれますが、
当時ワタシは「はっぴいえんど」の
どこをどう聴いたらロックに聴こえるのか
まったく理解できませんでした。
(デビューアルバムの「ゆでめん」はLPを所有していましたが。)
やはり、ビートルズの英語の発音や、
イアン・ギラン、ロバート・プラントのシャウトを聴くと、
やはり日本人にはロック・ボーカルはムリなのだ、
と自分なりに解釈していました。
「クリエイション」は高校生の頃人気があり、
曲は全編英語でしたが、竹田和夫氏の発音は、
高校生が聴いてもカタカナ英語にしか聞こえず、
イマイチ、ノレませんでした。
「キャロル」の矢沢永吉氏は、
「日本語を英語っぽく歌う」という歌唱法を発明しました。
「キミ」と発音するところを「クッィミィ」というように
日本には本来ない「無声音」を盛り込むことにより、
ちょっと英語っぽく聞こえる、という歌唱法は、
佐野元春や吉川晃司など、後々多くの人がコピーしています。
また、矢沢氏は歌詞は日本語だが、
サビや歌い出しなど重要なところに英語を混入させる、
という手法も開発しました。
これは、もうその後のニュー・ミュージックからJ-POPの
歌詞の常套手段になっていますが、
矢沢氏が、なんとかロックを日本語で
カッコよく歌いたいという思いが生んだ技でしょう。
のちにゴダイゴに入るタケカワユキヒデ氏のデビュー曲、
「走り去るロマン」を聴いた時はショックでした。
1975年に発売されたこの曲を、ラジオで聴いたとき、
その発音の素晴らしさに感動し、
彼が東京外語大の外国語学部英米語科卒ときいて、
なるほど、と思ったものです。
さて、そんな背景で、初めて日本語のロックで良いと思ったのが、
この「四人囃子」の「一触即発」でした。
1974年6月25日発売。
当時中学3年生。
時代はプログレッシブ・ロック・ブームでした。
雑誌「ミュージックライフ」の人気投票では、
「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」が
「レッド・ツェッペリン」を抑えて1位を獲得。
「イエス」「ピンク・フロイド」といったバンドが
人気を集めていました。
まさに「プログレ」は時代の最先端。
その「Progressive」という単語の意味そのままに
「進歩的な」ロックだったのです。
このアルバムが、日本のロックとしてではなく
「ロックのアルバム」としてすんなり受け入れられました。
結論から言えば、プログレは
「イントロ~歌~間奏~歌~エンディング」
という構成ではないので、
歌の比重は相対的に低くなっています。
ボーカルスタイルもリード・ギターと対決する
シャウトするボーカルではなく、
アンサンブルの一部として機能するものなので、
「聴かせる」歌はむしろ要求されません。
曲によってはインストもアリです。
この点が、日本人のボーカルの弱点を、
難なくクリアーしていたので、
非常にすんなりと曲を聴くことができたと思います。
もちろん、楽曲の良さ、構成力の高さ、
があってのことですが。
くわえて「四人囃子」という、ニヤリとさせるセンスあるバンド名、
それに「一触即発」という、
「原子心母」や「危機」と並べても違和感のない
プログレ風のアルバムタイトルもカッコよかった。
そんなわけで、「一触即発」は
ワタシが好きになった日本のロックアルバムでしたが、
それでも一番好きなのはパープルなどの
ハードロックでしたから、ボーカル問題は
解決したわけではありませんでした。
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