ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.07.31

8月2日のメモリー(第4話)


 前々々回からの続きです。
そちらから先にお読みください。
 茅野駅は八ヶ岳や蓼科高原の玄関口である。
 8月の夏山シーズン真っ盛りの朝、
駅からは色とりどりの登山服姿の人たちが
大きなリュックを背に、次々とはきだされてきて、
順次、各方面のバス停へと散ってていく。
 今日も天気がよさそうだ。
 そんな華やいだ雰囲気の中、
暗い顔をした若者が6人。
 「どうする、このあと。」
 「やっぱ、帰るしかねえだろ。1台じゃ無理だし。」
 「こっから、車に乗れないもんは電車で帰るか。荷物だけ車に乗せてもらってさ。」
 「ここから前橋まで、何線?どれくらいかかるの?」
 「さあな。」
 「フェリーや旅館に連絡入れないと・・。」
 オレは強い責任を感じて、ずっと黙っていた。
 ああ、オレがあんなバカなことしたばっかりに、
みんなに迷惑かけてしまった。
 一体どうしよう。
 せっかくの夏休みなのに・・・。
 その時、ふと、駅前にある看板が目にとまった。
 オレはとっさに口を開いた。
「いや、オレのせいで、すまん。
でも、ナントカ旅行に行こうよ。」
「どうやって?」
「あそこにレンタカーがある。
帰りにまたここ透るんだから、こっからレンタカー1台借りていこう。
オレが金だすよ。
今なら、まだ大阪のフェリー、間に合うよ。」
「レンタカーか。それなら行けるかも。」
「でも、オグラ、お前ダイジョブなのかよ、あんな事故った後で。」
「いや、オレは、大丈夫だよ。ケガもないし。」
 ホントは全然大丈夫じゃなく、気持ちは限りなく落ち込んでいたが、
仲間にこれ以上迷惑かけたくない、という思いで強がっていた。
 結局、レンタカー代は割り勘、ということで、
1台借りて再出発をすることにした。
 ただし、予算の関係で、エアコン付きはあきらめた。
 よーし、行こう。
 若干時間がタイトになったが、
予定通りのコース、諏訪インターから中央道に。
 名古屋からは名神高速道路にのる。
 大阪の阪神高速は首都高なみに複雑で、
ちょっとてこずったが、
それでも何とか夕方までに大阪港に着き、
無事フェリーに乗り込むことができてホッとした。
 夕日を浴びながら、車を船に乗せ、
やがて出港となった。
 長い1日の太陽がようやく沈もうとしている。
 夜、大部屋の喧騒を離れ、1人でデッキに出た。
 夜風に当たりながらぼんやり神戸ポートタワーの夜景を眺める。
 それまで、気を張っていたが、ふっと現実に戻った。
 ああ、車、無くなっちゃった。
 家庭教師のバイトに、夏休みは工場でも働き、
お金をためてやっと買った車。
 親父が死んで、ずっと自家用車の無かった我が家に再び車が来た。
 通学や旅行など個人的な用事だけでなく、
お袋を乗せて親戚の家に行ったり、弟の引越にも活躍したなあ。
 弟が浪人して予備校に入る時は、初めて都内を走ったし
1年後後入った大学が山形大だったため、初めて高速道路にも乗った。
 スキーやバイト、日常の足としても活躍した。
 もっとも、女の子が助手席に乗ってくれたのは数えるほどしかなかったが。
 5年前友人に付き合ってもらい、
足利じゅうの中古車屋をめぐって一目ぼれした白いクーペ。
 ハイオクのガソリン代はきつかったけど、
当時、排ガス規制エンジンの中で三菱の誇るサターンエンジンの100馬力は抜群だった。
 その上、ハッチバックはスペースが広く、
ギター、アンプはもとより、
後席を倒せば、ドラムセットだって運べた。
 前橋に帰ったらどうやってバイトに行こう。
 「しみずスーパー」もチャリで行かねば。
 故郷から遠く離れた船上から、夜空を仰いでため息をつく。
 でも、確かに、ひょっとして方向が悪かったら死んでたかもなあ。
 あの道の反対側は、崖になってはるか下に谷川が流れていた。
 と思うと、屋根の潰れたセレステが、
自らを犠牲にオレを救ってくれたような気もする。
 ああ、オレのセレステもお星様になっちゃったんだなあ。
 あの辺のキラキラした星かなあ。
 あ、あの星は「すばる」だから違うわ。
セレステ、三菱だし。
(スイマセン、ここ、フィクションです。真夏におうし座のすばるは見えないはず。)
 ともかく、そんな思いを乗せて船は瀬戸内の漁火の中を西に向かって進んでいった。
 ~次回、最終話です。
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2件のコメント
2010.07.31

8月2日のメモリー(第3話)


 前々回からの続きですので、そちらを先にお読みください。
 やっと来たおまわりさんは、明らかにめんどくさそーだった。
 まだ、やっと日が上ったくらいのこんな時間だから、
きっと前夜からの当直なのかもしれない。
 警察の勤務がどんなかしらないが、
あとちょっとで時間が来て非番、ってことになるタイミングだったのかもしれない。
「それで、キミが単独でここでスリップして岩に乗り上げたと、こういうわけだね。」
「はい。」
「どこ行く途中だったの。」
「九州です。」
「ほー、九州、男ばっかりでねえ。」
「はい。(大きなお世話だ、ほっとけ。)」
「キミたち、学生だろ。」
「はー、いい車、乗ってなあ。でも、こりゃもう、ダメだな。」
「はあ・・・・。(別に親に買ってもらったんじゃなく自分でバイトして買ったんですが。)」
「じゃあ、ちょっとね、測ったりするから、交通整理しといて。」
 と、いうわけで、おまわりさんは自転車のタイヤみたいので
周りを測り、書類をつくりだしたので、
前後に分かれてまた交通整理を始めた。
 オレは事故現場の山側に行って、交通整理を始めた。
 だんだん、車の数も増えてきた。
 と、その時、何か視界の端の方にモノの動きを感じた。
 「ん?・・・何かヘンだ。」
 振り返ってみると私の斜め後ろに止まってるパトカーが
するすると動き出すではないか。
 「???!」
 もちろん、車にはだれも乗ってない。
 パトカーのサイドブレーキの引き忘れだ。
 ヤバい!
 と思ったオレは、とっさに駆け出して、パトカーに追いつき、
走りだした車の、あいていた窓にアタマから飛び込んでサイドブレーキを引いた。
 運よく、それほどスピードが出る前に、無事、停車させることができた。
 「どうした、どうした?」
 あわてて戻ったおまわりさんに、
「サイドの引きが甘かったみたいです。」
 と説明すると、急にしどろもどろになり、
「あ、ああ、そう、そりゃ、ど、どうも・・・。」
「じゃ、じゃあ、書類作ったから。これで、レッカー移動できっから。」
「じゃあ、まあ、そういうことで・・・・。」
 といった感じで、そそくさと帰ってしまった。
 そりゃ、そうだ、あれでパトカーが谷にでも落っこったりしたら
ちょっと簡単な始末書くらいでは済むまい。
 オレのジーパン刑事ばり(?)の活躍に、もっと感謝しろよ。
 まあ、それにしても、考えてみれば、
我々もスリップしたのが山側でよかったわけだ。
 もし反対側にすべっていたら、下は数十メートルの谷川だったので、
オレ達の命は無かったかもしれない。
 JAFが来て、屋根の潰れた車はもう修理不能だから、
廃車手続きをします、と言われた。
 先に行ったファミリアも、異変に気付き戻って来て合流した。
 さて、これからどうしよう。
 レッカー車でふもとの茅野の駅前まで送ってもらった我々は、
今後を考え、途方に暮れるのだった。
  ~さらに続く
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2010.07.30

8月2日のメモリー(第2話)


 前回からの続きですので、まず第1話をお読みください。
 さて、早朝の山道を快調に飛ばしていた。
 前夜雨が降って、路面はぬれていたが、
日の出とともにさしかけてきた夏の日差しが、
暑い真夏日を予感させていた。
 昼間には大いににぎわい、渋滞するこの時期の白樺湖であるが、
まだこの時間、すべてのお店はシャッターを下ろし、
車も人の姿もない。
 白樺湖を抜け、ここからは下り道。
 大門街道を抜け、茅野を通って諏訪インターから中央道に入る予定だ。
 2台の車は猛スピードで走っていた。
「いやー、すいてて気持ちいいなー。」
「ここいつもすごい渋滞だもんなあ。」
 カーブの続く山道をレースのように、
「攻めて」いた。
 先行するファミリアと、ちょっと間があき、
よっしゃ、差を詰めるぞと、アクセルををさらに踏み込んだ時・・・
 雨上がりの路面で滑ったか、
カーブでハンドル操作を誤ったオレのセレステはコントロールを失った。
 「うおおおおおおおおおおーーーーー・・・・・
 そのままカーブを曲がり切れず、外側に突っ込む。
 ガリガリガリという激しい震動とともに車は斜面に乗り上げていく。
 カーブの向こうは山になっているため、車は次第に直立に近くなり、
そして、横に回転してタイヤを上にしてやっと止まった。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「おい、だ、大丈夫か?」
 逆さになってハンドルを握ったままオレは同乗者に声をかけた。
「ああ、オ、オレは大丈夫・・。」
「こっちも、平気、みたい・・・。」
 幸い、みんな、大事は無いようだ。
 車は逆さまでみんな天井に頭がついてるが、
カーステレオからは太田裕美ちゃんの歌が依然、のんきに流れていた。
 「こっちドア開かないけど、そっちはどう?」
 「ん、ナントカ開くかも。」
 ということで、2ドアクーペから何とか全員脱出に成功した。
 車から出て、3人は腰に手を当てて呆然とした。
 トンデモナイことになった。
 しかも、その責任はすべてオレにある。
 「よし、ともかく、警察とJAFに連絡だ。」
 先行するもう1台は、我々の事故に気付かず、
先に行ってしまっていた。
 もちろん、当時携帯電話なんて便利なものは無い時代だ。
 まして、人家も店もない山道、しかも早朝。
「こっからだと、まだ、白樺湖の方が近いから、
上ってくる車を止めて、上まで乗せてってもらおう。」
 夜も明け、夏休みなので、少し待つと上ってくる車があった。
「じゃあ、オレとKは、ここに残って交通整理するから、
お前、この車乗せてもらって、連絡してくれ。」
 と、オレは、仲間に指示して連絡に行ってもらい、自分はその場で警察を待った。
 逆さになった車は車線を半分塞いでいたので、
交通整理をしないといけない。
 もっとも、事故車は山から下りる車線だったから、
上ってくる車ばっかりのこの時間帯の交通整理は比較的簡単だった。
 次第に朝日が昇り、白樺湖へ向けて車が上ってくる。
 「大丈夫ですか、怪我人は?」
 などと声をかけてくれる自家用車のヒトもいるし、
 観光バスから身を乗り出すようにして、
「あーこりゃ、何人か死んだかもな。」
 などという、やじ馬まで。 
 「事故見物」の徐行運転で少しずつ渋滞がはじまりかけたころ、
やっと、長野県警のパトカーが上がって来た。
 ~まだまだ続く
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2010.07.29

8月2日のメモリー(第1話)


 今年もまた8月2日がやってくるなあ。
 毎年、この時期に思い出す夏がある。
 今を去ること27年前、昭和58年は、暑い夏だった。
 私は、当時大学5年生。
 その夏、我々は同級生6人で夏休みを利用して九州旅行を計画した。
実は、同じメンバーで前年夏は北海道を車で回った。
 北海道なら、次は九州だ、という安易な発想。
 車で安い宿を泊り歩けばコスト的にもなんとかなるだろう。
 ということで、男ばかり6人、
8月2日朝3時に車2台で前橋を出発したのだった。
 予定としては夕方までに大阪港につき、そこからフェリーで九州にわたる。
 東名、名神、中央道はあるが、上信越や長野自動車道はまだなかった時代だ。
 軽井沢から白樺湖を超えて諏訪インターから中央道に入るルートを選択した。
 2台の車は、T橋のファミリアと私のセレステ。
 理由はエアコンがついてるから。
 いまどき軽でもなんでも、エアコンの無いクルマは無いと思うが、
当時はエアコンついてる方が少なかった。
 私の車は「中古」で買ったので、たまたまエアコン付きだったのだ。
 さて、まだ夜明け前の真っ暗な国道17号を西へ向かってスタートを切る。
 高崎、安中、松井田を抜け順調に碓井バイパスへ。
 その後、南に進路を変えて、白樺湖を抜けていく頃、
ようやく、夜が明けてきた。
 おお、いい感じ。
 はっきりいって、我々は「浮かれて」いた。
 医学部の5年生といえば、事実上「最後の夏休み」だ。
 翌年は卒業試験、国家試験で勉強、勉強に追いまくられ、
夏休みに遊んでるヒマは到底、無い。
 メンバーで九州に行ったことのある奴は誰もいなかった。
 阿蘇山、熊本、雲仙、長崎、博多・・・・。
 あちこち行って、ウマいもん食って、焼酎のんで。
 あわよくばフェリーとかで、可愛い女子大生グループと遭遇するかも。
 旅行への期待やあらぬ妄想は膨らむばかりだ。
 カーステレオをがんがんかけて、朝からテンションあがりっぱなしだったのだ。
 その時点では無論、この先に待ち受ける恐ろしい運命など知る由もなかった。
  ~続く
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2010.07.29

久々に勝ちましたが


 昨夜は医師会の会議があり、
家に帰ってから録画観戦。
 なかなか終わらないのでじりじりして、
最後は車飛ばしてダッシュで帰って来た。


 2010年J1第15節
  京都サンガ   0-4    浦和レッズ  (西京極陸上競技場)
    (前半   0-0)
    (後半   0-4)


 京都はこの10戦勝ち星が無く、今節から監督が交代した。
 なんと、あの秋田かよ。
 フォワードには柳沢がいるし、なんか、不快。
 それより、この
「10戦勝ち星なしで、監督が交代して」
というのが引っ掛かる。
 毎度言ってるが「連敗ストッパー」の浦和はこのパターンにヨワイのだ。
 しかし、試合は、結局京都のミスに助けられた形。
 相手がつぶれてくれたおかげで、久々の完全勝利を味わうことができた。
 裏を返せば、最下位レベルの不調のチームに通用することが
そのまま上位陣に通用するわけではない、ということ。
 収穫は、サヌの攻撃力。
 やはりサヌは、あの辺で使いたい。
 これまた初ゴールの宇賀神をSBにおいて、一列前にサヌ、ってのはどうよ。
 あと、スピラ、すごく良かったです。
 守備もさることながら、彼の前線へのフィードがしばしばチャンスを演出していた。
 前試合では、スタミナ面からの交代だったが、
でき自体はかなり良かったので、期待してたのだが、
今回は彼の実力を確信しました。
 時節、またまた「下位」との対決だが、
(今回の相手教徒が最下位、次節の大宮がそのすぐ上)
この辺で勝ち癖をつけて勢いをつけたいとこだ。
 週末は同窓会なので、またまた残念ながら、スタジアムには行けないんだけど。
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2010.07.28

Pの悲劇

 昨夜は足利日赤で耳鼻咽喉科のカンファレンスでした。
 3か月に一回の割合で、
足利の耳鼻咽喉科の開業医と足利日赤の耳鼻咽喉科の医師で、
症例を持ち寄ってああだ、こうだ意見交換をする。
 内科や小児科の開業医の先生も熱心な先生は出席する。
(その代わり、耳鼻科医も全員出るわけではなく、いつも出るヒトは決まってるけど)
 もちろん、飲み食いする会ではなく、
病院の会議室でキチンとお勉強をする会です。
 夜7時から始まり、2時間半くらい。
 さて、昨夜取り上げられた症例で、気管支異物がありました。
 1歳代の子で、ピーナッツと大豆の2症例でした。
 気管支異物は幼児と老人に多いわけですが、
子供の異物で注意しなきゃならないのは、何といっても「豆類」です。
 これらは、声門を通過して気管に入り、
運が悪いと、そのまま 窒息して死んでしまう か、
蘇生してもいわゆる 植物状態 になってしまう事が少なくありません。
 治療は耳鼻科で気管支鏡で摘出するわけですが、
全身麻酔のムズカシイ手術です。
 ともかく、ここで声を大にして言いたいのは、
子供の口にそんなもんを入れてはイカン!
ということ。
 事故は未然に防げます。
 今回1例目はほかのお母さんがおやつにあげたピーナッツ、
2例目は保育園で保育士さんがあげた煮豆だったそうです。
 新米お母さん(?)はともかく「保育士」はやべーだろ。
 いや、このお母さんも自分の子じゃないから、もしなんかあった時には、
相当悲劇的な状況になったかもしれないのだ。
 今度、幼稚園講演会があったら気管支異物の話をしようか。
 そういえば、以前、まだウチの子が小さい頃、家族旅行で電車に乗った。
 その時、近くに座ってたおばあちゃんが、
「あら、かわいいわねえ、はいどうぞ。」
と、お菓子の袋をくれたのだ。
 その瞬間、そばで見ていた、我々両親の顔色が変わった。
 なんと「バターピーナッツ」。
 二人とも耳鼻科医である我々夫婦は、
 「ピーナッツの悲劇」 を多くこの目で見て知っている。
 あわてて、子供の手からひったくるように奪い、
「ああ、ありがとうございます。あとでいただこうねー(汗)。」
と、バッグに素早くしまった。
 ずーっと、そうやって来たので、
いまだに我が子はピーナッツは食べません。
(もうすっかり大きいから別に大丈夫なんだけど。)
 それにしても、子供のピーナッツは本当に怖いです。
 皆さんもくれぐれもご注意を。
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2010.07.27

見えない力


 耳鼻科の外来で日常的に行われる手術に「鼓膜切開」があります。
 ほぼ毎日あるくらいポピュラーな手術ではあります。
 実は「急性中耳炎」に対する鼓膜切開のタイミングは、
2回あります。
 一つは急性期、鼓膜の腫れが強く、
発熱や痛みが薬でコントロールできない場合。
 鼓膜切開によって痛みや高熱は速やかに改善します。
 まあ、この場合は文字通り「緊急」な状況なので、
患者さんにも受け入れられやすい。
 耳が痛い子に抗生剤と痛み止め出して、
今晩も痛かったり、明日も熱が高ければ来てね、
といいます。
 多くは薬で何とかなりますが良くならなかった子は、
翌日、やっぱ、切った方がいいですねと言って鼓膜切開とか。
 親はある程度覚悟してきますし、
もちろんすぐ結果も出る。
 そして、問題となるのはもう一回のタイミング。
 これは、急性中耳炎の急性期は過ぎ、
痛みも熱もないが、いつまでたっても中耳の滲出液が引かない時。
 普通は2週間くらいで、水が無くなるので、
はい、終わりです、となるのだが、
3週間たっても4週間たっても動きが無ければ、
鼓膜切開を考えるわけだ。
 一刻を争うわけではないので、その時、いきなりというのもアレなので、
説明をして、来週も良くなってなかったら切開しましょうね、
といって、次、来てもらうのだが。
 とすると、一週間後耳を見て、
「!」 ということが意外とある。
「おお、良くなってきてるじゃん。やったね。」
 ってことで、切開は見送り。
 まあ、一般には
「うーん、やっぱ、ダメだったねー、切りますか。」
という場合の方がもちろん、全然多いのだが、
 ずーっと何週間も治らなかったのが、
「じゃあ、今度切るね。」
といって治っちゃう例は、確かによく遭遇する。
 これは、もちろん時間経過でたまたま、という場合はあるだろうが、
どうも何か 「見えない力」 が働いてるような気がする。
 今度切られるのはいやだ、という子供の緊張が、何か治癒力を発生させるのか。
 でも、そういう意識の無いはずの赤ちゃんでもこの手の事はあるので、
その場合は、今度切られちゃうのはかわいそう、という母親の
母性愛や気合みたいなものが、赤ちゃんに乗り移るのか。
 人間の治癒力にはまだまだ「謎」が多い。
 ただ、その時点で「母親の気合(?)」が切れて、
翌週に結局、やっぱ切開、ってパターンもたまにあるけど。
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2010.07.26

ビゼーとザ・フー

 実は、昨年から「にわか」クラシックファンになった私だが、
ひそかにその「マイブーム」は続いていた。
 ロック以外ほとんど聴かない私が、
最近聴いてるのはほとんどクラシック。
 私の部屋から漏れ聞こえるブラームスやらチャイコフスキーに
最初は、違和感を覚えてた家族も最近は慣れたみたいだ。
 それで、コンサートにも妻と一緒に2カ月に一回くらいのペースで
足を運ぶようになった。
 昨日は、渋谷の文化村オーチャードホールに初めて行ってきました。
P7250004_convert_20100726131854.jpg
 渋谷も買い物にはよく来るが、
オーチャードホールは初めて。
 銀座や渋谷は足利からは乗換一回なので便利です。
 メニューは「ラヴェル/マ・メール・ロア」「ビゼー/アルルの女」そしてメインデッシュは
「ベルリオーズ/幻想交響曲」。
 行くコンサートが決まると、その曲のCDを毎日毎日聴きまくるわけだ。
 かねてから、クラシックはプログレに通じるものがあると感じており、
私的には「イエス」や「ピンクフロイド」を聴く感覚に非常に近い。
 特に「幻想交響曲」はホーンやタイコ関係が多く、
なかなかカッコいいので、お気に入りだ。
 オケは東京フィル。
 指揮者は、何とかいうフランス人のおじいちゃんだった。
 このおじいちゃん、パンフを見るともう80近い年齢で、
舞台中央まで歩いてくるのもよぼよぼで危なっかしい。
 しかし、いざ演奏が始まると、別人になっちゃうのだ。
 体が覚えてるっていうか、まあ、プロですね。
 それで、演奏が終わるとにこにこして何回もお辞儀して、
「かわいいおじいちゃん」になっちゃうのだ。
 休憩後の後半「幻想交響曲」は50分程度の長尺だ。
 最後、ホーン、タイコ、シンバルでギンギンに盛り上がり、フィナーレ。
 満場の拍手だったが、まあ、おじいちゃん、あの歳でこんだけやれば
アンコールはあるまいと思っていた。
 すると、何回目かに指揮棒を持って再登場。
 お、やるんだ、アンコール。
 指揮台に乗って、観客にあいさつした後、
オーケストラの方に、向きを変える。
 と、その瞬間、ぐっと前にかがんだかと思うと、
指揮棒を振りいきなり曲がスタート。
 あらかじめそういう段取りだったのか、
よくオーケストラがついてきたな、
というようなタイミングだった。
 そして、曲は私でも知ってる「カルメン」!
 いやー、この流れ、カッコ良かったっす。
 終わった後妻に、アンコール、カッコ良かったね、と話したら、
彼女は、
 CRPのライブで、アンコールで
『じゃあ、行くぜ、サマー・ターム・ブルース!』
と言った瞬間、ドラムのカウントが入って、
いきなりあのイントロがジャッジャジャーン、
と始まる感じみたいだった。
 と言っていた。
 うーん、まさにそれだ!
 ジジイ、やるなー。
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2010.07.25

「ここから強い」と「ここから弱い」

 

 ワールドカップ中断明けの、初めてのホーム・ゲーム。
 また、「日常」が戻って来た。
 それにしても、暑っつー!
P7240020_convert_20100725080927.jpg
 お、何やら、ゲートに涼しげなモノが♪
P7240021_convert_20100725081117.jpg
 しかし、このミスト・シャワー、私の席の入場ゲートにはついてませんでした。
(安い席にはつけねえのかよー(怒))


  2010年J1第14節
  浦和レッズ    0-1     サンフレッチェ広島   (埼玉スタジアム2002)
    (前半    0-0)
    (後半    0-1)


 パスサッカーは運動量が命。
 去年も「夏場」で大失速したんだった。
 今年はその対策をした、といってたのだが・・・・。
 サンフレッチェは、多分レッズが「お手本」にしなきゃいけないチームでしょうね。
 個々の技術は高くないが、全体の意思統一がなされていて、
時間帯によって今、どういう戦い方をするのかが、
チームとして明確になっています。
 今宵、柏木の思いは、どんなだったのか。
 自己のステップアップのために慣れ親しんだチームを離れ、
ビッグ・クラブに来たつもりが、
全く逆の結果になってしまい・・・。
 0-0で迎えたハーフタイムのオーロラビジョンで
同時刻開催の試合の途中経過が「磐田2-0鹿島(前半終了)」
と出た時は、スタジアム中から歓声があがったが、
後ろの席のヒトが
「でも、鹿島はこっからが強いんだよなー。」
と、話していたのが耳に入った。
 で、鹿島は後半3点を取ってアゥエイゲームで勝ち点3。
 「ここから強い」チームと「ここから弱い」チームの差は、果てしなく大きい。
 それにしても、今日のタツヤ、ボールが足に当たらなかったなー。
 決めるチャンスは多かったが、一つくらい決めてくれれば・・・・。
 せっかくオレが11番のレプリカ着ていったっつーのに・・・。
 レプリカっていえば、私の何列か前に座ってたこの兄弟。
 なんで、日本代表?しかも、なんで闘莉王!?(それも2人とも)
P7240022_convert_20100725081308.jpg
 ビミョー過ぎる!
 親は一体、どんな教育しとるんじゃー。
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2010.07.24

講演会行ってきました。


 で、予告通り、苦手なスーツを着て、
宇都宮まで講演会に行ってきました。
 スーツなんか暑苦しくてイヤダ、と思ってたら、
ドカーンと激しい夕立が来て、
けっこう涼しくなりました。
 「日本耳鼻咽喉科学会認定学術集会」っていやあ、耳鼻科の先生方が
学会認定の「単位」をもらいにお勉強に来るところ。
 まあ、あっしは「前座」なので、
参加者はメインアクトの和歌山県医大の「山中教授」のお話を聞きに来るんですが。
「乳幼児のsemi-hot earに対するチューブ留置術の効果」
について話してきましたが、
例によって、浦和レッズは出るわ、バンドの宣伝は出るわで、
オグラをよく知らない宇都宮や県北の先生方は
「なんだ、こいつ。」
と思ったかもなあ。
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 まあ、フロアからご質問などもいただいて、
無事、ノルマを果たしました。
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 質問ないとさびしいですからね。
 んで、メインの山中先生の御講演は、
そりゃもちろん、たいへん勉強になりました。
 この先生は、日本の耳鼻咽喉科の感染症領域ではトップのヒトで、
いつ聴いても、非常にためになる話をしてくれる、
私の尊敬する先生です。
 今回もお話の中から、2,3ヒントをつかんだことがあるので、
今後の外来診療で試してみようと思います。
 でも、山中先生の方は、写真ないです。
(バービーにカメラ頼んだらオレん時しか撮って無かった。)
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