ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2024.03.09

鳥山明さんとDr.スランプ

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漫画家の鳥山明さんが亡くなられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞のコラムやSNS、ブログなどでも

鳥山明さんの死を悼む記事を多く目にしましたが、

わりと多かったのは

鳥山さんの代表作は「ドラゴンボール」だが、

自分的には「Dr.スランプ」だ、という内容。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシも同感。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Dr.スランプの連載が始まったのは1980年。

ワタシが大学2年生の頃でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一浪して群馬大に入りましたが、

我が家には前橋に下宿するだけの経済的余裕がなく、

大学に入って2年間の教養課程の間は、

自宅からJR、バスで通学していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、愛読していたのが少年ジャンプ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JR両毛線は昼間は特に本数が少なく、

大学の講義が午後の早い時間に終わると、

前橋駅で1時間近く電車を待つこともありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなときに駅のキオスクで

ジャンプを買って時間をつぶしたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お目当ては江口寿史氏の「すすめ‼パイレーツ」でした。

今でもワタシの好きな漫画ベスト5に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃に連載が始まったのが「Dr.スランプ」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一印象はなんといっても、絵が上手い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、その「すすめ‼パイレーツ」の江口寿史氏も、

今でこそ美少女の絵はピカイチで

多くのイラストレーターにコピーされていますが、

デビューの頃は絵が下手でした。

大成する作家は連載中にどんどん絵が上手くなっていくものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが鳥山明さんのようにいきなり新人で

こんなに完成された絵をかく作家は驚異的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、鳥山明氏の漫画に出てくる、

戦車とか飛行機の絵を見て、

あー、このヒト、絶対プラモデル好きだな、と感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これなんかタミヤのミリタリーミニチュアシリーズの最高傑作、

ドイツ軍88ミリ砲です。

プラモ少年のあこがれの的でした。

モデラーは誰でも知っているが、

モケイ作ってる人でないと、絶対出てこないメカです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほかにも「スッパマン」「Dr.マシリト」

「キャラメルマン」「ニコチャン大王とその家来」など、

ユニークで楽しいキャラが魅力でした。

個人的には名古屋弁を話す「ニコチャン大王」は

頭にお尻があり、その上に鼻がついているため

オナラをすると非常にクサイ、という設定がかなりウケた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急性硬膜下血腫というと外傷によるものだと思われますが、

交通事故ではなさそうなので転倒でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

68歳か、ワタシも気を付けなければ。

血液サラサラ飲んでるから、転んで頭打ったら死ぬな。

 

 

 

 

 

 

3件のコメント

コメント/トラックバック (3件)トラックバック用URL:

  1. 鳥山明先生、モデラーとしてもかなりの凄腕でした。小倉先生もご存知かもしれませんが、タミヤの人形改造コンテストで金賞も取られており、タミヤニュースでたびたびお見かけしました。
    https://twitter.com/tamiyainc/status/1767104076641132590?s=61&t=FIrdnZAQCLFc9EPk9zhXMQ

    ミリタリーもお好きなようでしたが、その機能美に惹かれていたようですね。88ミリ高射砲のイラストもですが、兵器の持つ禍々しさは極力抑えられていて人間(ペンギン村住人)の良き相棒といった面持ちをスタイリッシュに描かれていました。当時私は中学生で登場メカのリブギゴが好きでした^^

    小倉弘之先生のお父様に子供の頃何度も診ていただいたことがあって、診察室のガラスケースの中に軍艦のほか、88ミリ砲の模型も飾ってあったような…うろ覚えなのですが。もしかすると当時少年だった弘之先生の作品だったのでしょうか。

  2. コメントありがとうございます。
    人形改造コンテストの件は知っていましたが、タミヤニュースに搭乗してるのは知りませんでした。まあ、出て当然すぎますが。
    かつての当院のガラスケースの件をご存じとは、おいくつですか。
    旧小倉耳鼻咽喉科の診察室にあったのは、たしかニチモの1/500空母赤城です。父の作品です。
    ワタシはまだ88ミリ砲を手掛ける技術も財力もなく、
    MMのⅡ号戦車やⅢ号突撃砲を作っていましたね。
    88ミリ砲は大人になってから作りました。

  3. コメントをありがとうございました。私の年齢は60歳手前というところです。弘之先生のお父様がお亡くなりの際は小学校高学年で、直前まで通院していました。

    診察室に飾ってあったのは1/500の空母赤城でしたか!艦名は分かりませんでしたが覚えています。甲板に艦載機が整列していて、綺麗に塗装されていたと記憶しています。お父様の作品とは驚きでした。そういうご趣味があるとは存ぜず、何となくお子さんが製作したものかなと思っていました。

    うっすらと記憶しているのは、医療器具か薬品もしまってあった戸棚のようなガラスケースには、土嚢や歩兵も飾ってあった気もしました。88ミリ砲ではなかったですか。弘之先生はII号戦車など組まれるとはマニアですね。私が中学生くらいの頃はタイガー戦車、ゲパルトやメルカバあたりが人気でした。私は当時から未完成病にかかってしまい^^

    ニチモというと、私も30センチシリーズの大和など組みました。ご存じと思いますが佐野市が本社の模型メーカーでした。1981年夏に封切りの映画「連合艦隊」が上映されたあたりでしょうか。ニチモの社屋が東北道佐野藤岡IC付近の国道50号沿いにありました。併設された展示室に10メートルほど(?)の巨大な大和の模型が展示されていましたので見学したことがありました。後に聞いた話では、昭和天皇もニチモ本社をご訪問されたとのことです。

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