ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.30

影響を受けたレコード(国内編)④「東京ワッショイ/遠藤賢司」

遠藤賢司は日本のフォークソングの草分け的存在です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フォーク・ソングとはもともと「Folk(民族の)」歌、という意味ですから、

もともとは「民謡」という意味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカで生まれたフォークソングは、

1930年から40年代にウディ・ガスリーが

民謡、ゴスペルなどに取材した音楽を、

反戦や、資本主義者に反発する歌詞に載せた独自のスタイルを作り、

コンテンポラリー・フォークとして現在のフォークの原型となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ボブ・ディランに継承されたこのスタイルは、

メッセージ性を前面にし「プロテスト・フォーク」といわれます。

その中でピーター、ポール&マリーのように

公民権運動などのメッセージ性を強くを持った歌詞を歌いながら、

美しいコーラスを聞かせるアーティストがでると、

そのうち、メッセージには興味ないけれど、

美しい声やコーラスが好き、というファンも出てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると、フォークソングは次第に分化してゆき、

スタイルだけを踏襲しながら、

メッセージ性のない、主として恋愛の歌などを歌う

フォークシンガーも増えてくるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のフォークソングもこの流れをなぞっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のフォークソングは1960年代に最初のブームを迎えますが、

このときのアーティストは、

時代の学生運動を受け、

ベトナム戦争反対や日米安全保障条約反対と結びついて

メッセージ性の強い反戦歌を歌ったシンガーが多い。

この時に岡林信康、加川良、中川五郎、高田渡などとともに

第1期フォークブームを担ったのが遠藤賢司なのです。

その後、叙情派フォーク、四畳半フォーク、商業フォークなどが

派生してゆくわけですが、

初期のフォークシンガーは骨太のメッセージを持った「反体制」派で、

アコギ1本であっても、そのスピリットは

のちの「ロック」や「パンク」に極めて近いものでした。

そんな彼が1979年1月に発表したのが、

この「東京ワッショイ/遠藤賢司」です。

1979年1月21日といえば、

ワタシが浪人の時受けた第1回共通一次試験のちょうど1週間後です。

経済的事情から私立大学医学部の受験はなかったのでしたが、

国公立大の来る二次試験に向け、

準備を怠りなく進めなければいけないときでしたが、

ラジオは聴いていました。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはさておき、

そんなわけで、「フォークシンガー」であった遠藤賢司が、

時代のパンクムーブメントの勃興を受け、

このような「パンク・フォーク」というべきスタイルのアルバムを作ったことは

ある意味必然のことだったともいえます。

このアルバムの前、1975年に彼は「HARD FOLK KENJI」という

ロックにインスパイアされた作品を発表しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本人のインタビューを見ると、

このアルバムは「セックス・ピストルズ」を聴いて触発された、

と明言しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで、もう一人上げなくてはならないのが、

ニ―ル・ヤングの存在です。

カナダ出身、バッファロー・スプリングフィールドを経て

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、

そして、自身のバンドクレイジー・ホースを率いてのバンド作品や、

ソロ作品を数多く発表しています。

遠藤賢司はハイトーンの声もあり、

日本のニ―ル・ヤングと呼ばれたこともありしたが、

その後の音楽的変遷も、また、重なるところがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのニ―ル・ヤングが1979年に発表したアルバム

「ラスト・ネバー・スリープス」は

まさに「パンク・ロック」「セックス・ピストルズ」に触発された作品で、

歌詞にも「ジョニー・ロットン」が登場します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洋の東西を隔てて熱いスピリットを抱き続けた

フォーク界の草分け、重鎮が同じようなコンセプトのアルバムを

発表したことになります。

しかも、時間的には遠藤賢司の方が、1年以上早い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも遠藤賢司の方がブチ切れ方がすごい。

このアルバムは音楽的には「電撃的東京」のような

パンクアルバムではありません。

パンクにインスパイアされながらも

フォークシンガーとしてのエンケンの個性を残し、

アコギ1本の曲もあれば、

また、バラエティに富んだ独自の世界観を展開しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「哀愁の東京タワー」では、

「クラフトワーク」のパロディ的に

いち早くテクノポップを取り入れています。

まだ、イエロー・マジック・オーケストラの

デビューアルバムが出た直後、

ソリッド・ステート・サバイバーより前です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学に入ってから、同級生でロック好きなやつがいないかなあ、

と思っていたのですが、

あるときウスイくんと話をした時に

同じく一浪の彼が、ロック好きであることを知りました。

「オレは群大の入学試験の時に

エンケンの『不滅の男』を口ずさみながら試験会場に入ったんだ」

という話をきき、コイツしかない、と思って

それまでまったくバンド経験のない彼を引っ張ってバンドを結成したのでした。

 

 

 

 

 

 

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