ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.29

影響を受けたレコード(国内編)③ 「電撃的東京/近田春夫とハルヲフォン」

影響を受けたレコード(国内編)第三弾はコレです。

「電撃的東京/近田春夫とハルヲフォン」1978年6月21日発売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このレコードを語るには、まずあるテレビ番組について書かなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組とは「ロックおもしロック」。

1978年4月から東京12チャンネル(現テレビ東京)で放映が始まった

関東ローカル番組。

放送は毎週日曜日午前10時からの30分。

提供はグレコギターの「神田商会」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時としては画期的なロックの情報番組で、

プロのミュージシャンのスタジオライブもあったが、

アマチュアバンドがその腕前を競う、

「勝ち抜きバンド合戦」というのも面白かった。

爆風スランプの前身、「スーパースランプ」と「爆風銃(バップガン)」は

ともにこのコーナーに出ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、この番組司会が近田春夫さんだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハルヲフォン」というバンドは知っていて、

エドガー・ウィンターみたいにキーボードをぶら下げて弾くヒトだ、

とは知っていたのですが、

この番組の近田春夫氏のコメント、語り口に興味を持ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、彼がパーソナリティーを務めていた

ニッポン放送のオールナイトニッポンを聴くようになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は1978年10月から同番組火曜2部を担当していました。

ラジオ深夜放送オールナイトニッポンは

第1部が午前1時から3時まで、第2部が3時から朝の5時まででした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、ワタシは受験に失敗し、浪人生。

神田駿河台の駿台高等予備校午前部に通う身分でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、当時我が家には子供を東京に下宿させる経済的余裕がなく、

ワタシは4月から毎日足利市から新御茶ノ水まで電車通学をしていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然、特急列車なんか使う贅沢はできませんから、

毎朝6時30分発の普通列車。

乗換は1回ですが、片道2時間かかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時のワタシの生活は

午後2時くらいに予備校が終わったあと、夕方帰宅。

夕食を食べ、風呂に入ったあとは疲れているのでとりあえず就寝。

夜中に起き、夜食を食べて朝まで勉強。

朝飯を軽く食べて、自転車で駅まで行き

6時半の各駅停車に乗り、そこで仮眠をとる。

北千住で超満員の千代田線に乗り8時半に新御茶ノ水に着き、

9時から授業、以下、その繰り返し、

という毎日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学時代から勉強はラジオを聴きながらの「ながら族」でしたから、

午前3時から5時までの深夜放送ももれなく聴けたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組は近田春夫氏がずっとしゃべり続ける、

というものでした。

というと、当たり前のように聞こえますが、

ここで「ずっと」というのは、

曲をかけている間も、ああだ、こうだ、としゃべり続け、

曲の途中でも、ああ、この曲はもういいや、今度はこの曲行きましょう、

と、別の曲をかけさせ、さらにまたしゃべり続ける、

というような破天荒なものでした。

そしたら、ナント、当時の放送の一部がYoutubeにありました。

Youtubeおそるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、近田氏が強調していたのは「歌謡曲のすごさ」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロック・ミュージシャンでロック番組の司会をしているので、

ロックの曲や情報が聴けるかと思いきや、

「もう、オレは、歌謡曲しかかけないからね。」

といい、流れる曲はすべて歌謡曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで近田氏が歌謡曲を実にロック的に聴いてることにビックリ。

歌謡曲が、しっかりした音楽的素地を持った

才能あるプロ集団によって生み出されており、

ヘタなロックや、ニューミューックのアーチストなど、

足元にも及ばない音楽だ、ということを知らされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都倉俊一、馬飼野康二などのヒットメーカーがいかに偉大か、

そして、日本ポップス歌謡界の巨人、筒美京平氏に対しては

最大級の敬意を払っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それまで、歌謡曲の作者など、

あまり考えたことのなかったワタシには、

まさに目から(耳から?)ウロコの話ばかりで、

歌謡曲のすごさ、カッコ良さを再認識させられたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな近田春夫氏が自身の音楽理論を体現すべく(?)

作成したのが、この「全曲歌謡曲のカバー」(ただしラスト1曲を除く)

という、その名も「電撃的東京」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おなじみの歌謡曲が、ほぼすべてパンクロック風のアレンジになり

矢継ぎ早に耳に飛び込んできます。

原曲は森進一ですが、

この、ベースのビビン、という音から入るイントロのカッコよさといったら・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと「ハルヲフォン」は、ナイトクラブの箱バンとして、

ソウル、R&Bの洋楽カバーから、グループサウンズ、ムード歌謡まで、

お客の好みに合わせて何でも演奏していたバンドなので、

演奏力は高い。

これはザ・ピーナッツの曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それまでの歌謡曲の固定観念を取り払い、

歌謡曲を再認識させてくれる格好の入門書でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、このアルバムは、来る80年代に向けて、

新しい音楽が、市場を席巻する可能性を予見していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すなわち、ニューウエーブの台頭と、

新しいポップカルチャー、サブカルチャーの展開。

歌謡界では、松田聖子、小泉今日子や、たのきんトリオなどの、

アイドル黄金時代の到来。

ベンチャーズや、三橋美智也、平山三紀などに

新たな角度からスポットがあてられ、新しい解釈でブームになること。

それら、1980年代初頭の社会現象の一つの預言書としても

このアルバムを聴くことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、わかるか、わからないかで、その人のセンスを問う

「踏み絵」的な存在でもあったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、このレコードの影響で、

ワタシはレコード屋さんに田原俊彦のファーストアルバムを買いに行き、

高校生の頃から馴染みのレコード屋のお兄さんに、

いったい、どうしちゃったんだよ、といわれ、

そののち、大学生になってから結成したバンドで、

「哀愁でいと」のパンク・バージョンを自らアレンジして演奏したのでした。

 

 

 

 

 

 

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