ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.11

影響を受けたレコード③「バッド・カンパニー/バッド・カンパニー」

さて、3枚目のアルバムはコレです。

1974年6月リリース、「バッド・カンパニー/バッド・カンパニー」。

当時ワタシは中学3年生の1学期、サッカー部もあと少し

夏になったら高校受験の勉強をはじめなくては、という時期でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時ロックバンドの花形といえば

なんといってもリード・ギタリスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア、

レッド・ツエッペリンのジミー・ペイジ、

もう解散していたけどクリームのエリック・クラプトン、

BBAのジェフ・ベックなどはギターキッズのあこがれでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、ワタシはロックバンドの魅力はパワフルなボーカルだ、

と思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リッチー・ブラックモアやジミー・ペイジとステージで渡り合う

イアン・ギランやロバート・プラントのボーカル、

その激しいシャウトにあこがれ、

これぞ、ロック、カッコイイ、と思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑誌「ミュージック・ライフ」は

「サッカーマガジン」とともにワタシの愛読誌で、

ロックの情報源として隅々まで読みたおしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その中で1974年、期待の新人、として取り上げられていたのが、

「クイーン」と「バッド・カンパニー」でした。

「クイーン」のデビューアルバム「戦慄の王女」は

本国イギリスでは1973年7月の発売でしたが、

日本では半年遅れの1974年3月25日発売。

当時こういうことは普通で、

エアロスミスなどは日本ではセカンド、サードのあとに

ファーストアルバムが発売になったと記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぽうの「バッド・カンパニー」は

「戦慄の王女」から約3か月後の

1974年6月に発売になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じころにデビューしたブリティッシュ・ロックのバンドとして

この2バンドはことあるごとに比較されました。

いまでこそ、クイーンは

世界中に知らない人はいないくらいの超有名バンド。

かたやバッド・カンパニーについては

そこそこのロック・ファンならば知っているが、

一般にはほぼ知られていない存在になっていますが、

その頃は、圧倒的にバッド・カンパニーの方がメジャーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ワタシも、クイーンもまあ好きだけど、

どちらかと聞かれれば断然バッド・カンパニー派でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルースをベースにしてはいるが、キャッチ―さも兼ね備え、

シンプルなロックをポール・ロジャースの圧倒的なボーカルで聴かせる

本格派ロック・バンド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーカル押しのワタシとしては、

彼こそがロック・ボーカルの究極の理想形で、

それは、今も変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加えて、決して派手なプレイはないが

ツボを押さえたギターワークで曲を盛り上げるミック・ラルフス。

静かな存在感とコーラスで曲を固めるベースのボズ・バレル。

フリー時代からの盟友で無駄のないタイトなドラムをたたくサイモン・カーク。

全てはポール・ロジャースの歌を際立たせるアンサンブルになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この点が、フリー時代の

むせび泣くような、またあるときは引き裂くような

個性的なギターを弾くポール・コゾフ、

前に出て、時にはギターをバッキングにリードプレイをする

アンディ・フレイザーのベースプレイとは

明らかに趣を異にしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後追いで「フリー」も大好きになり、

全アルバムをそろえたのですが、

リアルタイム、という縛りで今回はバッド・カンパニーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンプル、というのは当時のバッド・カンパニーを評するとき

枕詞のごとく用いられた形容詞ですが、

その裏には、複雑多様化した当時のロックシーンがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T-REXやデヴィッド・ボウイのように

きらびやかな衣装と派手な化粧を施したグラムロック。

シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズのような

ホーンセクションを入れてジャズのテイストを取り入れたブラス・ロック。

ピンク・フロイドやイエスのように、

クラシックや実験音楽の要素を取り込んだプログレッシブロック。

アリス・クーパーやジェネシスのように

ライブに演劇性を持ち込んだシアトリカル・ロック。

サンタナはロックにラテンのリズムを取り入れ、

オシビサはアフリカンビートを持ち込んだ。

ドラッグのため長く一線から遠ざかっていたエリック・クラプトンは

当時ジャマイカのローカルミュージックにすぎなかった

レゲエを出汁にしてロックシーンに返り咲きを果たしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、そのころロック界に「侵入」してきたファンク・ビート。

黒人音楽から拝借した16ビートは、

アヴェレイジ・ホワイト・バンドなどファンク専門のバンドだけではなく、

ディープ・パープルの「Gettin’ Tighter」(1975)や

レッド・ツェッペリンの「Trampled Underfoot」(1975)など、

老舗のハードロックバンドも演奏に取り入れ始めた。

この流れはのちにソウル・ミュージックと融合したディスコサウンドと

ジャズに接近してクロスオーバーからフュージョンへ続く

二つの流れに分派してゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このような○○ロックが広く展開した時に

アタマに何もつかない「ロック」を見直そう、

というのがバッド・カンパニーのスタイルで、

その外連味のないスタイルが、

ロック・ファンの人気を呼んだのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この考え方は、その2年後に起こる

パンク・ムーブメントの精神とも共通する部分がありますが、

決定的に違うのは、

演奏技術すら否定したパンクに比べて、

彼らは安定したテクニックを持っていた、ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポール・ロジャースとサイモン・カークは元フリー、

ギターのミック・ラルフスは元モット・ザ・フープル、

そして、ベースのボズ・バレルは元キング・クリムゾンと、

いわばそのちょっと前にはやったスーパーグループでもあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時同じようなバンドというと、1976年の「KGB」が思い浮かびます。

バターフィールドブルースバンド出身で大物ギタリスト、

マイク・ブルームフィールドが、

ベック・ボガード&アピスのカーマイン・アピス、

ブラインド・フェイスのリック・グレッチらと結成したスーパーグループ。

このバンドも好きだったが、確かアルバム1枚で解散したような・・。

音はバドカンよりはずっとアメリカンな

ファンキー、ソウルミュージックのテイストでしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、バッド・カンパニーの話に戻ります。

このアルバムは宝物のように大事にしていて、

傷なんか絶対つけないように

普段は勉強なんかしながら聴くのは

カセットテープに録音したものだったが、

中間、期末などの定期テストが終わった日とかには、

親に絶対に部屋に入るな、といったうえで、

厳かにレコードをかけ、何もせずに黙って座って

一人ロックを満喫していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日、ビッグニュースを耳にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、「バッド・カンパニー」が来日公演を行う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、ぜひ、行きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、あろうことか、その日程は3月3日。

県立高校の入試のわずか10日前でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、山口百恵ちゃんのファンだったワタシは、

お正月映画の「伊豆の踊子」を見に行きたい、

といったのですが

入学試験直前に映画など見にいってはいけない、

と、親に禁止された経緯がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お正月の映画がダメなのだから、

10日前の、それも東京でのロックコンサートなんか

許可が出るはずはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度来たときは何が何でも絶対行くぞ、ということで、

そのコンサートは泣く泣く断念しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、晴れて高校に合格したワタシは、

その代わりというわけではありませんが、

4月19日、入学直後、

クイーンの初来日公演を友人たちと日本武道館まで見に行きました。

そして、同じく4月公開になった山口百恵ちゃんの

主演映画第2作「潮騒」も映画館まで見に行きました。

しかし、残念ながらバッド・カンパニーが

来日公演をすることはその後二度とありませんでした・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、バッド・カンパニーは

ワタシが、そのデビューからリアルタイムで追っかけた、

最初のフェイバリット・バンドだったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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