ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.14

影響を受けたレコード⑥「クラッシュ・シングルズ’77~’79」「ロンドン・コーリング」

高校卒業後、大学受験に失敗し、

1年間の浪人生活を経たのち、

1979年4月、なんとか大学生になることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浪人時代から、

大学生になったら絶対バンドやるぞ、と思い続け、

それを心の糧に勉強に打ち込んでいました。

なので、入学後、早速医学部軽音楽部の門をたたきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなわけで入部しましたが、

新入部員はワタシともう一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他の体育会系の部活や、

美術部や落語研究会といった文化部の活動とも違い、

軽音楽部はあくまでバンド単位での活動。

新たにバンドを組むメンツはいなかったので

とりあえず、先輩のバンドに入れてもらうことになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシはギター/ボーカル希望でしたが、

もう一人の彼はボーカル専属だったので、

そいつは先輩のバンドのボーカルに、

ワタシは、また別のバンドのギターとして参加することになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハードロックをやりたい、と思っていたワタシですが、

なんせ、当時軽音にはバンドは4つしかなく、

一つはジャズ、一つはフォーク~ニューミュージックだったので、

残りの2つ、いずれもアメリカンロックのバンドしかなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、1年間、そのバンドで

イーグルス、ドゥービー・ブラザースなどの

ギターを担当し、

先輩に言われるがままにしぶしぶ弾いていました。

もう一つのバンドはザ・バンドやCCRを演奏していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実はハードロックのバンドをやるつもりではあったのですが、

浪人の1年間、勉強の合間に

ロックの新譜をラジオで欠かさずチェックしているうちに

ワタシの音楽の嗜好が少しずつ変化してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浪人の1年間、1978年のアルバムとしてインパクトがあったのは

「ディス・イヤーズ・モデル/エルビス・コステロ」1978年3月

「Q:We’re not Men?A:We’re DEVO(退廃的美学論)/DEVO」1978年7月

「システム・オブ・ロマンス/ウルトラヴォックス」1978年9月

「アウトランドス・ダムール/ポリス」1978年11月

など、いわゆるニューウェーブといわれるジャンルでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぽう同じ年のレインボーの「バビロンの城門」は

ハードロックのアルバムとしては大変クオリティ高かったのですが、

大仰で、古臭くて、とてもこりゃ、ダメだな、

と感じていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、大学生になった1979年8月に発売された

レッド・ツェッペリンの「イン・スルー・ジ・アウトドア」を聴いて、

ああ、もう、こういう古いスタイルのロックは終わったのだ、

と確信したのです。

同年、イーグルスも「ザ・ロング・ラン」で終焉を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぽう、その1979年には

「フィア・オブ・ミュージック/トーキング・ヘッズ」8月

「ドラムス・アンド・ワイヤーズ/XTC」8月

「白いレガッタ/ザ・ポリス」10月

「パール・ハーバー79/ザ・クラッシュ」

(クラッシュのファーストに未収録シングルを加えたアメリカ盤の日本盤。)

「動乱(獣を野に放て)/ザ・クラッシュ」11月

「セッティング・サンズ/ザ・ジャム」11月

などなど、パンク~ニューウエーブの名盤が目白押し。

そして、名盤中の名盤

「ロンドン・コーリング/ザ・クラッシュ」が

1979年12月(アメリカ、日本では1980年1月)に発売されるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に時代の流れ、ロックの流れが変わったと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巷にあふれるどんな音楽、ファッション、広告を見ても

これは、アリ、これは、それ以前、

このヒトには見えている、

こいつはまだ、気づいていない、ということが

実にクリヤーに見えてきてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロックギターでも、速弾きや、チョーキングは恥ずかしい。

そもそも、ギターソロなんかいらない、

というようにワタシの中でロックの価値観のコペルニクス的転回、

地球のN極とS極が入れ替わるような

未曽有の大変革が始まっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その「ロンドン・コーリング」と相前後して発売されたのが

「クラッシュ・シングルズ’77~’79」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ、CDのない時代、

ザ・クラッシュのデビューからの8インチシングル盤8枚を

すべてセットにしたのがこのレコードです。

日本独自の企画で発売は1979~80年らしいですが、

詳しいデータはちょっとわかりませんでしたが、

おそらく1980年初頭だと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というのは、このレコードを

ワタシが友人に借り受けて聞いたからで

その友人とは中学高校の同級生の勅使河原くんでした。

現役で茨城大に進学したテシくんは、春休み帰省時に

ワタシが、やっと大学に合格したので、

我が家にこのレコードを持ってきて、

これをツマミに飲もう、ということだったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが「腑に落ちた」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シングル盤を時系列的に聴いていくと、

バンドのスタートの爆発から、

前進、逡巡、打開、展開、発展、の過程がよくわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハードロック/ヘビーメタルという音楽が1975年以降、

「様式美」を追求し、それを突き詰めていくことによって、

磨かれ、洗練され、緻密で完成度の高い次元に収束させることに成功しました。

しかし、そのことによって、

逆に均一化して、初期衝動を失い、自ら閉塞感に陥いっていったのです。

それに対し、生まれたての赤ん坊のように幼稚だったパンクロックが、

成長の過程で、いろいろな方向に手を広げながら、

さまざまなものを吸収し、

初速度を失うことなく、質量を増すことによって

運動エネルギーを増大させていった過程が理解できたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドンパンクの象徴でもあった「セックス・ピストルズ」が

大物プロデューサー、クリス・トーマスや

仕掛け人のマネージャー、マルコム・マクラーレンなどによって、

「仕立て上げられた」パンクロックのスターだったのに対し、

ザ・クラッシュは、

その「セックス・ピストルズ」のステージを見たナイーブな若者が

それに触発されて湧き上がった内面からのエネルギーを

「バンド」というかたちで表現したものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのために自分たちの勢いを保つために

レゲエ、ダブ、スカ、といった新規な音楽、

あるいは、ロックンロールやオールディーズといった過去の遺産、

などを、どん欲に取り込んで、それをエネルギーに変えていったのです。

演奏技術も向上し、レコーディングのアイディアも豊富になって、

表現力は格段に増しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、1950年代に生まれたロックミュージックが、

ブルースやカントリーをベースにしつつも、

ジャズ、ラテン、クラシック、はては民族音楽など、

あらゆるジャンルの音楽を「貪食」しながら、

自らの栄養にして肥大、発展していった過程を、

そのまま、なぞっているかのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シングル盤の積み重ねの上に

「ロンドン・コーリング」という歴史的名作が誕生したのです。

 

 

ちなみにこのジャケットデザインは

ロックンロールの歴史的大スター

エルビスプレスリーのデビュー盤へのオマージュとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ということで1980年の新学期、

大学2年生になったワタシは、

ようやく自らのバンドを結成することができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、従来目指したハードロックのバンドではなく、

演奏するのはコピー、オリジナルとりまぜ、

すべて演奏時間2、3分の

パンク~ニューウエーブの曲ばかり。

そして、6月のそのバンドのデビューライブの1曲目は

このザ・クラッシュの「クラッシュ・シティ・ロッカーズ」

だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、昨日5月13日はワタシ61歳の誕生日。

ついに還暦を過ぎて2周目に入りました。

そして、今日5月14日は

ザ・クラッシュ・シングルズを聞かせてくれたテシ君の、

やはり61歳の誕生日です。

昨年は佐野ハートロックフェスに来てくれましたが、

また、ロック談議してみたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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