ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2021.07.27

A-4F スカイホーク

アメリカ海軍の攻撃機というと、今はF/A-18ホーネットが、

本来は戦闘機なのだが攻撃機の能力も兼ね備えた、

マルチロールファイターとして運用されているが、

かつて攻撃機はその役割によってさまざまな「専門職」を与えられていたので、

実に多彩な機種が同時に運用されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのなかで、軽量で爆弾倉を持たず、

小型で離着陸性能が良いので軽空母や局地でも運用できる

独自のコンセプトで成功したのがこのA-4スカイホークです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エタンダールを作ったあと艦上攻撃機が急に作りたくなったのですが

ハセガワ社製は古くてパネルラインなど間違いが多い、と聞いたので、

絶版になっているフジミのキットをヤフオクで落札しました。

一見よさそうですが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デカールが死んでいました。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とくに垂直尾翼の部隊マークは、完全にやられていて、

バラバラ防止のニスを使っても使い物になりません。

仕方なく塗装で何とか。

まず、マスキングテープをダメデカールの上に貼り、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カットして型紙を作ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを使って、まず中の青色を吹きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次にフチの部分を残して中をマスキング。

イエローを吹きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、いいか・・・・(-_-メ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てなわけで、でっちあげたA-4F スカイホーク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり、ハイビジはイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにハイビジとは、1980年代から順次採用された

アメリカ海軍の低視認性塗装(Low Visibility;通称ロービジ)に対して、

それまでの部隊マークがはっきりとしている従来型の仕様に対する言葉ですが、

高視認性なんて言葉はもともとないので、

ちょっと表現としてはおかしい。

絶好調に対して、絶不調なんていう言葉が作られた経緯に似てますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが「ロービジ」のスカイホーク。

同じくフジミのキットですがつくったのはもう20年くらい前かなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーク類はわざと見えにくくなっていて、よく見ないとわからない。

面白いマークなんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、これはこれでいいんですが、

A-4のような古い機体はハイビジの方がしっくりきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こっちは、逆にあまり、まじまじと見ないように。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 非常にコンパクトなデルタ翼。

折りたたみなしで空母のエレベーターに収まる。

第二次世界大戦時代の空母のエレベーターにも収まったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エド・ハイネマンの優れた設計で、

安価で、タフで、整備性に優れ、使いまわしの良い飛行機として

「ハイネマンズ・ホットロッド」と呼ばれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 E型以降では新型航空電子装置(アビオニクスパック)の追加により、

背中が盛り上がったせむし状になった。

そして、艦上攻撃機ということで、このクラウチング姿勢。

マッチョなスタイルが何となく、幻の金メダリスト、

ベン・ジョンソンを思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回はデカールの件があったので、

ともかく、完成させることが至上命題でした。

他のデカールも粉々になるのでニスをスプレーし、

それでもノリが劣化していて台紙からはがすために一晩水につけっぱなしにしたり、

はがすときは特殊なピンセットで慎重に行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 攻撃機ではあるが、戦闘機並みのその軽快な運動性で、

海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスに採用されたり、

アメリカ海軍戦闘機兵器学校、いわゆるトップガンでは

MiG-17役の仮装敵機として活動。

映画「トップガン」にも教官機で登場。

また、ベトナム戦争ではズーニーロケット弾でのMiG-17撃墜記録もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 装備はすべて翼下パイロンに。

外側の筒が4連装のズーニーロケット弾。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、このA-4もアルゼンチン海軍が採用していて、

対イギリスとのフォークランド紛争では

アルゼンチン海軍唯一の空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」から発艦し、

イギリス軍を攻撃したという。

この言いにくい名前の空母は

元はアルゼンチン海軍がオランダ海軍から購入した空母「カレル・ドールマン」、

そしてそのまた元をたどると、そのフネはイギリスが建造した

空母「ヴェネラブル」としてイギリス海軍艦籍であったのだ。

これがアルゼンチンの空母として

かつて生まれ育った母国イギリスと戦うことになるとは、

まさに因果は巡る糸車。

英艦時代の艦名「Venerable」は

「由緒正しい」という意味というのも、また皮肉な話である。

A-4のアルゼンチン海軍仕様のプラモデル、どっかないかなあ。

あれば作ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.07.08

マクラーレンM8A

F1もル・マンもインディ500も、WRCも、

昔からずっと続いているモータースポーツ・イベントであるが、

中には一時的に非常に盛り上がったが、

今は存在しないものもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CAN-AMシリーズと聞いても、今の若い人は分からないかと思うが、

1960年代絶大な人気を誇ったモーターレースであった。

正式にはカナディアン‐アメリカン・チャレンジカップ、といい

日本でも「カンナム」の通称で通っていました。

この間作った「シャパラル2E」が戦ったレースイベントです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2シーター、オープンカーのレースで、1966年から1974年までが第一期、

第二期は1977年から1986年まで開催されたようですが、

もっとも人気のあった1967年から1971年あたりが、

ワタシの小学生時代レーシングカー大好きだった時代と同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時代、カンナムを席巻していたのが、マクラーレン。

F1コンストラクタ―のマクラーレンですが、

もともとはブルース・マクラーレンという

ニュージーランド人ドライバーが始めたレーシングチームでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、今回のタミヤ1/18マクラーレンM8A。

作ったのは去年です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年に再版されましたが、もともとは1970年発売のこのキット。

発売時は1000円。

当時小学5年生だったワタシは、1/32や1/24の

100円から500円くらいまでのプラモデルを作っていたので、

この1/18チャレンジャーシリーズは敷居が高く、

手を出せませんでした。

当時はみなモーター内蔵で走らせて楽しむプラモデルでしたので、

電池を入れる場所やスイッチ類もモールドされていますが、

これらのギミックは再版ではすべてオミットされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の自分にとっては、とても完成できないような複雑なキットだったのですが、

今、この歳になってみると、こんなスカスカだったのか、という感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マクラーレンのチームカラーはパパイヤオレンジ。

ワタシにとって「マクラーレン」といえば、ずっと、こちらでした。

その後、1988年からのマクラーレン・ホンダの時代になって、

やっと赤白マルボロカラーのイメージになるのですが・・・。

ということで、オレンジを塗ってみますが・・・・・

うーん、なんか頭にあるイメージと違うなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、イエローを増量して再調整。

うーん、こんなもんかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するにパパイヤオレンジは、オレンジではなく、むしろ黄色であった。

黄色といっても総武線の黄色ではなく、銀座線の黄色ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、完成。

素組みというのもあるが、なんだかやたらあっさり完成してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チーム・オーナーのブルース・マクラーレンが、自らハンドルを握っていました。

ニュージーランド出身の彼にちなんでチームのシンボルマークは「キウイ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともとはモーターで走るキットなので、無人車が走ってはおかしいというわけで

ドライバーの人形が付属しています。

つまり、このヒトがブルース・マクラーレンさんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呼んだー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首は真鍮線を入れているのでクルクル回ります。

わき見運転は、イケマセン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時期、オープン2シーターのカンナムスタイルは日本でもブームで、

1968年の第5回日本グランプリではニッサンR381とトヨタ7という

ワークスのオープン2シーターマシンがエントリーされた。

優勝したニッサンR381は、

当初は屋根のあるスポーツプロトタイプでプレスリリースされたが、

本番ではオープン2シーター仕様になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このブルース・マクラーレン氏は1970年テスト中の事故で帰らぬ人となる。

わき見運転が原因ではないはずだが、

この時代、レーシング・ドライバーの事故死は非常に多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本でも同じようなオープン2シーターである

トヨタ7のテストをしていた福沢幸男、河合稔の2名が相次いで事故死。

1969年に亡くなった福沢幸男氏の恋人は小川知子さん、

1970年に亡くなった河合稔氏の奥様は半年前に結婚したばかりの

「オー!モーレツ」の丸善石油のCMで有名だった小川ローザさんだった。

 

 

 

 

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2021.07.04

1/24 ローラT-70

ユニオン1/25のクラシック・レーシングカーの第3弾は

ローラT-70。

「ローラカーズ」の歴史は長いが、

フォードやフェラーリ、ポルシェなどのメーカーではなく

基本的にはシャシー・コンストラクターです。

F1や各カテゴリーのフォーミュラ、スポーツカーレースに

数多くのクルマを提供、

1967年第1期ホンダF1の2勝目を挙げたRA-300も

エンジンはホンダ製だがシャシーはローラがその基本を担当しており

Honda+LolaでHondola(ホンド―ラ)とも呼ばれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最上級者向け、同じ内装です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしのチューブ入り接着剤が入っていますが、

モチロン使えません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完成。

実車は1965年に発表されたオープン2座席スポーツカー。

1966年に初代Can-Amチャンピオンを獲得とありますが、

カンナムの記事はあまり当時紹介されていなかったので

当時のこのクルマの活躍をワタシは知りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、空力デバイスのいっさいない

これぞレーシング・カーというスパルタンなスタイル、

いいですねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストライプのデカールが、

フロントの部分がエアインテークの上方だけだったのですが、

実車写真からは口を取り囲むようなデザインだったので、

下半分は塗装で追加しました。

ちょっと曲線のカーブが不連続。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドライバーはシャパラル2Eと「同じ人」ですが、

レーシングスーツの色とヘルメットのバイザーの色を変えております。

ゼッケンはちゃんと4枚分ありました。

こうして見るとアルミのドカ弁風だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メタリックブルーもクラシカルアメリカンな感じがして似合っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても平らなクルマだこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのクルマは、あののちにルマンを征する

フォードGTのベースになったクルマだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、ルーフがついてクローズドボディになった

ローラT70Mk.Ⅲはのちにタキレーシングチームによって日本に輸入され、

1968年の日本グランプリを戦います。

そのマシンはタミヤから1/12ビッグスケールでモデル化されてますので、

そのうち作ります。

(キットはもう20年近く押し入れに眠っています。)(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.07.03

1/25フォードGTマークⅣ

そんなそんなわけで、マニア、上級者限定キット第2弾。

フォードGT Mk.Ⅳは1967年のルマン優勝マシン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おそらくオリジナルはシャパラル2Eと同時期同メーカーでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じく厳重な包装。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はフォードGT40Mk.Ⅱはフジミから1/24のキットが出ていて

1966年のルマン優勝車はもちろん、他のゼッケンのルマン出場車のほか、

デイトナ、セブリング、モンツァ1000km等

当時のほかの耐久レースの出場車も、

そして、その後プライベーターとしてルマンを征した

1968年、1969年のキットも出てるんですが、

この1967年のマークⅣは、これがおそらく唯一のキット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 細かいディティールアップはしませんが、

フロントカウルのフィンはいかにも厚いので

薄くしておきます。

元は左の厚さ、右は削って薄くしたところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッドライトもメッキの無垢なので、

削り落とします。

ここにメタルテープを貼り、

その上に適当な透明パーツで作ったレンズを載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出来上がり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、完成ですが、一番苦労した点はデカール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼッケンナンバーはこの時代

両サイドとボディ上部2か所の計4か所にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、キットには3枚分しか用意が無く、

完成写真でも後ろのゼッケンはありません。

これは明らかにミスです。

タミヤあたりならアフターサービスパーツを取り寄せるところですが、

この場合はそうはいきません。

もっともタミヤならそんなミスはないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、これは白デカールにコピーして自作しました。

メンドクサイったら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、当時はビミョーと思ったこのMk.Ⅳのスタイリング。

なんか今見るとすごくカッコイイ。

バックミラーの位置が左右で違うのもユニーク。

当時のルマンは2人交替制で、

優勝ドライバーはダン・ガーニー/A.J.フォイト組でした。

ともにアメリカ人で、

アメリカ人がアメリカ車でルマンで優勝したのはこれが最初で、

たぶんその後も無いのではないか。

デカールは透けるのでゼッケンデカールは

下にホワイトデカールを切って2重にしてますが、

ストライプデカールはそのままなので透けている。💦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーフのでっぱりはドライバーの一人ダン・ガーニーがデカいので

その頭の分だけ屋根が出っ張っているという、

いわゆる「ガーニー・バブル」と呼ばれるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにダン・ガーニーはこのレースで優勝して

その時の表彰台でシャンパンを振りまいたのだが、

これがスポーツ史における

シャンパンファイトの始まりだそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この1967年の優勝以後、

レギュレーションの変更によりマークⅣはルマンには出られないことになり

フォードワークスもルマンを撤退しました。

フェラーリも同時に撤退し、

このあと数年のプライベーターの時代を経て

1970年代からのポルシェの黄金時代が到来するのです。

さあ、このユニオン1/25シリーズ、

残る1個はローラT-70  。

 

 

 

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2021.06.29

テキサスの怪鳥~シャパラル2E

 ネタ無くなるとプラモデルの話ですが。

この間、つくったのはコレ。

ユニオンモデルの1/25シャパラル2E。

ワタシの少年時代のお気に入りのクルマ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのユニオンモデルは今はプラモデルを作っていませんが、

この金型はもともとアメリカのIMCというメーカーのキットらしい。

カーモデルのスタンダードスケールは国際的に1/24だが、

アメリカ合衆国だけは何故か1/25というスケールがメジャーです。

パッケージにはこのような脅し文句が書かれており、

マニアまたは工作技術のある15歳以上限定。(笑)

年齢は4倍以上なので楽勝、

工作技術はともかく

マニアかと尋ねられば、まあ、そうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、これは中箱で、

その外側には高級チョコレートのような外箱があります。

ここにも「最上級者向」の文字が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、中箱を開けると、さらに内箱が。

マトリョーシカかっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その中にはこのようなバリ多めのパーツ。

1980年ころの再販だが、オリジナルはおそらく55年くらい前のキット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最上級者向けというのは、

細かいわりにパーツの精度が悪く、

金型の劣化からバリが多く組み立てにくいので、

クレーム防止のための措置と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイドのメッシュパネルを開口するのには、

たしかに手間がかかりましたが。

このようにドリルで穴をあけ、切り取って整形し、

そのあと、他のプラモデルで余った手持ちのメッシュを貼ります。

まあ、黒く塗っとくだけでもいいんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、完成。

おー、カッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャパラル2Eは、実は初めて

このハイウイングを搭載したレーシングカー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャパラルとはアメリカのジム・ホールさんというヒトが

個人で立ち上げたプライベートチームで、

ウイングによるダウンフォースを

初めてレーシングカーに持ち込みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャパラル2から、2B、2Cとマシンを開発し、

2Eから、このあと2F、2G、2H、2Jとユニークなクルマを開発、

そして自らドライブしました。

このマシンは1966年。ワタシ小学1年生でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このシム・ホールさんはテキサスの石油王で、

その莫大な資産を道楽であるモータースポーツに投入。

アメリカのレースを席巻し、

同じ1966年、クローズドルーフのシャパラル2Dと、

翌年のシャパラル2Fでルマンに乗りこみましたが、

ルマンではスピードでは圧倒しましたもののリタイアに終わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学生の頃「テキサスの怪鳥」という、

ジム・ホールの読み物を少年雑誌で読んで熱中しました。

あれ、ピンボケ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時は「チャパラル」と呼ばれていたので、

ワタシなどはそっちの呼び方の方が馴染みがありますが、

「Chaparral」とははアメリカ南西部に生息する

カッコウ科の鳥(日本語名ミチバシリ)のことであり、

2本足で荒野を疾走することから

アメリカでは「ロードランナー」とも呼ばれるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このウイングは、角度を運転席から変えることができ、

直線では平らにして抵抗を減らし、

コーナーではウイングを立てて

ダウンフォースを増やすことが出来ます。

そのため「エアブレーキ」という言い方もされていました。

このメカが小学生のワタシの心をわしづかみにしちゃいました。

その当時の読み物で、

チャパラルはこのウイングを油圧で動かしていると書いてありましたが、

その時はよくわからず、

中学校でパスカルの原理を学んだ時、

あーチャパラルのウイングはこれだったかと瞬間的に理解できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのユニオンモデルの古いキットのシリーズ、

ヤフオクで入手し、相次いで作りましたんで

追ってご紹介します。

 

 

 

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2021.06.28

F-4EJ改スーパーファントム

 ファントムⅡショータイム100を作り出して、

途中からコイツを並行して作ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは昨年MiG-21爆買いの時に

抱き合わせで入手したものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このキットの最大のヤマは、

この怒涛のコーションデカール。

機体全面に貼りめぐらされた注意書きは

さながら耳なし芳一のごとく。

これを貼るのが気が重い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特にニスといわれる余白部分が白く浮いちゃうと見苦しいので

艶消しの洋上迷彩を塗ったうえに、

光沢ツヤありのクリヤーをかけて平滑にします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのテカテカつやつやの上にデカールを貼り、

その上からさらにクリアーがけ。

カーモデルのような工程です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その上からツヤ消しクリアーで光沢を消すと、

デカールの余白部分が目立たなくなり落ち着いた仕上がりになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして完成。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洋上迷彩という日本独特の迷彩。

型紙を作ろうかとも思いましたが、メンドクサイのでフリーハンドです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日の丸ファントムは初めてです。

個人的には東宝ゴジラ映画の刷り込みから、

F-86、F-104は日の丸の方がしっくりきますが、

F-4、F-15はアメリカのマークの方が好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、洋上迷彩も一機あってもいいかなと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モデル名はF-4EJ改スーパーファントムなので、

電子機器関係は相当進化してるのでしょうが、

外見はあまり変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はコイツも丸腰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミサイル関係がキットについていないのと、

メンドクサイのでつい・・・。

サイドワインダーはどのタイプつけていいのかワカラナイし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、現時点でファントムⅡの残り在庫は1機になりました。

MiG-21は、あと8機もある・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.06.26

1/72F-4JファントムⅡショータイム100(ハセガワ)

 この間、エッシーのファントムの考証に専門家の方から指摘があり、

ヤバイなあと思いつつも、またファントム。

 実は、このF-4Jショータイム100は、

ファントム嫌い(?)のワタシが

ずっとムカシからこれだけは作りたいと思っていた機体なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベトナム戦争時の1972年北ベトナム軍のミグを撃墜して

エースとなったカニンガム大尉、ドリスコール中尉の乗機でして、

「ベトナム空中戦」という本を

大学生のころ読んで以来気になっていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、最初はハセガワ1/72にこの機体のキットが無く、

このキットは1990年発売のハセガワF-4JファントムⅡのデカール替えで、

2000年に発売されたものだと思う。

  

なので1990年の説明書を見て組み立て、

デカールは2000年版の捕捉説明書を見て貼るということになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだかんだで20年近くも眠っていたこのキット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、今までのファントムが練習台にはなったわけで、

カタチになるのは早い。

少しウエザリングまがいのモノもかまさないとかなと思い、

なんか小細工してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、あまり深入りはせずにサクサク行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 んで、完成。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空母コンテレーション所属VF-96のこのカニンガム機は、

1972年1月19日にMiG-21を、5月8日にMiG-17、

そして5月10日には3機のMiG-17を撃墜したとされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、至近距離でSAMが爆発し油圧系統に被害、

スピンを繰り返し海上まで飛行、

クルーは脱出して無事でしたが、機体は海に沈んでしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベトナム戦争後、カニンガム大尉は

いわゆるトップガンの教官になります。

その後20年間務めた空軍から、政治家の道へ。

共和党からアメリカ下院議員を14年間務め、

タカ派発言や同性愛者に対する差別発言で物議をかもしたりしましたが、

軍事産業からの多額の収賄が発覚、

有罪が確定し、8年間の刑務所暮らし、

今は出所して78歳でアーカンソー州で存命中、

というなんとなく経歴だけで人物像がうかがわれるようなオッサンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍人やスポーツ選手が政治家になるとロクなことがない、

という見本のような例ですが、

戦闘機乗りとしては超一流だったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、今回はミサイルまで手が回らず、

この機体は丸腰です。(゚Д゚;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうち、考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウェザリング効果は出てるような、出てないような・・・(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、在庫がまたこれで一つ減りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.03.02

L.F.G.ローランドC-Ⅱ

 実は、もう一機、複葉機を作りまして。

これは、前2機よりやや古く、

第一次世界大戦時の機体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調べたところ、このパッケージは1987年の発売ですが、

キットの内容は1965年のモノらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脚柱が1本折れて紛失しています。

あとで自作せねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部品点数は少ないが、

搭乗員はポーズ付きでなかなか気合が入っています。

指が折れてる・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、搭乗員から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パイロット氏のたなびくマフラーがステキ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後方のコックピットには機関銃を構える搭乗員。

シブイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくて完成。

L.F.G.ローランドÇ-Ⅱ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この機体についてはまったく知らず、

そもそもL.F.G.なるメーカーも知りませんでした。

L.F.G.はルフト・ファールツォイク・ゲゼルシャフトが正式名称で、

第一次世界大戦時にドイツに存在したが、1933年に消滅しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このエデュアルト・フォン・シュライヒは

第一次世界大戦のドイツ空軍のエースで

35機の敵機を撃墜したそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この機体はお魚みたいなノーズアートになってます。

このフォルムからローランドC-Ⅱは「Walfisch」の愛称で呼ばれていたそうです。

「Wal」は英語で「whale」でクジラ、「fisch」は「fish」でサカナ。

クジラはサカナではないんだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 複葉機ですが上の羽は機体上部についています。

パイロットは上は良く見えるけど、下方視界はほとんどない。

前もあまり見えなそうだ。

下からの攻撃が弱点だったようで、

また着陸失敗の写真などもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プロペラは木製のようなのでそれっぽく塗装。

パイロットの前にあるのはウインドシールドではなくタダの櫓(やぐら)です。

両脚のあいだにあるワイヤーでつながれたフックはブレーキかなんかなんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンはむき出しの直列6気筒。

この時代は、おそらく雨の日はオヤスミ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 搭乗員は勇ましいけど、

ユーモラスなノーズアートから、

全体的にはほのぼのとした印象です。

何となくチキチキマシン的な・・・

「進め―!」「進む―!!」な、感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近代戦とはいえ、

まだ、ヨーロッパの騎士道精神がかろうじて残っていたのが

第一次世界大戦でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本機の運用は1916年からであったが、

1918年ドイツの敗戦とともに約2年で姿を消しました。

ここまで書いて調べたら、

この機体には途中からプロペラ同調装置のついた機銃が装備されたようで、

だとすると前方の機銃はこの向きではなく

機体の軸と同一になるように

水平前向きに取り付けるのが正しい。

あとで直しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.02.21

ブリストル・ブルドッグ~戦争を知らない戦闘機

 もう一機。

ブリストル・ブルドッグ。

箱にあるのは「大戦のあいだで最も有名な戦闘機」。

イギリスでは戦闘機の名前は製造メーカーの頭文字から始まる名前が基本なようです。

ブリストル社はブルドッグのほかにブレニム、ボーファイターがありますし、

ホーカー社はハリケーン、ハンター、ハリアーなど、

スーパーマリン社はスピットファイア、スイフトといった具合。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一次世界大戦が1914~1918年、第二次世界大戦が1939~1945年で

この機体の運用開始が1927年、退役が1937年ということで、

ちょうど「大戦間」にあたるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イギリスの飛行機で、イギリス空軍に配備されましたが、

フィンランド、スウェーデン、オーストラリア、ラトビアなどでも採用。

デカールもスウェーデン空軍とイギリス空軍の2択です。

例によって台紙が変色していましたが、問題なく使えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さくて構造がシンプルなので、

形になるのは早い。

計器盤も操縦桿もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくて、完成。

スウェーデン空軍仕様にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにスウェーデン空軍のマークは国章の3つの王冠に由来します。

現在は青と黄色ですがこのころはモノクロだったのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星形のジュピターエンジンにはカウリングが無いタイプで、

独特の外観です。

超高性能ではないが、安価で頑丈な飛行機として重宝されたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 張り線は、今回はハインケルともども釣り糸でいきました。

複葉機の手間はここですが、楽しいのもここです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永世中立国であるスウェーデンは軍備に力を入れている国で、

戦闘機は自国開発のサーブが歴代採用されていますが、

黎明期には、イギリスから購入していたのですね。

サーブ社が設立されたのが1937年、

ちょうどこの機の退役と重なります。

三つの王冠マークは何となくハロウィンのかぼちゃみたいにみえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本でも中島飛行機が2機購入し、九〇式艦上戦闘機設計の参考にしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2つの世界大戦の間に存在したブリストル・ブルドッグは

フィンランドの対ソ戦以外はほとんど実戦経験がありません。

戦争を知らない戦闘機ブリストル・ブルドッグは

はたして幸せな戦闘機だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.02.20

ハインケルHe-51~華々しくデビューしたものの・・・

 たまには複葉機。

箸休め(?)に作ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハインケルHe-51。

ハセガワのキットで、発売は1970年、

同社初の複葉機として発売されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コレは、水上機版とのコンパチになったキットですが、

買ったのは1980年代でしょうか。

ミュルサンヌは前橋市の模型屋さんなので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一機、並行して。

ブリストル・ブルドッグ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはどこで買ったのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリジナルは1969年の発売のようです。

このパッケージは1991年の6回目の再販。

すでにエアフィックス社は1981年に倒産し

MPCの買収を経て1986年からハンブロール社の傘下に入っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはメイド・イン・フランス。

エアフィックスもハンブロールもイギリスの会社ですが、

同じく倒産してハンブロールの傘下になった

フランス、エレール社の工場で生産されたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キットの発売年はほぼ同じだが、

右のエアフィックス製のシャキッとメリハリのあるパイロットに比べて、

左のハセガワくんはかなりのっぺりです。

この頃はまだ、タミヤを除く日本のキットは世界の後進でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ衣装にしときます。

第2次世界大戦前のパイロットの服装がよくわからないので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、いつものように素組みですが、

排気管くらいは穴開けます。

こちらハインケルHe-51のBMW製V12の排気管。

手前が開口後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こっちはブリストル・ブルドッグの排気管。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして完成。

ハインケルHe-51、1933年就役。

ナチスが政権をとった年です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンはBMW製V型12気筒。

航空機のエンジンは星形や、逆V型が多い中、

これは自動車みたいなエンジン。

なので、こんな形の頭でっかちの機首になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この機体はドイツ空軍の十字のマークではありません。

今回の仕様は1936年のスペイン内戦にドイツから義勇軍として派遣された

「コンドル軍団」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1918年に第1次世界大戦に敗れたドイツは、

軍備の保有を禁じられていたが、

1935年、ヒトラーはベルサイユ条約を破棄し、再軍備宣言をします。

その時、ドイツ空軍の主力として大々的にアピールされたのが

このハインケルHe-51でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハインケル社は、軍備禁止下にあってスポーツ機として

戦闘機になり得る航空機の開発を進めており、

その発展型のハインケルHe-51は新生ルフトバッフェのシンボルでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、ヒトラーは1936年スペイン内戦に

新兵器のテストをかねて介入したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当初は旧式機相手にそれなりの戦果をあげましたが、

実はこの機体は、その当時すでに性能、武装とも時代遅れになっており、

1カ月後、ソ連軍がポリカルポフI-15、I-16を援助すると

これらに対し全く歯が立たないことが判明しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナチスのプロパガンダによりドイツ国民の喝采を浴び

華々しく登場したハインケルHe-51は

あっという間に第1戦を退き、練習機としての地位に下げられました。

そんな、ドン・キホーテ的なこの機体が

つかの間の活躍をしたのが、

このスペイン内戦の極初期だけでした。

 

ブルドッグは次回に。

 

 

 

 

 

 

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