ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.06.11

スカッと梅雨入り。

 昨日まで、いや、午前中までは晴れていたのだが、

本日、昼過ぎから、急に梅雨に入りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも梅雨入りってなんとなく入って、

気象予報士の人も、いつから梅雨に入りますか、

などというキャスターの質問にも

言葉を濁すことが多いのですが、

今回は今週初めの高瀬アナウンサーの質問に、

気象予報士の檜山さんが即答していたから、

それなりに自信があったのでしょうが、

なるほど、スカッと梅雨入りしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これでは、LIFEの「梅雨入り坊や」もいらないな、

という感じですガ、

振り返ってみると、昨年も梅雨入りはハッキリしていたみたい。

雨季にウキウキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梅雨入りしたら、考えることは梅雨明けですが、

今年は、コロナウイルスの影響で、

フジロックも、サマソニもない、

おおた夏まつりライブも、

足利の七夕祭りも花火大会もない、

というので、梅雨明けのイメージが今一つ浮かびません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、新型コロナウイルスの自粛が

少しずつ解除されていくのを楽しみながら、

夏を待ちますか。

 

 

 

コメントはまだありません
2020.06.10

PCR検査

 緊急事態宣言が解除され、

徐々に日常が戻りつつある今日この頃ですが、

外来患者さんは少なく、ドヒマですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このままでは経営が、ヤバイなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、もう辞めちゃう、という手もあるけど、

まだ、なかなかそうもいかず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6月はボーナス月なので、これを何とかせねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 患者さん少ないけど、大したことないヒトを

延々通院させるわけにもいかないし。

(たまに、そんな病院みますけど・・・。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中、安足保健センターから、

新型コロナウイルスのPCR検査の医師募集のお知らせが来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は非公開ですが屋外のプレハブで、

防護服着てウォークスルーで鼻に綿棒突っ込む役らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボランティアではないのでバイト料が出るらしい。

たいした報酬ではないでしょうが、

生活費を稼ぎに行ってみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というより、どうせ外来ヒマなので、

どんなもんかな、という好奇心と、

ブログネタになるな、という

下心の方が強かったりして。

 

 

 

 

 

1件のコメント
2020.06.09

微熱老人

 2月に、再検査不合格となった、

ワタシの胸部陰影。

今回、再々検査に臨みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回の反省を生かし、

この3か月間いわゆる「マクロライド少量長期療法」を

行い、万全を期しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシの診断では、慢性副鼻腔炎に伴う

副鼻腔気管支症候群が、胸部陰影の原因と考え、

自ら処方した薬を3か月間内服。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果、胸部陰影消失!(^^)v

無罪放免の運びとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはそれでOKなんですが、

今回ちょっとしたトラブルが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日赤は今、新型コロナウイルス対策のため、

来院者全員に検温をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入り口のところに「関所」があって、

フェイスシールドをした看護師さんがオデコにピッとやるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシ、もともと平熱が36.7℃くらいなので、

ヤバいなあ、と思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、受診日は日中30℃を軽く超える真夏日で、

12時ちょっと前に駐車場から炎天下を歩いて玄関までの間に

オデコじりじり照り付けられ、皮膚温が上昇してるはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案の定、看護師さんは何回も検温を繰り返し

ピッ、ピッとやったが、37.5℃あったらしくアウト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと冷ましましょう、と1分ほど時間を置いたら、

37.4℃になり、なんとか「関所」を通してもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この間、スイミングに行ったときも

時間ギリギリになり、走って受付に駆けこんだら

体温37.3℃で危ないところでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以後、スイミングの時は駐車場でクルマを降りたら、

決して走らず、深呼吸をしながら、

帽子を少し上げて夜風でオデコを冷やしながら

受付に向かうことにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさか、ここにきて

平熱が高いことで苦労することになるとは

思いもよらなかった。

人生、何があるかわかりませんねー。

 

 

 

コメントはまだありません
2020.06.08

影響を受けたレコード(国内編)⑬「非実力派宣言/森高千里」

森高千里さんは1987年5月25日

シングル「NEW SEASON」でデビュー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1987年といえば、おニャン子クラブが人気を呼び、

1980年代初頭からのアイドルブームが熟成して、

ヒットチャートを独占していた松田聖子さんは結婚、出産。

中森明菜さんが1985年、86年と2年連続レコード大賞を受賞、

と、女性トップアイドルの座に君臨していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森高千里さんはデビュー当時は

普通の女の子アイドルの一人という印象でした。

同期は酒井法子さん、工藤静香さんなどです。

(・_・D フムフム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、このヒトは天才だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1988年に発売されたシングル「ミーハー」で

初めて作詞を担当すると、

その年に出たアルバム「見て」では、

2曲を除きすべての作詞を行っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その素材の取り方、言葉のセンスが独特で、

「あれ?」と思うところがあったのですが、

彼女の才能の全貌が明らかになったのが、この

「非実力派宣言/森高千里」1989年7月25日発売です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムで森高千里さんはカバー曲を除く全曲を

自ら作詞しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その世界は独特のものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通、アイドル歌手がお仕着せのカワイ子ちゃんから脱皮するとき、

アーティスティックな方向性を持ち込むことが定石です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英語の歌を歌ったり、シティポップスや、

ジャズ的なアプローチをしたり、

ともかく、ワタシはアーティストなの、

そんじょそこらのアイドルではなくて

れっきとした「実力派シンガー」として認識して頂戴ね、

というパターンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、大概、それがツマラナイ。

松田聖子もしかり、中森明菜もしかり。

他の、ニューミュージック系と呼ばれる

女性シンガーのすべてとは言わないが、

その多くは言うまでもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが森高千里さんはそれを逆手に取ったかのような

「非実力派宣言」。

自らを「ミーハー」と呼んだ世界をさらに発展させました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲の歌詞は、ユニークでした。

「実力は興味ないわ、実力は人まかせなの」

「実力がどうしたの、実力が好きなのね」

この、開き直り方はスゴイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけにジャケットも「食いだおれ太郎」みたいな、

およそ「おしゃれな大人の女性アーティスト」のイメージとは

かけ離れた装丁です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムを転機に、

森高千里さんの作詞家、アーティストとしての才能は

他の追随を許さない「森高ワールド」を

形成していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自作「古今東西」1990年10月17日発売では、

ゴキブリ退治の「ザ・バスターズ・ブルース」、

北朝鮮飯店でも演奏している「〽ロックもへちまも関係ないわよ」

と、世界制覇を目指す「テリヤキ・バーガー」など、

突き抜けた作詞能力を発揮。

そののちも「臭いものにはフタをしろ!!」「やっちまいな」

「私がオバさんになっても」「ハエ男」

などの傑作をモノにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぽうで、カバー曲として

サンタナの「OYE COMO VA」や

キャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」をとりあげる

独自のセンスをみせています。

カバー曲としては1994年のアルバム「STEP BY STEP」で

ザ・ビートルズの

「Everybody’s Got Something To Hide Except Me And Monkey」

をとりあげていますが、

あまた名曲のあるザ・ビートルズのナンバーから、

この曲を選び出すセンスには脱帽しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザ・ビートルズといえば、

森高千里さんは1992年のペパーランドから、

全曲ドラムも自分で演奏していますが、

そのドラムスタイルがリンゴ・スターの影響を強く受けていることが

よくわかります。

相当、ビートルズをコピーしてるな、という印象です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その「ペパーランド」は

森高千里さんが熊本時代にバンドやっていたときの

ライブハウスの名前だそうですが、

もちろん、そのおおもとの由来はザ・ビートルズのアニメ映画

「イエローサブマリン」に出てくる平和な国「ペパーランド」です。

1968年の映画ですが、

ワタシが中学生のころテレビで放送されてみた覚えがあります。

ビデオもインターネットもない時代、

テレビでビートルズの映画をやる、ってんで

勢い込んでみたら、ビートルズ出てねえじゃん、

と肩すかしを食った記憶アリ。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうひとつ、森高千里さんの代表曲「渡良瀬橋」のPVは、

彼女のアイデアでザ・ビートルズの「Let It Be」へのオマージュとして作成され、

カメラワークやレイアウトをコピーしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話それましたが、

ともかく、この「非実力派宣言」をきっかけに

森高千里さんの書く歌詞にドはまりし、

すっかり彼女のファンになりました。

これだけの歌詞が書けるヒトは、

忌野清志郎氏と森高千里さんしかいない、と思っています。

あとは、松本隆氏、松任谷由実さんなども

才能あると思いますが、

ロック的なインパクトの点ではこっちかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以後、彼女のアルバムは発売と同時にかならず買っており、

毎回、毎回、何やってくれるか楽しみでワクワクしていました。

しかも、そのたびにいい意味で期待を裏切るようなアイディアが満載でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1992年のアルバム「ROCK ALIVE」からは作曲も手掛けています。

その「ROCK ALIVE」のタイトルチューンでは

森高さん自身でギターも弾いているのですが、

コーラスに「E7」とか「C」とかギターのコードが入っていて

そのまま楽譜なしでギターが弾けるようになっています。

なんと奇抜な発想。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つづくアルバム「ペパーランド」の「ロックンロール県庁所在地」では、

作詞作曲のほかすべての楽器をひとりで演奏しています。

ホント、このヒト、スゴイです。

なかなか、こういう詞は書けないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚、出産後、歌手活動を休止していましたが、

2012年、デビュー25周年を機に

足利市民会館を皮切りにコンサート活動を再開しました。

当然、行きましたが、

実は森高さんのコンサートを見るのはこのときが初めてでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにワタシは1990年4月14日に結婚していますが、

実は結婚前の妻も森高千里さんのファンで

1989年7月発売のこのアルバムを所有していました。

次の「古今東西」が1990年10月の発売ですので、

我が家にはこの「非実力派宣言」は、2枚あります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、これで、「影響を受けたレコード(国内編)」も終了。

昔から、歌謡曲以外は、ほぼ洋楽しか聴かず、

バンドでも英語の歌ばっかりのワタシですが、

今回の選択を振り返ってみると、

国内盤の場合は、歌詞の好き嫌いが

かなりの比重を占めることがわかりました。

やっぱり、ワタシはロックはボーカル中心に聴いているんだなあ、

と改めて認識しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントはまだありません
2020.06.07

影響を受けたレコード(国内編)⑫「COVERS/RCサクセション」

当初10枚のはずが、おさまりきれなくなってしまい

ついに12枚目。

あともう1枚あるので全13枚で完結予定です。

今のところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、12枚目はコレ。

「COVERS/RCサクセション」1988年8月15日発売。

今回の企画、洋楽、邦楽通じて

唯一、同一アーティスト2回目の登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1988年といえば医者になって3年目。

桐生厚生病院から大学病院に戻ってきており、

外来だ、手術だ、検査だ、学会発表だ、論文翻訳だと、

毎日目まぐるしく活動しており、

朝早く病院に行き、帰宅は深夜、

休日もほぼ無給出勤で、

当直も月に4,5回と、バンドはもとより

音楽を聴いている余裕すらほぼありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

労働基準法もへったくれもないタコ部屋のような研修医時代ですが、

音楽雑誌で、最低限の情報は得ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、見過ごしにできない重大な問題が発生。

1988年8発6日、広島原爆記念日に発売予定であった

RCサクセションのニューアルバムが不自然な形で

急遽発売中止になったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことの真相は、歌詞の内容に

「原子力発電」の問題が含まれており、

発売元のレコード会社東芝EMIに、

原子炉サプライヤーである親会社東芝が圧力をかけた、

というものでした。

当時、東芝EMIの社長は本社東芝からの天下りだったといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親会社の圧力に屈した東芝EMIは、

反原発、反核の内容を含んだ数曲をカットして

ミニアルバムとしての発売を求めたが、

忌野清志郎は、これを拒否。

上記のような広告を出して発売中止を発表しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、発売を求めるファンの声、

メディアもこのことを取り上げたことによる世論の高まりもあり

このアルバムは、一転、RCサクセションがかつて所属した

キティレコードから同年8月15日の終戦記念日に

発売されることになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果、このアルバムはその話題性もあり、

RCサクセションとしては唯一オリコンチャートの1位を記録したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバム自体はタイトル通り

洋楽ロック、ポップスのカバー集なのですが、

そこに忌野清志郎が日本語詞をつけた形になっていて、

素晴らしい歌詞によりオリジナルをしのぐ

存在感とメッセージ性を持った作品になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清志郎の高校時代からの友人である三浦友和氏をはじめ、

元「村八分」の山口富士夫、泉谷しげる、ジョニー・サンダース、

などのワタシ好みのミュージシャンのほか、

おニャン子クラブの高井麻巳子(現・秋元康夫人)も参加。

桑田佳祐はレコード会社の問題で

「桑竹居助(くわたけ・いすけ)」の偽名で参加しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべてがメッセージソングではありませんが、

アルバムを通じて感じられるのは

忌野清志郎氏の人類愛、正義感で、

音楽に対する愛情に満ち満ちた、

非常に「ロックな」アルバムにしあがっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

権力に屈せず、このアルバムが世に出たことはまことに喜ばしい。

発売までの経緯も含めて

まさに日本のロック史に残る1枚といっていいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムが発売停止になったのは、

原子力発電に対する問題提起がその原因でしたが、

その13年後、東日本大震災による

福島第一原子力発電所の事故で、

忌野清志郎氏の危惧は現実のものとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残念ながら忌野清志郎氏は、

その2年前にすでに他界してしまっていましたが、

ファンの間でこの曲が再評価され、

当時ラジオ局にはこの曲のリクエストが多く寄せられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あらためて、

忌野清志郎氏のロックスピリットに敬意を表すとともに、

今また、ワレワレはこのアルバムを聴く必要があるのかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、オレのパソコンTOSHIBAだ。マズイなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントはまだありません
医療系をまとめました。
2020年7月
« 6月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
最近の投稿 最近のコメントカテゴリー アーカイブ