ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.08.05

ロックな高校生(第8話)

 結局、直接手渡しするのは勇気が出ず、
いとこのMちゃんにお願いすることに。
「まあ、来てはくれるだろうが、そのあとだな、問題は。」
「でも、市民会館の大ホールだろー、かっこいいぜー。」
「そうだよ、誘われれば、その気になるよ。」
さて、その結果は
「おー、O,どうだった?」
「渡した?」
「来てくれるって?」
「・・・ウン、渡してもらった。来てくれるって。」
「おー、やったじゃん。」
「・・・でも、チケット2枚くれって。」
「・・・?」
「・・・彼氏と、来たいって。」
「彼氏ーー?彼氏って・・・。」
「1組のAって奴と付き合ってるらしい。」
「1組って、足高か?」
「そう・・・。」
「ありゃまー。」
「で、そいつ、バンドやってるんだって。」
「バンド、足高で!」
「4組にTっているだろ、ギター弾くやつ。
そいつんとこのバンドでベース弾いてるやつだって、彼氏・・・。」
な、何と、Nちゃんには付き合ってる彼氏がいた。
しかも、同じ高校の同級生で、しかもバンドやってて、しかも事もあろうに、同じベーシストだという。
そりゃ、悲劇だ。
早速、次の日1組の教室までそのA君を見に行った。
「あいつかー。ちょっと、Oよりかっこいいなー。」
「なんか、チャラチャラしてて弱そーだけど、確かに女にモテそうだな。」
「ちょっと、こりゃ勝てねえなー。」
「ウン、負けた負けた。」
(これは、本人には、言えない。)
しかし、そうとばかりも言ってらんない。
本番は、もうすぐで、ここでOが、落ち込んでたのでは、われわれが困る。
「いや、O、元気出せよ。あいつのバンドは、へたくそらしいぜ。」
「そう、ベースは絶対、お前の方がうまいって。」
(これは、でも事実だ。
Tのバンドは、聞いた奴によると演奏はほとんど話にならないくらいのレベルだという。)
「そうだよ、お前のベースは最高だぜ。」
「女なんか、カンケーねーよ。」
「アグネス・ラムちゃんがいるじゃねえか。」
(実は他のメンバーも、彼女がいないので、この結末に少しほっとした面があったりする。
この件について、この間、ライブに来てくれた2人に直接聞いたところによると
ドラムのNちゃんばかりか、
いとこのMちゃんも、OがNちゃんを好きだということは知らなかったそうだ。
つくづく、シャイな奴、O。
でも、Mちゃんも察してやれよ。
そんなわけで、Oの恋は、実を結ぶことなく、ロック・ボックス本番を迎えるのであった。

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2008.08.04

ロックな高校生(第7話)

 「やっぱ、ここで練習するしかねーよ。」
「あと1ヶ月ってことで、何とか練習させてもらおうよ。」
「そうだな、みんなで、頭下げて、あと1月だけ、その後はやりません、ってことで。」
「なんか、持ってった方がよくない?」
「そうだな、こーゆー時は、菓子折りだ。」
「じゃあ、小泉哲ちゃんちで、最中、買ってこ。」
「おー、そりゃ名案。」
哲ちゃんは我々の同級生で、実家は老舗の和菓子屋さんだ。
というわけで、我々は小遣いを出し合って、最中を買い
それを持って、近所の家を一軒一軒回った。
「あと、1ヶ月だけです。」
「それ以後は、絶対音を出しません。」
「夜も8時以降は練習しません。」
メンバー全員で、頭を下げて回った。
その甲斐あって、何とか、本番までの練習許可を取り付けたのだった。
「よかったなー。」
練習にも力が入る。
曲も決まった。
1曲目にディープ・パープルの「ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン」
名盤「ライブ・イン・ジャパン」のバージョンだ。ギターとボーカルの掛け合いがウリ。
2曲目はやはりパープルの「ラブ・チャイルド」
こちらはギターがトミー・ボーリンに変わったあとのアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」
からのナンバーだ。
リフがツェッペリンの「ハートブレイカー」に似ている。
そして3曲目は、オリジナル。
ギターのEと、私で作った「オールド・キャッスル・イン・マイ・ハート」。
・・・うーむ、今聞いたら赤面するようなタイトルじゃ。
パープルの「チャイルド・イン・タイム」で始まって
ツェッペリンの「天国への階段」で終わるようなパクリまくり、の曲だ。
本当は「チャイルド~」なり「天国への~」なりで、盛り上げて終わりたいのだが
それらは難しすぎて手に負えないので、それっぽい曲をでっち上げた、というのが真相だ。
そして、ついにポスターとチケットができた。
よーし、女子高のNちゃんを誘うんじゃ。
いけ、O!
さて、Oの作戦は果たして功を奏するのか。次回へ

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2008.08.03

ロックな高校生(第6話)

 「あー、やべぇやべぇ、練習に遅れちった。それにしても、ギターもつと自転車乗りにくいなー。」
当時、肩から背負えるような今みたいな気の利いたギターのソフトケースなんてない。
高いギターにはハードケースがついてくるが、私が買った最も安いクラスのギターは
3角のダンボールの箱に入ってた。
そこで、以前買ったフォーク・ギター用のソフトケースにエレキ・ギターを入れて
手でぶら下げて、自転車で練習場に向かう。
このソフトケースが、チェックの布製で、ダサいったらありゃしない。
まるで、昔よく見た服をかける「ファンシー・ケース」みたいな感じ。
しかし、当時エレキはまだ、珍しい。
明らかに不自然な形のケースをぶら下げていくと
すれ違う男子中学生が「お、エレキだぜ、あれ。」などとささやくのが耳に入る。
「ふふふ、そうだよ少年たち。この中はエレキ・ギターなのだよ。」
などと、心の中でささやかな優越感を持って自転車のペダルをこぐわけだ。
学校から、帰って学生服を脱いで、ベルボトムのジーンズに履き替えて
練習場に向かうわけだが、ジーンズのすそがぴらぴらしてるので
ギター下げて油断して自転車こいでると、チェーンにすそが巻き込まれてしまう。
んでもって、がに股でのったらのったらこいでいくわけだ。
さて、そんなわけでその日、時間に遅れて練習場に着いた。
あれ、音がしてねーぞ、
「いやー、わりい、わりい、遅くなっちった。あれ、どしたの?」
なんか、みんな深刻な顔をしている。
「さっきさ、コシヌマが来たんだ、ここに。」
「えっ、コシヌマって、英語のコシヌマ?」
「そーだよ、足高の先生のコシヌマだよ。」
「何で、また?」
「俺たちの練習がうるさいって、近所の人から高校に苦情がいったんだ。
だから、先生が来て、もう音出すなって。」

「音出すなったってあと1ヶ月だよ。練習しなきゃ、まだオリジナルだって全部できてねーじゃん。」
「だーから、困ってんだろーが。」
キーボードを加えた我々はオリジナルに挑戦していた。
主な理由は、既存の曲だと難しすぎて我々の演奏能力を超えてしまうからである
完成までまだ、時間がかかるが、何回もスタジオを借りる金なんてあるわけない。
「もうすぐ、チケットとポスターもできんだろ、そしたら、O、彼女誘うんだろ!」
「どーすんだよー。」

さて、どうしよう。
練習はできない、曲はできてない、時間がない、
せっかく苦労してここまでこぎつけたのに、
いったい今後、どうなるんでしょう。
物語は、いよいよヤマ場を迎える。

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2008.08.03

ロックな高校生(第5話)

 さて、ロック・ボックスに応募して、結果を待ってるうちにトンデモナイ事件が起きた。
ナンと、私の父が急死しちゃったのだ。
やはり耳鼻科医をやってた私の父は10月9日の土曜日までフツーに診療を行っていたが
10月9日夜、急に体調を崩し、激しい胸痛に襲われる。
ところが10月10,11日と連休の前だったためか、知り合いの医者は誰も捉まらず、
翌10日早朝、救急車で日赤に。
しかし、その日のお昼過ぎには息を引き取ってしまった。
急性心筋梗塞、57歳だった。
今、私が考えると、働きすぎとタバコの吸い過ぎかな。
何か、前兆は無かったのか、何とか回避できなかったのか、悔やまれる。
毎日、毎日朝から晩まで、夜間、休日は急患の診察も絶対断らず、
何でこんなに仕事するかな、と思ったものだ。
しかも、翌11日から私は、足高の修学旅行に行く予定だった。
当然旅行は行けず。
まあ、旅行に行く前で、親の死に目に会えたのは、まだ良かったのか・・・。
旅行から帰ってきた同級生たちが、線香上げに来てくれたが、
その時、ベースのOが、
「あのさー、こんな時に、なんなんだけど、ロック・ボックス通ったんだけど・・・。」
「お、ああー、よかったじゃん。」
「でも、小倉、出れる・・?」
「いや、出ようよ、出るに決まってんじゃん。」
いきおいで、答えた面もあったが、ここでやめちゃうとますます落ち込んじゃう気がしたし、
バンドに打ち込んで、悲しみを忘れたい、っていうのもあった。
北海道帝国大学出身で軍医上がりの父は、男が音楽やるなんてとんでもない、という感じで
ロックはもちろん、クラッシックも演歌もジャズも興味なし。
風呂で歌うのは、軍歌か大学の寮歌だった。
オレがいつもギターを弾いてると、しぶい顔して、露骨にうるさがるくせに、
その土曜日だけは、昼間、「やってるな、修学旅行にカメラもってげよ。」
と、珍しく、ニコニコ声をかけられた。
たまにそんな事いうから、死んじゃうんだよ、まったく・・・、親父の奴・・・。
後で、調べると、ロック・ボックスの当日は、ナント父の四十九日の日だった。
結局、母と交渉して、法要が11~2時までなので、そのあと会場に向かうことになった。

さて、予選通過の結果を聞いてドラムの I も修学旅行をあきらめ、私も出場の目途がついた。
メンバーも固まり、このまま、本番まで、突っ走るぞー、と思ったが、
さらに最大の試練がわれわれを襲うのであった。
さて、その試練とは・・・。(まだ、つづく

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2008.08.02

ロックな高校生(第4話)

 「じゃあさ、どうやったら、ロック・ボックス出られるかだよ。」
「んー、フツーに考えりゃ、まず無理だな。」
足利、太田、館林といえば、相当な人口だ。
バンドがいくつあるか知らんが、大学生、社会人OKなので、うまいバンドも多いだろうから
バンド暦1年足らずの高校生のガキが出られる可能性は、かなり低い。
「なんか、K楽器にアピールする点がないと。」
「そうだ、E、お前ギター新しく買えよ。」
「そうだよ、お前の4万円のグレコのテレキャスじゃあ、市民会館のステージよえーよ。」
「ああー、そうだどーんと買っちゃえよ。そうすりゃ、考慮されるかも。」
「そんな金なんかねえよ。つーかそーゆーこと、かんけーないらしいぜ。
それより、その件に関しては、もう手が打ってある。」

 「何だよ。」
「1組のAがいるだろ、あいつが8万円のフェルナンデスのレスポール持ってるのよ。」
 「おおー。」
「ちゃんとセットネックのやつだぜ、それをな、もし通ったら貸してくれるそうだ。」
せ、せこい、せこすぎるぞ。
レス・ポールはジミー・ペイジで有名な憧れのギターだが、
もちろん本物のギブソンは新品で当時35万円もした。
だからみんな国産のコピーモデルを使ってたわけだが
安いやつはボルトオンネックといって、ギターのネックがねじで止めてある。
高級品になるとセットネックといって、木材の段階で加工して接着してありすごく弾きやすいわけだ。
最近は、廉価版でもセットネックがフツーだが、当時はセットネックというと「おおー」といったもんだ。
もっとも、今日日の高校生はいきなりギブソンだ、フェンダーだとか買いやがる。
ふざけんなよ、オヤジはおこるぞ。
当時のオレのギターなんて、さらに安い定価3万5千円のグヤトーンのストラトで、
楽器屋さんに注文する時
「いまどきグヤですか、よくこんな安いギターカタログから探しましたねー。」
と言われてしまった。
ま、そんな話はどーでもいいや。
その時誰かが
 「やっぱ、パープルやるんならキーボードいなきゃなー。」
 「そうだ、2組のSどうだ?」
 「あいつ、この間シンセサイザー買ったんだよ。20万以上したらしいぜ。」
 「おおー、シンセかー。」
シンセサイザーは当時まったく新しい楽器として、特にロック界で注目を集めていた。
そのほんの数年前までは数百万円もしたのだが、
20万円前後のモデルがようやく出てきたとこだった。
しかし、まだまだ珍しい楽器でディープ・パープルや、プログレのバンドは使っていたが
例えば、クイーンなんかは当時まだ使ってなかった。
シンセがあるバンド、って言うとそれなりのアピール度があったわけだ。
今でこそ、9800円で当時のシンセの何倍もの機能があるやつが買えるのだが・・・。
で、とりあえずSに打診すると2つ返事で加入が決定。
Sは、やせてて弱そうで、理知的な感じがして、いかにもキーボードプレイヤーって感じのやつだ。
足高のブライアン・イーノといったとこだが、
ルックスはどっちかというとスパークスのメイル兄弟のお兄さんの方のちょび髭を取ったような感じ。
うーん、わかる人しかわかんないっすね。
プログレッシブ・ロックが大好きでイエスなんかを聞いていた。
さあ、そんなわけでメンバーが5人になり、体制が整った。
そしたら、今度はドラムの I がいきなり言った。
「いや、やベーよ。」
「何だ、どーした。」
「いや、俺さ、そのロック・ボックスの日、どうも修学旅行みてえんだよ。」
「げげげ、まじ?」
他のメンバーは足高なんだが、彼だけは私立の高校だ。
修学旅行で九州に行くという。
さて、どうしたものか・・・。ドラムなきゃ、始まんないし。
さて、修学旅行はどうするか。
そして、さらに大きな問題が。
波乱の次回を待て。

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2008.08.01

ロックな高校生(第3話)

 「いやー、こないだはよかったよなー。」
 「俺たちの、ファンクラブとかできたりして。」 (んなモン、できるわきゃねえ。)
「前の、女の子俺のほう見てたよ。」 (そりゃ、見るだろ、演奏してんだから。)
女子高ライブが終わって、再び練習場に集まり、
練習もせずに、あれこれ勝手な見解を述べる我々。
そん中で、ベースのOがボーとしてる。
「おい、よかったな。お前のおかげだよ。」
「うん・・・。」
「どした?」
「いや、可愛いかったなと思って。」
「へ、可愛いかった?お前のいとこのMちゃんか?」
「そうじゃねーよ。Nちゃんだよ。」
「だれ、それ。」
「ドラムやってた子だよ。」
「あーーーーーーーーー!」
いっせいにのけぞるメンバー。
そっかー、あの子かー。
確かにドラムやってたNちゃんは、なかなか可愛かった。
「お前、あーゆータイプ好きなのかー。」
O君は当時「アグネス・ラム」のファンだった。
練習場には、オレがわざわざ彼のためにトヨタのディーラーからもらってきた
でっかいアグネス・ラムの水着ポスターがはってあった。[emoji:e-413]
(ちなみに私は以前述べたようにキャンディーズ派でギターのEは片平なぎさのファンだった。
このEの趣味は謎だ。)
まあ、彼女がアグネス・ラムに似てるかはともかく。
にわかに盛り上がるメンバー。
「どうする、どうする。」
「告白しろ、告白。好きだって言っちゃえ。」
「まあ、多分無理だと思うけどなー。」
「いや、わかんねーぞ、人間、趣味も好みもさまざまだからな。」
「そうだそうだ、俺も片平なぎさのどこがいいかわかんねーし。」
「片平なぎさを悪く言うな。」
他人事なので、ほとんど無責任な発言が多い。
しかし、Oはシャイで有名。いい奴なんだが、その手のことには弱い。
とても告白する勇気なんてありゃしない。
そこで、めずらしく建設的な意見が出た。
「今度のロック・ボックス、もし俺たちが通ったらチケット渡して来てもらうのはどう?」
「おー、それ、いいかも。」
ロック・ボックスというのは、地元の楽器屋さんが主催してるイベントで
足利、太田、館林の3市からバンドを募集し、テープ審査で4バンドを選ぶ。
これに通ると、プロの機材、ミキシングで足利市民会館大ホールで演奏できるってわけだ。
「よし、そうしよう。」
シャイなOも、そこまで行けばやる、ということで納得した。
そんなわけで、我々は新たな目標に向かって活動を再開したのだった。
(ちなみに、このドラムのNちゃんが、この間CRPのライブに来てくれた人です。)
さて、そんな我々の前に思わぬ試練が待ち受ける。
果たしてアースバウンドはロック・ボックスに出られるのか。
そしてOの恋の行方は・・・。
風雲、急を告げる第4話に、乞う、ご期待。

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2008.07.31

ロックな高校生(第2話)

 さて、希望に満ちて女子高の学園祭に乗り込んだ我々4人。
おー、女子高だー、女だ、女だー、すげー。
普段入れない、女子高の中に入れて、大興奮。
何せ、わが足高の天文部は昼間、天体望遠鏡で女子高の観測を行っている。
私も一度「観測」に、参加させてもらったが天体望遠鏡は上下逆さに見えるので、いまいち見にくい。
別に、着替えやプールが覗けるわけではないが、
「おおー、女の子が動いてるー。」[emoji:v-343]
だけで、結構喜んだものだ。
という点では、女子高に足を踏み入れた我々には、
初めて月に足跡を印したアポロ11号のアームストロング船長のような感動があったわけだ。[emoji:v-280]
(いや、それほどじゃないか・・・。)
さて、音楽室はどこじゃ。
さすがにギターやベースをぶら下げて校内をふらふらしてる男子高生は不自然だ。
で、音楽室に到着。
女子高生バンド、バンド名は「セクシー・セディ」。
ちょっと、こっぱずかしい名前だがビートルズの曲名からとったわけですね、きっと。
(ちなみに我々のバンド名は「アースバウンド」。
イギリスのプログレッシブ・ロックのバンド「キング・クリムゾン」のアルバムタイトルからとりました。
ただ、どこ行っても「アース・バンド」と間違われちゃうので苦労した。
Earthboundは「地球に向かって」とか「地球に根づいた」とかいう意味なんですが
まあ、我々はクリムゾンのアルバムタイトルならかっこいいベー、という程度でつけたわけですが・・・。)
我々が着いたのをステージの上から(といっても音楽室だから「教壇」ですね)確認した彼女たちが
ころあいを見計らって、打ち合わせどおり
「さて、ここで飛び入りの方がいらっしゃれば・・・。」
来た来た来たー。
「はーい。」
とマヌケに手を上げる我々。
他のお客さんが、不思議な目で振り返る中
ぞろぞろと前に出て、セッティングを始めたわけです。
いやー、メチャクチャ不自然ですねー。
で、そんなわけでいきなりディープ・パープルの「スピード・キング」なんかを演奏しちゃったのです。
相当うるさかったみたいです。
しかもPAもモニターもないので、バランスもばらばら。
ナニ歌ったかわからんといった感じだった、と思います。(それって、今も同じじゃん)
まあ、ともかく
女子高で、演奏したぞ。」[emoji:v-218]
ということで、大いに満足した我々でした。
しかし、この話はここで終わりません。
この後思わぬ展開を見せることになります。
次号を待て!

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2008.07.31

ロックな高校生(第1話)

 先日のGOKURAKU-YAのライブにスペシャルなゲストが来てくれました。
(いや、堀越君の彼女も相当スペシャルなんですけど・・・。)
実は私のかつての同級生の女の子と、その友人。
同級生だから、女の子ってことはないよね。(失礼)
その彼女、Mちゃんは幼稚園、小学校、中学校と同級生でした。
いや、別に、私の彼女だったとかではありません。
中学のとき私が学級長で、彼女が副学級長だったりしたけど。
そして、Mちゃんは高校は女子高へ。
私は男子校である足高に入り、ロック・バンドをはじめました。
そのバンドのべーシスト、高校に入って知り合ったO君が、なんとMちゃんのいとこでした。
我々は、Oのうちの町工場跡の建物をスタジオ代わりにして
練習していました。
(貧乏な高校生にスタジオ代なんかないし、そもそもあまりそういう施設もなかった。)
織物会館でほかの高校のバンドと会場を借りて
自分たちで、チケット売ってライブやったりしてました。
そんなある日ベースのOが
女子高の学園祭に出られるかもしれないぞ。」
と言い出しました。
彼が言うにはいとこのMちゃんも最近バンド組んだらしいよ、とのことです。
へー、彼女ピアノうまかったからなー。
しかしクラシックしか知らないと思ってたがロックバンドとはなー。
当時、まだバンドは珍しく、不良とまでは行かないまでも
あまり上品なものではない、ってイメージが残ってましたからねー。
美人で、頭よくて、優等生タイプの彼女がロックバンドってちょっとギャップがありました。
で、その女子高バンドが、学園祭でライブやる、そこに出られそうだ、というわけです。
もちろん、フツーに男子高生が女子高の学園祭に出るなんて
職員会議で通るはずがありません。
そこで、そのライブ会場にわれわれがお客さんとして行き、
途中で
「では、せっかくですからここで飛び入りで演奏される方がありましたらどうぞ。」
と、声かけをするという段取りにしました。
これなら女子高の先生も文句は言えません。
しかし、飛び入りとは・・・。
のど自慢じゃあるまいし、楽器もって見に来てりゃミエミエだ。
それにしても「女子高でライブかー。
なんてすばらしいんでしょう。
全足高生の夢といってもいいくらい。
誰一人彼女のいない、われわれバンドメンバーの4人は、その日を夢見て、にわかに練習に励むのであった。
以下続く

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2008.06.14

同窓会に行ってきました。

 昨日は診察を5時半であがらせてもらって、前橋へ。
 群馬大学時代の同窓会に行ってまいりました。
 ナゼ、平日に?と、思われる向きもあるでしょうが、
今回の目玉は同級生の高橋悟君の、教授就任祝いです。
 この度、日大泌尿器科の教授になり、悟君は昨日母校の群馬大で記念講義を行いました。
その後に同級生が集まり、今回の会になったわけです。
 こいつが悟です。以前、YMOのレコード借りました。
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 花束を贈呈してるのは、慈恵大の小児科にいる藤原優子さんです。
相変わらず、この人、元気です。ちょっと色白になりました。
 んでもって、もう一人。
独協医大越谷病院の皮膚科教授になった大塚勤君です。
私、勉強会一緒でした。
大塚君の汚い下宿のコタツで半纏着てよく一緒にみんなで勉強しました。
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 花束を贈呈してるのは、定月みゆき さん。
この人、皇太子妃の雅子さんが出産の時の主治医で、全国的に有名になっちゃった人です。
 わが学年はこのほかに群馬大の生理学の教授になった鯉渕君と
埼玉大学の教育学部で教授やってる竹内一夫君がいます。
 教授連に散々心配をかけた我々共通一次第一世代も、蓋を開けたら4人の教授を輩出、
さらには、准教授も数名おり、何だすごいじゃん。
 さて、会場の群馬ロイヤルホテルには、平日というのに20名あまりが集まり
大いに盛り上がりました。
 同窓会で心配なのは、あれ、こいつ誰だっけ、っていうやつと、もっと怖いのは
あれ、お前誰だっけ、っていわれることですが、
幸い、見た瞬間にお互い全員わかってよかった、よかった。
 意外とみんな、変わってない?ので、どうもこいつが学生の前で講義したり
患者さんの前で、てきぱきと仕事してる様子が想像できん!
(オレが、一番そうかも?)
幹事の伊藤君、ご苦労様。群馬大産婦人科の准教授です。
「あー、ちょっと聞いてくださーい。」
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邦夫君、相変わらず、肩張ってます。ハンガーでも入ってんでしょうか?
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お、こちらはアダルトな雰囲気。(いまさら、みんなこの歳でアダルトもくそもないね)
河村君、おでこ光ってるぞ。
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 なんか、途中から完全に学生時代のノリになってしまう。
2次会で話した、小川君。
 こいつとは、名簿順が小川、小倉なので、生理学実習も、人体解剖も、臨床実習もぜーんぶ一緒だったわけだが、今は前橋日赤で外科部長やってる。
「小倉っ、オレはな、手術は気合だと思ってんだよっ。」
おお、こいつきてるなー、呂律が回ってないぞ。
「患者さんが来るとなっ、なんとか、この癌を俺が取ってやるぞって、燃えるんだよ。」
身振り手振りも入っている。完全に体育会系だ。
「だからな、フヌケた研修医が、いい加減なことやってるとな、後ろから蹴っ飛ばすんだよ。」
おお、こええ先輩だ。同級生でよかった。
試験前日に
「オグラー、明日の試験とこ全然わかんねーよ、教えてくれよー。」
と、泣きの電話を入れてきた奴とは思えません。
 しかし、こういう地方中核病院の部長クラスが、実際一番手術うまいし、
日本の医療の現場を支えてるんだよなー。
 印象に残ったのは、同級生の誰もかれも、真剣に真面目に医療に取り組んでること。
マスコミ等でいろんな、よくない医者の話を聞いたり、
実際に、開業してて、あーここの先生ダメだなーと思うことが多い中、
なんか、うちの同級生、みんな、いいです。尊敬します。
 藤原さんに
「みんな、自分の仕事に誇りを持って、生き生き楽しそうにやってるねー。」
と、話したら
「そういう人が、ここに来るんじゃないの。」
といわれた。
 なるほど、忙しくて都合がつかず、来られない人は別だが、
同窓会に行くからには、今の自分をみんなに見てもらっても恥ずかしくないだけの自信があるわけだ。
 オレも、また次の同窓会に出られるよう、がんばって仕事しなくては。

3件のコメント
2008.04.18

悟君、教授就任おめでとう!

 群馬大時代の同窓会の幹事から、手紙が来ました
われわれの同級生の高橋悟君が、日大の泌尿器科の教授になったそうです
群大の6年生に、記念講義をするので、その夜、祝賀会をかねて、同窓会をするとのことです
 おー、めでたい
これは、行かねば。
北関東自動車道ができたので、前橋も近くなったし。
というわけで、6月13日(金)は、院長の診察は5時半までです。
 同級生の中から大学教授出たのは4人目くらい、ですか。
しっかし、あのサトルがねー、教授かー。
えらくなったもんだ
 悟君は前橋の南橘町の農家の出身です。
前橋市に合併前は「南橘村」といって、そこの村長さんちだったらしいです。
群大の教養部のある荒牧キャンパスに近く(医学部に入ると最初の2年間はここに通う)
本人いわく、昔は自分のうちの土地だけを通って、今群大のあるとこまで行けた、と威張ってました。
(なんじゃそら)
よく家にも遊びに行きましたが、牛がいっぱいいたなー
 わりと仲良かったので、よくいっしょにスキーに行ったり、尾瀬に行ったりしましたな。
ロックも好きで、レコードの貸し借りも良くしてました。(スネークマン・ショウ、好きだったな。)
よく酒いっしょに、飲んでたし
お互い、彼女いなくて、土曜日の夜俺の下宿で
いっしょに酒飲みながら「オールナイト・フジ」見てたっけなー。
 前橋弁が、独特でした。
「何、××のやつ、試験おったんきゃ?」 
「は?」

「だから、試験おったんだろ。」
追った?折った?織った?居った?・・・
・・・・・”おった”というのは、”落ちた”のことだとわかるのにしばらくかかりました。
 学生のときから、おーこいつ将来教授タイプだなー、とかいうやつもいるのですが、
(そーいうタイプで、本当に教授になった同級生の大塚君はえらかった。
大塚とは勉強会がいっしょで、いつもいっしょに勉強したなー。)

高橋君は、学生の頃教授になるようなタイプには見えなかったなー。
気さくで、明るくて、面白くて、ちょっとダサくて、ちょっとセコイ、ふつーにいいやつでした。
そーいった意味でも、是非行って、「高橋教授」、みてみたいっす
「こなさん、みんばんは。」
って、あいさつしたら、ほめてやるんだが・・・。
 

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