ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.11.11

ロックな高校生リターンズ(第6話)

 7月になった。
「おい、期末テスト、どうだった。」
「いやー、円運動の角速度ωの扱いでトチっちゃって。」
「あー、オレ文系だから物理Ⅱやらなくてすんで良かった。それよりオグラ、イミテーションって単語知ってる?」
「イミテーション?~tionで終わるから名詞だな。すると動詞はイミテイト・・・、知らんなー。
出る単にあった?」
「ふふふ、模造品、まがい物という意味だ。」
「おー、できるなーO、さすがだなー。」
「実は今度の山口百恵の新曲が『イミテーション・ゴールド』ってんで、覚えたんだ。」
「なーんだ、でも入試に出るかも。」
「それは、どうかなー。それよりバンド練習しないとな。」
そうそう、練習しなければ。
 ロック・ボックス以降、バンドとしての練習は、全くしてない。
「で、どこでやる?」
 そうなのだ。
われわれがかつて、練習場所として使っていた、O君ちの工場あとは、
ロック・ボックスが終わるまで、という条件で、近所に頼んで回ったので、
いまさらそこを使うわけには行かない。
「やっぱ、スタジオ借りるか。」
 当時、足利にはKレコードのスタジオしかなかった。
 1階は、レコード、楽器を売っていて、スタジオは、その2階にあった。
「金かかるけど、しょうがないな。」
「いつやる?」
「夏休みの補習が終わったらだなー。」
「あ、俺、夏期講習で、東京行くよ。」
「ギターのEもどっか行くらしいぜ。」
 何だ、みんな足利にいねーのかよ。
 そういや、俺も去年は東京の予備校に夏期講習に行ったっけ。
そもそも、ベースのOと一緒に行ったんだった。
 ・・・記憶は、ちょうど1年前にさかのぼる。高校2年、期末試験の近づくある日・・・
 俺の席の後ろのO崎が
「おい、オグラ、夏期講習どこ行くの?」
と、たずねて来た。
「カキコーシュー?おお、夏期講習、いや、別に。」
「何、行かねーの、俺、代々木ゼミだぜ。」
O崎は、俺と同じ国立理系だが成績がいつも俺のちょっとだけ上なので、やつが夏期講習となると、何か負けたくない。
(こやつは結局東工大に入った)
うーん、代々木ゼミナールか、有名だ。聞いたことあるぞ。
あわてて、そのまた後ろのO合に訊いてみる。こいつは国立文系で一橋大にいったやつだ。
「おい、O合、お前は夏期講習、行くの?」
「行くさ、駿台だよ。予備校としては最高だな。」
 その頃、受験オンチの私は、「駿台」の名前すら知らなかった。
(実はその後、大変お世話になっちゃうんだが・・・。)
「いや、俺も行きたいよ、夏期講習。どうすりゃいいの。」
「あのなー、今もう6月末だぜ、夏期講習なんかどこも締め切りだよ。
駿台なんか5月中に締め切ってるよ。」
「5月中にー?夏期講習をー?」
 あせった私は、前の席のO(あー名簿順だからイニシャルOばっかでわかりにくい、要するに
バンドメンバーのベースのOだ。)の、背中をつっつく。
「おい、お前、夏期講習は。」
「いや、俺はまだ申し込んでないよ。」
「(あー、よかった)もう、どこも締め切りかなあ。」
「でも、探してみよう、なんかあったら一緒に行こう。」
 てなことで、Oが探してきたのは「代々木学院」という、
名前からして、いかにもパチモンみたいな3流予備校だった。
 行くには行ったが授業も、学生もレベルが低かったので、ほとんどためにならなかった。
良かったことといえば、2週間の東京暮らしで、こっそり成人映画を見に行ったことくらいだ。
(何せ、当時はビデオなんか無かったし、っておいおい。
そーいや、成人映画とか、ピンク映画って死語だなー。)
 ともかく、3年生の夏は、駿台行くぞー、と、思ったものだ。
 ところが2年生の秋、親父が急に死んだため、
夏期講習で東京の予備校に行く、なんて経済的な余裕は我が家にはなくなっちゃったわけだ。
そこで夏休みは、学校の補習以外は(クーラーもない)自宅で勉強、ということになっていた。

 ・・・で、話は3年生の時点に戻る。
 「じゃあ、日を決めて、集中的に練習しよう。」
みんなの夏期講習が、微妙にずれてるので、夏休みのある日を、集中練習日に決めて
スタジオを、4時間ぶっ通しで借りて、練習することにした。
 「よし、それではそれまで個人練習ってことで。」
 「よーし、スペース・トラッキンの歌詞、覚えなきゃ。
  試験に出そうな、重要単語が入ってるといいんだけどなー。」
 「スタジオにこもる、か。なんかカッコいいぞ。」
 しかし、実は、これが、悲惨な結果を招くのである。

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2008.11.10

ロックな高校生リターンズ(第5話)

 企画書を作って、3人で職員室のF先生をたずねた。
「ロックやフォークなど、ポピュラー音楽に親しんで学生間の、交流や親睦を深める」
・・・実際、何て書いたかは覚えてないが、ロック・コンサートを認めてもらうために、
まあ、適当に文句をでっち上げて、それらしい、企画書を作成したわけだ。
 「まあ、そんなわけで、F先生にひとつ顧問として、お名前を、貸して頂きたいわけです。」
 しばらく、黙ってその企画書を繰り返し、読んでたF先生。
おもむろに顔を上げて、我々の顔を眺め渡したあと、口を開いた。
「じゃあ、君たちはゴーゴーみたいなことがやりたいわけ?」
「・・・!?」
「だからー、ゴーゴーパーティーみたいなのをするのかな?」
「・・・え、ゴーゴー、・・・ですか?・・・いやー、ゴーゴーって・・・。」
 こいつ、何歳だ?そもそも今、昭和何年だ?
 確かに昭和40年前後、ベンチャーズなんかのいわゆる”エレキ”の音楽に合わせて
踊るような、「ゴーゴー」っていうのがあって、「ゴーゴー喫茶」なんてのもあったらしい。
しかし、その当時昭和53年頃にあっては、ゴーゴーなんてすでに完全な「死語」だった。
 うーん、やはり氏家高校だ。こいつに頼んだのは間違いだったかも。
しかし、こいつ東京で4年間、一体どんな暮ししてたんだ?
「いやあの、ロックのコンサートで、みんな聞いていただくわけで、
踊る人は、絶対いないとはいえないけど、多分みんな聴いてるだけだと思います。」
「別にただの、コンサートなので、風紀上問題になるようなことはありません。」
「いや、先生にはお名前をお貸しいただくだけで、
そのほか、一切ご迷惑をおかけするようなことはありませんから。」
 どうも、気軽に引き受けて、何かあとで自分に責任がかかることになると困る、という
態度が見え隠れしたので、我々は口々に訴えた。
 そして、あれこれ説得して、何とか企画書にハンコをもらうことに成功したのだった。
「いやー、しかし、あの態度、やっぱ、あいつも小物だな。」
「しょせん、大人なんかあんなもんだよ。」
「それにしても、”ゴーゴー”にはまいった、一瞬何のコトかわかんなかったぜ。」
「オレもだよ。びっくりしたよ。」
「今どきゴーゴーはねえよなー。」
「でも、これで、コンサート出来るな、良かった、良かった。」
 ところが、事はそう簡単には運ばなかったのだ。

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2008.11.07

ロックな高校生リターンズ(第4話)


「・・・このように『寺田の鉄則』を用いれば、かんたんです。では、諸君、がんばって勉強してください。」
「以上で、旺文社ラジオ講座、寺田ブンコー先生の数学Ⅰを終わります。」
うーん、また解き方間違っちゃった。数Ⅰも受験問題になると結構ムズカシーなー。
 ・・・と、言ってるうちに
「セーイ、ヤァーン」
と、セイ・ヤングが始まってしまう。
「ジャン、ジャーン、チャカポコチャカポコ・・・よーあけがー来る前にー・・・」
あー、バンドもやりてー。
 と、いきなりギターを持って弾いてみたりする。
もちろん深夜なんでアンプにはつながないから、ペンペンペンてな感じなんだけど・・・。
 今はまだ6月だが、足高祭が行われるのは11月、
受験生にとってはもう、追い込みをかけ始めるころだ。
特に、我々の世代はいわゆる旧制度、国立1期校、2期校の最後の年に当たり
翌年から共通1次試験(現在のセンター試験の前身)が始まることが決まっていた。
 浪人すると制度が変わって大変なので、
そのために、何とか現役で大学にもぐりこもうと、受験戦争は過熱していた。
 同じ5組のベースのOに、まず話を持ちかける。
なんせ、こいつとは席が前後だ。
「いや、だからEの奴は、もうギター閉まっちゃって、入試終わるまで弾かないって言ってるぜ。」
「でもさ、高校生活で一回きりの学園祭じゃん。バンドやろうよ。お前はどうなんだよ。」
「いや、俺は、どうしてもだめってことはないけど・・・。」
「よし、じゃあ、2人でEを説得しよう。」
「あ、ああ・・・。」
 というわけで、まず押しに弱いOを丸め込み、二人で何とかEも説得し、ドラムの I にもOKがとれて、
学園祭出るってことで、話がまとまった。
意外と、かんたんだった。
 「まずは、企画書と顧問だな。職員会議通すには、顧問を立てないと。」
「顧問たって、先生でロックわかる奴なんかいねーぜ。」
「あ、あいつどう、英語のインドニージャン。」
「あーインドニーチャンかー、なるほど・・・。」
 インドニージャン(またはインドニーチャン、インドネシアともいう)ことF先生は
今年、大学を卒業して赴任した英語の教師だ。
挨拶のとき、出身大学が東京外語大ということで、
生徒はいっせいに色めき立った。
何せ進学校の生徒は、大学のブランドに弱い。
ところが、外語大だが学科は英語科ではなく何とインドネシア語科ということがわかって、一気にテンションが下がった。
(自分たちは、決してそんなこと言える身分じゃないくせに・・・)
それで、ニックネームでインドネシアまたはインドニージャン(インドネシア語、インドネシア人の意)
と呼ばれるようになったのだ。
 新任の若い先生なので、
「僕と一緒に勉強しようっ。」
みたいな青春ドラマ的なノリ(錯覚?)があって、
しきりに、「僕は若いから君たちの気持ちがよくわかるんだ、」という雰囲気を作ろうとしていた。
 ビートルズの歌詞を、教材に取り上げたり、
FENやポピュラーミュージックのことを話題にしたり、それなりに努力していたが
俺たち高校生に言わせると、
「20歳過ぎてて、しかもネクタイなんかしてる奴は、みんな向こう側の人間だ。だまされちゃいけねえ。」
みたいな意識があり、あまり信用してなかった。
 あるとき授業で
「これは”not~but”の構文だねっ。
ほら、君たち、スタイリスティックスの歌にあるだろ、
”I can’t give you enything but my love”.この”but”の使い方だよ。
スタイリスティックス、知らないかなあ、あの女性ボーカルの。」
・・・いや先生、スタイリスティックスくらいよーく知ってますけど
あのグループ、女性じゃなくて、男性がファルセット(裏声)で歌ってるんですけど。
と、いおうと思ったがやめといた。
 やっぱ、氏家高校じゃあ、そんなもんか、底が見えたな。と、思ったものだ。
(後に彼の出身高校は氏家高校だということが判明していた・・・。
いや、別に足高だって、相当イナカの高校なんすけどね)
 「・・・インドネシアかー、何となくビミョーだな、あいつ。」
 でも、ほかにこれといった候補もない、
「よし、じゃあ、企画書作ってインドニージャンのとこに行ってみっか。」
 さて、ともかく、学園祭ライブに向けて前進を開始した我々であった。

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2008.11.06

ロックな高校生リターンズ(第3話)

 
 さて、バンド活動からは遠ざかっていたが、ロックは相変わらず生活の一部だった。
受験生といえども、ロックなくしては暮らしていけない。
 主な情報ソースはFMラジオであったが、ロック好きの友人とレコードの貸し借りは良くやっていた。
特に、ロック・ボックスの時、ロンドンブーツを貸してくれたTは、ロックのレコードをいっぱい持っていた。
ロバート・プラントみたいにクルクルの長髪(当時ロン毛なんつー言葉はない)で、
おまけに茶色に染めていた。(茶髪っていう言葉もないよ、くどいようだけど。)
足高、校則ゆるいなー。
「おー、『エクソダス』、よかったよ。サンキュー。」
借りていたボブ・マーリーのレコードをTに返す。
CDと違ってLPは、でかいから持ち運びが大変。
学生カバン(ペチャンコでステッカーべたべただった)は、自転車の荷台に縛りつけ
レコードは前のかごに入れるのだが、斜めにしか入んなくて
片手で抑えて自転車こいでた。
「なあ、レゲエ、いいだろ。今度、サンタナも貸そうか?」
「いやー、サンタナはなー・・・。」
こいつはサンタナの大ファンだった。
「そりゃそうと、オグラ、足高祭、なんかやんの?」
「何かって・・・。」
「バンドだよ、バンド。」
 うーん、そこだ。
私が通ってた足利高校は、学園祭、体育祭、球技大会が3年周期でローテーションする。
つまり学園祭って3年に一回しかないのだ。
しかも、我々の学年の場合、3年生で学園祭が回ってくる。
1年生の時、体育祭で2年、3年の先輩にあれこれ言われ(縦割りのクラス対抗なのだ。)
花の2年生の時に、どーでもいい球技大会があり、
一番盛り上がる学園祭のときに、大学受験準備でろくに参加できない、って言う最低のめぐりあわせなのだ。
「それじゃあ、T、お前は、やんの?」
「いやー、俺とこのバンドは、だめだなー。
それより俺はレコード・コンサートをやる。題して『アフリカン・ミュージックを考える会』だ。」
「アメリカン・ミュージック?」
「アフリカン・ミュージックだよ、オグラ、やっぱロックのルーツは黒人だよ。アフリカだよ。
ボブ・マーレイ、サンタナ、アース・ウインド・アンド・ファイヤーだよ。
みんな、アフリカにルーツがあるんだよ。」
「うーん、オレはやっぱりブリティッシュ・ロック派だなー。」
「そっかー、でもサンタナいいぞー。
ライブ盤の『ロータスの伝説』な、1曲目なんて『瞑想』ってタイトルで1分間だまって瞑想してるから音楽、全然入ってないのよ。
すげーだろ。」
 どこがすげーかわからんが、ビデオならともかく音楽はいってないレコードつまんないだろーよ。
なんか損した気がするぞ。(もちろん、当時家庭用ビデオなんかないわけだが)
 俺なんか、レコード買うときに裏に書いてある演奏時間を合計して、
少しでも長い方を買ったりしたものだ。
セコイちゃあセコイが、レコードなんか、おいそれと買えない身分だった。
特に親父が死んでからは、小遣いは半減し、ロック雑誌等も買えなくなった。
LPなんか当時1枚2500円くらい。
今より高い!
 しかし、Tの奴はロックオタクだねー。
アースなんてその後有名になったけど、当時はまだまだマイナーだった。
アフリカン・ミュージックもその後、ピーター・ガブリエルやトーキング・ヘッズが
アフリカン・ビートを取り入れるのはこの話の3年後くらいだから
T君は先見の明があった、というわけだ。
 さて、それはともかく、やっぱ学園祭っつたらバンドだよなー。
高校生活で、唯一の学園祭、ここで演奏したいなー。
女の子も来るしなー。
いっちょ、メンバーに声かけてみっか。

3件のコメント
2008.11.05

ロックな高校生リターンズ(第2話)

 「おい、オグラ、傾向と対策、もうそろそろ出るぞ。」
「蛍光灯大作?なんじゃそら。」
 それにしても高3になって、ベースのOの奴は変わった。
 こないだまでは、口を開くと
「フェンダーのな、ベックとかクラプトンの持ってるストラトはヘッドが小さいんだ。
オールドなんだぜ。リッチーやジミヘンのは、現行タイプなんだ。」
とか
「今度クリエイションに参加したフェリックス・パパラルディは元マウンテンなんだけど
クリームのマネージメントやってて、4人目のクリームと呼ばれてたんだぜ。」
とか
「ジェフ・ベックが邑楽村でレコーディングしたアルバムはなんでしょう、答えベック・オラ、なんちゃって。」
なんて、ロックの話しかしなかったのに、
高3になったとたん
「おい、オグラ、『ラ講』始めた?」
「何、ラコウって?」
「旺文社のラジオ講座だよ。文化放送で11時半から12時半まで。」
「あー、オレ12時半からのセイ・ヤングから聴いてた。」
あわててテキストを買いに行って、5月から聴き始めました。
(ちなみにラ講の前、午後11時からは『ハリスの100万人の英語』をやってました。)
 また、
「おい、オグラ、デル単、もう買った?」
「何だ、デルタン?」
「試験に出る英単語だよ,青春出版だよ。赤尾の豆単なんか、もうだめだぜ。」
「いや、俺、豆単も持ってないけど・・・。」
 「試験に出る英単語」は英単語が出題頻度順に載っていて、やったとこまで役立つという
画期的な本だった。
それまでは旺文社の「赤尾の豆単」というのが受験生のバイブルだったわけだが
単語がABC順なのでアルファベットの後半の単語ほど記憶があいまいになるという欠点があった。
豆単では、
最初の単語は
「a:不定冠詞、(意)一つの~、一人の~、ある~」
で、これは、すぐ覚えられるんだけど、2つ目の単語が
「abandon:動詞、(意)やめる、すてる、あきらめる」
なので、ここでかなりの人があきらめてしまう、という指摘があったりする。
 ともかく、Oの奴、ロック小僧があっという間に、熱血受験生になっちゃったのだ。
Nちゃんとうまく行かなかったので、勉強の鬼となったのか。
でも、情報通なとこはロック、受験勉強を問わず相変わらずで、
受験勉強オンチの私はずいぶんと助けられました。
 「O、お前勉強家になったなー。」
「当たり前じゃん、ギターのEなんて、もうギターをケースにしまってカギかけて
来年の春まで、弾かないらしいぜ。」
「何、マジかよー。」
「おお、んでロックのレコードも、聴かないって。」
「ロックのレコードも!じゃあ、片平なぎさは?」
「それは、たまに聴くらしい。」
「なんじゃ、そりゃー。」
 まあ、バンドは、もうできないなー。
でも、オレはレコード聴いちゃうもんね、ギターも気分転換ならいいじゃん。
などと思いつつ勉強の合間、ロック仲間とレコードの貸し借りは続けていた。

2件のコメント
2008.11.05

ロックな高校生リターンズ(第1話)

 
さて、先日「ロックな高校生」として、私が高校2年生の時のバンド活動を
ほぼ実話で、小説化しました。
これが(一部の読者に)かなりウケたので、
今回、その続編として、私の高校3年生の時の出来事を、ノン・フィクション・ノベラライズしてみます。
その後の、ロックな高校生の活躍に、ご期待ください。
我々、「アースバウンド」のメンバーは、3年生になっていた。
 その後バンドは、練習もしてない。
 受験かー。そろそろ勉強もちゃんとやんねーとなー。
そんな、ある日ギターのEが、俺と、ベースのOのいる5組の教室まで来て声をかけた。
「放送部の部長のOの奴がさー、俺たちにDJやってくれっていうんだよー。」
「何、ディスク・ジョッキー?どこで?」
「お昼の校内放送。」
「何だ、校内放送かよ、でも、おもしれー、やるか。」
 ロック・ボックスが終わって、我々はちょっとした有名人だった。
運動部もあまり盛んでない、進学校では、バンドやって市民会館出たなんて、前代未聞である。
 んで、お昼の校内放送、それまではどーでもいーよーな
イージーリスニングや映画音楽なんかがかかってたのだ。
それも、日替わりランチのようなメニューの少なさで
毎週毎週同じ曲。
ポール・モーリアとレイモン・ルフェーブルとカラべり・オーケストラのヘビーローテーションだった。
 当時は、深夜放送なんかの全盛期でラジオはみんな聞いてた。
DJというのは、今みたいにレコードをシャカシャカするヒトのことではなくて
軽快なおしゃべりに乗せてかっこいい曲をかけるヒトのことで
結構あこがれたもんだ。
 「番組のタイトルはどうする?」
 「ロック・ジョッキーは?」
 「ダセーよ、まんまじゃん。」
 「なんか、ロックのさ、曲のタイトルからとらない?」
 「お、いいねー、そーしよう。何かいいのあるかなー?」
 「”天国への階段”は?」
 「バカ、それじゃ、お悔やみコーナーみてえじゃねえか。」
 「”21世紀の精神異常者”は?」
 「そりゃ、さすがにやべーだろ。皆さん、お待たせしました、
  21世紀の精神異常者です、なんて。やっぱ、英語のタイトルがいいな。」
 「じゃあ”ブラック・ナイト”。」
 「あのなー、真っ昼間の校内放送だぞ。何でブラック・ナイトなんじゃ。」
 「うーん、”ロック・ステディ”は?」
 「おー、いいねー、それっぽい、それでいこー。」
 というわけで、番組タイトルは私の意見が通ってバッドカンパニーの曲から
「ロック・ステディ」に決定。
番組テーマはレッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」に決まった。
 かくして、記念すべきロックステディの一回目、われわれ3人は放送室に集まった。
「おい、部長、職員室は、切っとけよ。」
「あー、わかったわかった。」
 さて、テーマソングの「ロックン・ロール」のドラムのイントロが始まる。
 
”ずだだ、ずだだ、ずだ、ずだ、ずだだだずだだ(感じ、伝わってる?)”
「こーんにちはー、ローック・ステディーの時間でーす。カッコいいロックの曲を
ガンガンかけますよっ。」
「それでは、最初の曲、ツェッペリン待望のニューアルバム、”プレゼンス”から
”アキレス最後の戦い”、いってみよー。どうぞー。」
(何か、今や書いてても恥ずかしいが・・・。)
そこで部長にキューを出して曲に入る。
曲になると、ホット一息。
「お、いいじゃんいいじゃん。」
「気持ちいいな、DJも。」
「何か、プロっぽいよな。」
(若者は、怖いもの知らずである。)
で、曲を聞いてると、放送室のドアをノックする音。
誰かと思ったら、数学のN先生。
「(栃木弁で読んでください)もしもーし、職員室はー、すまんが音、しぼってくださいー。」
「えっ、ハイ、いや・・・、おい部長、だって職員室は・・・。」
「ああー、まじい、ボリューム、逆に10になってるー。」
一同「す、すいませんでしたー。」
 そんなこんなで、出鼻をくじかれたロック・ステディは程なく、打ち切りとなってしまった。
まあ、優しいN先生でよかった。同じ数学でもK先生なら、どやされてたなー。
(ちなみにN先生は、現在市内で内科小児科を開業しているN先生のお父上で、
私、この当時このお父上の塾で数学教わってたのだ。)
 しかし、あー、やっぱ、DJよりバンドやりてーなー。
俺たちは、そんな思いにかられるのだった。

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2008.08.23

どっかん、読感

 毎朝、犬の散歩で織姫神社まで行くが、この頃はツクツクボーシの声がするようになった。
7月アブラゼミから8月ミンミンゼミになると、おー夏、夏、とうれしくなる私だが
ツクツクボーシの声を聴くと「あー、宿題やらなきゃ。」と今でも思ってしまう。
 小学生のころから、夏休みに入ると
「よーし、今年は7月中に宿題終わすぞー。」
と、意気込むのだが、ワークブックは2ページで脱落し、
「何とか、花火大会までには終わらせよう。」
と、計画を下方修正するのだが、それも破綻し、
「お盆までには何とか・・・。」
と考えてるうちに、8月31日を迎える、というパターン。
 窓の外にツクツクボーシの声を聴きながら、
半泣き状態で宿題やってる、ってのが毎年のことだったなー。
 大体、最後に残るのが「読書感想文」。
 これが、キライでキライで。
 課題図書なんてのがあって、夏休みの前に学校で売るので
本自体は、夏休み前に手に入る。
 元来読書は好きなので、本はあっという間に読んじゃって、
それで、半分くらい終わった気になっちゃうんだが、
肝心の感想文には、ナカナカとりかからない。
 で、いよいよ休みも終わりって時に、いざ書こうとすると
ほとんど内容忘れちゃってたりするわけだ。
 大体ねー、感想文を書かねばなんて思うと読書は楽しくない。
感想文書くために本を読むなんて、順番が逆でしょう。
ホンットに本読んで、感動したら、友達とか、親とかにその話をしたくなるでしょ。
そーゆー自発的なモチベーションを、宿題の感想文ってスポイルしちゃうんじゃないだろか。
 文科省、間違ってるよ。
たとえば、本を読んで面白かったら○、フツーは△、つまらなかったら×
あまりにつまらなくて途中で読むのやめちゃったら××、とかってのはどう?
 で、夏休み中に自分の一押しの本を選ばせて、それを友達に勧める、推薦文を書かす。
字数の制限はなく、1行でもOK。
でも、ただ「面白いから」とかいうのはダメ。
 で、2学期にみんなで推薦文を発表しあって、
さて、誰の推薦した本を一番読みたいでしょう、というアンケートをとる。
それで1位になった子が、賞をもらえる、ってのは面白くないすか。
 よーし、みんなに自慢できる面白い本をめっけてやるぜ、って気にならないかなー。
 基本的に、子供は(人間は)本が好きだと思うので、そういう楽しみをたくさん経験させることが
大事なんじゃないかなー。
 子供の活字離れを防ぐあらゆる対策より、ハリーポッターのほうが何百倍も効果ありましたね。
やっぱり、子供って、押し付けられるものは拒否するんですよ。(大人もそうか。)

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2008.08.07

ロックな高校生(あとがきみたいなもの)

 いやー、10回にわたって書き続けてきた「ロックな高校生」、
いかがだったでしょうか。
 これ、ほとんと完全に実話なんですが、こうしてみると結構ドラマチックな話で、
映画の一本も、撮れそうですねー。
 または、これを出版して、一気に文筆業へ転職、なーんて。
 ただし、なんせ、30年以上前の話なので、私の記憶のあいまいな部分とか、
間違って覚えてることもありますので、多少事実と相違する点はあると思います。
 当時の関係者で「いや、実はこうだった。」
などという方がいらっしゃればご一報ください。
 夏は、耳鼻科ヒマなので、外来のパソコンで、患者さんのいない間に
ブログがかけるので、楽です。
 今回書いてて楽しくて、あっという間に書き上げちゃった感じです。
 さて、O君の後日談なのですが、
先日、ライブに来たMちゃんとNちゃんに聞いた話です。
ライブのあと、打ち上げでみんなでスナックに行き、そこでその後の話を初めて聞きました。
30年も前の話になるわけです。
 卒業後、MちゃんはJ大学、NちゃんはF女学院に進学したそうですが(お嬢様ですねー)
バンドは解散したものの友達として交流はしてたそうです。
 で、OはS大に進学してました。
 大学1年の時、いとこのMちゃんに誘われて、OのやつF女学院の学園祭に
一緒に遊びに行ったそうです。横浜まで、2時間もかけて。
 でも、そのときも、Nちゃんのことを好きだともなんとも意思表示をせず、
また帰ってきちゃったそうです。
 Nちゃんに、その時聞いたとこでは
「その時は、もう彼氏いなかったからフリーだったのよねー。」
「告白されて迫られれば、付き合ってたかもねー。」
おおおー、何てことだ。
 しかし、その時一緒に話を聞いたMちゃんのコメントがよかった。
「そっかー、そうしたらひょっとして、あたしとNちゃん、親戚同士になってたかもしれないのねー。」
・・・・なるほど。
 場合によっては、 そういうことに、なりますな・・・。

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2008.08.06

ロックな高校生(第10話)

 市民会館大ホールの、緞帳(どんちょう)。
子供の頃から、「オズの魔法使い」や「群馬交響楽団」や「柿山伏」やなんかで
学校行事でここに来て、この緞帳が上がるのを見たけど
(そのあと、公演が始まってからは、途中から客席で大体寝てたけど)
ステージの側から見るのは、初めてだ。
会場は、暗くて、よく見えない。
1曲目は「ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン」。
イントロの、ギターとドラムは直前までナカナカあわなかったけど、
E君、今日は、バッチリじゃん。
よーし、いい感じで始まった。
すると、突然ベースの音が消えた。
どーした、O。
間奏のときに様子を見に行くと、
どうも、シールド(楽器とアンプをつなぐケーブル)のトラブルらしい。
早くナントカしろー。
しかし、女子高のNちゃんの件といい、こいつ、ついてねーなー。
その瞬間、ステージの照明が、ストロボに切り替わった。
パッ、パッ、パッと光が点滅するので、ちょうどコマ送りのように姿が消えたり現れたりする。
O君は、がんばってアンプの前で格闘してるが
何か、コマ送りの動きがドリフのコントのように見えてしまった。(すまん。)
そして、何とか復旧。
2曲目は「ラブ・チャイルド」。
曲後半からの、シンセがポイント。
これも練習では、ナカナカあわなくてギターのEと、キーボードのSはケンカしてたなー。
ボーカル的にはこの曲が一番きついので、これが無事終わって、一安心。
で、最後はオリジナル「オールド・キャッスル~」だ。
大きなミスもなく、全体に気持ちよく演奏できた、と思う。
まあ、緊張してて、あっという間に終わっちゃった感じですが・・・。
コンサートが終わって、来てくれた同級生に
「いやー、よかったよ。」
「カッコよかったじゃん。」
と口々に祝福された。
バンドやってる先輩に
「オメーら、よかったじゃん。打ち上げに、飲みいくか?」
と誘われたが、酒も飲んだことのない我々は
「イエ、今日は遠慮しときます。」
と、断り、じゃあ、また、と別れて、おのおの家路に向かった。
帰り道、また、ロンドンブーツでこぎにくい自転車をこぎながら
この数ヶ月の出来事を考えた。
これでバンドも、一区切り、今後はどうなるだろう。
少なくとも、こんな大きなイベントはないだろう
それより親父も死んで、俺はどうする、どうなる。
来年は、受験だし。
夜の街、一人自転車をこいで行くと、もう息が白い。
そうか、女子高のライブの準備を始めた頃は、まだ暑かったけ。
コンサート会場から、まとわりついてきた熱気を、晩秋の夜風が冷ましていく。
来年、再来年の今頃は、オレはどこにいて、何してんだろうなー、
などと考えながら黙々とペダルを踏む、17の夜でした。
~ロックな高校生 ・ 完 ~
さて、長らくご愛読いただいた、ロックな高校生の巻は
今回で、最終回です。
次回作にご期待ください。

3件のコメント
2008.08.06

ロックな高校生(第9話)

さて、そんなわけで、ついにロック・ボックス当日を迎えた。
朝、友達のお父さんの運転する軽トラで、機材を市民会館に運ぶ。
当時のシンセサイザーはやたら、でかくて、重い。
で、そのあと、一旦オレは親父の四十九日だ。
お寺のあと、昼食になり
親戚のおじさん達なんかに
「これからは弘之君がな、しっかりしないとな、ウン。」
「そうそう、早く、お母さんを安心させないとな。」
などと、肩や背中をドスドスたたかれる。
ウチの親父は酒を飲まなかったが、親戚は結構酒飲みが多い。
法要はナカナカ終わらない。
仕方がないので
「スイマセン、ちょっと用事があるので、僕だけお先に失礼します。」
「おお、何だ、塾かなんかかい?」
「・・・イエ、・・・・ちょっとコンサートが・・・。出なくちゃならないので・・・。」
この小倉のバカ息子は大丈夫か、という親戚の冷たい視線を背中に受けて、お店を後にした。
さて、急いで家に帰って、学生服を着替える。
借り物のロンドン・ブーツを履いて、自転車に乗る。
友人が「小倉が市民会館に出るんなら」と、わざわざ貸してくれたものだ。
この友人、何を隠そうOがふられた、かのA 君がいるバンドのリーダーのT。
長い髪を茶色に染めて、くるくるのパーマをかけたTは
実は、私とはロック仲間で仲がよかった。
しかし、このロンドンブーツ。
こりゃ、自転車乗りにくいわ。
かかとと、前の部分が高く、かかとは10センチもあるので
いわゆる土踏まずのところでペダルをこぐのだが、はまって、難しい。
何回かこけそうになってやっと市民会館に着いた。
みんなはもう集まっていて、すぐリハーサル。
「モニター、どうですかー。」
なんて、PAの人に言われても、今までモニターなんぞのあるステージで演奏したことがないので、
何がどうなんだかさっぱりわからない。
分け分かんないうちに、音あわせが終わり、控え室に。
うわー、ケムイー。[emoji:v-309]
出演バンドは大学生のバンドが1つ、社会人のバンドが2つで、高校生は我々だけ。
まじめな高校生だった我々は、もちろんタバコは吸いません。
控え室はタバコの煙もうもうで、ボーカルの私は、中にいられず廊下で待っていた。
そして、夜7時、ついにステージの緞帳(どんちょう)が上がったのだった。
感動(?)の最終回につづく。

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