ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.08.12

35年前

 8月12日は日航ジャンボ機墜落の追悼の日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和60年、1985年の出来事なので、

今年で35周年になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこの年、ワタシが医者になった年なので、

よく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、大学病院の耳鼻咽喉科医局の勤務医は

7,8月の間に1週間の夏休みが2回とれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん交替制なので、

先輩の先生からいいところをとっていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子育て世代の先生が多かったので、

家族旅行に行く先生がほとんどでしたが、

お盆休みは料金が高いので、みなそこは避けます。

なので、ワタシがいただいた夏休みは、

まだ学校が夏休みにならない梅雨明け前の7月第1週と、

ちょうど8月12日から始まるお盆の1週間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その8月12日からの夏休み、

ワタシは大学時代の同級生4人で、

新潟県柏崎方面に海水浴に行く予定でした。

もちろん、全員彼女のいない男ばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ新潟県かというと、

計画が決まったのがあまりに遅かったので、

海水浴場の宿はどこもイッパイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅行会社に就職した友人に頼んで、

なんとか柏崎市に、海水浴場までクルマで15分という、

海沿いでもなんでもない

ビジネスホテルみたいな民宿を見つけてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでもビキニの女の子との出会いを夢見ながら、

ワタシは月曜日の夜、

テレビをつけながら旅行の支度をしていたと記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのテレビのニュース速報のテロップで、

「羽田発大阪行きの日航ジャンボ機消息不明、

群馬県三国峠付近に墜落の可能性。」

というような文字が流れたのが、

おそらく7時半過ぎ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時見ていた番組はバラエティー番組だったので、

ワタシはこれがずっと「カックラキン大放送」だと記憶していた。

だが、これは記憶間違いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「カックラキン大放送」は金曜日7時半からの放送なので、

12日月曜日に見るはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、インターネットを駆使してこれを調べたところ

日本テレビで7時半から8時まで放送されていた

「三宅裕司の大きなお世話だ」という番組であるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな番組あったんかい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、回は違うがこれを見ると、

アイドルが出てくる公開バラエティーコント番組なので、

まず間違いないでしょう。

 「三宅裕司の大きなお世話だ!

 よく見るとyoutubeのコメント欄に

「日航機のテロップが入った」という投稿がありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このテロップを見たとき、まず衝撃を受けたのは

事故そのものではなく「三国峠に墜落」というくだりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさに次の日の早朝、

その三国峠を通って新潟方面に行く予定だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時はまだ関越自動車道は開通しておらず、

新潟に行くには国道17号の三国トンネルを抜けていくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はなはだ不謹慎ではありますが、

その時は事故の重大さが把握できず、

国道17号が通行止めになって、海水浴に行けなくなる、

ということの方が緊急の重要事項だったのです。

お盆時期の宿泊代のキャンセル料がどうのこうの、

貧乏研修医はまずそっちを心配しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 携帯電話のない時代ですから、

卒業してバラバラになった同級生に

緊急に連絡を取るのも大変でしたが、

その後のニュース速報で、墜落地点は三国峠ではなく、

群馬県上野村方面、と出ましたので、

とりあえず安心したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにそのニュース速報は、そのまま続けて見ていた

日本テレビの夜8時からの「歌のトップテン」だったことは、

ほぼ間違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的に旅行は無事行くことができ、

海水浴はおばちゃんばかりで、

やはり日本海ではダメだな、

という感想をもって、

また月曜日から病院に行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると、病院ではその話題で持ちきりでした。

4名の生存者が収容されたのは、

群馬県の多野総合病院(現藤岡総合病院)でしたが、

群大の関連病院なので、

急遽、大学から応援を派遣したとか、

○○先生が治療したとか、

検死の医者を求めているとか、そんな騒ぎでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、医師免許取ってわずか3か月のワタシに

出る幕などはありませんから、

先輩の先生が、助かったスチュワーデスさんを診察してきた、

などというのを野次馬的に聞いていただけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本航空では、いまや全社員の96.5%が事故後に入社した社員で、

事故のあった1985年以降に生まれた社員も35%になるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから35年、ということはオレも医者になって35年ということか。

それにしても「カックラキン大放送」では無かったのか・・・・。

(そこかい。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.06.08

影響を受けたレコード(国内編)⑬「非実力派宣言/森高千里」

森高千里さんは1987年5月25日

シングル「NEW SEASON」でデビュー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1987年といえば、おニャン子クラブが人気を呼び、

1980年代初頭からのアイドルブームが熟成して、

ヒットチャートを独占していた松田聖子さんは結婚、出産。

中森明菜さんが1985年、86年と2年連続レコード大賞を受賞、

と、女性トップアイドルの座に君臨していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森高千里さんはデビュー当時は

普通の女の子アイドルの一人という印象でした。

同期は酒井法子さん、工藤静香さんなどです。

(・_・D フムフム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、このヒトは天才だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1988年に発売されたシングル「ミーハー」で

初めて作詞を担当すると、

その年に出たアルバム「見て」では、

2曲を除きすべての作詞を行っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その素材の取り方、言葉のセンスが独特で、

「あれ?」と思うところがあったのですが、

彼女の才能の全貌が明らかになったのが、この

「非実力派宣言/森高千里」1989年7月25日発売です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムで森高千里さんはカバー曲を除く全曲を

自ら作詞しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その世界は独特のものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通、アイドル歌手がお仕着せのカワイ子ちゃんから脱皮するとき、

アーティスティックな方向性を持ち込むことが定石です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英語の歌を歌ったり、シティポップスや、

ジャズ的なアプローチをしたり、

ともかく、ワタシはアーティストなの、

そんじょそこらのアイドルではなくて

れっきとした「実力派シンガー」として認識して頂戴ね、

というパターンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、大概、それがツマラナイ。

松田聖子もしかり、中森明菜もしかり。

他の、ニューミュージック系と呼ばれる

女性シンガーのすべてとは言わないが、

その多くは言うまでもなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが森高千里さんはそれを逆手に取ったかのような

「非実力派宣言」。

自らを「ミーハー」と呼んだ世界をさらに発展させました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲の歌詞は、ユニークでした。

「実力は興味ないわ、実力は人まかせなの」

「実力がどうしたの、実力が好きなのね」

この、開き直り方はスゴイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけにジャケットも「食いだおれ太郎」みたいな、

およそ「おしゃれな大人の女性アーティスト」のイメージとは

かけ離れた装丁です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムを転機に、

森高千里さんの作詞家、アーティストとしての才能は

他の追随を許さない「森高ワールド」を

形成していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自作「古今東西」1990年10月17日発売では、

ゴキブリ退治の「ザ・バスターズ・ブルース」、

北朝鮮飯店でも演奏している「〽ロックもへちまも関係ないわよ」

と、世界制覇を目指す「テリヤキ・バーガー」など、

突き抜けた作詞能力を発揮。

そののちも「臭いものにはフタをしろ!!」「やっちまいな」

「私がオバさんになっても」「ハエ男」

などの傑作をモノにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぽうで、カバー曲として

サンタナの「OYE COMO VA」や

キャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」をとりあげる

独自のセンスをみせています。

カバー曲としては1994年のアルバム「STEP BY STEP」で

ザ・ビートルズの

「Everybody’s Got Something To Hide Except Me And Monkey」

をとりあげていますが、

あまた名曲のあるザ・ビートルズのナンバーから、

この曲を選び出すセンスには脱帽しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザ・ビートルズといえば、

森高千里さんは1992年のペパーランドから、

全曲ドラムも自分で演奏していますが、

そのドラムスタイルがリンゴ・スターの影響を強く受けていることが

よくわかります。

相当、ビートルズをコピーしてるな、という印象です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その「ペパーランド」は

森高千里さんが熊本時代にバンドやっていたときの

ライブハウスの名前だそうですが、

もちろん、そのおおもとの由来はザ・ビートルズのアニメ映画

「イエローサブマリン」に出てくる平和な国「ペパーランド」です。

1968年の映画ですが、

ワタシが中学生のころテレビで放送されてみた覚えがあります。

ビデオもインターネットもない時代、

テレビでビートルズの映画をやる、ってんで

勢い込んでみたら、ビートルズ出てねえじゃん、

と肩すかしを食った記憶アリ。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうひとつ、森高千里さんの代表曲「渡良瀬橋」のPVは、

彼女のアイデアでザ・ビートルズの「Let It Be」へのオマージュとして作成され、

カメラワークやレイアウトをコピーしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話それましたが、

ともかく、この「非実力派宣言」をきっかけに

森高千里さんの書く歌詞にドはまりし、

すっかり彼女のファンになりました。

これだけの歌詞が書けるヒトは、

忌野清志郎氏と森高千里さんしかいない、と思っています。

あとは、松本隆氏、松任谷由実さんなども

才能あると思いますが、

ロック的なインパクトの点ではこっちかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以後、彼女のアルバムは発売と同時にかならず買っており、

毎回、毎回、何やってくれるか楽しみでワクワクしていました。

しかも、そのたびにいい意味で期待を裏切るようなアイディアが満載でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1992年のアルバム「ROCK ALIVE」からは作曲も手掛けています。

その「ROCK ALIVE」のタイトルチューンでは

森高さん自身でギターも弾いているのですが、

コーラスに「E7」とか「C」とかギターのコードが入っていて

そのまま楽譜なしでギターが弾けるようになっています。

なんと奇抜な発想。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つづくアルバム「ペパーランド」の「ロックンロール県庁所在地」では、

作詞作曲のほかすべての楽器をひとりで演奏しています。

ホント、このヒト、スゴイです。

なかなか、こういう詞は書けないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚、出産後、歌手活動を休止していましたが、

2012年、デビュー25周年を機に

足利市民会館を皮切りにコンサート活動を再開しました。

当然、行きましたが、

実は森高さんのコンサートを見るのはこのときが初めてでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにワタシは1990年4月14日に結婚していますが、

実は結婚前の妻も森高千里さんのファンで

1989年7月発売のこのアルバムを所有していました。

次の「古今東西」が1990年10月の発売ですので、

我が家にはこの「非実力派宣言」は、2枚あります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、これで、「影響を受けたレコード(国内編)」も終了。

昔から、歌謡曲以外は、ほぼ洋楽しか聴かず、

バンドでも英語の歌ばっかりのワタシですが、

今回の選択を振り返ってみると、

国内盤の場合は、歌詞の好き嫌いが

かなりの比重を占めることがわかりました。

やっぱり、ワタシはロックはボーカル中心に聴いているんだなあ、

と改めて認識しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.06.07

影響を受けたレコード(国内編)⑫「COVERS/RCサクセション」

当初10枚のはずが、おさまりきれなくなってしまい

ついに12枚目。

あともう1枚あるので全13枚で完結予定です。

今のところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、12枚目はコレ。

「COVERS/RCサクセション」1988年8月15日発売。

今回の企画、洋楽、邦楽通じて

唯一、同一アーティスト2回目の登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1988年といえば医者になって3年目。

桐生厚生病院から大学病院に戻ってきており、

外来だ、手術だ、検査だ、学会発表だ、論文翻訳だと、

毎日目まぐるしく活動しており、

朝早く病院に行き、帰宅は深夜、

休日もほぼ無給出勤で、

当直も月に4,5回と、バンドはもとより

音楽を聴いている余裕すらほぼありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

労働基準法もへったくれもないタコ部屋のような研修医時代ですが、

音楽雑誌で、最低限の情報は得ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、見過ごしにできない重大な問題が発生。

1988年8発6日、広島原爆記念日に発売予定であった

RCサクセションのニューアルバムが不自然な形で

急遽発売中止になったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことの真相は、歌詞の内容に

「原子力発電」の問題が含まれており、

発売元のレコード会社東芝EMIに、

原子炉サプライヤーである親会社東芝が圧力をかけた、

というものでした。

当時、東芝EMIの社長は本社東芝からの天下りだったといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親会社の圧力に屈した東芝EMIは、

反原発、反核の内容を含んだ数曲をカットして

ミニアルバムとしての発売を求めたが、

忌野清志郎は、これを拒否。

上記のような広告を出して発売中止を発表しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、発売を求めるファンの声、

メディアもこのことを取り上げたことによる世論の高まりもあり

このアルバムは、一転、RCサクセションがかつて所属した

キティレコードから同年8月15日の終戦記念日に

発売されることになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果、このアルバムはその話題性もあり、

RCサクセションとしては唯一オリコンチャートの1位を記録したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバム自体はタイトル通り

洋楽ロック、ポップスのカバー集なのですが、

そこに忌野清志郎が日本語詞をつけた形になっていて、

素晴らしい歌詞によりオリジナルをしのぐ

存在感とメッセージ性を持った作品になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清志郎の高校時代からの友人である三浦友和氏をはじめ、

元「村八分」の山口富士夫、泉谷しげる、ジョニー・サンダース、

などのワタシ好みのミュージシャンのほか、

おニャン子クラブの高井麻巳子(現・秋元康夫人)も参加。

桑田佳祐はレコード会社の問題で

「桑竹居助(くわたけ・いすけ)」の偽名で参加しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべてがメッセージソングではありませんが、

アルバムを通じて感じられるのは

忌野清志郎氏の人類愛、正義感で、

音楽に対する愛情に満ち満ちた、

非常に「ロックな」アルバムにしあがっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

権力に屈せず、このアルバムが世に出たことはまことに喜ばしい。

発売までの経緯も含めて

まさに日本のロック史に残る1枚といっていいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムが発売停止になったのは、

原子力発電に対する問題提起がその原因でしたが、

その13年後、東日本大震災による

福島第一原子力発電所の事故で、

忌野清志郎氏の危惧は現実のものとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残念ながら忌野清志郎氏は、

その2年前にすでに他界してしまっていましたが、

ファンの間でこの曲が再評価され、

当時ラジオ局にはこの曲のリクエストが多く寄せられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あらためて、

忌野清志郎氏のロックスピリットに敬意を表すとともに、

今また、ワレワレはこのアルバムを聴く必要があるのかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、オレのパソコンTOSHIBAだ。マズイなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.05.05

マスク美人

巷ではマスク姿が当たり前になり、

ちょっと前のニュース映像や、

NHKの「小さな旅」の再放送なんかで

誰もマスクつけていない集団をみると、

ややっと思います。

ほんのちょっと前なのにはるかムカシのようで、

こういう時代もあったなあ、などと

コロナ以前、という言葉が頭に浮かびます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさに時代が「B.C.」(Before Corona)と

「A.D.」(After Disease)または(After Disaster)

に分かれたかのようだ。

(実際は「Before Christ」「Anno Domini」です。念のため。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、コロナ以前のムカシっから

ずーっとマスクつけっぱなしの場所もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、オペ室。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも食品工場とか給食センターとか廃棄物処理場とか、

そこで働く人がマスクを常につけてる職場もありますが、

オペ室が決定的に違うのは、

そこで働くのがお医者さんと看護師さんという、

全く別の組織に属する人たちがともに仕事をしていて、

看護師さんには女性の割合が多く、お医者さんは男性の比率が高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、特殊な意味ではなく「異性の目」があるので、

とくに若い看護師さんはアイメイクに余念がありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むろん場所柄、過剰なお化粧はしませんが、

スッピンでなければダメ、ということはないので、

やる気のある(?)方はけっこう力入れてるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔の下半分は常にマスクに覆われており、

アタマも手術用の帽子をかぶっているので、

リップメイクや、ヘアメイクは適当でもアイメイクが重要になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただオペ室に出入りする外科系や麻酔科のドクターは

彼女たちの素顔を見たことがありません。

服もだぼだぼのオペ着にガウンなど着てますから、

服のセンスはもちろん、体型もわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、たまにオペ室の忘年会などで

マスクをしてない私服の彼女たちと顔を合わせると、

少なからずショックを受ける場合もあります。

いや、もちろん中にはマスクなしの方が可愛いじゃん、

という方もいらっしゃいましたが・・。

ヤバイ、これ以上書くとセクハラに・・・・・(゚Д゚;)

 

 

 

 

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2020.03.29

医局の花見

 本来ならば、この週末が花見のピーク。

今日は東京や関東の北部では雪が降ったらしいが、

この辺は一時みぞれっぽかったけどだいたい雨でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、新型コロナウイルスの影響で宴会は自粛。

天気が悪かったのはむしろ幸い?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医局時代の花見のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学を卒業して医局に入局すると、

「お花見」は医局の年中行事の一つです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは長年、医局でレクリエーション係を仰せ付かっていて、

教授をはじめ教室員全員、

婦長をはじめ病棟の看護婦さんを集めての「お花見」は

秋の医局旅行とともに一大イベントでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは日程。

参加者が多いので早くから決める必要がありますが、

今と違ってウェザーニューズもないし、

いつ、桜が見ごろになるのか、というのはなかなかムズカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インターネットもない時代、

ワタシはその時期になると前橋地方気象台に電話をかけ、

桜の開花予想、満開予想を直接聞いたりしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、当日は早くから場所取りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研修医の中から適当な者が選ばれ、

午後に病院を抜けて前橋市役所裏の「幸の池」に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トイレにほど近く、ぼんぼりの明るいベストポジションは激戦区です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライバルは、県庁、市役所のヒトビト。

会話の内容からそれと知れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともに、若手男性がシートを敷いて場所をとり、

風に飛ばされたり、他人にエリアを侵食されないように、

その場で待機します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つらいのは日が暮れるころから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5時ピンで終わるお役所と違い、

病棟の仕事はなかなか終わらない。

医者もそうだが、日勤の看護婦さんは

申し送りをして準夜勤の看護師さんの業務の引継ぎが終わるのは

午後7時近くなので一応7時スタート予定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、明るいうちにスタートして

どんどん盛り上がってゆく市役所、県庁組を横目に、

医局場所取り隊員は、アルコールも飲めず、

じっと寒さに耐えるのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、急患が入ったりだのなんだので、

7時スタートは定刻に始まったことは一回もなかった。

概ね30分遅れはいつものことなので医局時間といわれた。

そんなわけで、教授をお迎えに行くタイミングもなかなかムズカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、桜の下で酔っ払って騒ぎ、

そのうちにとなりの市役所組とも盛り上がったりして、

花見は楽しかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、医局のお花見は毎年行われているんでしょうか?

むろん、今年は開催は中止でしょうけど。

多分、レクリエーション係は、

ホッとしたりガッカリしたりだったりでしょう。

 

 

 

 

 

 

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2020.03.28

お花見のエッセンス

コロナ騒動で今週末のお花見会場はどうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあいだ、政府のほうからは、密閉、密集、密接の

「3密」を避けてください、なんて話をしてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校長先生の「3つの気」の話か、

はたまた結婚式の「3つの袋」の話か、

こいつ、なめとんのか、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、先日レディアと「お花見」をしたわけですが、

ワタシ的にはあれを「花見」とは言いません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり「花見」とは、

「桜の木の下でみんなで酒を飲むこと」

という解釈ですので、あれは花見ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若いころはできれば女子と一緒に、

という追加条項もありましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生のころは友人と一升瓶とラジカセ(!)をもって

小僧寿しのファミリーセットを買って

下宿近くの敷島公園に繰り出したものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、全員「彼女無し」だったので、

追加条項はついぞ満たされませんでしたが・・・・・。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、医者になり2年目、初めての研修病院として

桐生厚生病院に勤務した時のお話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上司のW部長は、ネチネチとした厳しい指導で有名でした。

手術は巧いが、性格的にクセがあって怖いので教室員の中には、

あそこの病院に行くくらいなら医局を辞める、

といった者もいたくらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その先生のもとで指導を受けて、

1年近くたったちょうど今ころ、

部長にいわれました。

「オグラくん、来週花見やるから、病棟の看護婦さんに声かけといて。」

(ちなみにこのセリフは東北弁のイントネーションで読んでください。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「花見ですか、良いですねー。どこでやるんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「場所?いつもの『〇〇』でやるから予約しといて。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『〇〇』とは、宴会でよく利用していた料亭の名前でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はあ『〇〇』ですね、それでサクラはどこで見るんですか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「サクラ、そんなもの見ねえよ、みんなで飲むだけだよ。

サクラ、見る必要ある?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たしかに「お花見」の必須項目を重要な順に列挙すると

①酒②食い物③看護婦さん④桜

ということになりますので、

上から順に選んでいけば、必ずしも桜は必要ないわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「わっかりましたー。(`・ω・´)ゞ

さっそく病棟に行って若い看護婦さんに声かけてきます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この先生は苦手でしたが、

この一件で、ちょっと尊敬しました。

 

 

 

 

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2019.12.28

年末年始の営業

 ここのところ外食チェーン店などで、元旦休業の店舗が増えています。

一部では、コンビニエンスストアでも元旦休業にする動きがあるとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、お正月は休むべきですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムカシは、元旦はどんなお店も休みでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが、医者になって耳鼻咽喉科に入局した直後は、

正月の当直者用に、カップラーメンやらスナックやらを

医局費でまとめ買いしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当直医には病院から食事が出ないので、

普段出前をとっているのですが、

その定食屋さんやお蕎麦屋さんが年末年始は休業しちゃうためです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院の前にコンビニができてから、その風習は無くなったけど、

医局のテーブルに山のように積まれたカップ麺は

今となっては年末年始の思い出として懐かしい感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムカシはスーパーも三が日休んじゃうところも多く、

年末の「買い出し」は今よりサバイバル感がありましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人混みをかき分けるようにして

両手いっぱいに買い物して帰り、大みそかを迎えます。

そして年が明けるとあんなににぎわっていた街中が

みんなお店を閉めていてひっそりしている、

というのもお正月の風景でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もっとも今は、わが家の近所の足利の街中は、

中心市街地空洞化によってみんな空き店舗になり、

毎日が元旦のようではあるんですけど・・・・・。

 

 

 

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2019.12.15

忘年会

 朝のニュースでやっていたけれど、

最近は忘年会事情が様変わりしているようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウワサには聞いてはいたが今どきの若者は飲み会がキライらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘年会に出たくない、出ない若者も多いようで、

究極の忘年会として「ソロ忘年会」なんてのも紹介していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまり、お店に一人で行って料理を食べたりお酒を飲んだりすると、

店員さんが盛り上げてくれたりする、というもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おー、理解不能だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘年「会」では無いですね、少なくとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが医局に入って何が楽しみって宴会ですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お花見やら、歓迎会やら、医局旅行やら、

長らく医局のリクリエーション係として、宴会仕切っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、毎年のお楽しみが、忘年会シーズン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 独身のころは大学の医局だけでなく、

あちこちの関連病院の忘年会からも数多くお声がかかり、

週に2回も3回も忘年会。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前橋だけではなく、近隣の都市や、伊香保温泉などの忘年会も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手帳のスケジュールは、びっしり。

時は、もう12月は毎日忘年会出てるか、

または病院で当直やってるか、というような日々でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘年会は医者も、看護師さんも、先輩も、後輩もひたすら飲みまくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飲んで飲んで年を忘れて、ついでに意識も失う、

とうような、研修医の時代、ナツカシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴会の「出し物」のために秋ころからネタを仕込んで、

みんなで衣装を準備したり、練習したり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘年会では若い看護師さんと盛り上がったり、

普段は言えない教授や先輩の先生にタメ口をきいたり、

婦長さんや、看護助手のオバサンとデュエットさせられたり、

印象としては、宴会によって、翌日からの職場の雰囲気が

ぐっと良くなっていたような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近は宴会を「サービス残業」ととらえる若者も多いとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和は遠くなりにけり、ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.11.07

オペの手袋

 外科医は手術の時はラテックス製のいわゆる「ゴム手」をはめます。

ちなみに呼び方は「ゴム手」でも「オペ手袋」でもなく単に「てぶくろ」です。

一個一個滅菌されて包装されており、使い捨てです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滅菌された手袋が2重の紙のパックに入っており、

中の紙は装着時に清潔が保たれるよう特殊な畳み方をしています。

これを開き、自分ではめるわけですが、

手袋も手首のところから折り返しになっており、

一人でも手袋の外側に一切触れずに装着できるようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この畳み方は、メーカーに限らず共通で、

おそらく地球上どこに行ってもオペ用の手袋はこの包装になっているのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外科医はまず医者になると、この手袋の装着法を習います。

ちょっと特殊なはめ方なので、

これが、正しく、スムーズに、はめられない医者は「もぐり」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが最初に勤務した大学病院などでは、

朝9時に各科の手術が一斉に始まりますから、

手洗い場のところに、ずらっと手袋が並べてあり、

それをつけてオペ室に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手袋にはサイズがあり、

6半、7、7半、など自分に合ったサイズを用います。

これが、だぶだぶでは糸結びができません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1年目の研修医のころ、何回目かにオペ室に入ったとき

手袋を準備してくれるオペ室の看護助手のオバサンが、

「あ、センセイはロクハンだったね、そこ置いといたよ。」

と、ワタシの顔と手のサイズを覚えていて、声をかけてくれたときには、

ああ、オレも医者になったなあ、と感激したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院によっては看護師さんが手袋をはめてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが開業前に勤務していた群馬中央総合病院では、

手洗いをしてオペ室に入ると、器械出しの看護師さんが、

手袋をもって広げてくれて、そこに手を突っ込んではめてもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、決まるとカッコいいのですが、

慣れないと、他のところに指が入ったり、

ひとつの穴に指が2本はいったりして、

極めてカッコ悪いことになります。

最初のうちは何回か失敗しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コツは指を広げて一気にツッコむことで、

これがキマると、よっしゃあ、手術やったるぜ、という気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医者になってこのかた、いったい何千回、

この使い捨て手袋をはめたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開業してからは、オペ室は無いが、

鼻内手術や、鼓膜チューブ留置術では、

いまだに手袋をはめて行います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も、午前中に8カ月の男の子の鼓膜チューブ留置術。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手術が終わって、または術野から離れるため手袋をはずすことを

「手をおろす」といいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今も昔も、手術が終わって、手袋を引っ張って、

パチンパチンと外すときの快感は、たぶん外科医にしかわかりませんね。

 

 

 

 

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2019.08.11

ムンテラ

日本は近代医学の多くをドイツから学びましたので、

医療現場で使われる言葉にはドイツ語由来が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは学術用語のみでなくて、

いわゆる俗語、隠語の分野にもいえることです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムカシは患者さんに病状や治療計画を説明することを

「ムンテラ」といいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは和製ドイツ語(?)で

ドイツ語で「口」を意味する「Mund」と。

「治療」を意味する「Therapie」を負わせた造語

「ムントテラピー」の略語です。

もちろん、そんな言葉はドイツ語にはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、医学生時代、紙のテストではなく

教授との面接で行ういわゆる「口頭試問」のことも「ムント」といいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて「ムンテラ」という語は、直訳では「口で治療」ですが、

実際は患者さんに対し、病名、病状や治療方針と、

期待される効果、およびそれに伴う副反応や後遺障害の可能性を説明する、

という意味で使われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教授が担当医に

「今回の手術のムンテラ、患者さんにちゃんといってますか?」

とか、

医者が看護師さんに

「〇〇さんに、ムンテラするのでちょっと呼んでください。」

などと言う感じで使います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが最近は違うらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医者が看護師さんに

「〇〇さんに、ムンテラするのでちょっと呼んでください。」

というと、

「はい、〇〇さんにICですね。」

と返されるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「IC」とは集積回路のことではなく、

まして「イメージ・キャラクター」のことでもなく

「インフォームドコンセント」の略語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1990年ころから使われだした用語で

「説明と同意」と訳される。

医療提供者が治療行為の内容について十分な説明を行い、

受け手がその内容を十分理解したうえで同意を得る、

という一連の手続きを言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムンテラ、という言葉が医者から患者への一方通行的な行為、

また「言い含める」「言いくるめる」といったニュアンスがあるのに対し、

患者側の権利を尊重した形で、

「同意」は医療行為への「許可」だけでなく

「拒否」も含む「合意」と解釈されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

従来の「お医者様に診てもらう」時代から

「医者に診せる」時代になり、

医療訴訟が日常化し、

医療ミスがマスコミの格好の標的になってきた時代の流れでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、良いことだと思いますが、

患者さんとお医者さんの関係が、かつての漠然とした「信用、信頼」から

欧米的な明確な「契約」に基づくものになったということの表れともいえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、耳鼻科医になって5年の研修を受けた後に受験する専門医試験は、

試験と、小論文と口頭試問でしたが、

ワタシが受けたときの小論文の課題が

「耳鼻咽喉科のインフォームドコンセントについて」

でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 計算するとワタシが専門医試験を受けたのが1991年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、恥ずかしながらこのときワタシは

「インフォームドコンセント」なる言葉を知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 困った、と思っていたら、試験開始後まもなく

「皆さん、お困りの方も多いようですので補足しますが、

これは日本語で言うと「説明と同意」という意味です。」

と、試験官の方からの説明がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おそらく、ワタシ以外にも何のことかわからずあせっていた受験者が多かったと見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、中には「やっぱり出たな」などとささやき合っている者もいたので、

情報豊富な都会の大学病院では、試験のヤマだったのかも知れず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、なんとか試験は無事一発で合格できました。

8月の、この時期になると、専門医試験のことが時々思い出されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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