ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2023.12.11

70年前の別府旅行

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続きです。

 

 

記憶の片隅に、たしかワタシの両親が

別府に旅行した写真を見たような覚えがありました。

昔々、まだワタシが生まれる前の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、書庫の奥の方を探って探し当てたアルバムに

やはり、それはありました。

この写真の鬼山地獄はこの間行きました。

ワニがいたところです。

鬼山地獄自体は大正12年開業。

昭和23年にこの鬼が設置されたそうですが、

この写真は昭和30年前後と思われます。

 

 

この鬼ですね。

ビミョーにリニューアルされていますが、座ってる石はたぶん同じ。

少しサイズが小さくなってるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、金龍地獄とある。

調べてみると金龍地獄は2009年に閉業していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父母ともにすでに他界しており、

資料が全くないので分からないのですが、

どうもほかの2組の夫婦と思しき人たちと一緒のようです。

この父(左端)の立ち位置から、

この写真は父の二眼レフに三脚を立ててセルフタイマーで撮ったものでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この人たちの素性は不明。

親戚ではありません。

父の交流は限られていたので、

雰囲気からして別府に学会で行ったお医者さん仲間の可能性が高い。

そういえば、何かリボン風の名札みたいなものを下げています。

定期観光バスの乗員目印としては女性陣がつけていないので、

学会のネームカード的なものと考えると腑に落ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父はかつて群馬大学医学部耳鼻咽喉科学教室で助教授を務めていましたが、

1957年ころ、父(ワタシの祖父)の引退に伴って、

足利に戻って小倉耳鼻咽喉科医院を継承し開業しています。

開業してからは学会とはいえ旅行する余裕はなかったでしょうから、

別府旅行は助教授時代と考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本耳鼻咽喉科学会総会の歴史を紐解くと、

1953年、昭和28年に九州大学の主幹で

福岡市で第54回日本耳鼻咽喉科学会総会が開催されているので、

これである可能性が高い。

ちょうど70年前になるわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この一枚の写真から、

両親は船で別府入りをしていることがわかります。

当時はまだ新幹線もなく、航空便も限られていました。

逆に瀬戸内海を中心に旅客船は旅行の花形でした。

これもセルフタイマーでしょう。

昔のカメラはピントや露出はすべて手動ですから、

そこら辺の人にカメラを渡してとってもらう、

ということはなかったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この写真、拡大すると

デッキ手すりの浮き輪に船名が「NISHIKIMARU」と読めます。

下の隠れてる部分はおそらく「OSAKA」でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこでネットで「錦丸 別府」で検索したところヒットしませんでした。

ふと思いつき「にしき丸」で調べると、

関西汽船のにしき丸」であるとわかりました。

大阪商船で1937年の竣工。1942年より関西汽船に移籍。

戦時中に徴用され、特設運送船籍のまま潜水母艦としても使われたが

無事終戦を迎え、1971年まで別府航路を走ったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらの資料では船名表記は「に志き丸」になっていました。

また、この絵ハガキは、まさに別府湾に入港するに志き丸がデザインされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはおそらく別府湾でしょう。

なんか植えてある樹の雰囲気がちぐはぐな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この写真の場所は不明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 推測される行程としては

おそらく大阪まで東海道線で行き、

阪神~別府の瀬戸内航路で別府入り。

地獄めぐりなど観光をして、福岡に鉄道で行った可能性が高い。

途中、折尾駅のかしわめしを食べたかもしれない。

福岡市の学会とすれば、3組の夫婦の写真は福岡市での撮影か。

学会場や、帰りの写真は全くありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時、父と母は結婚2年目くらい。

新婚旅行は伊香保温泉1泊2日と聞いていますから、

生涯最長の旅行でした。

ワタシが生まれてからも家族で長期の旅行はありませんでしたので。

当時、別府温泉は新婚旅行のメッカだったので、

そんな気分で行ったのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上、小倉家のプチファミリーヒストリーでした。_(._.)_

 

 

 

 

2件のコメント

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  1. こんにちは。調べ物をしていてたまたまこのブログにたどり着きました。大分出身の30代医療従事者です。素敵な写真を拝見させていただきました。私では場所が特定できなかった写真が多かったですが、橋のたもとで撮られた6人の写真は間違いなく太宰府天満宮です。参拝前か後に太宰府名物の梅ヶ枝餅をご両親はお召しになったのではと想像しました。それと下から2番目の写真で、お母様と写っている木はソテツといいまして、昔から九州・沖縄地方に生えている在来種です。南国感を出してますが、お寺で大切に育てられたりすることもあります。戦時中には幹や種を水にさらして毒抜きしてから食用にしていたと聞いたことがあります。(ご存じだったらすみませんでした)

  2. ブルー様
    おお、ありがとうございます。
    なるほど、太宰府天満宮ですか。
    福岡に学会に行ってそこで合流した知り合いの先生方と
    太宰府天満宮に観光に行く、非常にありそうな展開で
    まず、間違いないでしょう。
    ソテツの件も含め、貴重な情報をありがとうございました。
    スッキリした気分です。
    太宰府天満宮にはまだ行ったことがないので、
    今度是非機会をみて訪れたいと思います。
    もちろん目的は同じ場所での写真撮影と梅が枝餅です。(・∀・)

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