ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2021.07.08

マクラーレンM8A

F1もル・マンもインディ500も、WRCも、

昔からずっと続いているモータースポーツ・イベントであるが、

中には一時的に非常に盛り上がったが、

今は存在しないものもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CAN-AMシリーズと聞いても、今の若い人は分からないかと思うが、

1960年代絶大な人気を誇ったモーターレースであった。

正式にはカナディアン‐アメリカン・チャレンジカップ、といい

日本でも「カンナム」の通称で通っていました。

この間作った「シャパラル2E」が戦ったレースイベントです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2シーター、オープンカーのレースで、1966年から1974年までが第一期、

第二期は1977年から1986年まで開催されたようですが、

もっとも人気のあった1967年から1971年あたりが、

ワタシの小学生時代レーシングカー大好きだった時代と同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時代、カンナムを席巻していたのが、マクラーレン。

F1コンストラクタ―のマクラーレンですが、

もともとはブルース・マクラーレンという

ニュージーランド人ドライバーが始めたレーシングチームでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、今回のタミヤ1/18マクラーレンM8A。

作ったのは去年です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年に再版されましたが、もともとは1970年発売のこのキット。

発売時は1000円。

当時小学5年生だったワタシは、1/32や1/24の

100円から500円くらいまでのプラモデルを作っていたので、

この1/18チャレンジャーシリーズは敷居が高く、

手を出せませんでした。

当時はみなモーター内蔵で走らせて楽しむプラモデルでしたので、

電池を入れる場所やスイッチ類もモールドされていますが、

これらのギミックは再版ではすべてオミットされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の自分にとっては、とても完成できないような複雑なキットだったのですが、

今、この歳になってみると、こんなスカスカだったのか、という感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マクラーレンのチームカラーはパパイヤオレンジ。

ワタシにとって「マクラーレン」といえば、ずっと、こちらでした。

その後、1988年からのマクラーレン・ホンダの時代になって、

やっと赤白マルボロカラーのイメージになるのですが・・・。

ということで、オレンジを塗ってみますが・・・・・

うーん、なんか頭にあるイメージと違うなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、イエローを増量して再調整。

うーん、こんなもんかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するにパパイヤオレンジは、オレンジではなく、むしろ黄色であった。

黄色といっても総武線の黄色ではなく、銀座線の黄色ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、完成。

素組みというのもあるが、なんだかやたらあっさり完成してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チーム・オーナーのブルース・マクラーレンが、自らハンドルを握っていました。

ニュージーランド出身の彼にちなんでチームのシンボルマークは「キウイ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともとはモーターで走るキットなので、無人車が走ってはおかしいというわけで

ドライバーの人形が付属しています。

つまり、このヒトがブルース・マクラーレンさんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呼んだー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首は真鍮線を入れているのでクルクル回ります。

わき見運転は、イケマセン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時期、オープン2シーターのカンナムスタイルは日本でもブームで、

1968年の第5回日本グランプリではニッサンR381とトヨタ7という

ワークスのオープン2シーターマシンがエントリーされた。

優勝したニッサンR381は、

当初は屋根のあるスポーツプロトタイプでプレスリリースされたが、

本番ではオープン2シーター仕様になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このブルース・マクラーレン氏は1970年テスト中の事故で帰らぬ人となる。

わき見運転が原因ではないはずだが、

この時代、レーシング・ドライバーの事故死は非常に多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本でも同じようなオープン2シーターである

トヨタ7のテストをしていた福沢幸男、河合稔の2名が相次いで事故死。

1969年に亡くなった福沢幸男氏の恋人は小川知子さん、

1970年に亡くなった河合稔氏の奥様は半年前に結婚したばかりの

「オー!モーレツ」の丸善石油のCMで有名だった小川ローザさんだった。

 

 

 

 

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2021.07.04

1/24 ローラT-70

ユニオン1/25のクラシック・レーシングカーの第3弾は

ローラT-70。

「ローラカーズ」の歴史は長いが、

フォードやフェラーリ、ポルシェなどのメーカーではなく

基本的にはシャシー・コンストラクターです。

F1や各カテゴリーのフォーミュラ、スポーツカーレースに

数多くのクルマを提供、

1967年第1期ホンダF1の2勝目を挙げたRA-300も

エンジンはホンダ製だがシャシーはローラがその基本を担当しており

Honda+LolaでHondola(ホンド―ラ)とも呼ばれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最上級者向け、同じ内装です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしのチューブ入り接着剤が入っていますが、

モチロン使えません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完成。

実車は1965年に発表されたオープン2座席スポーツカー。

1966年に初代Can-Amチャンピオンを獲得とありますが、

カンナムの記事はあまり当時紹介されていなかったので

当時のこのクルマの活躍をワタシは知りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、空力デバイスのいっさいない

これぞレーシング・カーというスパルタンなスタイル、

いいですねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストライプのデカールが、

フロントの部分がエアインテークの上方だけだったのですが、

実車写真からは口を取り囲むようなデザインだったので、

下半分は塗装で追加しました。

ちょっと曲線のカーブが不連続。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドライバーはシャパラル2Eと「同じ人」ですが、

レーシングスーツの色とヘルメットのバイザーの色を変えております。

ゼッケンはちゃんと4枚分ありました。

こうして見るとアルミのドカ弁風だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メタリックブルーもクラシカルアメリカンな感じがして似合っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても平らなクルマだこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのクルマは、あののちにルマンを征する

フォードGTのベースになったクルマだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、ルーフがついてクローズドボディになった

ローラT70Mk.Ⅲはのちにタキレーシングチームによって日本に輸入され、

1968年の日本グランプリを戦います。

そのマシンはタミヤから1/12ビッグスケールでモデル化されてますので、

そのうち作ります。

(キットはもう20年近く押し入れに眠っています。)(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.07.03

1/25フォードGTマークⅣ

そんなそんなわけで、マニア、上級者限定キット第2弾。

フォードGT Mk.Ⅳは1967年のルマン優勝マシン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おそらくオリジナルはシャパラル2Eと同時期同メーカーでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じく厳重な包装。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はフォードGT40Mk.Ⅱはフジミから1/24のキットが出ていて

1966年のルマン優勝車はもちろん、他のゼッケンのルマン出場車のほか、

デイトナ、セブリング、モンツァ1000km等

当時のほかの耐久レースの出場車も、

そして、その後プライベーターとしてルマンを征した

1968年、1969年のキットも出てるんですが、

この1967年のマークⅣは、これがおそらく唯一のキット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 細かいディティールアップはしませんが、

フロントカウルのフィンはいかにも厚いので

薄くしておきます。

元は左の厚さ、右は削って薄くしたところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッドライトもメッキの無垢なので、

削り落とします。

ここにメタルテープを貼り、

その上に適当な透明パーツで作ったレンズを載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出来上がり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、完成ですが、一番苦労した点はデカール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼッケンナンバーはこの時代

両サイドとボディ上部2か所の計4か所にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、キットには3枚分しか用意が無く、

完成写真でも後ろのゼッケンはありません。

これは明らかにミスです。

タミヤあたりならアフターサービスパーツを取り寄せるところですが、

この場合はそうはいきません。

もっともタミヤならそんなミスはないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、これは白デカールにコピーして自作しました。

メンドクサイったら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、当時はビミョーと思ったこのMk.Ⅳのスタイリング。

なんか今見るとすごくカッコイイ。

バックミラーの位置が左右で違うのもユニーク。

当時のルマンは2人交替制で、

優勝ドライバーはダン・ガーニー/A.J.フォイト組でした。

ともにアメリカ人で、

アメリカ人がアメリカ車でルマンで優勝したのはこれが最初で、

たぶんその後も無いのではないか。

デカールは透けるのでゼッケンデカールは

下にホワイトデカールを切って2重にしてますが、

ストライプデカールはそのままなので透けている。💦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーフのでっぱりはドライバーの一人ダン・ガーニーがデカいので

その頭の分だけ屋根が出っ張っているという、

いわゆる「ガーニー・バブル」と呼ばれるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにダン・ガーニーはこのレースで優勝して

その時の表彰台でシャンパンを振りまいたのだが、

これがスポーツ史における

シャンパンファイトの始まりだそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この1967年の優勝以後、

レギュレーションの変更によりマークⅣはルマンには出られないことになり

フォードワークスもルマンを撤退しました。

フェラーリも同時に撤退し、

このあと数年のプライベーターの時代を経て

1970年代からのポルシェの黄金時代が到来するのです。

さあ、このユニオン1/25シリーズ、

残る1個はローラT-70  。

 

 

 

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2021.06.29

テキサスの怪鳥~シャパラル2E

 ネタ無くなるとプラモデルの話ですが。

この間、つくったのはコレ。

ユニオンモデルの1/25シャパラル2E。

ワタシの少年時代のお気に入りのクルマ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのユニオンモデルは今はプラモデルを作っていませんが、

この金型はもともとアメリカのIMCというメーカーのキットらしい。

カーモデルのスタンダードスケールは国際的に1/24だが、

アメリカ合衆国だけは何故か1/25というスケールがメジャーです。

パッケージにはこのような脅し文句が書かれており、

マニアまたは工作技術のある15歳以上限定。(笑)

年齢は4倍以上なので楽勝、

工作技術はともかく

マニアかと尋ねられば、まあ、そうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、これは中箱で、

その外側には高級チョコレートのような外箱があります。

ここにも「最上級者向」の文字が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、中箱を開けると、さらに内箱が。

マトリョーシカかっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その中にはこのようなバリ多めのパーツ。

1980年ころの再販だが、オリジナルはおそらく55年くらい前のキット。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最上級者向けというのは、

細かいわりにパーツの精度が悪く、

金型の劣化からバリが多く組み立てにくいので、

クレーム防止のための措置と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイドのメッシュパネルを開口するのには、

たしかに手間がかかりましたが。

このようにドリルで穴をあけ、切り取って整形し、

そのあと、他のプラモデルで余った手持ちのメッシュを貼ります。

まあ、黒く塗っとくだけでもいいんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、完成。

おー、カッコイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャパラル2Eは、実は初めて

このハイウイングを搭載したレーシングカー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャパラルとはアメリカのジム・ホールさんというヒトが

個人で立ち上げたプライベートチームで、

ウイングによるダウンフォースを

初めてレーシングカーに持ち込みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャパラル2から、2B、2Cとマシンを開発し、

2Eから、このあと2F、2G、2H、2Jとユニークなクルマを開発、

そして自らドライブしました。

このマシンは1966年。ワタシ小学1年生でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このシム・ホールさんはテキサスの石油王で、

その莫大な資産を道楽であるモータースポーツに投入。

アメリカのレースを席巻し、

同じ1966年、クローズドルーフのシャパラル2Dと、

翌年のシャパラル2Fでルマンに乗りこみましたが、

ルマンではスピードでは圧倒しましたもののリタイアに終わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学生の頃「テキサスの怪鳥」という、

ジム・ホールの読み物を少年雑誌で読んで熱中しました。

あれ、ピンボケ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時は「チャパラル」と呼ばれていたので、

ワタシなどはそっちの呼び方の方が馴染みがありますが、

「Chaparral」とははアメリカ南西部に生息する

カッコウ科の鳥(日本語名ミチバシリ)のことであり、

2本足で荒野を疾走することから

アメリカでは「ロードランナー」とも呼ばれるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このウイングは、角度を運転席から変えることができ、

直線では平らにして抵抗を減らし、

コーナーではウイングを立てて

ダウンフォースを増やすことが出来ます。

そのため「エアブレーキ」という言い方もされていました。

このメカが小学生のワタシの心をわしづかみにしちゃいました。

その当時の読み物で、

チャパラルはこのウイングを油圧で動かしていると書いてありましたが、

その時はよくわからず、

中学校でパスカルの原理を学んだ時、

あーチャパラルのウイングはこれだったかと瞬間的に理解できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのユニオンモデルの古いキットのシリーズ、

ヤフオクで入手し、相次いで作りましたんで

追ってご紹介します。

 

 

 

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2021.04.22

中古車価格

 ワタシの乗ってるホンダS2000というクルマは

6速マニュアルです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妻が運転免許を取った時は

まだオートマ限定という制度はなかったので

彼女の持ってる運転免許はオートマ限定ではありませんが、

マニュアル車は絶対運転しません。

たぶん、もうできないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まではクルマの保険は

運転者限定は夫婦限定までしかなかったのですが、

今度新たに所有者1人だけ限定、

という設定ができたので、

それにすれば保険料がちょっと安くなります、

とクルマ屋さんから連絡がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、もう15年も乗ってるので

保険で補償される車両価格は90万そこそこらしいけど、

ホンダS2000は絶版スポーツカーで、

中古車市場では結構いい値段で取引されてるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネットで相場を調べると状態にもよるが

300万円から650万円までの値がついております。

買った値段より高くなる場合もあるわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレのクルマがいくらで売れるかわからないけど、

無事故だし、禁煙車だし、ワンオーナー車で、

ずっとシャッター付きガレージ保管なのでボディの痛みもなく、

走行距離も年式からはかなり少ないので、

けっこういい値段で売れるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、今のところ売る気はないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このクルマを買うときに、妻に猛反対され、

数年かかって説得した経緯があります。

毎月ちょっとずつ積み立てをして資金を蓄え、

最終的にはイヌを飼うこととの交換条件でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、妻に、

ムダ使いでは無かったぜと言う思いを込めて、

「そんなわけなので、もしオレが急死したら

S2000を売れば葬式代くらいでるぜ。」

と話しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると、彼女が言うには、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「でも、S2000で事故って死んじゃった場合、

その計画は成立しないので、それだけはやめてね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 な、なんと、縁起でもない。(;゚Д゚)

そりゃ、たしかにそうだけど・・・・・

 

 

 

 

 

2件のコメント
2021.01.27

ロータス49B&49C:エブロ1/20

 年末の休みから、お正月にかけて作っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この間日曜日にようやく完成。

こちらがロータス49Bフォード。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして同時に制作進行したロータス49Cフォード。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1968年に登場したのこのロータス49Bは

初めてナショナルカラーではなくスポンサーカラーをまとったマシン。

シーズン途中から特徴的なハイウイングを採用し、

グラハム・ヒルにチャンピオンをもたらしました。

このモデルは1969年ブランズハッチで行われた

レース・オブ・チャンピンズの仕様らしい。

レース・オブ・チャンピオンズとは

イギリスの新聞社デイリーメイルがスポーンサーとなって

当時行われていた

F1チャンピオンシップに属さない

レースイベントだったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラハム・ヒルは昨年のチャンピオンナンバー1をつけています。

このレースでポールをとり、決勝は2位でフィニッシュしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらはずっと前に作りましたタミヤの1/12。

1968年仕様でゼッケンは10。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、このハイウイングのロータス49Bは

ワタシの最も好きなF1マシンのひとつです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前作ったロータス49の改良版ですが、

カラーリングとウイングで全く印象が変わります。

フロントノーズの大きく抉れたエアエスケイプも特徴です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしのこのハイウングは

サスペンションのアップライトにマウントされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイヤに直接荷重をかけることができるいっぽう、

路面の凹凸に応じて動く部分ですから、

容易に想像できることですが、

走行中に破損して脱落する事故が相次ぎ、

1969年半ばでハイマウントウイングはFIAの規定により禁止になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はロータス49Bには前輪のサスペンションにもハイマウントウイングを立てた

「複葉機」型が存在し、いつか作ってみたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シートベルトはキットではデカールでしたが、

布のリボンを切って自作しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして1970年に投入されたロータス49Cは、

1969年後半からのローウイング仕様を踏襲しモディファイしています。

また、だいぶ印象が変わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 より、スパルタンな印象ですが、

何となく、アメリカンな感じがすのはナゼでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フロントノーズに小さなエアスポイラーと

エアアウトレットのあいだにエアスクープバルジがつかされています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドライバーは前年から頭角を現してきたヨッヘン・リント。

この年、ロータスを離れたグラハム・ヒルに代わってエース・ドライバーになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この年、リントは圧倒的な速さを見せ、

このロータス49Cでこの年のモナコGPを征します。

このモデルは、そのモナコGP仕様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、シーズン途中から投入されたニューマシンロータス72で4連勝します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにそのロータス72はコレです。

数年前に同じエブロの1/20でつくってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葉巻型からクサビ型への転換点となった

これもエポックメイキングなマシンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは1970年の第8戦ドイツGP仕様、

ヨッヘン・リントの最後の優勝を記録したマシンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポイントリーダーとしてチャンピオンシップを独走するリントでしたが、

シーズン10戦目のイタリアGPの予選中、

彼の乗るロータス72は高速カーブ「パラボリカ」で突然姿勢を乱し、

ガードレールに激突。

ドライバーのヨッヘン・リントは即死、28歳でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、シーズンは全13戦で行われていたが、

全13戦終了時点でヨッヘン・リントのポイントを上回るものがなかったため、

彼にワールドチャンピオンの栄光が与えられました。

リントは現在までで唯一、

死後ワールドチャンピオンを獲得したドライバーとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨッヘン・リントは妻にチャンピオンになったら引退すると約束していたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤白金でめでたいからお正月向きだなあ、

と思って製作しましたが、

グラハム・ヒルの移籍は、このクルマでの事故による怪我が原因だし、

ヨッヘン・リントの件も考えるとそんなにめでたい車ではない?

でも、まあ2人にそれぞれチャンピオンをもたらした車ではあります。

 

 

 

 

 さて、今年は何台完成させることができるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021.01.02

2021年AUTOCOURSEカレンダー

 昨年暮れ、2020年が終わるギリギリに届いた荷物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 毎年購入するAUTOCOURSEのグランプリカレンダー、

注文したのは11月初旬だが配達日が2回3回と遅延になり

やっとギリギリ年内に届きました。

今回はF1グランプリ70周年記念としてアニバーサリー・エディションとあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パッとめくるといきなりクラシカルなマシン。

これはワタシもなじみがないフロントエンジンのF1。

そうか、このドライバーはスターリング・モス。

無冠の帝王と呼ばれた彼は昨年4月に90歳で亡くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月は現役ドライバーのランス・ストロールのレーシングポイントを挟んで、

3月はフライングスコットこと天才ジム・クラークでした。

1968年にF2のレースで32歳で事故死。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月の次4月は、レッドブル・ホンダに久々の優勝をもたらした

マックス・フェルスタッペン。

ホンダの来季限りでの撤退は誠に残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして5月はやはり昨年5月に70歳で亡くなったニキ・ラウダの

フェラーリ312T2。

1976,1977年のコンストラクタ―ズタイトルをとったマシンであり、

1976年の第10戦ドイツGPで、

このマシンのクラッシュでラウダは瀕死の重傷を負った。

しかしこの写真はゼッケンが11。

1976年は前年チャンピオンのラウダはカーナンバー1をつけていたので、

この写真は1977年のものと思われる。

この年からフィアットのロゴが入ったのも鑑別点。

この年ラウダは2回目のワールドチャンピオンになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6月はまた現役のルイス・ハミルトン。

今期4年連続7回目のワールドチャンピオンに輝きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月はアラン・ジョーンズ。

このヒトも昨年死んだのかと思ったが、まだ生きてます。

このチョイスは、昨年チームを売却したウイリアムズに

初めてチャンピオンをもたらしたのが彼であったからであろう。

1980年のことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月はキミ・ライコネン、そして9月は

1994年5月にイモラで亡くなったアイルトン・セナ。

このレースは当時病院で当直中のテレビで見てショックでした。

写真は彼が栄光を手にしたマクラーレン・ホンダではなく、

最期のマシンとなったウイリアムズFW16。

セナはこのマシンで3回しか出走していないが、

ひょっとして、亡くなる直前のショットなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月は現役のシャルル・ルクレールのフェラーリ。

で、10月は、このジェンソン・バトン。

これは2009年にチャンピオンをとったブラウンのマシンであるが、

実はこのマシン、前年までで撤退したホンダが作ったマシンで、

本来であればホンダRA109になるはずであった、

ホンダファンにとっては複雑な1台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後12月が現役のマクラーレンのランド・ノリスですが、

こうしてみると今のF1マシンがワタシの眼にはグロテスクで

皆同じ形でカラーリング以外では区別できないのに比べて

ムカシのF1マシンはユニークでカッコよかったなーと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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2020.11.02

1/24 ポルシェ917K

 9月に予告した「ポルシェ917K」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完成しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はこのガルフカラーが難しくて、

何回塗り替えたことやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、こうして写真に撮ると

また違った色にうつっちゃうんですね。

このショットの色が一番、完成品に近いかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、全体を撮るとずっと濃い色に見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポルシェ917は以前にも書いたとおり、

ポルシェがルマンのタイトルを取りに来たマシン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1969年高速用のウイング付きロングテールモデル

(917LH;ラングヘック)をルマンに投入したが

1970年テールを切り詰め、リアを跳ね上げて

ボディ全体でダウンフォースを得るスタイルにした917K

(Kはドイツ語で短いという意味のkurz)で念願のルマン総合優勝をモノにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし優勝したのはザルツブルクカラーのマシンであり、

このセミワークスのガルフチームは

映画では優勝するが、実戦ではリタイアしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌1971年にはマルティニカラーのこの917K22号車がポルシェとして2連覇を達成。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1970年モデルに比べてリアのバーチカルフィンが特徴。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、翌1972年にはレギュレーションの変更により

ルマンに参加できなくなり、活動の場をアメリカにうつす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシ的にはシルエット・フォーミュラはあまり好きでないので、

このポルシェ917Kまでが、いわゆるレースカーのイメージを持ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はフジミの917K、出来が良いのでバリエーションキットを

買いそろえてしまった。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー、何やってんだ、オレ。(>_<)

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.10.30

1/16 ニッサンR380Ⅱ

 先日ポルシェカレラ6を完成させましたが

やはり、並べて楽しむのがプラモデルの醍醐味。

日本グランプリでのライバル「ニッサンR-380Ⅱ」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前も書きましたが、

実は1/16のキットをやはりオークションで入手済み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはフジミ社から発売されていますが、

元の金型は大滝製作所から1968年ころ発売されたものです。

オータキも前身は戦前からあるメーカーらしいですけど、

1980年代に倒産、その金型は複数のメーカーにわたったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネットに当時のカタログがありました。

 

しかし、車種の選択の基準がワカリマセンな。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1/16といっても古(いにしえ)のキットなのでスカスカ。

この間組んだ同時期の今井科学の方がやはり数段すぐれていた印象。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フジミの組み立て説明書。

このキットはもともと矢田部のサーキットで数々の国際記録を樹立した

上が赤、下がシロの車体をキット化したものらしく、

それに1967年日本グランプリのデカールを追加して

バリエーションキットとして発売したものらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは仮組みして下地。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グンゼのハーマンレッドでスプレー。

全部赤なのでラク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、デカールをまず一個貼ってみましたが

そこで重大な事実が判明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも日本グランプリ出場車は左右前後に計4つのゼッケンナンバーがあったようですが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんと、キットには3枚分しかない。

フジミ、他社の金型、バリエーションキットとしてもリサーチ甘すぎ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕方なく、コピーして自作。

貼ってみると白の色目が違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕方なく、キットのデカールをはがして、4枚とも新調しました。

 デカール生きてて、良かったと思ったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これでヨシ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろいろあったが完成。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドアも開きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先代のプリンスR-380 のボディデザインはポルシェ904のコピーであったが、

これはまさにガルウイングドアまでポルシェカレラ6のコピーですね。

しかも、かなりブサイクなコピー。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンルームも開きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンヘッドには「PRINCE」の文字が。

このクルマはニッサンですが、

この前年、日産はプリンス自動車をそのレース部分ごと合併吸収、

なので、このクルマは実はほぼプリンス製なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前も開きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、たいしたモノは入ってない。(≧◇≦)

ポルシェカレラ6ではスペアタイヤが入っていましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうもこのキットは実車に比べてノーズ部分がやや寸詰まりのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でもここを延ばすのは大工事なので。

しかも、あまり思い入れのないクルマなので・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、ワタシの中では

ポルシェカレラ6に対する敵役というかやられメカというか・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 国産マシンなんだけど、ポルシェの方がカッコイイし早いし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この角度から見ると、それなりに雰囲気があります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、このカエルみたいなデザインは、

カッコイイとは思えませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このポルシェカレラ6に及ばず2位位に甘んじた日産自動車は

翌年、ニューマシンR381で念願の日本グランプリ優勝を果たすのですが、

その話は、また、後日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.09.20

秋のル・マン

 例年であれば夏至に最も近い土日に行われるのが、

伝統のル・マン24時間レース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新型コロナウイルスの影響で2020年のルマンは、

9月19-20日に開催。

昼と夜の長さが同じ秋分の日に行われた、ということは、

1923年に初開催され100年近い歴史を持つこのモーターイベント史上、

もっとも夜の長いレースであった、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スカパーのJスポーツで生中継されますが、

加入していないため、見られません。

だが、海外のインターネットでライブ配信してたので、

見られました。

フランス語だったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果はトヨタの3連勝。

他にワークスの参戦はないし、

トップのLAMP1クラスにはトヨタ2台と、

プライベータ―のレべリオンが2台の計4台と、

まったく面白みのないものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予選トップでレースもリードしていた、

8号車がトラブルで30分のピット作業を要したため、

優勝はトヨタ7号車、2位に5ラップ遅れでレべリオンが入り、

3位にはもう1台のレべリオンのアクシデントで、これをかわした

小林可夢偉のトヨタ8号車が、2位から1周回遅れで滑り込んだ。

トヨタ的には中嶋一貴に続いて

小林可夢偉に1位をとらせたかったところだったでしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、このスイスのプライベーター、レべリオンも今期で撤退だそうで、

来年からはまた新たなレギュレーションになるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんな「ル・マンな週末」に作っていたのはコイツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 知ってるヒトは、あっと膝を叩くことでしょう。

このクルマです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1971年公開の映画「栄光のルマン」で、

スティーブ・マックウィーンが主人公のマイケル・ディレイニー役でドライブした

ガルフカラーのカーナンバー20番です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時小学6年生だったワタシは、

そのころはちょっとレーシングカーから離れていました。

そのころは静岡県の模型メーカーが4社共同で展開した

1/700の軍用艦のウォーターラインシリーズに

ハマっていたころだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この映画の予告を見たとき一番驚いたのは、

主人公のクルマがポルシェだったことです。

ル・マンの主役がポルシェ??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが最もル・マンに興味のあった1966、7年は

映画「フォードvsフェラーリ」でも描かれたように

フォードとフェラーリの対決でした。

その後、1967年の2連勝後、

排気量規制の新レギュレーションにより

ワークスフォードは撤退しますが、

1968年と69年はプライベーターの

ガルフフォードがまた2連勝します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 のちに耐久王としてルマンを席巻するポルシェですが、

このころはまったく脇役。

特に1966、7年は4~7リッターの大排気量マシンの中にあって

2リッターの906(カレラ6),910(カレラ10)は

まったく手も足も出ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、フォードの完全撤退を受けて

ニューマシン、917で勝ちに来たのが1970年だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新レギュレーションを受けて4.5リッターのこの917を

大量に持ち込んだポルシェはフェラーリを破り

悲願の総合優勝を手にします。

フェラーリは新マシン512Sを投入しましたが、

ほとんど歯が立ちませんでした。

このフェラーリ512Sはフェラーリらしからぬブサイクなマシンだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この年のル・マンの実際のレース模様を多量に取り込んだ映画が、

この「栄光のル・マン」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 映画のストーリーはフィクションで、

実際に優勝したのは、同じポルシェでも

ザルツブルクカラーのマシンでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガルフカラーの20号車はポルシェのエースでしたが

ガルフポルシェは実戦では全車リタイアしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 917は、このガルフカラーが一番カッコイイ。

製作記事はのちほど。

 

 

 

 

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医療系をまとめました。
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