ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.07.02

フェラーリ312T5

 昨日、いきなり完成しちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6月14日に手を付けて以来、わずか2週間ちょっと。

これは、異例の速さといえよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この速さの要因は

①コロナウイルスの影響で仕事もヒマ、

ライブもサッカーもなく作業時間が豊富にとれる

②組みにくいプロターのキットもクセがわかって慣れてきた

③カウルに覆われる部分、完成後見えなくなる部分の手抜き工作

④高温多湿なのでスプレー塗装が楽

⑤ドライデカールなので貼りにくいかわりに、乾燥時間を見なくてもいい

⑥途中中断すると、そのままやる気がなくなり

完成しなくなるかもという強迫観念で、一気呵成に取り組んだ。

などの外因性、内因性の要因が共に働いた、と考えております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、フェラーリのF1史上、最も遅かったマシンが、

1/12スケールF1としては最速で完成しました。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてみると、312シリーズの最終進化形だけあって、

直線的なデザインはわりとカッコイイかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタイル的には312T4と同じ、カメの子型。

312TシリーズはT3まではほぼフルカウルだが

T4からはエンジンの後半部トランスミッション部がむき出しになっています。

 

 

 参考312T3。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プロターのキットは例によってカウルの合いは相変わらず悪いので、

なんとかビスで止めたあとは、もう再び開ける気はしませんが、

蓋を閉める前はこんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裸の状態はこんなです。

この時代のF1はアルミ製の弁当箱。

こりゃあ、クラッシュしたら死にます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンのパイピングもだいぶ適当です。

ごちゃごちゃ感が出ればいいかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シートベルトは、布製です。

説明書では針で縫えとの指示ですが、メンドクサイので、

ビニール系接着剤で仕上げました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドライデカールも布シートベルトになんとか貼ることができ、

なかなかいい感じに仕上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回のキットの白眉は、この部品。

これは、一種の「治具」で、付属の金網をこれで挟んで、

エアファンネルができる、ってやつです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまでプロターのキットは、

エアファンネルをペンの蓋みたいなやつで押して作れ、

というのもので、大変苦労したのですが、

これがあれば12気筒だろうと簡単に量産可能。

もっと、早く入れてほしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーナンバー1は、前年1979年のチャンピオン、

ジョディ・シェクターだが、

ここはやはりF1界の悲劇のヒーロー、

カーナンバー2のジル・ヴィルヌーヴ仕様にするモデラ―がほとんどかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抜群の速さとスター性を持ったジル・ヴィルヌーヴは

1979年にはチャンピオンになる可能性があったが、

チームオーダーをまもり年間2位。

その後も、マシンの不調に泣いたが、

傑作マシン126C2を得た1982年、

チャンピオン獲得の可能性は高かったが、

ベルギーGPで事故死する。

このゼッケンナンバー2は、

彼が生涯最高ランキングの2位を1979年に記録した証なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1975年にデビューした312Tシリーズは

時代の流れの中で先代のT4から、ボディ下面の気流でダウンフォースを得る

いわゆるウイングカーになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし1970年以来の水平対向12気筒エンジンは

パワーもあり車高は低く抑えられるが、

車体の下部分に突出するエンジンの幅が広いため

ウイングカーとしてはベンチュリ―効果が十分に得られないため、

このマシンをもってフェラーリは12気筒水平対向エンジンに見切りをつけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、これで312Tシリーズは1/12スケールで1~5までコンプリート。

(312T、T4はタミヤ製、T2,T3,T5はプロター製) 

この勢いで、あの難物に挑んでみるか。

 

 

 

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2020.06.15

ネクスト

 さて、お正月のフェラーリ641/2、予定より2週間遅れの「納車」となったため、

先に述べたように、これでタミヤ1/12のF1はコンプリート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、スポーツカーモデルのストックやバリエーションキット、

そして、「難物」のプロター社のF1モデルのストックを合わせると、

まだ10台以上の在庫があり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 救い(?)は、タミヤの1/12F1モデルが、もうしばらく新作が発売されていないこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この間完成したフェラーリ641/2は1991年発売。

時のF1ブームに乗って、10年ぶりに1/12のF1マシンがプラモデル化されました。

金属製のサスペンション・アームやビスを多用した新世代の設計で、

精密でかつ作りやすいと絶賛されました。

実際に作っていて実に楽しいキットだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この流れで翌1992年に

アイルトン・セナ最後のチャンピオン・マシン、マクラーレン・ホンダMP4/6、

そして1993年12月にナイジェル・マンセルが圧倒的な強さでチャンピオンを手にした

ウイリアムズ・ルノーFW14Bが、1年ごとに発売されましたが、

このウイリアムズ・ルノーを最後に、1/12のF1はモデル化されていません。

もう26年以上、ニューキットの発売がない、ということになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、1990年のフェラーリ641/2、

1991年のマクラーレンMP4/6、

1992年のウイリアムズFW14B、

この3台、今振り返っても、歴史に残る名マシンで、

この前後10年のF1はこの3台で必要十分じゃないかな、という絶妙なチョイスです。

あえて、追加するのなら1988年に年間16戦中15勝を挙げた

マクラーレン・ホンダMP4/4 をいれるか、というところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の長いブランクがあるわけですが、

ただ、最近のF1マシンはどうもごてごてして、

オジサンモデラー的には食指が動きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、次はコレかな。

フェラーリ歴代のマシンの中でも超失敗作といわれた

「フェラーリ312T5」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1979年312T4で6勝を挙げ、

ドライバーズとコンストラクタ―ズのダブルタイトルをとったフェラーリは

ドライバーズ・チャンピオンのジョディ・シェクターと、

ポイント2位のジル・ヴィルヌ―ヴがそのまま1980年シーズンを戦ったが、

このニューマシン、312T5の出来があまりにひどかったため、

なんとシーズン未勝利に終わってしまった。

1979年の年間ポイントが113だったのに対し、

1980年はわずか8ポイントで、コンストラクタ―ズランキングは10位に沈み、

前年チャンピオンのジョディ・シェクターは

シーズン通じてわずか2ポイントしか取れず、

そのまま引退、という有様であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで、こんなマシンがキット化されているのか疑問である。

しかもキットは作りにくさでは定評のあるイタリア、プロター社製。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作りにくい上に、全く思い入れのないマシンとあって、

この半年間、眺めていたが、コロナ騒動で時間のある割には

一向に食指が動かず・・・。(ーー;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、ここにきて、ようやく着工。

昨日、パーツを中性洗剤で洗いました。

出来上がりはやっつけ仕事でソッコーででっちあげるか、

はたまたまた途中でモチベーションが切れて、

しばらく、お蔵入りになるか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても、先週末に今年の日本グランプリ中止が発表され、

昨年の台風直撃に続き2年連続鈴鹿詣でができず、残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラモデルを作りビデオを見て

何とか、来年の秋を待ちましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020.02.11

フォードvsフェラーリ

先週の水曜日は映画を見てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どれでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コレです。(寅さんじゃないよ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、こんな記事を書いたワタシとしては、

公開前から楽しみにしていましたが、

やっと見られました。

シニアなので、1100円。

今回は、身分証の提出を求められなかった・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非常に面白かったのですが、

予想と違った点がいくつかありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このドラマは史実に忠実に作られていますが、

フォード対フェラーリの

メーカー対決がメインではなく、

キャロル・シェルビーとケン・マイルズという

2人のフォードGTの勝利に賭けた男たちの物語であり、

どちらかといえば、ケン・マイルズが主です。

だが、そもそも、ワタシはそもそも、

ケン・マイルズというドライバーを知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシが知っていたことは

①フォードは若者に対するクルマの販売を強化するため、

モータースポーツ界に打って出た

②特にスポーツカーレースの頂点ともいえる

ル・マン24時間レースの制覇を狙った。

③そのル・マンで4連覇中のフェラーリを買収して手っ取り早く

目的を達成しようとした。

④だが、フェラーリに断られ、独自にスポーツカーを開発

⑤当初は歯が立たなかったが、3年目の1966年のルマンで

フォードGT40Mk.Ⅱが1~3位を独占した。

⑥翌1967年のデイトナ24時間では、フェラーリ330P4が1~3位を独占。

⑦同じ年のル・マンではフォードGT40Mk.Ⅳが優勝、

フェラーリが、2位、3位であった。

 

といったところ。

これらは当時読んでいた、少年雑誌の記事から学んだことです。

1967年のデイトナについては以前書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、以前のブログにも登場していますが、

今も手元に当時ワタシがつくったスクラップブックがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、この記事は1967年のル・マン。

当時小学2年生。

要するにワタシがリアルタイムで知っているのは

1967年以降のモータースポーツ界なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、1966年のル・マン優勝車が、

クリス・エイモン/ブルース・マクラーレンの運転する

ゼッケン2番の黒いマークⅡだったこと、は知っているので、

映画でトップを走るゼッケン1番のケン・マイルズのマシンに

いつトラブルが起こるか、事故なのか、故障なのか、

そればかり気になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさかチーム・オーダーで同時フィニッシュさせ、

スタート位置の関係でケン・マイルズの優勝が無くなった、

などということは知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ケン・マイルズはル・マンから2か月後、

ニューマシンのテスト中に事故死してしまいます。

映画ではそこまでが描かれています。

上にあげた⑤と⑥の間、というところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、ワタシがモータースポーツに興味を持ったときには、

もうすでにこの世にいなかった、

だから、ワタシは知らなかったわけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだったのかー。

52年目にして知った衝撃の事実に、動揺を隠せません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、以前1966年のル・マン優勝車のプラモデルは以前作ったのですが、

この、ケン・マイルズの「事実上の優勝車」はキットがあるのは知っていましたが、

持っていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急に、作りたくなり調べてみるとキットが絶版。

ヤフオクでは、映画公開前までは1000円程度だった中古品が、

オドロキの6000円~10000円で出品されています。(@_@。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1966年ル・マン出場車なら、

以前買ったこの手持ちの新品のキットがあるので、

これでも作ってみますか。

定価2400円、おそらく2000円弱で数年前に入手。

またこのキットから、ケン・マイルズ仕様に仕上げることもおそらく簡単にできますが、

カラーリングはこっちの方がカッコイイからどうしようか。

 

 

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2020.02.03

フェラーリ641/2

昨年末から作っていたとお話した「フェラーリ641/2」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年中の完成を目指していたのですが、

年末忙しくなかなか進まず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

完成後全く見えなくなっちゃうので、

エンジンなどもまったく「素組み」なんですが、

なかなか手が付けられませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/12は、デカいので作業台いっぱいになってしまう・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正月休みの集中工事で半月遅れの1月半ばに完成しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このモデル、10年ぶりのタミヤ1/12ビッグスケールシリーズとして、

1991年発売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時はギリギリ、タバコデカールがキットについていた時代でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは1990年のマシンの1年遅れのモデル化ですが、

前年の1989年、マクラーレン・ホンダのチームメイト同士だった、

アラン・プロストとアイルトン・セナの日本グランプリでのシケインの接触事故により、

アラン・プロストがチャンピオンを獲得。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アラン・プロストのマクラーレンからフェラーリへの移籍により、

チャンピオンナンバーのゼッケン1はこのフェラーリにつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このフェラーリ641/2は、前年F1を戦った、

天才ゴードン・マーレーが設計した画期的マシン、フェラーリ640の正常進化形であり、

フェラーリのF1の歴史の中でも1,2を争う傑作マシンである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高いサイドポンツーンと、インダクションポッドは、

1989年からターボ禁止になったこのフェラーリのV12エンジンのためのもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1990年当時はまだホンダはV10だったが、

1991年のV12搭載のマクラーレン・ホンダMP4/6には、

多分にこのマシンのデザインの影響が垣間見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5戦から採用されたフロント翼端板の

ボーテックス・ジェネレーターという筒状の空力デバイスは、

このあと各マシンがこぞってコピーすることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この年、フェラーリは16戦中、

アラン・プロスト5勝、ナイジェル・マンセル1勝と、計6勝を挙げ、

同じく6勝を挙げたアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーの

マクラーレン・ホンダと熾烈なチャンピオン争いを行う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、チャンピオンシップはまたまた日本グランプリで、残念な展開で決まってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フロントロウにならんだプロストのフェラーリと、セナのマクラーレンは、

スタート直後の第1コーナーに砂塵とともに突っ込み、ともにリタイア。

ここまでのポイント差からチャンピオンは今度はアイルトン・セナの手にわたる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェラーリ史上、最も美しいマシンといわれたこの641/2は、

ついにフェラーリにチャンピオンをもたらすことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの1990年の日本グランプリは、

アントニオ猪木とモハメド・アリの格闘技世界一決定戦に匹敵する残念な展開であったが、

唯一の救いは2強がコケたことによって、

ネルソン・ピケ、ロベルト・モレノのベネトン1,2についで、

エスポラルース・ランボルギーニの鈴木亜久里が

日本人初の3位表彰台に上ったことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1990年このマシンで6勝を挙げたフェラーリであったが、

このあと、翌1991年のフェラーリ642から、フェラーリは急速に戦闘力を失い、

次の優勝は1995年のジャン・アレジの駆る412T2まで

5年の時を待たねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このチャンピオンを取れなかった悲劇のフェラーリ・ナンバーワンマシンは

ニューヨーク近代美術館(MoMA)に常設展示されているそうです。

 

 

 

 

 

 

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2019.11.21

ロータス49

 お盆休みからちょこちょこ作っていたロータス49。

先日、やっと完成しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エブロは昔のF1をモデル化してくれるので、大変助かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、値段が高いのが玉にキズ。

まあ、この時代のFIを買うヒトは、そんなにいないだろうから、仕方がないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、このモデルの説明図ではカラー指定はTS-43レーシンググリーン。

でも、塗ってみると、なんか違う。

これはオレの頭に中にあるロータス49の色ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、このあと、インターネットを検索。

カラーをあれこれ吟味するが、どれもイマイチ。

と、やっとたどり着いたのがコレ。

おお、この色だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これはタミヤスプレーのTS-9ブリティッシュグリーン。

1990年代のロータス102,107あたりはレーシンググリーンだが、

1960年代のクラシックロータスはたしかもっと深みのあるグリーンだった。

この辺、リアルタイム世代なので、こだわりがあります。

もっとも、当時ホンモノのロータスなんか見たことないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 缶スプレーからビンにうつして、それをエアブラシで吹きます。

ビンにうつすのはこんな技を用います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、葉巻型のF1はワタシのF1の原点です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンむき出しのところがたまりません。

近年のF1はせっかくエンジン作ってもカウルで隠れちゃうので、

着脱式であってもまず完成後にエンジンを見ることはありませんのでムナシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この角度はタミヤ1/12の箱絵風。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドライバーはもちろんフライング・スコット(空飛ぶスコットランド人)と呼ばれた

天才ジム・クラーク。

ロータス49デビューの1967年オランダGP仕様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロータス49は、フォード・コスワースのDFVエンジンを初めて搭載したマシンである。

その後、このエンジンは20年近く

最高のレーシングエンジンとしてF1に君臨する怪物エンジンとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらにこのエンジンをモノコックの後方にボルト止めして、

エンジンをストレスメンバー、すなわちボディーの一部とする

革新的な構造を考え出したのがチーム・ロータス代表である、

鬼才コーリン・チャップマン。

実際にモデルを組んでみると、その斬新さがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この天才と怪物と鬼才の組み合わせで、

ロータス49はこの1967年オランダGPでデビューウィン。

その後、改良を加えながら1970年までで

通算12勝と2回のコンストラクタ―ズチャンピオンをチーム・ロータスにもたらしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、ジム・クラークは1968年にF2でのレース中の事故で他界、

このマシンでドライバーズ・チャンピオンをとることは無かった。

生きていれば1968年のタイトルは確実と言われていたが、

チャンピオンはチームメイトのグラハム・ヒルが獲得した。

ジム・クラークはクルマから放り出されて首の骨を折り即死状態だったが、

このマシンもそうだが、当時のレーシングカーにはシートベルトがなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この、赤いステアリングとシンプルなインパネもカッコイイ。

シートベルトがないというのは、工作の必要がなくてモデリングには楽だが、

やっぱりかなりコワイことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱ、ロータスはこの色です。

再塗装して良かった。

このあとは、本命のロータス49B、羽の生えたやつを作らねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.10.14

2019年F1日本グランプリを家で見る

 けっきょく、DAZNで見ることになった2019年F1日本グランプリ。

そこにいたはずなのに、と思いながら見るクヤシイ中継。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当日午前に行われた予選(これも、いければ見ることができた)の結果は

1位がベッテル、2位がルクレールとフェラーリがフロントロウを占め、

続いて3,4位がメルセデスのボッタス、ハミルトン。

レッドブル・ホンダは3列目5位フェルスタッペン、6位アルボンという結果であった。

これが、今のマシンの早さの序列といえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、スタートではメルセデスのボッタスが素晴らしいスタート、

フェラーリ2台をかわし、トップに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その直後、これまたいいスタートで3位に割り込んだ

レッドブルのフェルスタッペンが、

第2コーナーでフェラーリのルクレールに押し出されてしまう。

ちょうど、ワタシが予約した席のすぐ前あたり。

その場にいたら、周りの観客とともに

「あーーー(゚Д゚;)」

と叫んでいたであろう。

いきなり、やっちまったー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このあと、フェルスタッペンは数週走ったがリタイア。

フェラーリのルクレールはノーズを交換して6位完走するが、

レース後に15秒ペナルティの裁定で7位降格となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、ホンダのエースの早々のリタイアで、

レースの興味はガックリ落ちた。

なんか、1990年鈴鹿のスタート直後の

セナとプロストの第1コーナーをチラッと思い出したりして・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レースはその後単調になり、ボッタスが盤石の走りで、

アゼルバイジャンGP以来の優勝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2位フェラーリ、ベッテル、

メルセデスのハミルトンは3位に入り、

メルセデスの1-3フィニッシュにより、

6年連続のコンストラクタ―ズタイトルがメルセデスのものになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レッドブル・ホンダ勢はエース、フェルスタッペンのリタイア、

アルボンは自己最高の4位だが、表彰台には届かず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トロロッソ・ホンダのガスリーの8位は健闘ではあるが、

ホンダ勢の表彰台はならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、現地観戦を逃した身としては、

つまらないレースで良かった。(^_^;)

ここで白熱のバトルの末、ホンダの優勝、

なんてことになったら悔やんでも悔やみきれないので、

まあ、来年につながるいい結果くらいで済んでホッとした、という感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終的に東名高速が再開通したのは午後4時過ぎであった。

高速道路はいったん閉鎖したら、天候が回復しても

なかなか解除されないものだ、ということがわかった。

人生に無駄な経験はない。

この経験を踏まえて(?)来年は、台風が来ても行けるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.10.13

鈴鹿行きは、ならず(T_T)

 朝は4時に起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鈴鹿サーキットまで約5時間半、

朝4時半に出れば、予選から全部見れちゃう。

外に出ると、雨はやんで、綺麗な星空。

さあ、行くぞ、と思ったが・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、パソコンで確認すると、まだ高速道路はすべて通行止め。

なんて、こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明ければ開通するだろうと思ったが、

あたりが明るくなっても、表示は通行止めのまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと、川の様子見てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 渡良瀬川は増水しているが、緑地帯は浸水していないので

あまり問題は無いようだ。

渡良瀬橋は普通に通行できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中橋は通行止めだが、氾濫の兆候は無いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、待っても待っても、パソコンの道路標示は通行止めのまま。

仕方なく、レディアの散歩に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家の周りも雨のあとはあるが、目立った被害は見られない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8時を過ぎても通行止めの解除は無く、

やむなく、鈴鹿行きは断念することになった。

ああ、7万円が・・・・・(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく、東北自動車道の通行止めは10過ぎに解除になったが、

上信越自動車道、東名高速の一部は11時半の時点で、いまだ開通せず。

こんなに晴れていい天気なのに・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、この辺は何事もなかったが、

足利市でも東の方では川の氾濫があったようだ。

バンドメンバーからLINEで送られてきた写真。

あしかがフラワーパーク方面のようです。

まあ、災害にあわず、命が守られてよかったと考えるしかないかなあ・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.10.11

ストライク

1年前から楽しみにしていたこの週末。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年、ひさびさに鈴鹿のF1の日本グランプリに行って楽しかったので、

今年も行こうと早くからチケットも確保しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、よりによって・・・・(@_@)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1年365日、時間帯といい場所といい、

なぜ、今、ここに来る、というような

まさに宝くじ当選的な確率でのストライク。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラグビーワールドカップは順延らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛行機も新幹線も止まってしまうらしく、

高速道路もおそらく閉鎖されそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車中泊目的で予約したサーキット脇の駐車場はすでに閉鎖が発表された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どうしましょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビでは台風が来ない今日のうちに対策を、

と盛んにいってますが、

さすがに金曜午後から、明日土曜日も休診にして鈴鹿入り、

というわけにもいかないからなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.07.25

ケンとメリーのスカイラインからの

 北海道旅行ではからずもケンとメリーのスカイラインのことを思い出しました。

このクルマには、思い出があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが子供のころ小倉家のクルマは日産ブルーバードであった。

初代の310型と呼ばれるモデル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父がワタシの1歳の誕生日を記念に買ったというから、

この1960年モデルですね。

なぜか、このカタログではフェンダーミラーが描かれていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実車の写真もありました。

我が家のクルマも色はこれに近かったが、もうちょっとベージュ色がかっていたかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このモデル、愛称は「柿の種」。

理由は、このテールランプの形状です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、もと軍医で質素倹約、質実剛健を旨としていた父は、

このクルマに12年乗りました。

桐生の遊園地も、多摩動物園も、熱海のおじいちゃんの家にも、このクルマでいきました。

赤城山に登ると、しばしば途中でオーバーヒートしちゃうので、

停まってエンジンを冷やさなければなりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でこそ、同じクルマに12年乗ることはザラですが、

なんせこのダットサンブルーバードは国産初のモノコックボディの量産車。

しまいには、ドライブに出れば好奇の目で見られ、

同級生にはオグラんちのクルマ、動くのかよとまで言われる始末。

実際にエンジンは不調になり、しばしばクランクで起動、

コラムシフトのギアもなかなか入らなくなり、いきなりエンスト、ということも起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、ついに父も買い替えを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日産のクルマなので、次も日産のクルマから選ぶことになった。

そこで、ディーラーさんに見に行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、見たのが新型スカイラインである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー、カッコイイ。

日本グランプリでの日産車の活躍を目にしていていたワタシは、

ゼッタイ、これにしよう、と思ったものだ。

(注;当時の日本グランプリはF1レースではなく、

日産、トヨタなどのディーラーとプライベータ―が争うスポーツカーレースであった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このスカイラインが1972年に発売されたスカイラインとしては4代目、

ケンメリと呼ばれる、ケンとメリーのスカイラインであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時ワタシは中学1年生。

ちょっと色気づいてきて、こんなロマンチックな恋人同士のコマーシャルに

何となく、あこがれたりするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディーラーさんでもらった、このステッカーはしばらく大事にとってあった。

スカイラインが、わが家に来ることを願いつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、実際は、またくダメだった。

新型ブルーバードへの乗り換えは最初の候補。

我が家の初代ブルーバードは1200ccだったが、

その間にブルーバードは2回のフルモデルチェンジをしており、

高度経済成長の波に乗って1400~1800ccまでボアアップされていた。

中学校の担任の先生がのっていた510型系は人気モデルであったが、

父はそんな高級車はいらん、とこれを却下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな父がさらにグレードが上である

1600~2000ccクラスのスカイラインを買おうなどというはずがない。

弟の同級生の家が、この時期スカイラインを購入し、うらやましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく、わが家にやってきたのは

1973年1月に新発売となったサニー1200。

2ドアセダンで、リアウインドの処理が、ちょっとスカイラインに似てるところが、

ワタシ的にはちょっと、イイかな、と。(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色は、ちょうどこのグリーンであった。

アマガエル的な・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、この12年の国産車の進歩はすさまじく

ワタシ的にはいろいろ満足しました。

なんたって、クルマにラジオや時計がついてるなんて、スゴイ。

いっぽう、インパネなどは鉄製だった旧ブルーバードに比べて

プラスチック樹脂製部品が多用され、ちょっとちゃっちいな、とも思いました。

近代化されたとはいえ、まだ、エアコン、カークーラーの類は当然無かったので、

夏のドライブは大変でしたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父はこのクルマに約4年乗りましたが、

1977年、急性心筋梗塞で他界。

母には運転免許が無く、長男のワタシはまだ高校2年生でした。

よって、このクルマは、知り合いのつてを頼って売却。

一度、わが家のクルマが他の場所に停まっているところを見たときは、

何となく、寂しかったなあ。

 

 

 

 

 

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2019.07.23

純アリスさんと、セレステと、

先日、元タレントの純アリスさんが亡くなられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それほど知名度の高い方ではありませんが、

ワタシのブログには一回登場したことがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

俳優さんと結婚されお子さんがいらっしゃるとは知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎友紀さんのドラマシリーズ「ママはライバル」で

有名になったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎友紀さんといえば当時の絶対的アイドル、

一人でAKB48の48人分以上の人気がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥さまは18歳」「なんたって18歳」に続く第3弾は、

父親の新しい奥さんが、同級生という設定でしたね。

そのママであり、同級生役が純アリスさんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥さまは18歳」と「なんたって18歳」はよく見ていたのですが、

この「ママはライバル」はあまり見ていた記憶が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調べてみると放送が1972年10月からなので、

当時ワタシは中学1年生。

それまでは、お茶の間でテレビ見ながら過ごしていたのが、

勉強と称して自室にこもって

ラジオばっかり聴くようになった年頃ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純アリスさんも岡崎友紀さんと同じ1953年生れ、

享年66歳だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別にファンだった、というわけではありませんが、

前も書いたようにランサー・セレステで印象が強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、はるか前に買って押し入れの隅に眠っていたプラモデルです。

1/24の童友社製ランサーセレステ1600。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この箱絵の写真のヒトが純アリスさんです。

今見ると、岡崎友紀ちゃんより、カワイイかも。

ランサーセレステの実車の広告写真をそのままパッケージにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつかは、作らなくては、なのだが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 買った時も、模型屋さんの棚に長くあったようで・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、この純アリスさん、何してるか、というと「ナマロク」です。

ポータブルデッキを使って鳥の声や、蒸気機関車の音などをステレオで録音し、

オーディオルームのステレオで再生して楽しむ「生録」は

当時、若者の間で大変なブームでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソニーのカセットデンスケ、欲しかったなー。

早すぎる、純アリスさんの死を悼みつつ・・・。

 

 

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