ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.11.26

点滴パーラー

 今朝のNHKのニュースで、東京で点滴専門のクリニックがサラリーマンに人気、
なんてのをやってました。
 映像では、受付のカウンターにきれいなお姉さんがいて
「今日は、何になさいますか。」
などとニコニコしながら訊いてくる。
そーすっとサラリーマンが
「今日は、首から肩が疲れてるので、その辺に効くやつを・・・。」
なんて、オーダーすると、
「かしこまりました、こちらへどうぞ。」
なんつって、別室で点滴してくれる、というもの。
 もちろん、お医者さんが、診察してオーダーをしてるらしいけど
全部を診てるわけではない。
保険診療では、ありえないから当然これ自由診療だと思いますが・・・、
 ちょっと、ヤバくないですか。
 まず、医療行為としての意味が無い。
ビタミン剤なんか打ったって、そんな元気になるわきゃないし。
せいぜい効果があるとすればブドウ糖でしょうが、そんなもん飴でも舐めときゃいいわけだ。
二日酔いの、脱水の時は、かなり効果的だと思うけど
サラリーマンが昼休みの15分の間点滴しても・・・?
その分、昼寝でもしたほうが、よっぽど健康にいいぞ。
 大体、そんな細かいオーダーに対応する注射薬なんか無いですよ。
 しかも、ブドウ糖なら原価はそれこそ砂糖水ですからたかが知れたもの。
それをおそらく数千円はとってやってるんでしょうから、まさに「水商売」ですね。
 まあ、効果としては
「体に針を刺して、薬を入れたぞっ。
高い金払って、痛い思いをしたんだから飲み薬よりはよっぽど効くだろう。」
という、まさに自己暗示。
 付け足しとしては、きれいなお姉さんに優しい言葉をかけてもらって、
10分ちょっと、安静にしていた、いうことくらいですか。
(これだけは、効果的かも)
 しかし、世に注射好きの人はいるようです。
 ウチも開院当初、診察のあと、注射を希望する方が結構いるのでビックリしました。
正直申しますと、開院当初、患者さんの数も少なく、経営も心配だったので
「注射してください。」
と、いわれると、しょうがないなー、でも患者さんが満足するし、
ウチも儲かるからいいや、とやってた時期がありました。(ゴメンナサイ)
 しかし、さすがに良心が耐え切れず、じきにやらなくなりました。
 ご本人が考えるような効果や意味のないことを説明し、
注射、点滴をやらないで帰っていただくということにしました。
 この、説明が時間がかかり、わかっていただくのが大変なんすけどねー。
ホントに、点滴したほうが、楽で、儲かるんです。
 大体、世の中に「風邪の注射」なんてもんはありません。
栄養なんて、末梢の血管からはいくらも入りません。
ビタミン剤、ブドウ糖、効果がないわけではありませんが、
口から食べられてれば、まず意味がありません。
風邪に抗生剤の点滴なんて、もってのほかです。
 もちろん、扁桃周囲炎なんかで、当院で点滴する方はいますが、
それは風邪ではない特殊な例です。
 元気がでる注射なんて、それこそヤバイでしょう。
ステロイド?、向精神薬?、それとも覚せい剤、ヒロポンですか?
 ともかく、風邪の一番いい、というか唯一の薬は自分の体の「免疫」です。
体の防衛反応の、抗体や、白血球の働き。
それを、最大限に発揮してもらうために、暖かくして寝ることです。
 でも、結構意味のない点滴を(それも保険で)やってる医者がいるんだなー。
院外処方みたいに、点滴した薬の内容を紙に書いて患者さんに渡さなければいけない、
って仕組みにすればいいのでは?
 で、話は当初の「点滴パーラー」ですが、
人の無知と弱みにつけ込んだ、あざとい商売だと思います。
集団感染かなんか、起こんなきゃいいんですが・・・。
 「水商売」なんていうと、水商売の人に失礼ですね。
スナックでは、ちゃんと入れたボトルの銘柄は(ともちろんその値段と効能?も)
お客さんがわかってるわけですから。
 でも、そもそも常識的に考えて、金払って肩こり治したいのなら、
マッサージ行くのがいいに決まってんじゃん。

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2008.11.24

新監督(?)の前で

 残り3試合、首位との勝ち点差1の大事な試合。
 こんな大事な試合のときに、結婚式を入れた堀越君はバカヤロウだと思ったが、
この結果では、埼スタに行かずに良かった、か。


 2008年J1第32節
  浦和レッズ  1-2  清水エスパルス   (埼玉スタジアム2002)
     (前半  0-1)
     (後半  1-1)


 俺が行かなかったから、とか、今日はレッズ・ナビのある日だから、とかいう話はもういいや。
 結婚式から帰って、ビデオでみました。
お酒入ってて、良かったです。
堀越君、いい日に結婚式入れてくれてありがとう。
 
 この大一番、ゲルトの場当たり采配は、またびっくり。
っていうか、もう解任もほぼ確定でみんなのウラをかくことしか狙ってないか、っといった感じすらする。
まあ、ゲルトの中には、いまや全く具体的な戦術のイメージは無いんだろうなー。
太平洋戦争末期の、日本軍の無謀な作戦の数々を彷彿とさせる。
ガダルカナルとか、アッツ・キスカとか、レイテ海戦のような・・・。
(次は片道分の燃料で沖縄特攻か?万博で『マリアナの七面鳥撃ち(注)』はカンベンしてね。)
 相馬の左ウイングは悪くない。気持ちはわかる。
しかし、達也のワントップは・・・。
達也はワントップでなく、エジミウソンなんかをトップでポストにおいて、その脇から飛び出すか、
セルヒオか高原と組ませて2トップのワンツーから裏へ出る、という方が効果的だ。
 細貝のサイドバックはいかにも不慣れな感じがしたし、平川の左サイドバックもしかり。
4バックなら、右に山田、左に堤で、どうよ。
どうしても闘莉王をボランチで使いたいのなら中を阿部と堀之内にして、
ボランチは闘莉王と細貝を組ませる。
啓太は、どうもパフォーマンスが上がらないので・・・。
坪井も一時完全復活かと思ったら、最近また危なっかしいしなー。
そもそも、清水なら3バックのほうが良かったかも・・・。
 ここで、ウダウダいっても始まらない。
 新潟、愛媛、札幌あたりには何とかなっても、
やはり中堅以上のチームには通用しないということだ。
 鹿島も名古屋も川崎も勝った。
タイトルをとった、大分、大阪は負けた。
 何とかACL圏内は・・・。
しかし、今のチームの勢いを考えると、勝ち残れる気があまりしない。
 でも、残り2試合、勝ち点差4ってのは、昨年の浦和と鹿島のちょうど逆なんですけど・・・・。
(注)「マリアナの七面鳥撃ち」とは太平洋戦争末期のマリアナ沖海戦で
日本海軍機が、アメリカ軍機に滅多打ちにされたことをさす。
この敗戦で日本は新鋭空母「大鳳」をはじめ、多くの航空兵力を失い、
以後実質的に、機動作戦が取れなくなる。
当時、日本のベテランパイロットはすでにその多くが戦死してしまって、
練成度が極めて低く経験の少ない若年パイロットしかいなかったのだ。
零戦は確かに開戦当初、非常にすぐれた戦闘機だったが、
それに甘えて、新型機を開発しなかったこと、
航空戦略、作戦を見直さなかったことが、この敗戦、ひいては戦争そのものの敗北につながった。
戦術の稚拙さ、補強の失敗、
・・・ま、フロントの責任だな。)

2件のコメント
2008.11.24

ご結婚、おめでとうございます。

 昨日は、当院でお世話になってる薬の卸の堀越君の結婚式でした。
 場所は佐野のマリアージュ。披露宴は50人ほどのアットホームな雰囲気でした。
 30代半ばにして奇跡の(?)逆転結婚を決めた堀越君は
終始ニヤケと緊張の混じった微妙な表情。
 お約束のケーキカットです。
しかしこのあとに・・・・。
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 カットしたケーキをお互いが口に入れて食べさせてあげる、という演出でしたが
なんと堀越君、新婦にメガネにケーキをつけられてしまう・・・。(もちろん故意に!)
やってくれるぜ!
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 でも、うれしそうです。
 さて、一回目のお色直しのあとに登場した新婦の衣装にびっくり!
何と、ナーススタイルでした。
PB230063_ks.jpg
 実は本職の看護婦さんですから、似合うのは当たり前ですが、
これが、大うけ!
いやー、可愛い、白衣の天使って言葉は、まだ死語ではなかった!
 そして、次はカクテルドレスで、キャンドルサービスです。
我々のテーブル。ローソクの芯を曲げて、つきにくくしたのは、誰だ?
(答え:私のトナリにいたKという薬剤師です。)
PB230076_ks.jpg
 私もスピーチの他、薬局の小峰君と一緒にビートルズの曲を演奏させてもらいました。
(飲みすぎて、トチッちゃいました。スイマセン。だって、出番があんなに最後の方だったので・・・・。)
 私の大キライな、新郎新婦にあったこともない政治家や、親の知り合いの会社重役の挨拶
なんてのはもちろん全く無く、
出席したみんなが2人を祝福するっていう雰囲気に満ち溢れた、
とても素敵な結婚式でした。
 それもこれも、堀越君の素直で誠実な、みんなに愛されるキャラクターの賜物だと思います。
 一君、(はーちゃんと呼ばれてるらしい・・・。)裕子さん、どうぞ末永くお幸せに。
 最後に2次会でのサービスショットを、どうぞ・・・。
PB230088_ks.jpg

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2008.11.22

ロックな高校生リターンズ(あとがきにかえて)

 ロックな高校生リターンズ、調子に乗ってまた長編を書いちゃいました。
 前回の本編は、いつか書きたい、と思っていたネタだったので、
一気呵成に書いちゃいましたが、今回のは前回の反響を受けて書いたもので、
ネタの盛り上がりに、苦労しました。
 「ロッキー」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や古くは「猿の惑星」など、2や続編が作られたものは
第1作を越えることができないというのは、映画界の常識です。
(個人的にはインディ・ジョーンズに関しては2が一番面白いと思ってます。
ゴジラはもちろん1954年の第1作が最高だが、寅さんシリーズは、どうなんだろう?)
 今回も、そこが一番気がかりでした。
「リターンズ」ではO君の失恋話もないし・・・。
 まあ、大学受験というプレッシャーとバンド活動のですごした、
受験生時代を懐かしく思い出しながら書いてみました。
 大学受験は確かに大変でしたが、今思い出すとそれなりに充実した日々でした。
 さて、その後のロックな高校生ですが、
ギターのE、ベースのO、ドラムのI はめでたく現役で東京の大学に入り、
最初はそれぞれのサークルでバンド活動をしたそうですが、
しかし、後に再び集まって、また、バンド活動を一緒にやったそうです。
 ヤマハのコンテストなんかにも応募し、結構いいセンいったようです。
 一方、私は・・・・・・・。
 学園祭終了後、心を入れ替えて(?)猛勉強し、
一時はまぐれ(?)で校内実力テストで一回だけ学年1位を取り、
担任のネックレスもも3者面談で、「まあ、志望校はこのままで受かるんじゃないの。」
なんて、おふくろに言ってたのだが、
やっぱまぐれだったようで、一期校も二期校もスカッと落ちて、花の浪人生活に入りました(涙)。
 この辺の経緯は、後日機会があれば、また小説にしたいと思います。
 また、最終話で登場したヒロイン、Fちゃんですが、
その後、何と向こうから連絡があり、
なんかデートみたいなこともしたような記憶があります。(おおー、やるじゃん、オレ。)
今は、どこで、どうされてるんでしょうか・・・。
きっと、幸せな御家庭を築かれてることと思います。
 最終話で、まだ、将来のイメージなんて全然出来ない、みたいなことを書きましたが、
医者はともかく、まさか、いまだにバンドでしかもパンク・ロックやってるとはねー。
オレ、来年、50っすよ。
 かのアインシュタインの言葉に
「その人の常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションのことである。」
というのがあったが、なるほどー、と思いましたねー。
 私の、常識は、中学~高校時代に集めたロックな考え方に支配されてる。
 もう、この年になったら、ナカナカこれは変わりません。
私としては、自分のコレクションに自信を持ってるんですが、
ちょっと、変わったコレクションかもしれません。
 今回、読んでいただいた皆様、どうもありがとうございました。
また、コメントを入れてくださった皆様、とてもうれしかったです。
(特にT君の件はびっくりでした。)
今後とも多くの皆様にご意見、ご感想などお寄せいただけると、たいへん励みになります。
遠慮なく、書き込みしてください。
でも、「エッチなバイトでなんたら」、ってのはダメよー。

2件のコメント
2008.11.20

ロックな高校生リターンズ(最終話)

 さて、いよいよ学園祭当日。
 我々は、もちろん体育館ステージの一番お客が来そうな時間帯をキープした。
ここら辺は、3年生の特権だ。
なんせ、3年にもなって出てるバンドはウチらだけだ。
 我が3年5組は、クラス企画として、お化け屋敷「物怪館(もののけやかた)」をやっており、
これが好評を博していた。
私も、バンド準備とお化け屋敷とあっち行ったり、こっち行ったりで大忙し。
 話はややそれるが、足利高校は男子校。
先生も女性は音楽のオバサン先生のみ。
しかし、事務に、高校を出たばかりの若いSさんという女性がいた。
お化け屋敷の、杮(こけら)落としとして、ぜひ、このSさんを第1号にしよう、という意見が出てすぐ可決された。
で、彼女を連れてきたわけだが、ここで誰がエスコート役をするか、ということで小競り合いがあった。
すると、担任の数学教師のネックレス(この先生は太ってて首がないので、こう呼ばれていた)が、あっさり彼女を連れて入ってしまった。
 がっかりした我々は今度は嫌いな先生を呼んできて、お化け屋敷に入ってもらい、
暗闇に乗じてコンニャクをぶつけたりしてうさを晴らしていた。
(しかし、後にこのSさんが、あのインドネシアと結婚したと聞いてビックリ!
へー、そーだったのかー。)
 さて、体育館のステージが始まった。
 最初のバンドは1年生のナントカというバンド。
うわっ、ひどい演奏だ。なんかのコピーらしいが原曲が何かも判然としない。
おまけに、最後まで演奏できず、途中でとまってしまい
バンドのメンバーがお互いの顔を見あわせるというシーンが何度もあった。
 次のバンドも1年生。
ギターはギャンギャン弾くが、リズムがめちゃくちゃ、ボーカルは全然聞こえない。
キッスの曲、かなあ。ドラムもヒドイ。
 2年生のバンド、おっ、そのイントロは「天国への階段」、演奏できんのか?
あーあ、やっぱり途中で止まってしまった。
何、もう一回はじめからやります?やめとけ、やめとけ。
お、しぶとく、また最初からやり出した。
大体、ギタリスト、アコースティックギターだけど途中からどうすんの?
瞬間的にエレキに持ち替えるのか?そりゃ、いくらなんでも無理だろう。
と、思っていたらジャカジャーン、のところで、終わり、
初めからこういう予定だったらしい。
そんな、「天国への階段」ありか?
「天国の手前の中2階までの階段」か?
 それにしても、どのバンドも1~2ヶ月前にはじめたばかりで
人前で演奏するのは、これが初めて、っていう感じのバンドばかりだ。
これじゃあ、オーディションは拒否するわけだ。
 さて、こんなバンド見ててもしょうがない。
 「俺、ちょっとほか見てくるね。」
といって、ほかの演奏会場の様子を偵察に行った。
 まず、校庭組。
お、やってる、やってる。
うーん、見方によってはストリートミュージシャン風といえないこともないが
素直なイメージとしてはチンドン屋だなー。
お客さんは通過してるけど、聴いてる人はいない。
 次に、屋上に上ってみた。
ありゃまー。ここは、さらに悲惨じゃ。
演奏者以外、誰もいない。
そりゃそうだ、わざわざ屋上まで上って、演奏聴こうなんて物好きは、まずいるまい。
ここじゃなくて、よかった。
(一説によると、現CRPの土井先生は当時、足高の1年生、ナントこの屋上で演奏してたらしい。)
 さて、そろそろ体育館に戻ろうと、階段を2段飛ばしで下りていくと、突然、声をかけられた。
「あら、オグラ君。久しぶり。」
「え、あれ、Fちゃん、もしかして。」
なんと、中学時代の同級生のFちゃんだった。
確か、彼女は宇都宮の高校に行ったんでは。
会うのは、卒業以来だから、ほぼ3年ぶり。
 それにしても、雰囲気変わったなー、っていうか美人になったなー。
「あ、このあと3時過ぎからさ、体育館で俺たちのバンドのライブがあるんで、良かったら来ない?」
「あ、行く、行く。」
「じゃあ、よろしく。」
 そうかーFちゃんかー。なんか俄然、やる気出てきたぞー。
 そして、我々「アースバウンド」のステージが始まった。
そしてまた、これが我々「アースバウンド」の最後のステージだろう。
3月になれば、メンバーはばらばらになり
バンドももう、まず間違いなく一緒に演奏することはない。
 最初は、「スペース・トラッキン」、そして「ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン」を演奏し、
このライブの前に俺が作ったオリジナル「トゥ・ザ・ワンダーワールド」に続く。
(曲なんか作ってるヒマがあったら勉強しろって。)
 午後の体育館のステージは市民会館のときと違って
照明もないし、客席も明るいし、音響も全然だが、
その分、リラックスして、楽しく演奏できた。
 やっぱ、メンバーを説得して学園祭に演奏してよかった。
 ここんとこずっと頭の中を占めていた、
微分方程式も、複雑な分詞構文も、キルヒホッフの法則も、紫式部も
そしてこの間の模試の志望校の合格判定パーセントも
とりあえず、みーんな頭から出て行ってもらって、気持ちよくロック・アンド・ロールできた。
 そして、最後はロック・ボックスでも最後に演奏した俺たちのオリジナル、「オールド・キャッスル・イン・マイ・ハート」。
そして、この曲が、「アースバウンド」として演奏する最後の曲。
オレのロックな高校生活もこれで終わりじゃー。
 思い出すなー。
 初めて、Oに誘われてバンドの練習場に行った時のこと。
ロック・バンドって、こんなに大きな音出すんだー。
それまでフォーク・ギターしか弾いてなかったから・・・。
耳はジンジンしたけど、心臓はもっとドキドキした。
 他の高校のバンド4組と、織物会館を借りてやった最初のコンサート。
100円のチケットを売りまくったが、当日、会場はタバコの煙でもうもう。
他のバンドが、いわゆるツッパリ系(これも死語か?)だったので、
会場は大荒れ、ステージは傘まで飛んできた。
以後、織物会館はライブ禁止になったという。
 そして、女子高の文化祭に飛び入り(?)したこと。
女子高で演奏するなんて、結構レアな経験だよなー。
 なんといっても、ロック・ボックス。
応募から、当選、練習場の確保、親父の急死、
市民会館の大ホールは、感動した。
 やっぱり、ロックを聴いていて、やっていて良かった。
ロックのおかげで、いろんな面白いことや、珍しい経験もしたし、
いい仲間や、変な大人にも会った。
そして、落ち込んだり、ヘビーな時にもロックで元気になる。
 親父の通夜の時、お経のあと1階で飲み食いしてる親戚や隣組の人たちの席を離れ、
2階の自分の部屋でラジカセで小さい音で一人でローリング・ストーンズを聴いてた。
 オレの高校3年間はいろんな場面でロックなしでは語れない。
 ・・・・・そして、アースバウンド最後の演奏が終わった。
 全員で客席にお辞儀をした後も、最後のコード、Amの余韻がいつまでも耳の中で反響していた。
 楽器を片付けて、外に出ると、西に陽の傾いた校庭でFちゃんが待っていた。
秋の陽が暮れるのは、早い。
「オグラ君、見たよ、カッコよかったじゃん。」
「ええー、そう?そりゃ、良かった。」
「オグラ君、やっぱり医学部行くんでしょ。」
「うん、でも今のままじゃちとキビシイかも。(頭から追い出してた、模試の合格パーセントが戻ってきた。)」
「大丈夫だよ、オグラ君、アタマいいから。がんばって。」
「おお、サンキュー。」
 おー、なんか、オレ、バンド始めてから、初めて女の子にカッコいいって言われたなー。
(いや、ただ単に外交辞令でしょうけど・・・。)
大学行ったら、バンドやって、女の子にもてるぞー。(希望、願望、妄想、憶測・・・)
・・・しかし、入れんの?
  うっ、そこだ。
  今のままでは、「ちと」どころか「かなり」キビシイのでは・・・。
 明日から、猛勉強だー。
でも、やっぱロックは聴いていよう。
 まだ、将来の自分などほとんどイメージできない、18の秋だった。
 「おーい、オグラ。打ち上げのファイアー・ストーム、始まるぞー。準備手伝えー。」
「おー、わかったわかった。」
 みんなで、大騒ぎした夢のような学園祭が終わった。
 そしてそれは、夢のようなロックな高校生活の終わりでもあった。
 ファイア・ストームの薪に火がつくと、
 少しだけまだ西の空に残っていた明るさも、あっという間に夜の闇になった。
 みんなの歓声の中、
 数え切れない思い出が、
 火の粉や煙とともに晩秋の冷えた夜空に吸い込まれていった。
          ~ロックな高校生リターンズ・完~
 さて、これでロックな高校時代の話はおしまい。
長らくのご愛読ありがとうございました。

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