ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2022.05.16

野球部の髪型

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 かつて学生スポーツの王道は野球でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは小学生のころから何となく野球が肌に合わず、

やるのも見るのも好きではありませんでした。

そのかわり当時はどマイナーであったサッカーが大好きになり、

小学校の時は当時県内で宇都宮に次いで2番目にできた

足利サッカー教室の2期生でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高校野球がいまだにこんな議論をしているのが信じられません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このような考え方の指導者がいる限り、

野球というスポーツの衰退は避けられないでしょう。

プロ野球の選手が全員丸刈りにするようなことがない限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもオレは先輩や監督が威張りちらす

体育会系体質はダイキライなのだが、

野球部は一般的にもっともその旧体質が根強く残っている印象です。

まあ、最近は高校サッカーや大学アメフトの監督の

横暴ぶりがニュースになったりしますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、ワタシが高校1年生のとき、

わが足高の野球部は空前の強さを発揮し、

次々と強豪校を破って快進撃を続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、足高の野球部には丸刈りの強制は無く、

しかも当時は長髪が流行っていたので

ラジオの中継で栃木放送(当時はとちぎテレビはまだなかった)の解説者が、

「あのアタマは何とかなりませんかねえ」と言っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、最終的にチームは県大会のベスト4まで進出し、

しかもエースの選手は成績優秀で、その後たしか東大に合格したような。

いやー、センパイ、なんてカッコイイんだと思いましたねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえばこのヒトも、先進的でしたねー。

実は、星飛雄馬より人間的にもカッコイイ花形満。

紅洋高校を率いて甲子園で優勝しましたが、

アナウンサー、解説者は髪型については触れなかったような・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1件のコメント

コメント/トラックバック (1件)トラックバック用URL:

  1. エース(協和中出身A君)は、東大ではなくて早稲田大学に進学しました。
    その後、栃木県の高校で教鞭を取りながら、野球部の監督を長年務めていました。
    最終的には、栃木県高野連の理事長に登り詰めましたよ。

    ちなみに、その年の甲子園は足利学園(当時)が初出場をはたしています。
    その時のエースは、後に阪神に入団した、藤倉君(二中出身)でした。
    ちなみに、足利学園は、全員ピカピカの5厘刈りでしたね。

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