キャンディーズ・フォーエバー
本日の朝日新聞の天声人語によると、今日で、キャンディーズの解散からちょうど30年になるそうだ。
「おお、キャンディーズ」
思わず、叫びそうになった。
あの、ファイナルカーニバルから30年!
昭和53年の、あの、春のことが、嵐のようによみがえってくる・・・。
思えば、キャンディーズが解散を発表したのは、その半年前の昭和52年7月。
電撃的に9月での解散を宣言。当時私は、高校3年の受験生。
夏休みといえば、「夏は受験の天王山(コピーby代々木ゼミナール)」ってくらいで、受験生にとっては、いよいよこれからがんばるぞっ!という時期。
同級生たちは、駿台だ、代々木だと、夏期講習に行ってしまったが、
私は、その前年に父を病気で失い、東京の予備校で優雅に勉強するお金なんか、ウチにはないので、冷房のない自宅で、どろどろの受験勉強を続けていた。
その受験生活を、支え、乱したのが、キャンディーズだった。
当時、ピンクレディーが全盛を極めていたが、
私は、断然「あなたに夢中」 (デビュー曲です)以来の、キャンディーズファンだ。
何しろ、デビュー前に「8時だよ!全員集合」で
仲本工事と一緒にマット運動をやってた頃から、気になっていた。
結局、解散は、翌年の4月4日に延期され、まさに私の大学受験生活とかぶっていくのである。
日曜日の「GO!GO!キャンディーズ」は毎週聞いてたし、月曜日のテレビ「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」も、見逃せない。
そして、解散が近づくにつれ、ラジオ、テレビでの特別番組が増えていく。
当時は、ビデオなんかないから、全部生で見るしかないじゃん
ラジオは、聞きながら、録音しながら、勉強。
かくして、私は一期校も、二期校も、落ちてしまう。
その年は、一期、二期のあった最後の年で、翌年から今のセンター試験の前身である、共通一次が、始まるのであった。
だから、国立医学部の難易度が、ぐっと上がったというのは、いいわけです。
もちろん私立の医学部の入学金なんて、逆立ちしても払えるわけもなく
やむなく花の浪人生活に入ったのだった。
で、ファイナルカーニバルは、家のちっちゃいテレビで、一人で見た。
ビデオなんか、ないので、テレビのスピーカーにラジカセをくっつけて録音しながら
音を立てないように、息をひそめて、見た。
「あー、キャンディーズが、なくなってしまう。俺も、いよいよ浪人だ。来年、大学には入れるんだろうか。」
今でも、「微笑がえし」を聴くと、18歳の不安だらけの旅立ちの春が思い出されて、感無量です。
おかしくって、涙が出そう、です。
1件のコメント
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私の同級生(とゆうことは先生の実弟君とも同級生)の故S.A君は解散コンサートの後楽園に行き、叫び、涙して最後まで見てしまったので、杉戸(今は東武動物公園)までしか帰って来れず、駅前駐車場のクルマをかたっぱしからドアチェックして開いてた車に入り込み一夜を明かしたとゆう強烈エピソードがあり、彼が「衣裳変えの間、バックバンドがエピタフの間奏をやってくれた!」と言ってました。バンドのメンバーさんも悲しかったんでしょうね?