ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.01.23

文房具好き

ムカシから文房具が好きである。

昨日伊東屋に行って、またその思いを新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

万年筆や、シャープペンなどの筆記用具にはこだわりがあるし、

新しいノートを使いだすときは今も清々しい気持ちになる。

スケジュールは最近はiPadで管理するが、

30年来使い続けたfirofaxのシステム手帳はいまだに手放せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 できれば、お気に入りの0.5ミリのシャープペンシルに

三菱鉛筆uniの「H」の替え芯を入れて、

大学ノートに何か書きたいところだが、

残念ながら今のところ、その機会はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、ふと気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムカシから文房具が好きだったのは、

ひょっとしたら「勉強がキライだったせい」ではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小、中、高から予備校を経て大学まで、

「勉強」はやらなくてはいけないものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勉強はイヤだけど、どうしてもやらなきゃいけないことなら、

何かそこに楽しみを見出したい、と考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、学校の勉強をするうえで使わざるを得ない「文房具」に凝って、

「文房具を使いたい気持ち」を

「勉強に対するモチベーション」にすり替えて行ったのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うーん、これはあるかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに進むと、勉強にとりかかる前に、

鉛筆をナイフでことさらきれいに削ったり、

シャーペンの分解掃除を始めたり、

というのも勉強からの回避行動である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テストが近くなると、勉強部屋の掃除がしたくなったり、

大学生のころは自炊だったから、

やたら手間のかかる料理に挑戦したくなったりしたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういった「勉強から逃れたい気持ち」に折り合いをつけるのが

文房具の重要な役目だったかも知れんなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういう意味では、今も文房具が好きな大人は、

ずっと勉強をやるのがキライだったヒト、ということかも。

 

 

 

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2020.01.19

共通一次試験とセンター試験

昨年が最後のセンター試験と昨年書きましたが、

今年が最後だったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログでもたびたび書いていますが、

ワタシはセンター試験の前身の共通一次の第一期生。

ついでに、現役時代は国立大学一期校、二期校の最後の受験も経験している。

まさに大学入試の変革を身をもって体験しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんていうと、今年現役で、センター試験を受験し、

まかり間違って浪人しちゃたヒトは、

ワタシと同じように歴史の生き証人となるのだな。( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、今日のセンター試験、失敗した、という方には、

まあ、今だから言えるが、それもあながち悪い経験ではない、

と言ってあげましょう。

浪人時代もいい経験でしたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシは東京の予備校に通っていた関係で、

共通一次試験は、都立大で受験しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英語、国語、理科はまずまず、

数学は問題が簡単だったので満点でしたが、

問題は社会科でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理系の学生は社会科の勉強にそれほど時間を割けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本史、世界史、地理、倫理社会、政治経済から2科目を選択、

というのが共通一次の決まりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倫社、政経がキライで、歴史が好きだったワタシは、

日本史、世界史を選択。

これが大変な間違いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本史、世界史は暗記量が、他の科目に加えて極めて多く、

理系で、この2科目選択は命取りである、

ということを後から知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回の共通一次試験終了後、

倫社、政経の2科目を選んだ受験生の点数が、

他の科目を選んだ者に比べて極めて高く、

なんと、翌1980年から倫社、政経の2科目同時選択ができなくなったという。

それくらい差があったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、ワタシの共通一次の点数は、社会科2科目が足を引っ張り、

イマイチ伸びなかったのですが、

他の科目で稼いだ分と、おそらく2次試験の得点で、

なんとか、めでたく大学には入れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もし、再度浪人していたら、今度はキライな科目でも

倫社、あるいは政経を選択していたと思われますが、

けっきょく、それはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、今でも歴史の本を読んだり、

歴史番組を見るのは好きですが、

哲学や、ことに政治、経済に対しての知識は人一倍ありません。

ダウ平均株価の「ダウ」ってなんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにうちの奥さんは、ちゃっかり倫社・政経で受験したそうです。

だが、「ダウ」は分からないらしい。(*^^*)

 

 

 

 

 

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2020.01.04

スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け

 ついに見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月20日公開。

早く見ないと、なにかネタバレしちゃったら困る、と思いつつ過ごしてきました。

とくにやまfacebookなどのSNS関係やブログなどアブナイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月30日に子供たちが帰ってきて、また、1月3日以降は全員揃わないので、

ここしかない、という1月2日に一家4人で見てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アシコタウンの駐車場は満杯。

運よく空きスペースが見つかりましたが、上映開始に間に合わないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、映画館はすいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お正月なので、会場は満員とはいかないまでも席はけっこう埋まるだろうと

朝早くネットでチケットをとっていましたが、

15時過ぎからの上映時はガラガラでした。

田舎のありがたさですが、映画館また潰れちゃうと困るなあ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一応、シネコンの中でも多分一番広い部屋だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け」。

原題は「The Rise of Skywalker」なので、

「夜明け」という日本語タイトルには異論もあるようですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、これでスターウォーズも最後。

第1作エピソードⅣの全米公開は1977年高校3年生の時でした。

日本公開はその翌年になりますが、

公開前にラジオの深夜放送でばんばひろふみさんが

来年はSF映画ブームが来ますよ、

と言っていたのを記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 SF宇宙モノといえば、ワタシが子供のころは

「地球防衛軍」や「キャプテンウルトラ」、

海外では「禁断の惑星」「宇宙船XL-5」「スタートレック/宇宙大作戦」

などが人気でしたが、

1968年の「2001年宇宙の旅」の衝撃に、その後はかえって衰退。

以後、「エクソシスト」「オーメン」などのホラー映画、

「タワーリング・インフェルノ」「ジョーズ」などのパニック映画、

「ロッキー」や「ゴッドファーザー」などのヒューマンドラマが

シリーズもので人気でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 SF宇宙モノで子供時代を過ごした身にすれば、

え、今さら、宇宙モノ?という感はありました。

なにしろ、1968年の「2001年宇宙の旅」のあと、

1969年に実際に人類が月面に降り立ってしまい、

宇宙はファイナル・フロンティアではなくなった感があったので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、スターウォーズ第1作の日本公開は1978年の夏。

当時、浪人生だったワタシは映画を見ることなどトンデモナイ身分で、

受験勉強、予備校の夏季講習に集中していました。

当時のタイトルは単に「スターウォーズ」で、

続編が作られることも予想していませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その続編「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」の公開は1980年。

この時は、大学2年生。

この映画は映画館に行き、見ました。

ただし、第1作の「エピソードⅣ」がテレビ放送されたのは1983年が最初なので、

レンタルビデオなどもない時代、

ワタシの見た順番は「エピソードⅤ」が最初で、

次が「エピソードⅣ」ということになっています。

テレビで第1作を後から見て、納得した面もありましたが、

この地上波(当時は地上波しかないけど)吹替え版は、

ルークが太陽にほえろの「ラガー刑事」こと渡辺徹さんはまだ良いとして、

レイア姫は「コメットさん」「グリコ・プッチンプリン」で

人気のアイドル大場久美子ちゃんで、

これが大変アレで、スートリーにイマイチ乗れなかった記憶があります。

その後の吹替え版はプロの声優さんに差し替えられたらしいですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は映画公開時にリアルタイムで見てきたわけですが、

今回で最後、ということでオープニングタイトルの

「a long time ago in a galaxy far far away」から、

アタマの中でいろんな記憶がグルグルと渦巻いて

感動が高まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターウォーズを知ってから43年、

はじめてスターウォーズを映画館で観た1980年からはちょうど40年。

最初は男友達と見にいったが、

そのうち女友達と見にいったこともあり、

大学卒業後の特別版からは現在の妻と、

そして1999年からの新3部作は子供も一緒に楽しんだ。

最初は小さかった子供たちも、

ワタシが妻と知り合った年齢くらいになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさに大河ドラマ。

最初に観たとき、この話をすべて観るのに40年かかる、

とは思いもよらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネタバレいやな方は以下はとばしてください。

肝心の映画についてはいろいろなご意見があるようですが、

ワタシ的にはこれで良かった、満足しました。

万人に支持されるストーリーはないし、これだけ広げた風呂敷を畳むには

それほど多くの畳み方は無いと思います。

だから、ここは予定通り、予想通りでけっこう、

冒険や、意外性や、問題提起はもはやカンベンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前作の公開直前に死去されたキャリー・フィッシャーさんについては

代役を立てず、生前に残されたフィルムを編集してまとめたそうで、

その手腕は見事でした。

紅白歌合戦のAI美空ひばり、ヤバかったからなあ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 個人的には最後にまた「Xウイング」が活躍して大満足。

レッド5が引き上げられるシーンは感動モノ。

フォースの力で水の中から出てくるシーンはダコバの沼のあのシーンを思い出させますね。

レイはルークと同じ反乱軍のマークのヘルメットだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イイとこ持ってったのはランド。

イイ感じに老けましたね。

もともと、ファルコンはランドの船だったしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、当時もポンコツだが銀河一早かったミレニアム・ファルコンは

40年以上たった今でもダントツに早いのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、「完結」したスターウォーズ。

この歳まで生きていてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もっとも第1作を含め、今までに

今回を含めて4回「完結」しているスターウォーズ。

ディズニーのことだから、このままでは終わらないとは思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スカイウォーカー家に関してはこれで一応終わった、はず?

でも、死んだはずのキャラの復活や隠されていた血縁が後からわかるのが

この物語の定石ですから、わかりませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョージ・ルーカスさんは現在75歳だそうです。

すばらしい映画をありがとうございました。

 

 

 

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2019.08.16

サマーソニック2019

夏休み最後の16日金曜日。

お出かけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝7時53分のりょうもう号、朝メシは車内で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは海浜幕張。

今年は、電車できましたサマーソニック。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、台風のあとの強風で、列車は徐行運転になりかなり遅れた。

何しろ、こんな状態。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、大半は室内だし、雨さえ降らなければ球場は問題ないでしょう。

駅から続くヒトの波。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、やってきました。

3年連続3回目の出場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし今年は娘が仕事が忙しいため、オヤジ1人の参戦です。

現在30℃、午後は晴れて31℃か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は一人なので、相方を気にすることはないので、

あらかじめ予習をして、マイタイムテーブルを決めてきました。

電車が大幅に遅れたのでグッズ売り場に並ぶ時間は無くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐさまバスでマリンスタジアムへ移動です。

この辺過去の経験が生きて、無駄な動きが無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリンスタジアムに到着。

風は強めだが、あまり問題なし。

ビール飲んだ後の紙コップとばさないようにしないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お昼の食べ物も物色しつつスタジアムに向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時スタートのライブ、始まったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初のお目当てはこのバンド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「The Struts」は今まで聴いたこともないバンドだが、

アーチスト紹介の文章に、ストーンズ、ガンズ、モトリー、フーファイが

サポートアクトに抜擢とあったのを見て、まずはコレだな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うむ、間違いなし。

サウンド、ルックス的には1970年代中盤のバンド、

モット・ザ・フープルとかニューヨーク・ドールズあたりを連想させます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リードボーカルはたしかにサードアルバムまでの

フレディ・マーキュリーを彷彿とさせるかも。ルックス的にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イマドキ、まだ、こんなバンドあるんだなあ、とウレシかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よし、一個目は満足、ということで昼メシにします。

あまり暑くないので、メッセに行く前にスタンドで食べることに。

メニューの魅力と、列の長さから、まあ、この辺かな、と。

美味しそうでも長い列に並ぶのはカンベン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタッフは、みんな、後ろの方に名札がついている。

これは、バイトの子でも後ろから声をかけやすく、実に合理的だ。

スバラシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジンギスガゥ丼¥1000。

まあ、こんなもんでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サマソニのオフィシャルビールは「プレモル香るエール」。

途中、強風で泡が飛ばされだしたので、運ぶ途中ちょっと飲みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタンドはあくまで昼メシを座って食べるために来たのだが、

あれ、このバンド去年も見たぞ。

せっかくの昼メシ時なのに、なんか、つまんないバンドで、残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見たくても時間が合わずに見られないバンドもあるが、

見たくもないのにそこでやってるバンドもあり、

ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サマーソニックは今年は20周年のため普段の土日開催だけではなく、

金曜日からの3日間開催。

土曜日は仕事なので、お盆休みの金曜日か、日曜日しか行けない。

日曜日の出演アーチストにひとつも興味がわかなかったので、金曜日にしたのだが、

ホントは、ラインナップ的には土曜日が一番良かったんだよねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、メシ食って、今度はメッセに移動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このちょっと前から大変な事態が勃発。

出かける前、廊下で歩きながらぶつけた足の小指が、どんどん痛くなってきた。

びっこをひかないと歩けないほどになり、もしや骨折でもしてるかとも思ったが、

どうやら、付き指だけらしい。

抗凝固剤を内服しているので、内出血が起こり腫れがひどいようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、素早い移動が困難になってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、2番目に狙っていたのは「ALLiSTER」。

メッセ中央のレインボーステージです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結成20年のメロコア・バンド。

まったく聞いたことなかったが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、どストライクであった。

グリーンデイを思わせるポップ・パンクは

聴いていて、すぐ演奏してみたくなるような曲ばかり。

あー、バンド、やりてー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このベース/ボーカルのスコット・マーフィー氏は、シカゴ出身のアメリカ人だが

日本語が、超達者。

外国人のしゃべる日本語のレベルではなく、完全にネイティブの発音である。

子供のころ日本で暮らしたのかと思いきや、

2001年に初来日した際、日本の文化と言語に興味を抱き、

独学で日本語を勉強したというからスゴイ。

途中、日本の曲(たぶんスピッツのカバー)を演奏してお客さんを喜ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギターの彼も日本語勉強してるようですが、

「オレノニホンゴハ、スゴイヨ。」

的な、外人アクセントで、またウケる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一人のギターは日系人だが、また全くしゃべらない、という。

まあ、日本語うんぬんよりも、バンドとしてカッコよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この頃になると、もう足を引きずって移動するようで、

他を覗いてからと思ったが、早めに次の目的地であるマウンテンステージへ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マウンテンステージはメッセ会場の一番西。

早く来たので、まだ前のアーチストが演奏中。

「リトル・グリー・モンスター」は、名前を聞くとパンクかメタルのバンドみたいだが、

女の子5人組のコーラスグループでした。

会場の隅っこで座って、うたたね。

足痛いので右足の靴は脱いで休みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回のワタシの目玉はコレ。

「バナナラマ」は1981年、

セックスピストルズのスティーブ・ジョーンズとポール・クックのサポートでデビューした

(当時は)ニューウェイブと言われたジャンルのガール・グループ。

デビューアルバム買いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、まだ、活動していたとは。

当時は3人でしたが今は2人で活動中らしい。

2人は4歳からの幼なじみで1962年生まれというから、ワタシより2個下、58歳か。

ポップでキュートだったバナナラマも、それなりにオバサンになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、貫禄はついたけど表情も仕草も、当時の可愛らしさを残していて、

ムカシから知ってる身としてはちょっとウレシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曲も懐かしかったけど、ニューウェイブ色を感じる初期の曲は少なく、

打ち込みディスコ系(森高系、ベイブ系?)の中後期の曲が多かった。

まあ、考えてみれば、そのスタイルになってからブレイクしたわけで、当然といえば当然。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシ的には、これ聴きたかった。ナツカシー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、「ヴィーナス」や「キスしてグッバイ」も聴けたので良かった良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この「ヴィーナス」は日本では長山洋子さんがカバーしました。

って、今のヒトは信じないかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてお次は、もう一回、マリンステージに移動。

けっきょく午後になっても晴れなかったので、日焼け的には助かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステージでは「ウィーザ―」の演奏が始まっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタンドはほぼ満員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この「ウィーザ―」名前は聴いて知っていましたが、

曲を聞いたことはほぼありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、イマイチ、かな。

ただ、TOTOの「アフリカ」と、A-haの「テイク・オン・ミー」をカバーしたので、

知ってる曲もあったということで。

このカバーの選曲も、ちょっと私の趣味とは違いますけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このマリンスタジアム、名前の通り、向こうはすぐ海です。

このすき間から、海が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強風でかなり白波がたっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、このバンドを最後まで見て、帰ることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当初の予定ではこの「ウィーザ―」を早めに切り上げ、

またレインボーステージに戻ってマイケル・モンローを見ようかと思っていたのですが、

もう、足が痛くて、ダメ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのほか、ラウドネスもフォールアウトボーイもビーズも

興味は全く無いので帰宅、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日は「ランシド」と「ダムド」が出るのだが、仕事なので仕方がない。

また、来年来ます!

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.06.22

計算ドリル

夕方、受診する小学生の中には、

宿題を持参して、待合室でやっている子がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと目にとまった「計算ドリル」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、もっともキライなヤツだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

算数は音楽やスポーツと同じ「先天的才能」が大きく関与するが、

おそらくワタシにはその才能は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えば国語なぞは、漢字書き取りを除けば、

小、中学校時代はいつもほぼ満点、

高校、大学受験でも古文、漢文はともかく

試験勉強的なことをした記憶がほとんどないにもかかわらず、

現国は常に高得点であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、算数は、ともかく計算が苦手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それがわかったのは小学2年生の時。

授業でヒトケタの足し算を20問くらい、

できた順に先生のところにノートを持って行って採点してもらう、

ということがあった。

みんながどんどん仕上げて、先生にみてもらったが、

ワタシが持って行ったのはクラスの半分より後ろだったと思う。

担任の若い女性のU先生は、ワタシの顔をビックリしてみながら、

「小倉くん、ずいぶん遅いね。」

と言ったことを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以後算数は、ワタシの超苦手科目であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、だいたい年度の初めは「数と計算」で、チョー苦手だが、

2学期後半から「図形」関連、いわゆる「幾何」になるので、

ここからは、大変算数が楽しくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 算数はやがて数学になり、中学から高校になるにつれ、

数字が減って、a,b,c,やx,y,z,になってくると、

数学は次第に苦手科目ではなくなり、むしろ得点の狙える科目にかわってきた。

方程式、二次関数、微分、積分など、問題を解く喜びもあり、

助かった、と思ったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でも、数字は苦手で、買い物のおつりとか、

グループで呑みに行った時のワリカンとかは、

基本、ひとまかせである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 てなわけで、たとえば高校の数学参考書などは、

ヒマがあったら、買ってみてまた問題を解いてみたいな、と思うことはあるのだが、

小学校の算数ドリルだけは、カネもらっても絶対やる気はないぞ。

 

 

 

 

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2019.05.30

高崎の夜

 水曜日の飲み会は高崎。

ホテルにチェックインし、ゆっくり風呂に入ってから出かけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビジネスホテルながら大浴場があるので、ココにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー、癒される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場はコチラ。

魚介メインの洋風居酒屋。

2時間飲み放題つきで¥3500!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 30年以上前、いっしょにタウン誌を通じてミニFM放送局をやっていたメンバー。

一人転職するので、という

どうでもいいこじつけの理由で飲み会を開きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遅れてきたK氏。

高崎から新宿まで通勤しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何しろ、ミニFMとはいえ、放送局なので、男子はワタシ以外はみな技術屋。

今もコンピュータや電気通信関係のお仕事をしている理系集団です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、良いオヤジ、オバサンになったが、再会すれば気分は20代。

いや、今年50歳のY君は当初まだ高校生だったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年齢、職業など様々ですが、気の置けない仲間との楽しいひと時でした。

 

 

 

 

 

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2019.05.24

パンク医学生のころ

 この間、書いた遠藤ミチロウ氏の記事に

なんと、コイト君からコメントあり。

彼はたしか教育学部だったかと思うが、

学校の先生やってんのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてツイッターにこんなポスターを上げてくれた。

そう、ワタシがTHE STALINの前座をつとめた際の

学園祭のポスター。

ランドセルがワタシのバンドです。

バンド名は「P-MODEL」のセカンドアルバムタイトルから。

曲はオリジナルですが、ジャンルは、このころは

まあ「パンク」から「ニューウェーブ」(死語か?)(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のようにインターネットがない時代。

チケットは8か所、あとは手売り。

東京でも売ってたんですね。

トップにある「ガルシア」というのは、

前橋市に当時唯一あったライブハウス。

群大軽音時代よく出演したりライブを見たりしましたが、

アヤシイお店だったなあ。

薄暗くて、なんか変なクスリ打たれちゃうそうな・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場へのアクセスは

「国鉄前橋駅より渋川新町行バス前橋自動車教習所前下車」

おー、これはワタシのかつての通学路。

「国鉄」がシブイですねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スポンサーは日産チェリー群馬。

日産マーチは今もあるけど、

当時のこのマーチは近藤真彦がCMキャラクターで

「マッチのマーチ」がキャッチコピーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて、このポスター1枚から

いろいろな昭和の記憶が芋づる式に出てくるもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学生時代、ライブの時はスプレーで髪を赤や青に染め、

そのまま打ち上げいって、さんざん飲んで下宿で寝てしまう。

朝、二日酔いで起きて、洗面所の鏡で髪の毛の色見て一気に目が覚め、

あわててシャワーでスプレー落として、

白衣ひっかけて病院実習に行ったっけ。(^^;)

 

 

 

 

 

 

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2019.05.06

アメリカばかりがなぜ赤い~遠藤ミチロウ氏の死を悼む

 5年前のゴールデンウィークに飛び込んできたのは

58歳で亡くなった忌野清志郎氏の訃報であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また、今年の同じ時期、

日本の偉大なパンクロッカー、遠藤ミチロウ氏の死亡のニュースが、

新元号令和のスタートに相前後して伝えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1950年11月生まれ、というから享年68歳。

1980年ザ・スターリンを結成。

その先鋭的なパンクサウンドと、過激で暴力的なステージパフォーマンスで、

たちまち日本全国で賞賛と非難の嵐を巻き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時ワタシは、大学2年生、数年前にパンクロックの洗礼を受け、

パンク~ニューウェーブに夢中で、バンドを結成し、

四六時中ロックのことばかり考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、ザ・スターリンの典型的なパンクロックのスタイルは、

その時、すでに若干色あせた、時代の先端からはちょっと遅れた音楽であった。

セックス・ピストルズはとっくに過去のもになり、

ザ・クラッシュはその半年前に名盤「ロンドン・コーリング」を発表し、

ストレートな古典的パンクから、

レゲエ、ダブをとりこんだ方向にその音楽性を広げていた。

ところが、そんなザ・スターリンのデビューアルバム「STOP☆JAP」を聴いて

その完成度の高さに愕然として、ワタシはあっという間に虜になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドン・パンクのスタイルだけを単に模倣して

日本語の歌詞をのせたグループもあったが、

そのあまりの歌詞の幼稚さに、どうも入りこめないワタシがいた。

もともと、洋楽至上主義のワタシとしては、ロックは英語という概念があり、

例えば日本のパンクバンドとしてはそこそこ成功した「アナーキー」などは、

あー、コイツら、ホント、アタマ悪そう、という感じで、

聴いててハズカシイ歌詞も多く、

とても聴きこんだり、演奏したりする気は起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが「ザ・スターリン」は、違った。

サウンドの切れ味、レコーディングの音圧のかけ方もスバラシイが、

ともかく、遠藤ミチロウの書く歌詞の切り口、

単語の選び方、カッコ良さは、どれも新鮮で

こんな書き方があったのか、という衝撃であった。

まさに、詩人、文学といっても良い「作品」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠藤ミチロウ氏は、実は福島県一番の進学校、

福島県立福島高校から国立山形大学人文学部卒業、

アタマ、良いのである。

そして、文学センスは抜群。

この辺、ワタシがやはり大好きだったバンド「INU」のことにも重なる。

1981年の「INU」のデビューアルバム「メシ喰うな!」は

ポスト・パンク的なサウンドで、チョーハマったが、歌詞もカッコよかった。

リーダーの町田町蔵は、のちに町田康として芥川賞作家となる。

歌詞を書く、ということは音楽的才能ではなく、文学のセンスが必要だということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシの一番の思い出といえば「ザ・スターリン」の前座である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのあまりの暴力的、破壊的なステージから、

各地のライブ会場の多くは彼らには会場を貸さない、

ということになったザ・スターリンだが、

なんと、群馬大学荒巻キャンパスの学園祭でのコンサートが実現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らを呼んだのは教育学部の学生、コイトくんという男で、

パンク、ニューウェイブの大ファン。

自分では演奏しないが、その前年にはやはり群馬大の学園祭に

東京のパンク~ニューウェイブのバンドをいくつか呼んで、ライブを行った。

アンダーマーケット・ギグと銘打ったそのイベントは

ゼルダなどの有名バンドも出演し盛況であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コイトくんは、ワタシが当時やっていたバンド

「LANDSALE」の大ファンでもあり、良くライブに来てくれていた。

その彼から、相談を受けたのである。

今度の学園祭でザ・スターリンを呼びたいんだけど、

その前座を「LANDSALE」でやってくれないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「スターリン、来るのか?」

「来る、10万円で来てくれる。

ただし、他のバンドはブッキングできないので

オグラくんとこのバンドにお願いしたい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝説のバンド、ザ・スターリンの前座か・・・・、

正直かなりビビったけど、けっきょく受けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、学園祭の当日。

荒巻キャンパスは前橋駅からバスで20分ほど。

前橋教習所前停留所で降りるが、その日そのバス停は、

バスが停まるたびにつぎつぎ吐き出されてくる

異様な風体のヒトビトで普段とは全く違う風景になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その革ジャン、ハナピアス、カラフルなトンガリヘアー、の一群は

まっすぐ群馬大正門に向かい、学生ホールに吸い込まれていく。

限られた場所でしたコンサートを行えないザ・スターリンを見に、

日本各地から、過激なパンクスが集合したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー。怖え~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開演時間。

オールスタンディングの学生ホールは、パンクスたちで満員。

照明が落ちるとともに、スターリン、スターリンの大合唱。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに出てくのか・・・・・・(@_@。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えいやっと、ばかりにステージに飛び込んだワレワレ。

わーっという歓声は、なんだスターリンじゃねねのかよ、というどよめきに変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 演奏を始めると、会場全体がうねるようだ。

すると真っ暗な中に、パッとライターの火が見えた。

とその次の瞬間、放物線を描いてステージに投げ込まれた物体が、

激しい音とともに炸裂、火薬のニオイがハナを衝く。

爆竹である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると、それが合図のように会場のあちこちで火がともり、

次々に爆竹が投げ込まれる。

アブナイ、アブナイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、もっとヤバいものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あそこで火がついたなと思ったら、こんどは放物線ではなく

ヒューという音とともにライナーでこちらに飛んでくる。

それが足元で、爆発。

ロケット花火である。

爆竹なら避けようがあるが、これがまっすぐ飛んで来たら避けようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも何とか、予定の5曲を演奏し、

もう最後は逃げるようにステージ裏に避難した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽屋では出番を待つ遠藤ミチロウ氏が、うずくまって

ブツブツなにやら独り言を言っている。

実に、物静かでクライ感じ。

何か、精神を集中しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バンドが演奏はじめてから、遅れてステージに向かったミチロウ氏は、

大声で、観客をあおると、いきなりスピーカーにのりかかって、

客席に水をぶちまけ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきまでのおとなしい姿とは、全く別人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、プロのロッカーだ、スゲエ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ワレワレは、ステージに押し寄せる観客を必死に抑え、

PAなどの機材を守る側になったので、

ちゃんと曲を聴けたわけでは無いが、ともかくすごいステージでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ほどなく、ザ・スターリンは解散してしまたわけだが、

あの日のライブは今でも夢のような経験です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠藤ミチロウ氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 

https://youtu.be/CGyDr39VpTA

 

 

3件のコメント
2019.04.11

「ニュープリンス」と「トータル」

 教科書つながりで思い出したこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学1年生から「英語」の授業が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは小学校時代、習い事は「習字」のみでしたが、

英語だけは小学校5年生から、近くの塾に

通わされるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「○○ゼミナール」とか「××進学塾」なんていう

いわゆる大手の「予備校」ではなく、

(そもそも、そんなものは田舎町にはなかった)

近所のおばさんが、口コミで集めた子供たちを教えている、

という寺子屋みたいなものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハラダ先生は、子供さんが一人いるシングルマザーで、

自宅の部屋を利用して、7.8人入れる教室で

小・中学生に英語を教えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこに週1回通い、最初に習ったのが「万国音標文字」、

いわゆる「発音記号」でした。

毎週毎週、こればっかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかげでワタシはカタカナで英語を覚えたことはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、次にアルファベットのブロック体と筆記体を習いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、いよいよ「教科書」の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、地元の中学校で採用されていたのは

「開隆堂」の「New Prince Readers」。

自由の女神が表紙の、通称「ニュープリンス」です。

なので、6年生のころ、この教科書を少し塾で勉強しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この、最初は「Lesson 1」。

内容は、たしか、

「A pen.

A desk.

This is a pen.

This is a desk.」

これは、うろ覚えですが、

いわゆる、有名な「This is a pen.」

のフレーズは、ここにあったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、ワタシが中学に上がるときに、

足利市教育委員会は英語の教科書を開隆堂から

三省堂の「Total English Junior Crown Series」

通称「トータル」に変更したのです。

なので、ワタシは1年生の教科書の最初の部分に関しては、

2種類の教科書で習いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ニュークラウン」が「Be動詞」から入るのに対し、

「トータル」は「一般動詞」から始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は「Step 1」です。

「ニュープリンス」が「Lesson」なのに対し、ここも差別化しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内容は、以下のものです。(多分、確実。)

「I like English.

I study it.

I speak it.

You like English.

You study it.

You speak it.

You and I like English.

We study it.

We speak it.」

もしかしたら4行目は

「You like English,too.」

だったかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてみると、こっちはかなり難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、「Be動詞」より「一般動詞」から入る方が

自然だとは思いますが。、いきなり覚える単語多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 登場人物もたしか「ニュープリンス」は

男の子が「Ben」女の子が「Lucy」先生が「Miss Green」だったかと思うが

「トータル」では

男の子「Vincent」で、やや難しく、

女の子は「Susie」(スペリングは「スシエ」と覚えた)だけど、

先生はたしか「Miss Lovelace」。

しかも「Vincent」は「スタニスラス(スペリング忘れた)」くんという

ロシア人(当時はソビエト人)のペンフレンドがいたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、今にして思うと当時は東西冷戦の真っただ中であり、

その中で、アメリカ人のビンセント君とソビエト人のスタニスラス君の

鉄のカーテンを越えた友情というのは、

世界平和を願う教科書編纂者の思いがあったのかも、

と、深読みしちゃったりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんせ、このペンフレンドのエピソードのタイトルは

「From Russia with love」!

そう、007ボンド映画の最高傑作のタイトル、

邦題は「ロシアより愛をこめて」。

なんと、粋なセンスでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、中学生だったビンセント君もスタニスラス君も、

やっぱりもう還暦なんだろうか。

 

 

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2019.04.10

この新鮮な気持ちを

 新学期が始まり、入学式も行われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい学年の始まり、いいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが小学校に入学したのは昭和41年。

1年2組、名札は青色。1組が赤、3組が黄色。

担任は河内先生、トナリの席は金井みつこちゃん、

字は「美津子」だったと思う。

そして、覚えているのは国語の教科書の最初のページ、

「みえる、みえる。」

でした。

これは、多分、確実。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、高台から景色を眺めている挿絵で、

先生は、その絵を見ながら

「○○くん、なにがみえますか?」

みたいな、授業をしていたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次のページが

「うみがみえる。ふねもみえるよ。のってみたいな。」

だったような気もするが、これは不確か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学校2年生の時の担任は若い女の先生で、

ウエタケ先生、だった。

字は「上武」だったと思うが確実ではない。

国語の教科書の一番最初は、たしかフナの3兄弟が、

池から川に流されて冒険をするような話だったかと・・・。

ストーリーは覚えてませんが、挿絵の3匹のフナのうち、

一匹だけ目がデカかったのを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、小学校3年生以降の国語の教科書は、覚えていないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、昭和47年、足利市立第一中学校に入学、

1年2組、担任は技術家庭の坂本先生、

で、国語の教科書の最初の部分は、これまた覚えているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイトルは「この新鮮な気持ちを」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、ネットで検索すると、出てくるんですねー。

さすが、グーグル先生。

この新鮮な気持ちを(石森延男)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、この「ルナールの言葉」は大変印象深く、

オトナになってから、本を買ったほどです。

その中の

「川、水は決して同じものではないが、同じ様子をしている・」

という文に対し、授業の時に国語の沼尻先生が

「これは、日本の鴨長明というヒトが方丈記で同じことを言っている。」

という解説をしたのだが、

そのころはむろん、「カモノチョウメイ」も「ホウジョウキ」も知らなかったので、

なんのこっちゃ、と思っていました。

その後、高校の古文で

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」

というのに出会い、おー、これかー、と数年ぶりに思ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年の新しい1年生は、どんな教科書を開くのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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