ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2019.06.22

計算ドリル

夕方、受診する小学生の中には、

宿題を持参して、待合室でやっている子がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと目にとまった「計算ドリル」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、もっともキライなヤツだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

算数は音楽やスポーツと同じ「先天的才能」が大きく関与するが、

おそらくワタシにはその才能は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えば国語なぞは、漢字書き取りを除けば、

小、中学校時代はいつもほぼ満点、

高校、大学受験でも古文、漢文はともかく

試験勉強的なことをした記憶がほとんどないにもかかわらず、

現国は常に高得点であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、算数は、ともかく計算が苦手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それがわかったのは小学2年生の時。

授業でヒトケタの足し算を20問くらい、

できた順に先生のところにノートを持って行って採点してもらう、

ということがあった。

みんながどんどん仕上げて、先生にみてもらったが、

ワタシが持って行ったのはクラスの半分より後ろだったと思う。

担任の若い女性のU先生は、ワタシの顔をビックリしてみながら、

「小倉くん、ずいぶん遅いね。」

と言ったことを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以後算数は、ワタシの超苦手科目であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、だいたい年度の初めは「数と計算」で、チョー苦手だが、

2学期後半から「図形」関連、いわゆる「幾何」になるので、

ここからは、大変算数が楽しくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 算数はやがて数学になり、中学から高校になるにつれ、

数字が減って、a,b,c,やx,y,z,になってくると、

数学は次第に苦手科目ではなくなり、むしろ得点の狙える科目にかわってきた。

方程式、二次関数、微分、積分など、問題を解く喜びもあり、

助かった、と思ったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でも、数字は苦手で、買い物のおつりとか、

グループで呑みに行った時のワリカンとかは、

基本、ひとまかせである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 てなわけで、たとえば高校の数学参考書などは、

ヒマがあったら、買ってみてまた問題を解いてみたいな、と思うことはあるのだが、

小学校の算数ドリルだけは、カネもらっても絶対やる気はないぞ。

 

 

 

 


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2019.05.30

高崎の夜

 水曜日の飲み会は高崎。

ホテルにチェックインし、ゆっくり風呂に入ってから出かけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビジネスホテルながら大浴場があるので、ココにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー、癒される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場はコチラ。

魚介メインの洋風居酒屋。

2時間飲み放題つきで¥3500!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 30年以上前、いっしょにタウン誌を通じてミニFM放送局をやっていたメンバー。

一人転職するので、という

どうでもいいこじつけの理由で飲み会を開きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遅れてきたK氏。

高崎から新宿まで通勤しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何しろ、ミニFMとはいえ、放送局なので、男子はワタシ以外はみな技術屋。

今もコンピュータや電気通信関係のお仕事をしている理系集団です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、良いオヤジ、オバサンになったが、再会すれば気分は20代。

いや、今年50歳のY君は当初まだ高校生だったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年齢、職業など様々ですが、気の置けない仲間との楽しいひと時でした。

 

 

 

 

 


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2019.05.24

パンク医学生のころ

 この間、書いた遠藤ミチロウ氏の記事に

なんと、コイト君からコメントあり。

彼はたしか教育学部だったかと思うが、

学校の先生やってんのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてツイッターにこんなポスターを上げてくれた。

そう、ワタシがTHE STALINの前座をつとめた際の

学園祭のポスター。

ランドセルがワタシのバンドです。

バンド名は「P-MODEL」のセカンドアルバムタイトルから。

曲はオリジナルですが、ジャンルは、このころは

まあ「パンク」から「ニューウェーブ」(死語か?)(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のようにインターネットがない時代。

チケットは8か所、あとは手売り。

東京でも売ってたんですね。

トップにある「ガルシア」というのは、

前橋市に当時唯一あったライブハウス。

群大軽音時代よく出演したりライブを見たりしましたが、

アヤシイお店だったなあ。

薄暗くて、なんか変なクスリ打たれちゃうそうな・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場へのアクセスは

「国鉄前橋駅より渋川新町行バス前橋自動車教習所前下車」

おー、これはワタシのかつての通学路。

「国鉄」がシブイですねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スポンサーは日産チェリー群馬。

日産マーチは今もあるけど、

当時のこのマーチは近藤真彦がCMキャラクターで

「マッチのマーチ」がキャッチコピーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて、このポスター1枚から

いろいろな昭和の記憶が芋づる式に出てくるもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学生時代、ライブの時はスプレーで髪を赤や青に染め、

そのまま打ち上げいって、さんざん飲んで下宿で寝てしまう。

朝、二日酔いで起きて、洗面所の鏡で髪の毛の色見て一気に目が覚め、

あわててシャワーでスプレー落として、

白衣ひっかけて病院実習に行ったっけ。(^^;)

 

 

 

 

 

 


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2019.05.06

アメリカばかりがなぜ赤い~遠藤ミチロウ氏の死を悼む

 5年前のゴールデンウィークに飛び込んできたのは

58歳で亡くなった忌野清志郎氏の訃報であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また、今年の同じ時期、

日本の偉大なパンクロッカー、遠藤ミチロウ氏の死亡のニュースが、

新元号令和のスタートに相前後して伝えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1950年11月生まれ、というから享年68歳。

1980年ザ・スターリンを結成。

その先鋭的なパンクサウンドと、過激で暴力的なステージパフォーマンスで、

たちまち日本全国で賞賛と非難の嵐を巻き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時ワタシは、大学2年生、数年前にパンクロックの洗礼を受け、

パンク~ニューウェーブに夢中で、バンドを結成し、

四六時中ロックのことばかり考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、ザ・スターリンの典型的なパンクロックのスタイルは、

その時、すでに若干色あせた、時代の先端からはちょっと遅れた音楽であった。

セックス・ピストルズはとっくに過去のもになり、

ザ・クラッシュはその半年前に名盤「ロンドン・コーリング」を発表し、

ストレートな古典的パンクから、

レゲエ、ダブをとりこんだ方向にその音楽性を広げていた。

ところが、そんなザ・スターリンのデビューアルバム「STOP☆JAP」を聴いて

その完成度の高さに愕然として、ワタシはあっという間に虜になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロンドン・パンクのスタイルだけを単に模倣して

日本語の歌詞をのせたグループもあったが、

そのあまりの歌詞の幼稚さに、どうも入りこめないワタシがいた。

もともと、洋楽至上主義のワタシとしては、ロックは英語という概念があり、

例えば日本のパンクバンドとしてはそこそこ成功した「アナーキー」などは、

あー、コイツら、ホント、アタマ悪そう、という感じで、

聴いててハズカシイ歌詞も多く、

とても聴きこんだり、演奏したりする気は起きなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが「ザ・スターリン」は、違った。

サウンドの切れ味、レコーディングの音圧のかけ方もスバラシイが、

ともかく、遠藤ミチロウの書く歌詞の切り口、

単語の選び方、カッコ良さは、どれも新鮮で

こんな書き方があったのか、という衝撃であった。

まさに、詩人、文学といっても良い「作品」であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠藤ミチロウ氏は、実は福島県一番の進学校、

福島県立福島高校から国立山形大学人文学部卒業、

アタマ、良いのである。

そして、文学センスは抜群。

この辺、ワタシがやはり大好きだったバンド「INU」のことにも重なる。

1981年の「INU」のデビューアルバム「メシ喰うな!」は

ポスト・パンク的なサウンドで、チョーハマったが、歌詞もカッコよかった。

リーダーの町田町蔵は、のちに町田康として芥川賞作家となる。

歌詞を書く、ということは音楽的才能ではなく、文学のセンスが必要だということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシの一番の思い出といえば「ザ・スターリン」の前座である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのあまりの暴力的、破壊的なステージから、

各地のライブ会場の多くは彼らには会場を貸さない、

ということになったザ・スターリンだが、

なんと、群馬大学荒巻キャンパスの学園祭でのコンサートが実現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らを呼んだのは教育学部の学生、コイトくんという男で、

パンク、ニューウェイブの大ファン。

自分では演奏しないが、その前年にはやはり群馬大の学園祭に

東京のパンク~ニューウェイブのバンドをいくつか呼んで、ライブを行った。

アンダーマーケット・ギグと銘打ったそのイベントは

ゼルダなどの有名バンドも出演し盛況であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コイトくんは、ワタシが当時やっていたバンド

「LANDSALE」の大ファンでもあり、良くライブに来てくれていた。

その彼から、相談を受けたのである。

今度の学園祭でザ・スターリンを呼びたいんだけど、

その前座を「LANDSALE」でやってくれないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「スターリン、来るのか?」

「来る、10万円で来てくれる。

ただし、他のバンドはブッキングできないので

オグラくんとこのバンドにお願いしたい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝説のバンド、ザ・スターリンの前座か・・・・、

正直かなりビビったけど、けっきょく受けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、学園祭の当日。

荒巻キャンパスは前橋駅からバスで20分ほど。

前橋教習所前停留所で降りるが、その日そのバス停は、

バスが停まるたびにつぎつぎ吐き出されてくる

異様な風体のヒトビトで普段とは全く違う風景になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その革ジャン、ハナピアス、カラフルなトンガリヘアー、の一群は

まっすぐ群馬大正門に向かい、学生ホールに吸い込まれていく。

限られた場所でしたコンサートを行えないザ・スターリンを見に、

日本各地から、過激なパンクスが集合したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー。怖え~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開演時間。

オールスタンディングの学生ホールは、パンクスたちで満員。

照明が落ちるとともに、スターリン、スターリンの大合唱。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに出てくのか・・・・・・(@_@。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 えいやっと、ばかりにステージに飛び込んだワレワレ。

わーっという歓声は、なんだスターリンじゃねねのかよ、というどよめきに変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 演奏を始めると、会場全体がうねるようだ。

すると真っ暗な中に、パッとライターの火が見えた。

とその次の瞬間、放物線を描いてステージに投げ込まれた物体が、

激しい音とともに炸裂、火薬のニオイがハナを衝く。

爆竹である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すると、それが合図のように会場のあちこちで火がともり、

次々に爆竹が投げ込まれる。

アブナイ、アブナイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、もっとヤバいものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あそこで火がついたなと思ったら、こんどは放物線ではなく

ヒューという音とともにライナーでこちらに飛んでくる。

それが足元で、爆発。

ロケット花火である。

爆竹なら避けようがあるが、これがまっすぐ飛んで来たら避けようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも何とか、予定の5曲を演奏し、

もう最後は逃げるようにステージ裏に避難した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽屋では出番を待つ遠藤ミチロウ氏が、うずくまって

ブツブツなにやら独り言を言っている。

実に、物静かでクライ感じ。

何か、精神を集中しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バンドが演奏はじめてから、遅れてステージに向かったミチロウ氏は、

大声で、観客をあおると、いきなりスピーカーにのりかかって、

客席に水をぶちまけ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっきまでのおとなしい姿とは、全く別人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、プロのロッカーだ、スゲエ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ワレワレは、ステージに押し寄せる観客を必死に抑え、

PAなどの機材を守る側になったので、

ちゃんと曲を聴けたわけでは無いが、ともかくすごいステージでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ほどなく、ザ・スターリンは解散してしまたわけだが、

あの日のライブは今でも夢のような経験です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠藤ミチロウ氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 


2件のコメント
2019.04.11

「ニュープリンス」と「トータル」

 教科書つながりで思い出したこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学1年生から「英語」の授業が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは小学校時代、習い事は「習字」のみでしたが、

英語だけは小学校5年生から、近くの塾に

通わされるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「○○ゼミナール」とか「××進学塾」なんていう

いわゆる大手の「予備校」ではなく、

(そもそも、そんなものは田舎町にはなかった)

近所のおばさんが、口コミで集めた子供たちを教えている、

という寺子屋みたいなものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハラダ先生は、子供さんが一人いるシングルマザーで、

自宅の部屋を利用して、7.8人入れる教室で

小・中学生に英語を教えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこに週1回通い、最初に習ったのが「万国音標文字」、

いわゆる「発音記号」でした。

毎週毎週、こればっかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかげでワタシはカタカナで英語を覚えたことはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、次にアルファベットのブロック体と筆記体を習いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、いよいよ「教科書」の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、地元の中学校で採用されていたのは

「開隆堂」の「New Prince Readers」。

自由の女神が表紙の、通称「ニュープリンス」です。

なので、6年生のころ、この教科書を少し塾で勉強しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この、最初は「Lesson 1」。

内容は、たしか、

「A pen.

A desk.

This is a pen.

This is a desk.」

これは、うろ覚えですが、

いわゆる、有名な「This is a pen.」

のフレーズは、ここにあったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、ワタシが中学に上がるときに、

足利市教育委員会は英語の教科書を開隆堂から

三省堂の「Total English Junior Crown Series」

通称「トータル」に変更したのです。

なので、ワタシは1年生の教科書の最初の部分に関しては、

2種類の教科書で習いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ニュークラウン」が「Be動詞」から入るのに対し、

「トータル」は「一般動詞」から始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は「Step 1」です。

「ニュープリンス」が「Lesson」なのに対し、ここも差別化しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内容は、以下のものです。(多分、確実。)

「I like English.

I study it.

I speak it.

You like English.

You study it.

You speak it.

You and I like English.

We study it.

We speak it.」

もしかしたら4行目は

「You like English,too.」

だったかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてみると、こっちはかなり難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、「Be動詞」より「一般動詞」から入る方が

自然だとは思いますが。、いきなり覚える単語多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 登場人物もたしか「ニュープリンス」は

男の子が「Ben」女の子が「Lucy」先生が「Miss Green」だったかと思うが

「トータル」では

男の子「Vincent」で、やや難しく、

女の子は「Susie」(スペリングは「スシエ」と覚えた)だけど、

先生はたしか「Miss Lovelace」。

しかも「Vincent」は「スタニスラス(スペリング忘れた)」くんという

ロシア人(当時はソビエト人)のペンフレンドがいたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、今にして思うと当時は東西冷戦の真っただ中であり、

その中で、アメリカ人のビンセント君とソビエト人のスタニスラス君の

鉄のカーテンを越えた友情というのは、

世界平和を願う教科書編纂者の思いがあったのかも、

と、深読みしちゃったりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんせ、このペンフレンドのエピソードのタイトルは

「From Russia with love」!

そう、007ボンド映画の最高傑作のタイトル、

邦題は「ロシアより愛をこめて」。

なんと、粋なセンスでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時、中学生だったビンセント君もスタニスラス君も、

やっぱりもう還暦なんだろうか。

 

 


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2019.04.10

この新鮮な気持ちを

 新学期が始まり、入学式も行われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい学年の始まり、いいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが小学校に入学したのは昭和41年。

1年2組、名札は青色。1組が赤、3組が黄色。

担任は河内先生、トナリの席は金井みつこちゃん、

字は「美津子」だったと思う。

そして、覚えているのは国語の教科書の最初のページ、

「みえる、みえる。」

でした。

これは、多分、確実。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、高台から景色を眺めている挿絵で、

先生は、その絵を見ながら

「○○くん、なにがみえますか?」

みたいな、授業をしていたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次のページが

「うみがみえる。ふねもみえるよ。のってみたいな。」

だったような気もするが、これは不確か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学校2年生の時の担任は若い女の先生で、

ウエタケ先生、だった。

字は「上武」だったと思うが確実ではない。

国語の教科書の一番最初は、たしかフナの3兄弟が、

池から川に流されて冒険をするような話だったかと・・・。

ストーリーは覚えてませんが、挿絵の3匹のフナのうち、

一匹だけ目がデカかったのを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、小学校3年生以降の国語の教科書は、覚えていないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、昭和47年、足利市立第一中学校に入学、

1年2組、担任は技術家庭の坂本先生、

で、国語の教科書の最初の部分は、これまた覚えているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイトルは「この新鮮な気持ちを」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、ネットで検索すると、出てくるんですねー。

さすが、グーグル先生。

この新鮮な気持ちを(石森延男)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、この「ルナールの言葉」は大変印象深く、

オトナになってから、本を買ったほどです。

その中の

「川、水は決して同じものではないが、同じ様子をしている・」

という文に対し、授業の時に国語の沼尻先生が

「これは、日本の鴨長明というヒトが方丈記で同じことを言っている。」

という解説をしたのだが、

そのころはむろん、「カモノチョウメイ」も「ホウジョウキ」も知らなかったので、

なんのこっちゃ、と思っていました。

その後、高校の古文で

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」

というのに出会い、おー、これかー、と数年ぶりに思ったものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年の新しい1年生は、どんな教科書を開くのでしょうか。

 

 

 

 

 

 


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2019.03.11

わたらせTV

Rock&Pops 2019を録画しようと「わたらせTV」の番組表を調べていたら、

ある番組のタイトルに「!」反応。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、もしやと思い、録画してみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大澤伸啓くんは、ワタシの高校時代の同級生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足利学校の事務所長か、偉くなったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講演内容もなかなか興味深いものでした。

地元の歴史なのに知らなかったこと満載で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たしか、高校時代は放送部の部長で、

彼からロックバンドやっていた我々に、

ロックのDJ番組やってくれ、との依頼があり、

お昼の校内放送でパープルやツェッペリンをかけまくった。

一度、間違って、職員室にも大音量で流してしまい、教師に怒られたけど。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、3月のわたらせTVでは、

奇しくも足利高校昭和53年卒の2人の登場する番組が放送されています。(^O^)/

立派になった大澤くんに対しオレはいまだに進歩が無いのか。

いや、ギターもちょっとは上手くなったし、

なにより今はギブソンだし。

ここは、進歩か?(^^;)

 

 

 


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2019.02.21

チキンラーメンのない時代

 NHK朝の連ドラ「まんぷく」は、ご存知の通り

「チキンラーメン」を開発、インスタントラーメンの礎を築いた

安藤百福氏の成功物語をなぞったドラマです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インスタントラーメン・マニアのワタシとしては、

毎朝楽しみに見てたわけですが、

ここにきてようやく「チキンラーメン」が、

番組では「まんぷくラーメン」として、完成しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら、この朝ドラの影響で、全国的にチキンラーメンが売れてるようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そりゃそうだ。

やっぱり食べたくなりますね、食べるのにそうハードルの高い食べ物でもないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくいうワタシも、先日、スーパーで購入、食べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、昭和33年発売のこのチキンラーメン、

ワタシが子供のころ関東地方ではあまり売ってなかった、という記憶がある。

ちなみにワタシは昭和34年生まれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日清食品のホームページを見ても、その辺まったく記載がないのだが、

1980年代になるまであまりスーパーで見かけた記憶が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供のころはラーメンとはいえ、母親が作るわけで、

お湯かけてできる具のないラーメンなんか、子供に食べさせるわけにはいかない、

と思ったのかもしれないが、

ともかくチキンラーメンが食卓に上ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サッポロ一番、出前一丁、チャルメラは袋めんの御三家であり、

これらは食事としてしばしば提供され、

ワタシは「ゴマラー油」の出前一丁が好きだったので、

母に「ラーメンは出前一丁で」とリクエストしたことも覚えている。

だが、皆、鍋で煮るラーメンでお湯かけてできるラーメンはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オバQこと「おばけのQ太郎」は1965年、昭和40年からの放映で

当時ワタシは幼稚園の年長、大好きでよく見ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これに登場する有名なサブキャラが、言わずと知れた「小池さん」。

独身男性で、年がら年中インスタントラーメンを食べている設定だったのだが、

彼が食べていたのはお湯をかけて食べるラーメンだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、子供心には不思議で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのうち、いろいろな話を聴いて自分なりに

「かつてはお湯をかけて食べるラーメンがあったが、

いまは鍋で煮るラーメンにとってかわられた」

という結論に達し、それをずっと信じていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1970年の万博の前にチキンラーメンの発売元でもある日清食品は

「出前一丁食べて、万国博に行こう。」

という大々的なキャンペーンを打っていた。

「チキンラーメン」ではなく「出前一丁」の販売に力を入れていたわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、1971年発売の日清食品の「カップヌードル」の登場によって、

「お湯をかけて食べるラーメン」は「カップヌードル」ということになっていく。

当然、日清食品もこの画期的な新商品を売りまくるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袋めんを作っていた各社もこぞって「カップ麺」の開発、販売に力を注ぎ、

カップラーメン黄金時代が到来した。

ちょうどワタシが一人暮らしを始めた浪人~大学時代である。

ありとあらゆるカップラーメン、カップ焼きそばを食べた気がする。(^^;)

だが、チキンラーメンは、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにカップめんで好きだったのは

ワンタンの入ってるマルちゃんの「激めん」と

チャーシューの入っているエースコックの「大吉ラーメン」でした。

調べたらどちらも1978年の発売。

おお、まさにワタシが大学に落ちた年、浪人してた年でした(笑)。

下宿の電気ポットで作って夜食に食べた思い出が・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなカップラーメン黄金時代であったが、

ある時、例の「すぐおいしい、すごくおいしい」のCMソングにのって

チキンラーメンが、またまた市場に出回ってきたのである。

調べるとこのCMは1984年らしいから、ワタシの記憶に合致する。

1984年といえばワタシが大学6年生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、たぶん、1969年ころから1984年ころまでの15年ほどの間、

関東地方ではチキンラーメンがあまり売っていなかったはずなんですけど、

誰か、証明してくれる人、いませんか?

 

 

 

 

 


4件のコメント
2019.02.03

同級生がテレビに登場

 大学を卒業して、早や39年。

同級生だった、田村くんのニュースが、同窓会ネットワークから入りました。

NHK首都圏ネットワークに出たそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんでも「飛脚走り」という、疲れない走法を編み出して、実践。

沖縄の100㎞マラソンを完走したそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 田村くん、群馬県安中市出身で、たしかオレより2個上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やさしい、物静かな男であったが、こんなことしてるのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんにしても、同級生の活躍はウレシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても100㎞はスゴイな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステキな同級生をもって、光栄です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コチラで、番組が見られます

中に、お医者さんやってる田村くんが出てますが、

ワタシは医学生時代の彼しか知らないわけで、

おお、ちゃんと立派なお医者さんになってるなあ、

と、そこはちょっと不思議な感覚でした。

 

 


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2019.01.28

She was like a Bearded Rainbow

 ヒゲといえば、高校の時、英語の授業で

「日本語では全部ヒゲだが、

英語では、あごヒゲと口ヒゲと頬ヒゲは別なので3種類ある。」

と、教わったとき、

あー、メンドクセエ、覚える英単語が3倍になった、

と嘆いたものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あごヒゲは「beard」、口ヒゲは「mustache」、頬ヒゲは「whiskers」だという。

頬ヒゲは両側にあるから複数形になるそうで、

じゃあ、このダリ氏の場合は「mustaches」と複数形にしないと減点か、

などと受験生は考え込んでしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おまけに、モミアゲは「sideburns」だという。これも複数形。

モミアゲは、ヒゲなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、こういうのはなんていうの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モミアゲの「sideburns」は顔の両サイドが燃えてるように見えるから、

サイド・バーンなのかと思っていたら

なんと、この「バーンサイド少将」の名前に由来することを今回初めて知った。

なるほどインパクトのあるヒゲだが、これ、モミアゲ、ではないよなあ。

 

 しかも「バーンサイド」がいつの間にか「サイドバーン」になってるし。

「ギロッポン」や「ジャーマネ」「シース―」みたいなものか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、高校生のころ、この「beard」と「mustache」の暗記に役立ったのはこの曲。

ワタシの英単語ボキャブラリーはロックで覚えたものが多いのだ。

歌詞・訳詞はコチラ参照

 

 

 

 

 

 

 

 「bearded=ヒゲの生えた」であれば、コチラにも出てきます。

「I was raised by toothless bearded hag」

って、「オレは歯のねえヒゲ面のババアに育てられた。」ってこと。(^^;)

 

 


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