ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.07.31

8月2日のメモリー(第4話)


 前々々回からの続きです。
そちらから先にお読みください。
 茅野駅は八ヶ岳や蓼科高原の玄関口である。
 8月の夏山シーズン真っ盛りの朝、
駅からは色とりどりの登山服姿の人たちが
大きなリュックを背に、次々とはきだされてきて、
順次、各方面のバス停へと散ってていく。
 今日も天気がよさそうだ。
 そんな華やいだ雰囲気の中、
暗い顔をした若者が6人。
 「どうする、このあと。」
 「やっぱ、帰るしかねえだろ。1台じゃ無理だし。」
 「こっから、車に乗れないもんは電車で帰るか。荷物だけ車に乗せてもらってさ。」
 「ここから前橋まで、何線?どれくらいかかるの?」
 「さあな。」
 「フェリーや旅館に連絡入れないと・・。」
 オレは強い責任を感じて、ずっと黙っていた。
 ああ、オレがあんなバカなことしたばっかりに、
みんなに迷惑かけてしまった。
 一体どうしよう。
 せっかくの夏休みなのに・・・。
 その時、ふと、駅前にある看板が目にとまった。
 オレはとっさに口を開いた。
「いや、オレのせいで、すまん。
でも、ナントカ旅行に行こうよ。」
「どうやって?」
「あそこにレンタカーがある。
帰りにまたここ透るんだから、こっからレンタカー1台借りていこう。
オレが金だすよ。
今なら、まだ大阪のフェリー、間に合うよ。」
「レンタカーか。それなら行けるかも。」
「でも、オグラ、お前ダイジョブなのかよ、あんな事故った後で。」
「いや、オレは、大丈夫だよ。ケガもないし。」
 ホントは全然大丈夫じゃなく、気持ちは限りなく落ち込んでいたが、
仲間にこれ以上迷惑かけたくない、という思いで強がっていた。
 結局、レンタカー代は割り勘、ということで、
1台借りて再出発をすることにした。
 ただし、予算の関係で、エアコン付きはあきらめた。
 よーし、行こう。
 若干時間がタイトになったが、
予定通りのコース、諏訪インターから中央道に。
 名古屋からは名神高速道路にのる。
 大阪の阪神高速は首都高なみに複雑で、
ちょっとてこずったが、
それでも何とか夕方までに大阪港に着き、
無事フェリーに乗り込むことができてホッとした。
 夕日を浴びながら、車を船に乗せ、
やがて出港となった。
 長い1日の太陽がようやく沈もうとしている。
 夜、大部屋の喧騒を離れ、1人でデッキに出た。
 夜風に当たりながらぼんやり神戸ポートタワーの夜景を眺める。
 それまで、気を張っていたが、ふっと現実に戻った。
 ああ、車、無くなっちゃった。
 家庭教師のバイトに、夏休みは工場でも働き、
お金をためてやっと買った車。
 親父が死んで、ずっと自家用車の無かった我が家に再び車が来た。
 通学や旅行など個人的な用事だけでなく、
お袋を乗せて親戚の家に行ったり、弟の引越にも活躍したなあ。
 弟が浪人して予備校に入る時は、初めて都内を走ったし
1年後後入った大学が山形大だったため、初めて高速道路にも乗った。
 スキーやバイト、日常の足としても活躍した。
 もっとも、女の子が助手席に乗ってくれたのは数えるほどしかなかったが。
 5年前友人に付き合ってもらい、
足利じゅうの中古車屋をめぐって一目ぼれした白いクーペ。
 ハイオクのガソリン代はきつかったけど、
当時、排ガス規制エンジンの中で三菱の誇るサターンエンジンの100馬力は抜群だった。
 その上、ハッチバックはスペースが広く、
ギター、アンプはもとより、
後席を倒せば、ドラムセットだって運べた。
 前橋に帰ったらどうやってバイトに行こう。
 「しみずスーパー」もチャリで行かねば。
 故郷から遠く離れた船上から、夜空を仰いでため息をつく。
 でも、確かに、ひょっとして方向が悪かったら死んでたかもなあ。
 あの道の反対側は、崖になってはるか下に谷川が流れていた。
 と思うと、屋根の潰れたセレステが、
自らを犠牲にオレを救ってくれたような気もする。
 ああ、オレのセレステもお星様になっちゃったんだなあ。
 あの辺のキラキラした星かなあ。
 あ、あの星は「すばる」だから違うわ。
セレステ、三菱だし。
(スイマセン、ここ、フィクションです。真夏におうし座のすばるは見えないはず。)
 ともかく、そんな思いを乗せて船は瀬戸内の漁火の中を西に向かって進んでいった。
 ~次回、最終話です。
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2件のコメント
2010.07.31

8月2日のメモリー(第3話)


 前々回からの続きですので、そちらを先にお読みください。
 やっと来たおまわりさんは、明らかにめんどくさそーだった。
 まだ、やっと日が上ったくらいのこんな時間だから、
きっと前夜からの当直なのかもしれない。
 警察の勤務がどんなかしらないが、
あとちょっとで時間が来て非番、ってことになるタイミングだったのかもしれない。
「それで、キミが単独でここでスリップして岩に乗り上げたと、こういうわけだね。」
「はい。」
「どこ行く途中だったの。」
「九州です。」
「ほー、九州、男ばっかりでねえ。」
「はい。(大きなお世話だ、ほっとけ。)」
「キミたち、学生だろ。」
「はー、いい車、乗ってなあ。でも、こりゃもう、ダメだな。」
「はあ・・・・。(別に親に買ってもらったんじゃなく自分でバイトして買ったんですが。)」
「じゃあ、ちょっとね、測ったりするから、交通整理しといて。」
 と、いうわけで、おまわりさんは自転車のタイヤみたいので
周りを測り、書類をつくりだしたので、
前後に分かれてまた交通整理を始めた。
 オレは事故現場の山側に行って、交通整理を始めた。
 だんだん、車の数も増えてきた。
 と、その時、何か視界の端の方にモノの動きを感じた。
 「ん?・・・何かヘンだ。」
 振り返ってみると私の斜め後ろに止まってるパトカーが
するすると動き出すではないか。
 「???!」
 もちろん、車にはだれも乗ってない。
 パトカーのサイドブレーキの引き忘れだ。
 ヤバい!
 と思ったオレは、とっさに駆け出して、パトカーに追いつき、
走りだした車の、あいていた窓にアタマから飛び込んでサイドブレーキを引いた。
 運よく、それほどスピードが出る前に、無事、停車させることができた。
 「どうした、どうした?」
 あわてて戻ったおまわりさんに、
「サイドの引きが甘かったみたいです。」
 と説明すると、急にしどろもどろになり、
「あ、ああ、そう、そりゃ、ど、どうも・・・。」
「じゃ、じゃあ、書類作ったから。これで、レッカー移動できっから。」
「じゃあ、まあ、そういうことで・・・・。」
 といった感じで、そそくさと帰ってしまった。
 そりゃ、そうだ、あれでパトカーが谷にでも落っこったりしたら
ちょっと簡単な始末書くらいでは済むまい。
 オレのジーパン刑事ばり(?)の活躍に、もっと感謝しろよ。
 まあ、それにしても、考えてみれば、
我々もスリップしたのが山側でよかったわけだ。
 もし反対側にすべっていたら、下は数十メートルの谷川だったので、
オレ達の命は無かったかもしれない。
 JAFが来て、屋根の潰れた車はもう修理不能だから、
廃車手続きをします、と言われた。
 先に行ったファミリアも、異変に気付き戻って来て合流した。
 さて、これからどうしよう。
 レッカー車でふもとの茅野の駅前まで送ってもらった我々は、
今後を考え、途方に暮れるのだった。
  ~さらに続く
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