ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2019.10.19

母校

すでに老犬のレディアは、ちょっと前から

後肢の筋力低下により階段を上ることが困難になったので、

散歩コースは平地になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家から徒歩10分くらい、

かつてワタシが通った旧足利市立西小学校跡を回ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドーナツ化現象により市街地からの人口流出が進み、

児童数の減少により20年くらい前に廃校になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この左手、校庭の東端にウサギ小屋があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校庭に今もそびえる「クスノキ」は、

西小のシンボルであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イヌの散歩禁止と書いてありますが、

誰もいないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺がかつての「新校舎」が建っていたところ。

ワタシが5年から6年生になるころ木造から鉄筋の新校舎になりました。

おっと、そこで、ウンコしちゃだめよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

百周年の記念碑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを見ると最盛期、ワタシが生まれた昭和34年には

1445名もの在校生がいたことがわかる。

ワタシのころは昭和45年の新校舎落成時で669名。

1学年が110人前後で3クラスであったが、

その当時はすでに約10年間で児童数が半分以下になっていたということですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここら辺、校庭の西側は入学当時の1年生の教室、

平屋の木造校舎があった場所。

ずーっと歩いていくと、お、アレは・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校庭の片隅にあったのは「朝礼台」。

当時のものだろうか。

だとすれば、この上に乗って、全校生徒の前で週番の「今週の目標」や

運動会のラジオ体操の「見本」をやったことがあるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてここに正門があったことを示す、この二宮金次郎。

登ってはいけないといわれつつ、よく登っていた。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校門の前には右手がプラモデルも売ってた文房具屋、

左手が味噌おでんなんかも売ってた駄菓子屋であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、帰りますか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.10.10

ロスタイム

 10月9日は母の、10月10日は父の命日である。

母は10年ほど前、父はもう亡くなって40年以上になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医者である父が亡くなったのはワタシが高校2年生の時、

急性心筋梗塞で緊急入院して半日で亡くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時10月10日は体育の日で祝日、

入院した日は、その早朝。

今日と同じようなひんやりとした抜けるような青空だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、収入がまったくなくなり、

また父が一切の生命保険をかけていなかったこともあり、

多額の相続税を払った一家三人は耐乏生活に追い込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高校と塾は通ったが、予備校の夏期講習、冬期講習はあきらめ、

趣味で購読していた音楽や、模型の雑誌はすべてやめて、

食費や光熱費も切り詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食費節約のため、近くのパン屋さんに

よく「パンの耳」を買いに行かされた。

サンドイッチの時に切り取られたパンの耳は

大きなビニール袋で10円くらいで分けてもらえた。

恥ずかしかったので「金魚の餌です」といってたけど、

そんなにたくさん金魚飼ってるわけないですよねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄弟2人、ともに一浪はしたけれど、

なんとか、国立医学部に入り、

奨学金と授業料免除で医者になることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その弟が、フェイスブックで父の写真とともに

記事を書いていました。

当時中学3年生だった彼も、

今年、父が亡くなった歳と同じ

57歳の10月10日を迎えたそうです。

これは、旧小倉耳鼻咽喉科の玄関と、

当時父が乗っていた日産サニー1200。

父は晩年、ラバウルで軍医やっていたころの

海軍の帽子を愛用していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、父が亡くなった年の夏休み、

この年はまだ、ワタシは予備校の夏期講習に

行かせてもらうことができたので、

残った弟と父が2人で出かけたときのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワレワレ兄弟にといっては、人生の「ロスタイム」。

健康に気を付けて、大事に使いたいものです。

 

 

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2019.10.04

遠足シーズン

運動会シーズンとともに遠足シーズンでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日かかった患者さんの情報で、

最近は少子化により児童数が減少しており、

小規模校の場合、観光バスをチャーターする都合上、

他の小学校と合同の遠足があるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワレワレのころは1学年は100人くらいいたので

各クラスごとに大型バスを1台ずつ、

1号車から3号車まで連ねていったものだが、

1学年が10人前後では、たしかに小型バスでもガラガラだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、他の学校と一緒なのはどんな雰囲気なんでしょうね。

まあ、小学生なら和気あいあいと持ち上がりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと思い出したのが自分の中学時代。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の公立中学は一般にあまり素行のよろしくない連中の集まりで、

ワタシの通っていた学校もそんな感じであった。

年中警察のお世話になっている友人もいた。

ワタシはそこまではないが、何回職員室に座らされたことか・・・・。

一応、ずっと学級長だったんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ともかく学校の内外で、年じゅういたずらやケンカが横行していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度は、トナリの中学と、全面戦争だ、ということで、

ケンカの準備をして空き地に10数人で集合したこともあり。

その時はけっきょく、相手は来なかったのだが。

何やってたんだか・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなワレワレなので、

遠足は、学校単位のバスチャーターなので問題はないが、

修学旅行となると、電車を使っていくので、

その途中や行った先で、他の中学とのニアミスが起きないように、

先生方はずいぶん注意を払ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すれ違っただけで「ガンをとばした、とばされた」で、

いざこざやケンカが起こる恐れが大いにあったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんせ、ボクタチ、アホでしたから。

今の子たちは、こんなことはないんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.09.24

もっともハマったアニメ

 もうすぐ終了の朝ドラ「なつぞら」の「大草原の少女」は

たしか、「アルプスの少女ハイジ」かなんかのことだと思いますが、

この手のアニメは全く見ていませんのでわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、子供のころから今に至るまで

「オトナが子供に是非見せたいアニメ」には

ロクなものは無い、というのが持論ですので。

この件については以前書きましたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供のころ好きだったアニメは

「鉄腕アトム」「鉄人28号」「巨人の星」など。

だがどちらも原作ありきで、

やはりマンガは動画より紙の方が断然好きなワタシです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんななか、ワタシが少年時代熱中したアニメがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは1971年に日本テレビで放映された

「アニメンタリー~決断」。

太平洋戦争における日本軍の戦いをそのときどきの「決断」に

焦点を当ててドキュメンタリー風に仕上げたもの。

「アニメーション」+「ドキュメンタリー」で

「アニメンタリー」という触れ込みであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時小学6年生、

旧日本海軍の軍艦のプラモデルを作っていたワタシは

これにハマりまくりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出てくる航空機や軍艦のプロフィールが、

それまでの戦争マンガより格段に実物に近い。

また、ストーリーが客観的で、

基本的に史実に基づいていたところも魅力でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎週楽しみで、しまいには主題歌のレコードまで買ってしまった。

アニメ、その他ドラマを問わず、

テレビ番組主題歌のレコードを買ったのは、

後にも先にもこれだけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、先月8月のスカパーの終戦特集で、

この番組を全25話放送した。

今度、ヒマなときに見てみよう。(^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても改めて聞くとアナクロな主題歌だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.09.19

ワタシとタイガーマスク

 朝ドラ「なつぞら」はそろそろ大団円を迎えそうであるが、

ストーリーの時間経過に沿って取り上げられたアニメーション、

主としてテレビアニメですが、

これは実際には「アレ」のことですね、

という元ネタが全部わかってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リアルタイムでテレビアニメ、

いやムカシはテレビ漫画といいましたが、

それらをほぼ隈なく見てきた身にとっては、

「狼少年ケン」も「魔法使いサリー」も「タイガーマスク」も

当時の社会や流行や自分の日常生活と合わせて、

当時の記憶がよみがえってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ルパン三世」や「怪物くん」が元ネタのアニメもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「魔界の番長」は「デビルマン」でしょうが、

これは見ていた記憶が無いので

このころから自分がテレビ漫画を見ていないわけですね。

調べると「デビルマン」の放送開始が、1972年の7月だから、

ワタシが中学1年生のわけで、ナットクです。

「ルパン三世」が1971年なので、ここまでテレビ漫画見ていた。

もっとも「ルパン三世」はちょっとお色気シーンもあって、

家族で見るのは、ちょっと気まずいときもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、「タイガーマスク」はあまり見ていなかった。

「タイガーマスク」の放映は1969年で、小学校4年生。

実は第1回放送は、放映前から楽しみにしていてテレビの前で待っていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時「タイガーマスク」は雑誌「ぼくら」に連載されており、

ワタシは熱心な愛読者でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その中でも一番のお気に入りが「タイガーマスク」。

梶原一騎原作、辻なおき作画。

「巨人の星」や「あしたのジョー」の原作者である梶原一騎氏の原作もスバラシイが、

作画担当の辻なおき氏の劇画調の絵も大好きでした。

タイガーマスクの顔は何度もノートに模写したものです。

今でも、多分描けます。

なので、雑誌上で「タイガーマスク、テレビ化決定」

のニュースを知ったときから楽しみにしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、テレビ版は、その絵とは似ても似つかぬものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんじゃ、これは―。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時の大ショックは忘れられません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとから考えれば、辻なおき氏の緻密な絵は、

テレビアニメーションとするには技術的にも予算的にも緻密過ぎた、

ということでしょうが、

子供のワタシは裏切られた感、満載でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストーリー展開の面でも物足りなく、

2,3回で、見るのを止めちゃったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、「ぼくら」も1969年10月に廃刊になってしまい、

「タイガーマスク」は新たに1970年から

「週刊ぼくらマガジン」で連載が継続されましたが、

それを購読することはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので「ウルトラタイガードロップ」「覆面ワールドリーグ」

あたりはやたら詳しいですが、その後の展開は知らないし、

タイガーマスクの最終回は漫画もアニメも見ていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに小学4年生の夏休みに

家族に多摩動物園に連れて行ってもらいました。

夏休みの宿題にその時の思い出を絵に描きましたが、

その時描いた「トラ」の顔はタイガーマスクの絵を模写しました。

先生に大変も褒められました。(^^♪

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.07.26

続・子供の名前

 以前、子供の名前は時代を反映する、

という話を書きましたが、

最近気づいたことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳鼻咽喉科という科の性質上、

乳幼児のお子さんを見ることが多いのですが、

この間は「遊」の字を使った男の子が来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「遊」の字もそうですが、最近は

「夢」とか「楽」とか「心」とか、

ワレワレのころにはまず選ばれなかった漢字を使って

子どもに名前を付ける親御さんが多いようです。

何となく、将来に不安を抱えるこの時代に

子供に託す親の気持ちがわかる感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「勝」の字が使われた戦中からひと時代が過ぎて、

高度経済成長の昭和30年代に生まれたワレワレ世代の男の子には、

「登」「昇」「進」「勉」「努」「学」などの漢字が、

多く使われていたようです。

所得倍増、人口増加、物価上昇、何事も右肩上がりの時代に

受験戦争、学歴主義、立身出世を子供に託す親の思いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これも時代の流れでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今どきの漢字を使った名前を否定するものではありませんが、

よく調べてつけないとあとで困ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「心」を使って「心太」なんて名前をうっかり付けないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「心太」の読みは「ところてん」ですので。

 

 

 

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2019.07.25

ケンとメリーのスカイラインからの

 北海道旅行ではからずもケンとメリーのスカイラインのことを思い出しました。

このクルマには、思い出があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシが子供のころ小倉家のクルマは日産ブルーバードであった。

初代の310型と呼ばれるモデル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父がワタシの1歳の誕生日を記念に買ったというから、

この1960年モデルですね。

なぜか、このカタログではフェンダーミラーが描かれていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実車の写真もありました。

我が家のクルマも色はこれに近かったが、もうちょっとベージュ色がかっていたかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このモデル、愛称は「柿の種」。

理由は、このテールランプの形状です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、もと軍医で質素倹約、質実剛健を旨としていた父は、

このクルマに12年乗りました。

桐生の遊園地も、多摩動物園も、熱海のおじいちゃんの家にも、このクルマでいきました。

赤城山に登ると、しばしば途中でオーバーヒートしちゃうので、

停まってエンジンを冷やさなければなりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でこそ、同じクルマに12年乗ることはザラですが、

なんせこのダットサンブルーバードは国産初のモノコックボディの量産車。

しまいには、ドライブに出れば好奇の目で見られ、

同級生にはオグラんちのクルマ、動くのかよとまで言われる始末。

実際にエンジンは不調になり、しばしばクランクで起動、

コラムシフトのギアもなかなか入らなくなり、いきなりエンスト、ということも起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、ついに父も買い替えを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日産のクルマなので、次も日産のクルマから選ぶことになった。

そこで、ディーラーさんに見に行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、見たのが新型スカイラインである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うわー、カッコイイ。

日本グランプリでの日産車の活躍を目にしていていたワタシは、

ゼッタイ、これにしよう、と思ったものだ。

(注;当時の日本グランプリはF1レースではなく、

日産、トヨタなどのディーラーとプライベータ―が争うスポーツカーレースであった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このスカイラインが1972年に発売されたスカイラインとしては4代目、

ケンメリと呼ばれる、ケンとメリーのスカイラインであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時ワタシは中学1年生。

ちょっと色気づいてきて、こんなロマンチックな恋人同士のコマーシャルに

何となく、あこがれたりするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディーラーさんでもらった、このステッカーはしばらく大事にとってあった。

スカイラインが、わが家に来ることを願いつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、実際は、またくダメだった。

新型ブルーバードへの乗り換えは最初の候補。

我が家の初代ブルーバードは1200ccだったが、

その間にブルーバードは2回のフルモデルチェンジをしており、

高度経済成長の波に乗って1400~1800ccまでボアアップされていた。

中学校の担任の先生がのっていた510型系は人気モデルであったが、

父はそんな高級車はいらん、とこれを却下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな父がさらにグレードが上である

1600~2000ccクラスのスカイラインを買おうなどというはずがない。

弟の同級生の家が、この時期スカイラインを購入し、うらやましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けっきょく、わが家にやってきたのは

1973年1月に新発売となったサニー1200。

2ドアセダンで、リアウインドの処理が、ちょっとスカイラインに似てるところが、

ワタシ的にはちょっと、イイかな、と。(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色は、ちょうどこのグリーンであった。

アマガエル的な・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、この12年の国産車の進歩はすさまじく

ワタシ的にはいろいろ満足しました。

なんたって、クルマにラジオや時計がついてるなんて、スゴイ。

いっぽう、インパネなどは鉄製だった旧ブルーバードに比べて

プラスチック樹脂製部品が多用され、ちょっとちゃっちいな、とも思いました。

近代化されたとはいえ、まだ、エアコン、カークーラーの類は当然無かったので、

夏のドライブは大変でしたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父はこのクルマに約4年乗りましたが、

1977年、急性心筋梗塞で他界。

母には運転免許が無く、長男のワタシはまだ高校2年生でした。

よって、このクルマは、知り合いのつてを頼って売却。

一度、わが家のクルマが他の場所に停まっているところを見たときは、

何となく、寂しかったなあ。

 

 

 

 

 

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2019.07.23

純アリスさんと、セレステと、

先日、元タレントの純アリスさんが亡くなられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それほど知名度の高い方ではありませんが、

ワタシのブログには一回登場したことがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

俳優さんと結婚されお子さんがいらっしゃるとは知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎友紀さんのドラマシリーズ「ママはライバル」で

有名になったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡崎友紀さんといえば当時の絶対的アイドル、

一人でAKB48の48人分以上の人気がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥さまは18歳」「なんたって18歳」に続く第3弾は、

父親の新しい奥さんが、同級生という設定でしたね。

そのママであり、同級生役が純アリスさんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奥さまは18歳」と「なんたって18歳」はよく見ていたのですが、

この「ママはライバル」はあまり見ていた記憶が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調べてみると放送が1972年10月からなので、

当時ワタシは中学1年生。

それまでは、お茶の間でテレビ見ながら過ごしていたのが、

勉強と称して自室にこもって

ラジオばっかり聴くようになった年頃ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純アリスさんも岡崎友紀さんと同じ1953年生れ、

享年66歳だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別にファンだった、というわけではありませんが、

前も書いたようにランサー・セレステで印象が強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、はるか前に買って押し入れの隅に眠っていたプラモデルです。

1/24の童友社製ランサーセレステ1600。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この箱絵の写真のヒトが純アリスさんです。

今見ると、岡崎友紀ちゃんより、カワイイかも。

ランサーセレステの実車の広告写真をそのままパッケージにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつかは、作らなくては、なのだが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 買った時も、模型屋さんの棚に長くあったようで・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、この純アリスさん、何してるか、というと「ナマロク」です。

ポータブルデッキを使って鳥の声や、蒸気機関車の音などをステレオで録音し、

オーディオルームのステレオで再生して楽しむ「生録」は

当時、若者の間で大変なブームでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソニーのカセットデンスケ、欲しかったなー。

早すぎる、純アリスさんの死を悼みつつ・・・。

 

 

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2019.06.25

すきやきの味

牛肉話第3弾(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんな高級食材である牛肉は

ワタシが子供のころは我が家の食卓に上ることはまずなかった。

ビフテキはおろか、スキヤキなんてものも食べたことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのころ登場したのが、コレである。

これは今のパッケージ。発売は1963年。

55周年と書いてありますが、今年は56周年かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてのデザインはこんな感じ。

青空が目に染みるが、目を引くのはなんといっても「牛肉」の文字。

高級品だった牛肉入りだぞー、と。

今でいうと、何でしょうね。キャビア入り、とか牛肉なら松阪牛とか、のイメージか。

ワタシなどは、ホンモノの「すきやき」より先に、

こちらの「すきやき」の味を覚えちゃったのであった。

ビーフ味のふりかけではあるが、これがすきやきの味かというと、ちょっとギモン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、完全に定かではないが、

一度この「すきやきふりかけ」をご飯にかけたら、虫が混入していて、

以後一時期「すきやきふりかけ」が食べられなくなった記憶がある。

当時は食品衛生事情は今とは比べようもなく悪かったし、

輸入物のチョコレートから生きたウジ虫様の虫が出てきたのを見たのは

一度や二度ではないので、

特に大騒ぎもせず、

しばらくしたらまた普通にふりかけ食べてましたけどねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おりしも当時丸美屋はテレビ放映中の「エイトマン」のスポンサーであり、

強力にマーケティングをしていた。

ここでも「牛肉」は強調されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中でも、ふりかけに封入されるエイトマンシールは

子供たちのあこがれの的であり、

シール欲しさにふりかけをねだったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、当時うちの医院に住み込みで働いていた看護婦さんの実家が

いわゆる「よろずや」さん的な、田舎の食料品店で、

遊びに行ったときに子供たちにお土産、といって、

丸美屋のエイトマンカレンダーふりかけもらって超感激したことを覚えています。

これは、ふりかけの小袋が、厚紙のカレンダーに貼ってあって、

月曜日は「のりたま」、とか火曜日は「すきやき」、てな感じのものだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、「エイトマン」は少年マガジン連載中は「8マン」であったが、

テレビ放映時はカタカナの「エイトマン」になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは放送が6チャンネルのTBSテレビだったため、

8チャンネルのフジとの誤解を避けるため、といわれています。

ムカシはTBSとかフジテレビではなく、

みんな6チャン、8チャンなどと呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイトマンの主題歌は前田武彦氏作詞。

あの「巨泉前武ゲバゲバ90分」の方だと知ったのはずいぶん後になってからでした。

なんか、牛肉から完全に話がそれましたね。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2件のコメント
2019.06.24

ビフテキ

 先日ステーキを焼いて食べましたが、

かつてはステーキのことを「ビフテキ」と呼んでいましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むろん「ビーフ・ステーキ」なので、「ビフテキ」なんですが、

要するに当時は牛肉は高級食材だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いま高級料理といえばフレンチとか京懐石などがイメージされるが

ワタシが子供のころは夢のご馳走≒ビフテキであった。

この辺、今では高級車というとベンツ、フェラーリあたりが想起されるが、

昭和30年代には高級車といえばキャデラックだった感覚に極めてよく似ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い浮かぶのはこの話。

巨人の星第28話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 延長戦の上、東京都大会の決勝に駒を進めた青雲高校野球部のために

PTA会長伴大造氏が、決勝戦前に自宅で前祝いの食事会を催すのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、供されたご馳走の数々だが、おそらくメインディッシュはビフテキであった。

たしか、テキにカツとかいってビフテキとトンカツが出たのでは・・・。

しかし、野球部、ユニホームのままメシ食うなよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天野先生は、この事態に憂慮していたが、コイツもトレーニングウエアだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的に食中毒か食べ過ぎかで、

伴宙太と星飛雄馬を除く全員がヒドイ下痢に見舞われ、

決勝戦は大ピンチになるのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、ビフテキの赤い部分みると、

時々チラッとこのエピソードが頭をよぎることはありますね。(^^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、ここまで書いて、ちょっとネットで調べたら、意外な事実が判明。

なんと「ビフテキはビーフステーキの略じゃない?

↑ クリックしてみてください。知らなかったー、そうだったのかー。

じゃあ、「トンテキ」とかは文脈的にオカシイということか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにここのお店のお肉、かなりいいお値段です

少なくとも自分で焼く勇気はないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

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