ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.18

影響を受けたレコード⑩「アメリカン・イディオット/グリーンデイ」

 さて、10日間にわたってお届けした

影響を受けたレコード10選、ついに最終回でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の10作を選ぶにあたっては、

最初に候補を上げ、いろいろ考え、記憶をたどり

選考の上、10枚を決めてから、投稿をはじめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、音楽というものに自分から興味を持った中学時代から

現在までをたどってみると、

「影響を受けた」となると若い時代に偏っていて、

逆に若いからこそ、いろいろな影響を受けたのだなあ、と思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで9枚目のザ・ローリング・ストーンズが

1982年、23歳、大学4年生、ということですが、

最後の10枚目は、ぐぐぐーっと年代が飛んで22年後、

2004年、9月発売のこのアルバム。

「アメリカン・イディオット/グリーンデイ」

最後の1枚だけは「レコード」ではなく「CD」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2004年というと、45歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大学を卒業して、群馬大の耳鼻咽喉科に入局したのが1985年でした。

大学卒業とともにバンドは自然消滅、

勤務医時代は、楽器を弾ける仲間を見つけて、

医局内や、勤務先の市中病院で余興的なバンドをやったりしましたが、

それも次第にフェイドアウト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 36歳で開業してからは、そういった仲間もいなくなり、

もう一生バンドなんかやることは無いだろうと思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それがある日、大学の後輩から電話がかかってきて、

自分が太田市に開業するので、

一緒にバンドやりませんか、との誘い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初は、まさか無理だろう、

と思ったのですが、

開業して10年が経ち、経営も何とか安定してきたので

いっちょやってみようか、と始めたのが

もう15年前になるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錆びついたギターの弦を張り替え、

すっかり柔らかくなった指で、ひさびさに弾いてみると、

テクニックの方はさらに錆びついていました。(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、じゃあ、何をやろうか、という話になったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシの中には、ひとつの考えがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうせやるならジジ臭いことはやりたくない。

オトナゲのない、カッコイイバンドがやりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大人バンドを見ると、

プロも含めて、歳をとったミュージシャンは、

渋さや、枯れた感じを売りにする手合いが多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若いころはハードロックやパンクやってたのが、

歳とるとブルースや、ジャズに走って、

汗をかかない音楽をやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分かりやすい例がエリック・クラプトンで、

若いころクリームであんなにがんがんに弾きまくっていた男が、

その当時は爺むさい格好で老眼鏡をかけてアコギで

座ってレイラなんか歌ってる。

(最近はさらにヒドイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああいうのは、ゼッタイ、イヤダ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エアロスミスを見ろ、ローリング・ストーンズを見ろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな時、ふと耳にしたのが、このアルバムのタイトル曲、

「アメリカン・イディオット」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 20年ぶりに電流が、走りましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コレだ、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時に、こういうものに反応する感性が、

まだ自分に残っていたんだ、と大変うれしくも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、皮膚科の野口先生、産婦人科の土井先生、

耳鼻咽喉科の前原先生と、4人で始めたバンド「CRP」は

ほぼ10年活動しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、そのバンドは解散しましたが、

前原先生と、ギターの治之くん、ドラムの中野くんと始めた

「C5-dips」でも、この曲は演奏しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時、バンドを始めたおかげで、

今は、多くのバンド仲間ができ、

対バンをしたり、Facebookを通じたりして、交流ができ、

こんなバトンも回ってくるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このバトンを回してくれた、

Kozzyさん、高木先生、治之くんに

感謝をするとともに、

ワタシの記事にいいねをしてくれたり、

コメントを寄せてくださった皆さん、

そしてワタシのバトンを受け取ってくれた方々にも、

心からお礼を言いたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新型コロナは、ワレワレに多大な災厄をもたらしましたが、

こうやって、また繋がりが深まったことを思えば、

それは100パーセントのマイナス事象ではなく、

少なからず良いこともあったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 16歳で始めたバンドも、

途中浪人の1年間、開業後の10年間のブランクがありましたが、

まさか還暦過ぎてもまだロックやってるとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのことをタイムマシンで時間をさかのぼって

高校生の自分に言っても、まず信用しないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早くギターをぶら下げてライブができる日が来ることを

心待ちにしております。

 

 

 

 

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2020.05.11

影響を受けたレコード③「バッド・カンパニー/バッド・カンパニー」

さて、3枚目のアルバムはコレです。

1974年6月リリース、「バッド・カンパニー/バッド・カンパニー」。

当時ワタシは中学3年生の1学期、サッカー部もあと少し

夏になったら高校受験の勉強をはじめなくては、という時期でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時ロックバンドの花形といえば

なんといってもリード・ギタリスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア、

レッド・ツエッペリンのジミー・ペイジ、

もう解散していたけどクリームのエリック・クラプトン、

BBAのジェフ・ベックなどはギターキッズのあこがれでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、ワタシはロックバンドの魅力はパワフルなボーカルだ、

と思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リッチー・ブラックモアやジミー・ペイジとステージで渡り合う

イアン・ギランやロバート・プラントのボーカル、

その激しいシャウトにあこがれ、

これぞ、ロック、カッコイイ、と思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑誌「ミュージック・ライフ」は

「サッカーマガジン」とともにワタシの愛読誌で、

ロックの情報源として隅々まで読みたおしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その中で1974年、期待の新人、として取り上げられていたのが、

「クイーン」と「バッド・カンパニー」でした。

「クイーン」のデビューアルバム「戦慄の王女」は

本国イギリスでは1973年7月の発売でしたが、

日本では半年遅れの1974年3月25日発売。

当時こういうことは普通で、

エアロスミスなどは日本ではセカンド、サードのあとに

ファーストアルバムが発売になったと記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いっぽうの「バッド・カンパニー」は

「戦慄の王女」から約3か月後の

1974年6月に発売になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じころにデビューしたブリティッシュ・ロックのバンドとして

この2バンドはことあるごとに比較されました。

いまでこそ、クイーンは

世界中に知らない人はいないくらいの超有名バンド。

かたやバッド・カンパニーについては

そこそこのロック・ファンならば知っているが、

一般にはほぼ知られていない存在になっていますが、

その頃は、圧倒的にバッド・カンパニーの方がメジャーでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ワタシも、クイーンもまあ好きだけど、

どちらかと聞かれれば断然バッド・カンパニー派でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルースをベースにしてはいるが、キャッチ―さも兼ね備え、

シンプルなロックをポール・ロジャースの圧倒的なボーカルで聴かせる

本格派ロック・バンド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーカル押しのワタシとしては、

彼こそがロック・ボーカルの究極の理想形で、

それは、今も変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加えて、決して派手なプレイはないが

ツボを押さえたギターワークで曲を盛り上げるミック・ラルフス。

静かな存在感とコーラスで曲を固めるベースのボズ・バレル。

フリー時代からの盟友で無駄のないタイトなドラムをたたくサイモン・カーク。

全てはポール・ロジャースの歌を際立たせるアンサンブルになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この点が、フリー時代の

むせび泣くような、またあるときは引き裂くような

個性的なギターを弾くポール・コゾフ、

前に出て、時にはギターをバッキングにリードプレイをする

アンディ・フレイザーのベースプレイとは

明らかに趣を異にしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後追いで「フリー」も大好きになり、

全アルバムをそろえたのですが、

リアルタイム、という縛りで今回はバッド・カンパニーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンプル、というのは当時のバッド・カンパニーを評するとき

枕詞のごとく用いられた形容詞ですが、

その裏には、複雑多様化した当時のロックシーンがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T-REXやデヴィッド・ボウイのように

きらびやかな衣装と派手な化粧を施したグラムロック。

シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズのような

ホーンセクションを入れてジャズのテイストを取り入れたブラス・ロック。

ピンク・フロイドやイエスのように、

クラシックや実験音楽の要素を取り込んだプログレッシブロック。

アリス・クーパーやジェネシスのように

ライブに演劇性を持ち込んだシアトリカル・ロック。

サンタナはロックにラテンのリズムを取り入れ、

オシビサはアフリカンビートを持ち込んだ。

ドラッグのため長く一線から遠ざかっていたエリック・クラプトンは

当時ジャマイカのローカルミュージックにすぎなかった

レゲエを出汁にしてロックシーンに返り咲きを果たしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、そのころロック界に「侵入」してきたファンク・ビート。

黒人音楽から拝借した16ビートは、

アヴェレイジ・ホワイト・バンドなどファンク専門のバンドだけではなく、

ディープ・パープルの「Gettin’ Tighter」(1975)や

レッド・ツェッペリンの「Trampled Underfoot」(1975)など、

老舗のハードロックバンドも演奏に取り入れ始めた。

この流れはのちにソウル・ミュージックと融合したディスコサウンドと

ジャズに接近してクロスオーバーからフュージョンへ続く

二つの流れに分派してゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このような○○ロックが広く展開した時に

アタマに何もつかない「ロック」を見直そう、

というのがバッド・カンパニーのスタイルで、

その外連味のないスタイルが、

ロック・ファンの人気を呼んだのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この考え方は、その2年後に起こる

パンク・ムーブメントの精神とも共通する部分がありますが、

決定的に違うのは、

演奏技術すら否定したパンクに比べて、

彼らは安定したテクニックを持っていた、ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポール・ロジャースとサイモン・カークは元フリー、

ギターのミック・ラルフスは元モット・ザ・フープル、

そして、ベースのボズ・バレルは元キング・クリムゾンと、

いわばそのちょっと前にはやったスーパーグループでもあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時同じようなバンドというと、1976年の「KGB」が思い浮かびます。

バターフィールドブルースバンド出身で大物ギタリスト、

マイク・ブルームフィールドが、

ベック・ボガード&アピスのカーマイン・アピス、

ブラインド・フェイスのリック・グレッチらと結成したスーパーグループ。

このバンドも好きだったが、確かアルバム1枚で解散したような・・。

音はバドカンよりはずっとアメリカンな

ファンキー、ソウルミュージックのテイストでしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、バッド・カンパニーの話に戻ります。

このアルバムは宝物のように大事にしていて、

傷なんか絶対つけないように

普段は勉強なんかしながら聴くのは

カセットテープに録音したものだったが、

中間、期末などの定期テストが終わった日とかには、

親に絶対に部屋に入るな、といったうえで、

厳かにレコードをかけ、何もせずに黙って座って

一人ロックを満喫していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日、ビッグニュースを耳にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、「バッド・カンパニー」が来日公演を行う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、ぜひ、行きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、あろうことか、その日程は3月3日。

県立高校の入試のわずか10日前でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、山口百恵ちゃんのファンだったワタシは、

お正月映画の「伊豆の踊子」を見に行きたい、

といったのですが

入学試験直前に映画など見にいってはいけない、

と、親に禁止された経緯がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お正月の映画がダメなのだから、

10日前の、それも東京でのロックコンサートなんか

許可が出るはずはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度来たときは何が何でも絶対行くぞ、ということで、

そのコンサートは泣く泣く断念しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、晴れて高校に合格したワタシは、

その代わりというわけではありませんが、

4月19日、入学直後、

クイーンの初来日公演を友人たちと日本武道館まで見に行きました。

そして、同じく4月公開になった山口百恵ちゃんの

主演映画第2作「潮騒」も映画館まで見に行きました。

しかし、残念ながらバッド・カンパニーが

来日公演をすることはその後二度とありませんでした・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、バッド・カンパニーは

ワタシが、そのデビューからリアルタイムで追っかけた、

最初のフェイバリット・バンドだったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.12.01

志向

 この土日、妻は娘とディズニーランドへ泊まりでお出かけ。

ワタシは今度の水曜日に依頼された勉強会のスライド原稿づくり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回のお題は「耳鼻咽喉科領域の抗生物質の選択」に関するもの。

内容は頭の中にあることをしゃべればいいのですが、

やはりスライドを作るとなると、いろいろ体裁を整えなければならないし、

あいまいな部分はキチンと調べてておかねばならないし、

けっこう手間がかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パワーポイントにしても誰かに習ったわけでも、

テキストを読んだわけでもないので、

何となくやりながら図形や、表を作っていくわけで、

試行錯誤もあって時間がかかることこの上ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、メンドクサイ、メンドクサイと思いながらやってますが、

ふと、やっぱりこの作業はけっこう好きかも、とも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブログも、一文(いちもん)にもならないけど毎日書いているのは、

やっぱり基本的に好きだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かを書いたり、人前でしゃべったりして、

モノゴトを人に伝えることが、本質的に好きなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 看護学校の今年の耳鼻咽喉科の講義は、

先週で終わりましたが、

せっかくの昼休みにわざわざ授業をやりに行くのは、

疲れるなあ、いやだなあと思いながら、

でも、授業をすること自体はすごく楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小学校3年生の時、授業で壁新聞を作ろう、というのがあって、

これが、楽しくて、楽しくて。

もう、天職かと思いましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の作ったものが、みんなの前で掲示されて評価される快感。

メディアを介して自分の考えを表現できる喜び。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのために、中学では新聞部に入って、

学校新聞、学級新聞づくりに燃えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校の先生とか、新聞記者とかになりたい気持ちもあった。

でも、小学校、中学校あたりの先生だと、

話のワカラナイ上司とケンカしちゃいそうだから、

予備校の先生なんかだったら、やってみたかったかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人前で話す、演説する、では、政治家は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、それは絶対ダメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんたって、心にもないことをしゃべるのだけは超苦手なもので・・・・。

 

 

 

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2019.09.29

エバークックのフライパン

 ついに買ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここのところ、自炊が「マイ・ブーム(まだ死語じゃない?)」であったが、

ついに新しいフライパンをアマゾンで購入。

ユーザーレビューや、ネット記事を2日ほど検索、吟味し、機種選定。

丈夫で、長持ち、使いやすそうな、コレにしました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色が「赤」というのもレッズファンとして、決め手の一つになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと大きいけど、使い勝手は良好。

デカい分、まとめて入れられる。

ガラス製のふたも同時購入していろいろな料理ができます。

まあ、下ごしらえが必要なような、手の込んだものは作りませんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステーキもばっちり、野菜もたくさんとれて、栄養バランスもイイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パスタもヨユー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、つい作り過ぎ、食べ過ぎで、

体重が増えがちになるのは注意しないとイカンなあ。

 

 

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2019.09.07

恐竜博2019

土曜日の診察終了後、すぐ列車に飛び乗った。

ギリギリ昼メシを買う時間があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月というのに上野公園は猛暑。

台風の接近も関係あるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目指すは科学博物館。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月から開催されている「恐竜博2019」、

子供たちで込み合う夏休みが終わるのを待ってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、チケット売り場には列があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐竜展はあちこちでたびたび開催されますが、

我々夫婦はお互い子供のころから恐竜好きなので

この30年くらい、メジャーなものはほぼすべて行っています。

なので、この30年間の恐竜研究の成果と

恐竜の生態や復元に対する解釈の変化も、

時間経過で体感しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のテーマその1は最新の研究による

恐竜進化の新しい解釈。

ディノニクスの発見、研究から、恐竜の温血化が示唆され、

以後恐竜の生態や形態に次々と新解釈が加えられてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ディノニクスに代表されるドロマエオサウルス科が

実は腐肉食だったといわれたティラノサウルスやアロサウルスに代わって

「最強の恐竜」とされたのは1990年代。

温血化による機敏な行動と、発達した脳を持ち集団で狩りをする

「新しい」肉食恐竜のスタイルが提唱された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1993年の映画「ジュラシック・パーク」では

「ラプター」の愛称で

そのドロマエオサウルス科の「ヴェロキラプトル」が主役を張るが、

実は大きさから「ディノニクス」がモデルである。

「ディノニクス」が体長4メートルにも達するのに対し、

「ヴェロキラプトル」は2メートル前後で

しかもその大半は尾の長さであるから、

映画的には迫力不足、と考えられたためでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ名前の由来である「恐ろしい(ディノ)鉤爪(ニクス)」は、

最近の研究では、その構造から刺すことはできたが、

肉を切り裂くことはできなかったそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、その後、2000年代になって

羽毛恐竜の発見から、

最近では羽毛をまとった姿で復元される。

これが、あのディノニクス!?(@_@)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムカシは、こんなにカッコよかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 骨格標本ではカッコいいのになあ。

こういう展示形態もだいぶ変わってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、次の目玉は「ディノケイルス」。

こちらは、1965年にこのデッカイ前足部分が見つかり

1970年に「ディノ(恐ろしい)手(ケイルス)」と命名された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、他の部分の発掘が成功し、今回、はじめて全身骨格が展示。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、これも「羽毛」。😢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、この「ディノケイルス」と「タルボサウルス」の格闘シーンが、

骨格標本と、CG映像で再現されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、タルボサウルスも毛が生えてるんだよなー。

恐竜に限っては(?)毛がフサフサよりは

ハゲの方がカッコイイ。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マイアサウラ」も子育てする恐竜として2000年前後の恐竜展では目玉でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の展示は今回の最大の目玉「むかわ竜」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、これが見たくて来た、という面もあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つい先日、9月5日(日本時間は6日)にイギリスの科科学誌に論文が掲載され、

「カムイサウルス・ジャポニクス」というカッコイイ学名がつきました。

ワレワレが訪れた9月7日は説明パネルが付け替えられた直後だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、日本で発見されたということは大変な驚きと感動です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記念にカードが配られていました。

これは、レアカード?

「とくいわざ」があるのが、ちょっとウケます。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その次のコーナーは恐竜の絶滅に関するもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古第三紀と白亜紀の間にある「K/Pg境界」の研究により

大量絶滅の謎が解明されてきました。

古第三紀が英語でPaleogeneはいいとして

白亜紀は英語ではCretaceousなので、

なしてわざわざドイツ語のKreideからの「K」なのかと思って、

帰ってから調べたら

頭文字がCで始まる地質年代区分が多いためだそうです。

心電図のことを「ECG」ではなく「EKG」と呼ぶのは

「electro cephalogram」と混同しないため、

とムカシ医学生のころ教わったが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休み明けとはいえ、子供も多くけっこう混んでましたが、

フェルメール展や昆虫展と違って、見るものが大きいんで、

わりとラクに見られました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、ワタシが子供のころは「恐竜」≒「怪獣/ゴジラ」だったのが、

シッポが上がり、色がつき、毛や羽毛が生えて、

ずいぶんと違うものになってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムカシのあこがれの存在が、正体がわかってきたらたら

そんなにカッコよくなかったというのはいささかサビシイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古生物学は新たな発見や、考察が加えられると、

今までの形態が否定され、まるきり違ったものになる可能性があります。

恐竜としてその化石がかなり古くに発見された「イグアノドン」は

「歯の化石」として考えられ、イグアナの歯に似ているので、

「イグアノドン(ドンは「歯」の意)」と命名されたが、

それが実は親指の爪であった。

ワタシや妻が子供のころのイグアノドンは

ゴジラのように2本足で立っていたが、

今は四足である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると、こんな掲示があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティラノサウルスはその名である「帝王トカゲ」のとおり、

かつては最大最強の肉食恐竜とされたが、

1990年代になり、ティラノサウルスは捕食者ではなく

実は死肉を食べる腐肉食者である、

という説が主流になった。

ハリーハウゼンの映画に強い感銘を受けた

子供時代からの夢を打ち砕くような学説であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、これによると、新しい研究では、

またぞろトリケラトプスを倒していたわけで、

一時の汚名が返上されたかたち。

真実を知る当のティラノサウルスたちは草葉の陰でどんな思いでいるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ならば将来的には、また、

鳥になったドロマエオサウスルス類の復権(?)もあるかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019.08.18

オンとオフ

 てなわけで、夏休みが終わっちゃってまた仕事です。

余暇は趣味でリフレッシュして、また仕事ができる、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは趣味多いほうかも。

音楽は演奏するのも聴くのも好きだし、

この夏、ライブは無かったけどフジロックとサマソニ行きました。

9月にはバンドのライブが3本入っています。

モケイ作りは休みじゅうずっとシコシコやってましたし、

その間にほぼずっと音楽はかけています。

(しかし、休み期間中、ついに一個もモケイは完成しなかった・・・。)

サッカーは最近は見る一方ですが、現地観戦もアウェイまで乗りこみます。

F1も好きで、鈴鹿のチケットはすでにゲット。

クルマの運転も好きなので、その鈴鹿まで夜通しドライブするのも今から楽しみです。

本や映画は好きだし、文章を書くのも好きなので、

このブログも、まあ、趣味みたいなものです。

他にも、定食屋巡りの趣味、納豆、ラーメンのパッケージ集めの趣味、

最近は、自炊も好きで料理作りも楽しい。

旅行はとくに鉄道に乗るのが大好き。

ああ、お酒も趣味かなあ、毎晩飲んでるし。

ダイビング、スキーは、ここ3,4年やってないけどまたやりますよ。

キャンプも場数踏んだので、そこそこ達人です。

そういえば、その前はカヌーで全国の川を下っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、時間が足りませんね。

他にもなんかあったかな。

ゴルフとギャンブルと女遊びはやりません。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、世の中には「仕事が趣味です」と言い切るヒトもいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、ヒトのことはどうでもいいですけど、

ワタシには理解不能です。

仕事が趣味なら毎日楽しくてウラヤマシイ気もするが、

やっぱ、そうは思わないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、仕事はキライじゃないですが、

やっぱりオンとオフがある暮らしの方が自分に向いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えば、ミュージシャンやモデラーを、職業にしたら

バンドもモケイ作りも嫌いになっちゃうでしょう。

そんな技術や才能が無いのが、幸いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、休み中充電したので、また仕事ガンバロウ。

ただ、年齢とともバッテリー自体の質が劣化してしまい、

充電に時間がかかるわりに放電が早いような印象が・・・・。(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018.12.31

2018年、音楽活動総集編

 年末になると、テレビは「大河ドラマ総集編」とか「朝ドラ総集編」などの放送が多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、大みそかの本日「小倉弘之音楽活動2018総集編」を組んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは1月7日、太田メイポールで行われた「ミドルな匂い」での「C5-dips」。

このときは風邪ひいてて、打ち上げ出られなかったんだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2月4日は佐野ハートロックフェス。

「Power Puff Nori-P’s」のアンジーさんと共演。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月3日には足利BBCのアコースティックナイトに出た、バーベキューに1曲ゲストで

森高千里さんの「風に吹かれて」を弾かせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日3月4日、桐生産文でのFMぐんまオヤジロッカー。

入賞は逃したが、いい経験でした。

この模様はラジオ放送されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月23日は足利日赤軽音のコンサートに「コクレア」で出演。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4月29日は前橋ダイバーでの「バンドパラダイス」。

この時もアンジーさんにゲストボーカルをお願いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月12日、足利ビアンベニューでのワタラセソニック。 

 

 この時は「北朝鮮飯店」でも演奏。

翌5月13日が、ワタシとショーグン様の誕生日だったので、

サプライズでお祝いしていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月28日は足利BBCでアコースティックナイト。

メズラシイ「C5-dipsアンプラグド」でした。

 

 

 

 

 

この時はバーベキューにもゲストで。

・・・・リコーダー(;^ω^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 6月14日は伊勢崎レフュッジでのチャリティーイベント「Get Lucky」。

オール・フー・ファイターズ・セットで演奏。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月14日は足利BBCのアコースティックナイトにピンで出演。

シンちゃんがドラムサポートをしてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日7月15日はおおた夏まつりの野外ステージ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月はメイポールの「生ビールまつり」にピンで出ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月9日は運よく通った「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」。

小雨の中仙台までクルマで日帰り往復でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月はライブ月間でした。

9月12日は群馬県神流町で「ミュージックザウルス」。

行く途中にクルマがパンクして大変だったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして9月29日は足利BBCで念願のサウンド・スパイラルに出演。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11月7日は岩谷くんと宇都宮Izakayaまで行って

izzyとあそぼナイトに出演。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11月25日には太田ギルドの「Music Board」のライブにお邪魔して、

ナオちゃんと「Happy Christmas」を歌わせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バンド活動しばらく間があって、12月1日足利BBCでのビートルズナイト。

サポートドラマーはシンちゃんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月15日はフジモトさんのお声かけで足利ショットバーEに「コクレア」で出演。

直前まで、高熱で、解熱剤を多用してのライブでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月23日最後の天皇誕生日は足利織物会館4Fホールで

サウンドジム・クリスマス・コンサート。

「北朝鮮飯店」ひさびさにフルメンバーで登場。

 

 

 

 同じステージで「C5-dips」も演奏。

北朝鮮飯店の長瀬さんにドラムをお願いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、記憶に新しい12月29日「おぐじび忘年会パーティー」。

まずは「コクレア」で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、3人のベーシストが入れ替わり演奏する、という演出で

「北朝鮮飯店」が2018年のトリを務めました。

 

 

 

 

 

こうしてみると、けっこうやってますねー。

この1年バンドを通じていろいろな場所でさまざまな人と交流を持てました。

ともすれば、閉塞的になりがちな開業医がこのような経験ができるのは

大変ありがたいことだと思っております。

やっぱ、音楽は生きる活力を与えてくれますね。

来年もまた、いろいろな場面で音楽が楽しめたらいいなあと思います。

 

 

 

 

 

 

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2018.11.11

「医薬の門」

 時々、医家向け雑誌の原稿依頼を受けますが、

今回発行になったこの号に、ワタシの駄文が掲載されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まあ、大学教授や学会の権威の方々なんかと違い、

ワタシなんぞが依頼を受けるのはほぼすべて

雑誌の後半にある趣味に関したコラムなどが多いわけですが、

今回いただいた「お題」は、なんと「鉄道コラム」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかけとなったのはこの記事です。

寝台急行「きたぐに」大作戦 (前篇)」「寝台急行「きたぐに」大作戦 (後篇)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たしかにワタシ、寝台列車は大好きなんですけど、

到底マニアというレベルではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも「鉄ヲタ」といえば、数あるヲタク趣味の中でも、

もっとも分類は多岐にわたり、しかもその一つ一つのカテゴリーは

限りなく、狭く、深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシなんぞが書いて、ハナで笑われるくらいならまだしも、

事実と異なる記載をしてマニアの方のお叱りなんぞを受けては大変だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、いうことで一度はお断りしたんですが、担当の方の説得にあい、

まあ、鉄道専門誌に書くわけでもないからと了承。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原稿製作、推敲、校正を経て、このたび発行となりました。

「鉄道」が私の活力、では全然ないんですけど・・(^-^;

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、すごく立派な装丁にしていただき、恐縮。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも、3ページオールカラー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この雑誌は製薬会社さんが病院や医療機関に配るいわゆる広報誌なので、

一般に販売されてはおりませんので、悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、原稿提出後、鳥居薬品の方が持ってきてくれた、

ワタシの記事が載る前の2018年No.4での、同コラムを見ると・・・

「電車や貨車についているクハとかクモハとかいう記号は何を示しているか」

とかいう、鉄分の濃い内容の文章が掲載されており、

あー、やっぱ、オレの記事ごときではマズったかなー(汗)、と思ったりしたのでした。

 

 

 

 

 

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2018.05.05

ギブソン、倒産。

 かねてから噂にはヤバイらしいと聞いてはいたが、

あの「ギブソン」がついに経営破綻してしまったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日新聞の天声人語にも取り上げられていたので、

社会的にも大きなニュースであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ギブソン」といえば「フェンダー」と並んで

2大ギターメーカーと評されることが多いが、

少なくともワタシの中ではこの2大ブランドは大きく格が違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェンダーは1946年にレオ・フェンダーさんが設立した「戦後の」会社であり、

そもそもレオ・フェンダー氏はラジオ屋さんで、

ラジオ、電気機器的な発想で

新たにエレクトリック・ソリッドギターを「発明」してのし上がったメーカーである。

つまり、根は「電気機器メーカー」ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それに比べてギブソン社は1894年にオーヴィル・ギブソン氏が始めた

マンドリン製作会社がその前身である。

エレクトリック・ギターが存在する前からギターを作っていた、

由緒正しい「楽器メーカー」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なので、そのルーツから、

フェンダー社のギターはどちらかと「工業製品」的であるのに対し、

ギブソンのギターは職人が作る「工芸品」的なテイストがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、フェンダーのギターがジャンルを問わず万人に受け入れられる

オールマイティ的なイメージであるのに対し、

ギブソンのギターは頑固なイメージ、こだわりの一品といった無骨さを醸す。

フェンダーギターの塗装がより安価で丈夫なポリウレタン仕上げにかわったあとも

一貫してラッカーフィニッシュであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たとえば、フェンダー・ストラトキャスターは、

ハード・ロックのヒトも、フュージョンのヒトも、ブルースマンも、

スタジオミュージシャンも、NHKのど自慢のギター奏者も、

はたまた、アイドルグループだってフツーに使っています。

大変弾きやすく、コピーモデルを含めジャンルを問わず最もよく目にするギターです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一方、ギブソンのギターは、

レスポールといえば、ハードロックがキマリだし、

335はフュージョン、あるいはブルースマン御用達、

フルアコのL-5といえばジャズギタリスト以外に使ってるの見たことがありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもギブソンのギターなぞは、ワタシはガキの頃実物を見たことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシがギターに目覚めた中高生のころ、1970年代には

足利あたりの地方都市では、

楽器店の一番高いところに飾ってあったのがフェンダーのギターで、

より高級なギブソンはお店には置いてすらなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 個人的には、断然、ロック・スピリットをかき立ててくれるギブソン派のワタシです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でこそ、ギブソンを弾いていますが、

当時から考えると、夢のような話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日新聞には、若者のロック離れ、ギター離れが、大きな打撃になった、とあり、

昨今、ヒップ・ホップや、ダンスなどギターが前面に出ない音楽が

若者に好まれるようになったと分析しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけじゃないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、いまだにギブソンを愛好する人があこがれるのは、

今のギブソンではなく、オールド、ビンテージといわれる

かつてのギブソンだっりするのもあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういったギターは販売時の価格の数倍から数十倍の価格で売買されるが、

儲かるのは中古ギターショップで、ギブソン社には一銭も入らないわけだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、ビンテージに限らず中古市場が

ネットオークション、ネット販売の充実により大幅に拡大してる、

という点も大きいのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにワタシは、現在ギブソンを4台所有しています。

いずれも中古ではありますが、いわゆるビンテージギターではなく、

ネットオークションなどで定価の1/3~1/4程度で購入したものばかりです。(^^;)

でも、それでもギブソン社には一切利益をもたらしてはいないわけで、

そういう意味では、何となく責任の一端を感じるような・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調べてみると、

今、ギブソンのレスポール・スタンダードを新品で買うと税込み30万円ほど。

カスタムショップ仕様だと60~80万くらい。

ナルホド、なかなか、おいそれとは買えない値段だなあ。

たしか、高校生のころフェンダーのストラトキャスターが22万円くらい、

ギブソンのレスポール・スタンダードは35万円以上だったと記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天声人語には

「音楽に目覚めたらまずギターを手にする時代は終わってしまったのか。」

というくだりがあるが、

「まず手にするギター」がギブソンでないことは今も昔も同じであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみにワタシが音楽に目覚めてまず手にしたのは「ホウキ」でした。笑笑

 

 

 

 

 一方、ワタシのギブソンですが、

 

 79年製レスポール・スタンダード、ヤフオクで¥85000くらいだったか。

大学時代にはこれの国産のコピーモデル、

お茶の水で中古で¥18000で買ったヤツを使っていました。

 

 

 98年製フライングV これもヤフオク、¥60000ほどでした。

 

 

 64年製メロディメーカー 初めて買ったギブソン。

もう25年以上も前の勤務医時代、中古楽器屋さんで¥100000、

これは1カ月近く悩んで、思い切って買った。

 

 

 88年製レスポール・ジュニア ヤフオクでたしか¥80000くらい、

ワタシのメインギターです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシのように高いお金出してテカテカの新品を買うよりは、

履き古したジーンズのようにそれなりに使用感のあったギターの方が

安くて、むしろカッコイイと思う人は多いでしょうし、

そういう意味でもなかなかメーカーでは

ギターの売れない時代になっていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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2018.01.04

マクラーレンMP4/2

 

  昨年暮れから取り組んでいたマクラーレンMP4/2。

年内完成を目指していたが、お正月にようやくシェイクダウン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1984年のドライバーズチャンピオン、コンストラクタ―ズチャンピオンの

ダブルタイトルを獲得したマシンである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  この年マクラーレンは、ニキ・ラウダが5勝、アラン・プロストが7勝をあげたが、

ドライバーズタイトルは最終戦で0.5ポイント上回ったラウダが手にした。

と、いうことでイギリスグランプリ優勝のラウダ師匠の仕様です。

ちなみにワタシはタバコ反対派ですが、やはり再現性という観点から

マルボロロゴは社外品にてフォローしています。

あるはずのところに何も無いとカッコ悪いし。

 

 

 ところで、この年ドイツグランプリでは

すでにマシンのタバコ広告が禁止になりストロボに代えられている。

イギリスグランプリが、タバコ禁止になるのは翌年から。(だったと思う。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カウルを開けると90年代のF1に比べ驚くほど小さなTAGポルシェ製ターボエンジン。

その分、デカいのがドライバーズシートとの間にあるガソリンタンクで、

この年レギュレーション変更で250リットルが220リットルになっているが、

昨今のF1は100リットルちょいなので、ざっと倍は違う。

今と違ってまだ、社会的にエネルギー問題はあまり問題にされず、

ガンガンガソリンぶち込んでバリバリエンジンを回す時代であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、20世紀のF1マシンはイイっすね。

しかし、きたねーな机の上。(^^;)

 

 

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医療系をまとめました。
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