2017.10.22
ヤフオクで絶版プラモデルを買いあさるという悪癖は、
いまだやまず、もはや「依存症」の領域かもしれぬ。
今年1月落札したプロターの1/12フェラーリ312T2 。
プロターとはもはや消滅したイタリアのプラモデルメーカー。
日本のプラスチックモデルは
精密さ、組みやすさ、正確さどれをとっても世界一だが、
海外メーカーはそうはいかず。
とくにプロターは組みにくい上に無駄に複雑なので有名。
しかも、中古品なので未開封だが破損もあり。
これは難しそうだ。
この厄介なゴムのパーツも難物。
同じ1/12でフォーミュラカーをシリーズで出しているタミヤと比べると
あまりの差に愕然としてしまう。
以前作った「フェラーリ126C2」よりは、
同じプロターでもいろんな意味ではるかに厳しそう。
というわけで、花粉症が終わったころから製作を始めたが、
ナゼカいきなり基本塗装に失敗。
海外モデルはまず、パーツを中性洗剤で洗うべきだったか。
泣く泣く、塗装をペーパーですべて落とし、下塗りからやり直す。
なんてことやってるのでゴールデンウィーク過ぎてもちっともはかどらない。
それにしてもこ3リッター水平対向12気筒エンジン、
なんとシリンダーブロックまで再現されてるが、
完成後はもちろん、エンジンが組上がった時点でもう絶対見えないのに。
悪戦苦闘の日々が続きますが、徐々にエンジンも組上がってきた。
イタリア語の組み立て説明書は絵もアバウトなので、
ハセガワの1/24の312T2を同時進行で製作し、参考にします。
8月お盆休み、やっとエンジンをマウントできた。
予想通り、シリンダーなんてどこにあるのやら。
ゴムがあちこちぴろぴろしてるが、
これも最終的にはしまい込まれて見えなくなる運命。
次の難関はデカール。
一般にイタリア製キットが日本製より優れている点は
カルトグラフ社製のデカールを採用してることが多い点のみですが、
今回は、なんとドライデカール。
要するにインレタみたいなもんで裏紙をはがしてモデルに密着。
ごしごしこすって、そろりそろりとはがしますが、
年季が入っていてなかなか剥がれない。
しかもこのような平面はイイが局面に貼るのはかなりの根気良さとテクニックを必要とします。
そんな感じで、冬から春、夏を過ぎて
朝晩に秋の寒さを感じられるようになった10月の連休・・・・・
なんとかかんとか完成。
キットのシートベルトは全く使い物にならないので、
現在、適当なものを物色中で未装着です。
312Tの発展型だが、あちらはタミヤ製があるがT2はプロターのみ。
アラを探せばきりがないが、ともかく完成したということでご勘弁願いたい。
最後は、毎度のやっつけ仕事ででっちあげて、やっと肩の荷が下りたが、
また、こんなモノをヤフオクで落札してる‥‥。
やはり、これは「病気」ですな。
2017.04.20
コレは相当古い。
値段は225円。ヤスイ!
サクラホビーは前橋にあった模型屋さんだったか、
というと買ったのは30年以上前だが、そこのお店でもずっと棚にあったと思われる。
むろん当時は消費税など無し。
今回も問題はデカールだなあ。
ムカシのプラモデルは、このようにチューブ入りの接着剤が入っていた。
未開封だがもちろん、かっちんかちんです。
さて組んでみるとやはりデカールがダメ。
ニスを塗ってバラバラを避けても台紙から何としてもはがれない。
お湯を使っても、何時間つけてもダメ。
というわけで、しょうがないので日の丸は塗装でいきます。
この円形カッターを使い、
マスキングしてスプレー。
まあ、この点「日の丸」で良かった。
アメリカ軍やカナダ軍では大変な作業になる。
さらにオーストラリア空軍やニュージーランド空軍だったら塗装は絶対不可能。
カンガルーがオーストラリア空軍のマーク、
そしてニュージーランド空軍は空軍なのに「飛べない鳥」キウイがマークになってます。
数字は別の航空自衛隊キットから持ってきたが、
部隊マークは大きさが合わないので手書きです。アップではキビシイ。
なんだかんだで完成ということに。
パネルによってシルバーのトーンを変えてジュラルミン無塗装の気分だけ
ジェット時代のまさに黎明期、主翼も尾翼も後退翼なんてモノはありません。
初飛行が1948年、自衛隊の運用は昭和29年(1954年)から。
ちなみに1954年は航空自衛隊の発足した年であり、
映画「ゴジラ(初代)」が封切られた年でもある。
このT-33AはロッキードP-80 の練習機用派生型で、この視界の良いキャノピーが特徴。
これで訓練した自衛官もとっくに退役して、
すでにお亡くなりになってる方も多いでしょうな。
ムカシは航空自衛隊の飛行機にはけっこう日本語の愛称がついており
こT-33Aも箱絵にある通り「若鷹」という名があったようだ。
たしかF-104は「栄光」、P-2ネプチューンは「おおわし」だった。
最近はそのような愛称はきかないが、F-15 イーグルなんかにはあるんでしょうかね。
2017.04.15
ああー、オレは何てダメなんだろう。
以前も書いたが、自室には生涯かかっても組みあがらない恐れのあるほどのプラモデルの在庫がある。
それなのにF!やAFVのナツカシイ模型をフラフラとヤフオクで落札してしまい、
完成よりも、在庫の方が増える貿易赤字がとまらない。
そいて、ついにまた・・・・。
ヒコーキは1/72しか手を出さないと決めていたのに、
1/48のヒコーキ、しかも6機セットで落札。(◎_◎;)
ヤフオクは手数料はかからないが送料は原則落札者負担なので、
セットで買うとお得ではある。
今回もこのキット、1個あたりは送料入れても500円程度だから、相当オトクではある。
中でもこの「疾風」は初版1971年だから、小学校6年か中1のころ作ったはず。
傑作キットであった。
それまで1/50で発売されていた「傑作機シリーズ」はコレの一個前の「ハリアー」から
国際スケール1/48にされた。
次の発売がこの「ブリュースター・バッファロー」でこれまたナツカシイ。
タミヤ模型はそれまでF!は1/20、ヒコーキは1/100と1/50、
AFVは1/35と独自のスケールで出していたが、
ヒコーキ関係はこの頃から1/48、1/72と国際スケールに合わせた。
一方AFVはすでにタミヤのシェアが世界的だったので
逆に外国のメーカーが1/35に合わせたという経緯がある。
ちなみにF1は今でも国際規格は1/24、国内規格は1/20である。
そんなうんちくはどうでもいいけど、
セット買いだとそれほどほしいわけではないはずのキットも買ってしまうわけで。
フジミの1/48のBf110なんて、フツーならまず買わんなあ。
そんな中、そうえばこのあと出た
タミヤの1/48の零戦シリーズも作ったなあ、良いキットだったなあ、
などとまたぞろヤフオクを検索してしまう、ふがいない自分なのであった・・・・。
2017.03.26
基本プラモデルはクルマ、ヒコーキ、AFV、艦艇と各ジャンルを作ります。
作らないのはオートバイとガンダムか。
で、ヒコーキモデルといえばハセガワです。
基本、1/72しか作りません。
この間のXウイングも1/72で、同じくくりです。
グラマンF-11Fタイガー。
これも相当古いモデルで定価は700円。
例によって、改造、追加工作一切なしのストレート・フロム・ザ・ボックス。
ところがデカールがまた死んでいた。(過去の失敗から学んでない・・・・。)
そんなわけで、もう一個用意されていたシャークマウスの仕様で。
実は、シャークマウスはあまり好きじゃない。
そもそもこれ、タイガーだし、なしてネコ科にシャーク?
アメリカ海軍戦闘機といえばグラマン「猫」シリーズ。
大戦中の「ワイルドキャット」「ヘルキャット」「べアキャット」から
朝鮮戦争時代の「パンサー」「クーガー」を経ての「タイガー」。
ネコ科の「王者」タイガー、
本来ならドイツ戦車のように歴代最強になるはずが、
推進器の出力不足、全天候レーダーの未登載によって
1957年の配備からわずか2年程度で現役を退いた。
米海軍機初の「エリアルール」採用の機体である。
エリアルールとは1950年代に発見された
音速付近で飛行する機体は断面積変化を少なくすることによって
抵抗を減らすことができるという法則。
だから翼のある部分の胴体が細くなっている。
当時は軍事最高機密。
海軍の名門グラマン社はこののち主力戦闘機の座を
ボート社のF8クルセイダ―、
そしてNATO諸国のベストセラーであるマクダネル・ダグラス社のF4ファントムⅡに奪われ、
苦難の時代が続くのだが、
1973年映画「トップガン」で有名なF14トムキャットで返り咲くである。
ちなみにトムキャットは「オスネコ」の意。
実機は不遇であったが、個人的にはこのエンピツ型の胴体に後退翼のスタイルは
鉄腕アトムをはじめ昭和30年代の少年漫画の「ジェット機」のステレオタイプであり、
なぜか、とても愛着があるのだ。
2017.03.07
新年からプラモデル在庫やっつけ製作を開始しイタレリやバンダイの模型を作ったが、
何といってプラモデルといえばタミヤである。
タミヤのプラモデルは考証や造形の正確さもさることながら、
組み立てやすさ、作っていて楽しい、というのがその最大の魅力である。
このメーカーがなかったらワタシはこの歳まで模型作りなどしていなかったかもしれない。
と、いうわけで、タミヤの古いプラモデルを在庫棚から引っ張り出してきた。
1990年の製品ですな。定価は1000円、貼ってあった値札は800円でした。
この当時は消費税あったっけ?
箱を開けてみるとランナーは1枠でシンプル。
タミヤには珍しくエンジンレスですね。
手間がかからず、歓迎。
だがなんと、ボディがウインドやヘッドランプを含め一体成型。
ボディのエアインテークの形もおかしい。
調べてみるとこれはもともとラジコン用のボディーをプラモデルに流用したらしい。
タミヤはこの前モデルのポルシェ956をモデル化してるのでこっちは手を抜いたようだ。
なんか、めんどくさそうでイヤな予感。
まずは、ウインド部分をマスキング。
表の部分はキットに付属するが裏はないのでマスキングテープから切り出し。
もうこの時点でちゃっちゃと完成させちゃおという気分。
しかし、サーファエーサーを吹くと、こんなところにパーティングラインが・・・・。
ここはペーパー掛けしにくい。
ヤスっては何回もサフを吹きなおし、相当時間をかけてやっと消えた。
ボディは単色だから楽だと思ったが、
冬場で乾燥のためホコリが入って何回も吹きなおし。
そして、デカールである。一見、大丈夫かと思ったが・・・・・。
やはり死んでいた。(T_T)
そこで、コレの登場。
死んでいるデカールに命を吹き込む透明ニス。
手芸用なのでデザインがちょっとアレである。
これをデカールに塗りたくって、何とか貼っていく。
最初から使うべきでした。
このあと数日間の乾燥を挟みつつクリアーがけを数回行う。
そして、コンパウンドで研ぎ出し。
粗目⇒細目⇒仕上げ目の順で磨いていく。
もう、途中からこの作品に対する「プラモデル愛」を失ってるので
やっつけ仕事で苦痛である。
ボロボロだがナントカ完成。
タミヤのモデルにしては相当出来が悪い。
以前作った長谷川の962Cの方がまだまし。
やはりラジコン上りが問題か。
まあ、大量の在庫が1台減ったということで。
このタミヤのポルシェ962C、色違いでもう一台タンス在庫があるんだなあ。
2017.02.19
この間「Xウイングファイター」作ったので、どうしても作りたくなって。
コチラはバンダイではなくファインモールド社製。
実はずいぶん前に買って、ストック状態であったのを引っ張り出してきた。
いわゆるフツーのプラモデルです。2002年製だったみたい。
帝国軍パイロットスタイル悪し。
しかもこの操縦桿はママチャリか。
まあ、乗せてしまえばほとんど見えなくなってしまうのだが、
それにしてもヘンなコックピットだ。
キットが古くてデカールがやや死んでました。
ほら、もう見えない(笑)
というわけで「やられメカ」完成。
並べたいために作ったので。
TIEファイター自体にはほぼマッタク思い入れが無い。
それにしてもヘンテコな機体だ。
何となく鬼太郎の目玉オヤジを彷彿とさせる・・・・
ミレニアム・ファルコンはでかいから、いいかな。
基本ヒコーキ関係は1/72しか作らない主義なので。
2017.02.12
先日のデイトナの記事書いてて思い出したんですけど、
デイトナ24といえば、思い出されるレースが2つ。
一つは1967年、フェラーリの1,2,3フィニッシュ。
のちに「デイトナ・フィニッシュ」の語源となったこのゴールである。
当時、ワタシは小学1年生の3学期、
レーシングカーブームもあってこの頃よりレースカーに興味を持ちはじめたところだったが、
このニュースは後追いで知った。
クルマは史上最も美しいスポーツカーともいわれるフェラーリ330P4。
このモデルはもう20年近く前にワタシが作った1/24。
引っ張り出してホコリを払ってみた。
ただし、コレは同年のルマン24時間で2位になったマシンである。
この頃、フォード対フェラーリの対決は最高に盛り上がっており、
1966年のルマンでフェラーリの連続優勝を抑えたのがフォードGTマークⅡ。
そのリベンジがこの1967年のP4のデイトナ・フィニッシュなのだが、
同年のルマンではまたフォードに後塵を拝し、フェラーリは2位、3位に甘んじるのであった。
この辺はリアルタイムで知っている、
といってもテレビもインターネットもないから、月遅れの雑誌情報なのであるが。
子供の頃、金魚のじょうろに似てると思っていたこのクルマ。
雑誌に書いてあった「12気筒」が、何のことだか全くわからなかった。
そして、もう一つのレースは1991年、
日本人ドライバーによる、日本車の初優勝である。
マシンはニッサンR91CP。
これは、本当にビックリした。
日産は1980年代後半から本格的にルマンに「勝ち」に行っており、
1990年はルマンの公式ポスターにそのマシンが描かれた。
だが、結果は惨敗。
写真はタミヤのニッサンR89cで前年の1989年のルマン参戦。
一時4位まで上がったがリタイアしたマシン、昨年暮作りました。
トリコロールの塗りわけはメンドクサイわ、
キットが古いためデカールがかなり「死んで」いるわ、
で難儀しました。
ちなみに「23号車」は「ニッサン」の語呂から日産のレースカーの「エースナンバー」で
デイトナで優勝したのも「23号車」。
こちらはホンモノ、
デイトナ24でルマンのリベンジを果たしたニッサンR91CP。
結局、日産はルマンでは勝てず、その1992年のルマンでは
ナント大穴「マツダ787B」が大金星を挙げて優勝したのですが。
これは4,5年前に作ったかな。
やはりこうしてみるとルマン出場車に比し
デイトナではたとえ優勝してもモデル化されてない、
ってのは格差、温度差を感じますね。
2017.01.24
前回からの続きです。
あっという間に形になったが、細部の塗装、ウェザリングのため一部をバラします。
そして、エンジンカウルなどを塗装したのち、デカールはり。
スミ入れをします。
デカールやカラーパーツは退色表現がなされてないので、
フラットホワイトとカッターで「傷つけ」ます。
そして、忘れてならないR2-D2。
これまたちっちゃー。
当然手では持てないので、クリップで挟んで作業。
デカールはり。
そして、スミ入れ。
このデジカメには「顕微鏡モード」というのがあってこれが役立つ。
できたー。
吹けば飛ぶような(*^-^*)
機体に乗せると、頭しか見えないんだが・・・・・。
ルーク様を後ろからサポート。
最後に排気のススなどを表現。
ベースはデススターにプロトン魚雷を打ち組む形になっている。
ナントカ完成したものの、なかなか写真を撮るのが苦手で・・・
このモデル、完成まで約2週間という破格のスピード。
さすが「フォース」の威力か。
その実態は下地塗装全くなし、
すり合わせ、パーティングライン消しなどの
細かな作業を一切してない手抜き工事のおかげだが、
それでも何となく形になるところはバンダイのチカラですかね。
2017.01.23
プラモデル作るときにネットで資料を検索すると、
いわゆる「製作記事ブログ」みたいなものに多く遭遇する。
いつもだらだら作るだけだが、今回、これをやってみようかと思いました。
お題は、昨年最後にみた映画の余韻が覚めないうちに。
実はコレ、息子からこのクリスマスにもらったプレゼント。
いわゆるガンプラは全く作ったことがないので
「バンダイ」のプラモデルを作るのは初めてかな。
45年くらい前に1/48電撃機甲師団シリーズってのがあったけど、
多分タミヤの1/35作ってたのでバンダイは作ってないな。
ビックリするのは同じランナー枠内で色が変わっている。
透明パーツまで(@_@)
普段だと、まず全体にグレーのサーフェーサーを吹くのだが、
せっかくなので今回はこの色を生かしてみる。
説明書のテイストも違い、ちょっと戸惑うが・・・・・。
基本、接着剤のいらないスナップキットなのでパチパチ組みあがる。
コックピットなどはエアブラシで塗り分けます。
計器類はデカールで。
パイロットはルーク・スカイウォーカー(^o^)/
ちっちぇー。
コックピットに入れて具合をみます。
形になってきました。
続く
2017.01.18
そして、相次いでシェイクダウンしたのはF1モデル。
エブロの1/20「ロータス88」である。
こちらはレーシングカーなので、汚しではなく
逆にピカピカのグロス・フィニッシュ。
ロータス88はロータスの代表であり天才デザイナーであるコーリンチャップマンが
1981年のグランプリカーとして用意したマシンである。
究極のグランドエフェクトを得るため
ドライバーの乗ったシャシーが上下しても、
スカートのついた外側は地面に張り付いたままという
「ツインシャシー」がそのコンセプトであった。
しかしこれはレギュレーションをクリアーすることができず
ロータス88は結局1回もグランプリに出走しなかったという幻のクルマである。
そういう意味では今回の作品もF1マシンとはいえ、マイナーなチョイスですな。
ちなみにこの時のナンバーワンドライバーは
カーナンバー11のエリオ・デ・アンジェリスであったが、
今回あえてナンバー2ドライバーのナイジェル・マンセル仕様にしました。
期待のルーキー、のちにワールド・チャンピオンになるマンセルは、
この車に乗って初のレギュラーシーズンを戦うはずだった。
マンセルは、後にロータスを離れ
変わってカーナンバー12を走らせたのがあのアイルトン・セナ。
そして、セナはエリオ・デ・アンジェリスに代わって
ロータスのエースとなり、
そこにセカンドドライバーとして加入したのが
日本人初のレギュラーF1パイロット、中島悟である。
今回の製作期間は、昨年12月からの製作なので、1カ月ほど。
今までにない超スピードである。
次は、何かな。