2017.03.19
今シーズンの日程は土曜日の昼間と、火曜日、金曜日の開催なので、
ここまで1試合も観戦できず。
ホームゲームは全滅で、仕事を休まずに行ける唯一の日程が
このアウェイのガンバ大阪戦なのだ。
そんなわけで、大阪「ほぼ日帰り」ツアーのスタートである。
朝6時55分のりょうもう号。
さいわい天気よし。そしてワタシは花粉症はなし。
朝ごはんは新幹線のお楽しみにしておいて、コーヒーをまず一杯。
東京発9時ののぞみ新大阪行き。
朝ごはんは悩んだ末、ダイスキなこれで。
今日は学会ではないので朝ビール(^.^)
そういえば、学会以外で新幹線乗るのはひさびさです。
新大阪から御堂筋線直通で千里中央まで。
千里中央からモノレールに乗り換え。
大阪ではチャーハンのことを焼きめし、ヒレカツのことをヘレカツという。
ちょうどお昼時だが、まだ、朝ご飯食べたばかりなのでお昼はこのあとで。
モノレールで万博公園駅に向かう。
モノレール内、一件フツーのヒトに見えるが、持ち物や靴から
奥の男性はレッズファン、手前のおばちゃんはガンバファン。
試合開始までまだ4時間以上あるが、戦いは始まっている?
さて、今回の大阪遠征にはサッカー以外にもう一つ意味がある。
ガンバ大阪の本拠地「吹田スタジアム」は万博記念公園に隣接しており、
今回47年ぶりにその1970年の万国博覧会開催地あとを訪ねるのが
今回の旅のもう一つの大きな目的である。
モノレールから「太陽の塔」が見えてきた。
がぜんテンションが上がる
その名も「万博記念公園駅」でおります。
うーん、ガンバ色濃厚。
だがまずは万博記念公園へ。
子供連れ、ベビーカーが多いのは、公園で遊ぶ人が多いようだ。
入場料250円。チケット売り場大渋滞。
なんかウレシイ、この半券。
小学校のころもってた「万博手帳」に貼りたい気分だ。
1970年、当時小学校5年生。
めったに旅行に連れていってくれたことのないうちの父が2泊3日で連れてきてくれたEXPO 70。
今から47年前の8月、たしかにオレはここに来ていたんだなあ。
大阪万博の資料を展示する「EXPO’70 パビリオン」に行ってみた。
これは当時のパビリオン中、唯一残された「鉄鋼館」を利用したものだという。
なんか、子供多く、にぎやかな声が聞こえたが、このイベントのためであった。
1階はイベントスペースになっているので。
2階が常設展示。入場200円。
こちらはサービスアエリアの食券と同じ感じであった。
2階に上がるとボランティアと書かれた名札の年配の男性の方がガイドツアーをしてくれる。
ちょうどツアーが始まったところで、ヨカッタ。
おおおー、懐かしいぞ。
この入場券、覚えてるー。
当時は10歳だったので400円だったのだな。
大人800円は今の値段にすると4000円ほどらしい。
当時この鉄鋼館は天井から球形のスピーカーをつるし
光と音のショーをやっていたそうだが、
現在は経年による施設耐震基準からの安全の問題から
このホールには一般客は入ることができない。
万博切手(^o^)/
前回も書いたが、夢中でした。
タバコもあったのか。
そういえば父が吸っていたかも。
ガイドブックもありました。何冊か買ったはず。
教学研究社ってあの受験参考書の教学研究社までガイドブック出してたんですね。
さて、ワタシが行ったのが8月のお盆休み。
絶対仕事は休まず、大みそかまで診療をしてたくらいの父ですから、
万博に行くとすればここしかなかったわけですが、
当然ながら会場は大混雑でありました。
その中、日和ることなく何時間も並んで、3日間で見たのは
ソ連館、アメリカ館、日本館、オーストラリア館、上位を抑えています。
行く前は綿密に予習をして計画を立てたのだが、結局待ち時間で計画倒れに。
その中でも最長は4時間並んだこのソ連館。
一番最初に入ったのはこのオーストラリア館。
計画では初日アメリカ館を狙っていたが、
あまりに混んでいたので隣のオーストラリア館に入ったような記憶があり。
ともかく、語ることのありすぎるEXPO’70 。
また機会を改めてブログ書きますね。
当時はパビリオンが会期終了後すべて壊されるときいてビックリしたものだが、
移築されたものもあるのですね。
ただ、今残っているかは不明だそうです。
記念館や資料館は良いとして、老人ホーム!
そしてラオス館が寺院!! (゚Д゚;)
気になる―。
入場口のグッズ販売では会館グッズのほか、
なんと当時のコレクションが実物販売されていた。
博物館展示に際して寄贈されたものだろうか。売っちゃっていいのか。
その中で、なんとなんと、ワタシが当時買ったものと同じ「ペナント」を発見。
ペナントは当時土産物の定番であった。
この写真だとわかりにくいが通常はペナントの形は二等辺三角形なのだが
このペナントは直角三角形なのである。
しばらく部屋に貼ってあったなあ。
1,800円、ちょっと迷ったが買いませんでした。
懐かしさに感動し展示館を後にしましたが、
出入り口にあったこのお姉さまがたのファッション、イカスわー。
小学校5年生当時、来るべき未来を感じ取ろうと真剣に見た大阪万博。
今、自分はその未来にいるんだなあ、と思いながら公園を歩く。
一方、公園ではこれからの未来を体験するたくさんの子供たちが無邪気に遊んでいました。
しかし、花粉症のパパ、ママを持つ子供たちは、
こんな日にあまり外で遊ぶと花粉症の未来が待ってるぞ。
続く
2017.01.05
年末年始のお休み、最後に家族そろって温泉に出かけた。
もちろんコイツも家族。
クルマで水上温泉へ。
また、動物病院におあずけかと思いビビりまくるレディア。
着いた先は、何度も来たイヌと泊まれる温泉宿「だいこく館」。
とりあえず、いきなりオシッコのレディア。
しばらく警戒して部屋を探索していたが。
ようやく慣れた。
夕方のお散歩に。
小雪まじりで、さすがにかなり寒い。
用もきちんと足して帰ってまいりました。
お迎えのぐんまちゃんに挨拶して入ります。
夕食は上州牛のすき焼き。
地酒「谷川岳」。
先に夕食の済んだレディアは机の下で待ちます。
なぜならこの食堂の名前は、
今夜は食堂は大型犬ばかり。
ビビったレディアは最終的に抱っこになりました。
部屋ではのびのび。
我々が「UNO」をする中央でくつろぐレディア。
温泉とご馳走でリフレッシュして、さあ、いよいよ仕事始め。
2016.11.15
二日目のスケジュールはタイトである。
8時半からの実技講習に間に合わせるために6時半起き。
まだ、夜が明けきっていない。
朝食会場に7時に行くと並んでる・・・。
今日は並ぶ日だとは思っていたが、ここからかよ。
なんとか朝食をとり、荷物をまとめてチェックアウト。
すると、ホテル玄関でタクシーを待つ列。
また、並ぶ。
ようやくタクシーに乗りこんで出発というとき、車の窓をたたく男性がいる。
「スイマセン、会場まで相乗りさせてもらっていいですか?」
見れば、専門医講習会のネームカードを首から下げている。
たしかに今からタクシー待ちに並んだのでは講習に間に合わないかもしれない。
「ああ、ハイ、いいですよ、どうぞ。」
ということで、相乗りとなったが、
どうして我々が耳鼻咽喉科専門医講習会に行くことがわかったのか。
恥ずかしいので会場外ではネームカードを外しておくのだが・・・・。
「ワタシ、姫路から来たHといいます。名古屋で先生、ワタシの前に座ってましたね。」
ナント、ワタシのメンがわれていた(゚Д゚;)
名古屋といえば、今年の日耳鼻総会。
あんなにいっぱい人がいたのに・・・・。
自分がどちらかといえば目立つ風貌かも、とはうすうす思っていたが、
ここまでとはショック。
これじゃあ、うかつなことはできねえなあ。
そんなこんなで8時15分に会場入り。
混んでる。
クロークに荷物を預けるのも行列である。ここまでで並ぶのすでに3回目。
ヒトコマ目は選択の実技講習。
救急蘇生のコースを選択。
2時間、蘇生実習用のマネキンを相手に、
心臓マッサージやら人工呼吸やら、AEDなどを練習。
上着を脱いで、ワイシャツの袖をまくり汗をかきながら2時間ぶっ続けの実習である。
それが、終わるや否や、専門領域講習の会場に。
会場内は移動の人々で朝の通勤ラッシュのごとく大混雑。
しかし、この時間、ここに日本全国の耳鼻科医のかなりの割合の人が集まってるわけで、
ここに爆弾テロや大地震が起こったら、
わが国の耳鼻科診療は崩壊してしまうのでは・・・、
などと、ヘンなことも考えてしまう。
第2会場でアドバンストコースを受講。また、並ぶ。
母校、群馬大の近松教授の講演なので応援がてら聴かせていただく。
そして、それが終わると第1会場に移動してもうひとコマ、領域講習を受講。
13時15分まで連続で受講し、ナントカ、すべてのミッションをコンプリートした。
また並んでクロークで荷物を受け取り、タクシーの列へ。
さあ、帰りましょう。
昼食のお弁当を買い14:13の「のぞみ」で東京に帰る。
会場を出てから40分足らずというあわただしさ。
やっと、昼メシ。
あれこれ選ぶ時間もなかったので
広島駅人気ナンバーワン、と書いてあった「あなごめし」をチョイス。
プラス「プレモル」と「手羽先」(*^^)v
おいしかったが、やはり関東人にはこっちの味付けは甘いかも。
東京駅まで4時間、
食後はまたゆっくり本を読むつもりであったが、
あっという間に寝てしまい、新横浜まで起きられず。
疲れてたのねー。
さて、来年の日耳鼻総会はまたまた広島だという。
また、並ぶのかなあ。
2016.11.14
さて、専門医講習会初日。
今回のミッションは共通講習を1単位、専門領域講習を4単位、実技講習を1コマ2単位とることである。
なんか、だんだん学会参加の意味が、
本来の目的から解離していくような・・・。
ラジオ体操の目的が、規則正しい早起き、健康づくりから
カードのハンコ集めにかわっていく感じ。
受付完了。ともかく2日間の戦い(?)が始まる。
まず最初の共通講習はあらかじめ当選した事前登録制なので聴講できると思う。
なんせ、受付け開始当日にインターネットで速攻申し込んだ。
だが、一応1時間前に会場に。
なんかヒト多いなあ。
だが、会場前にはまだ誰もいない。
で、ちょっとほかのところで座って休んでると、あっという間に行列ができていた。
まあ、それでも前の方に座れた。
その後、40分の休憩をはさみ引き続き領域講習があるが、
周囲に食事できる場所がなく、学会側が希望者に弁当を予約販売していた。
これは、パス。
せっかく、広島まできて、会議場で弁当なんてまっぴらだ。
なんせ、今回の旅行は食事以外に楽しみがナイ。
ということで、駅周辺まで行ってランチ。
やはり、「海なし県」の住民は海の幸にあこがれる。
刺身、プリップリでサイコー(≧◇≦)
その後戻って、専門領域講習を受講。
会場、ほぼ満員。
その次の、セッションは単位獲得に該当しないプレナリ―セッション。
いきなり会場ガラガラw
このあと、もうひとコマ領域講習を受講し、今日はここまで。
ホテルに戻り、徒歩で食事に出る。
途中原爆ドームの前を通る。
物言わぬ迫力に圧倒される。
世界から核兵器がなくなりますように。
で、着いたのがこのお店。
広島市内の川岸に浮かぶ牡蠣専門店の牡蠣船。
実は、6年前の専門医講習会の時に訪れている。
その後、船の老朽化に伴い、移転、昨年新規再開した。
今回の学会旅行の目玉であった。
ちなみに牡蠣に関しては、妻は大好物だが、ワタシはそれほどでもナイ。
だが、ここんちの牡蠣はまさに「絶品」だ。
ところで、途中で妻が指摘。
「さっきはあの掛け軸、曲がっていなかった。」
なんと、何か霊が潜んでいるのか。
どうも、女将さんにきいたところ今日は団体さんが入っており、
人数多いと船なので満潮の時は傾くことがあるという。
あまり傾くときは船底で土嚢を動かすとか。
なるほど。船ならでは。
牡蠣づくし、6年分の牡蠣を堪能しました。
核は人類を滅ぼすが、牡蠣は人類に幸福をもたらす。
また、お邪魔しますね。
さて、もう1日。
「かき兵器」で武装して戦うぞ。
2016.11.12
11日金曜日は午前中だけで、診察終了。
まずは、レディアを川島動物病院に連れていきお泊りのお願い。
すがるレディアの目を振り切って帰宅。
素早くインスタントラーメンを作って食べ、
そのまま准看護学校の講義。
本日、最終講義であったが、いつもより雑談を減らし
ダッシュで授業を進めて、
5分早く14:15に終了。
車で帰宅し、妻が呼んであったタクシーにそのままとびのり
足利市駅に向かう。
そして14:39の特急りょうもう号に無事乗車。
これに乗れれば大丈夫。
東京駅16:30ののぞみ49号で広島へ。
早くも暮れなずむ東京の街。
広島まで4時間。
コーヒー飲みながら文庫本一冊。
広島20:30着。
やはり、ここに来たらお好み焼きでしょう。
ココは駅のすぐ南。
この間、札幌ではいったラーメン館のようなお好み焼きのお店が集まったフロア。
今回は以前から気になっていたこのお店。
時間帯的にほとんどのお店がガラガラであったが、
この店だけ「待ち」が発生していた。
しかし、程なく席が空いた。
ビールを飲んで、しばし待つ。
プレモル❤️
目の前で見事に出来上がっていくお好み焼きを見るのも楽しい。
そんなに電光石火の如くできるワケではない。
コレが看板メニュー「電光石火」。
カットモデル(^^)
フワッとしてオムレツのよう。
あー、美味しかった。
午前の診察終了からここまで、まさに「電光石火」であった。
さあ、明日からは「闘い」だ。
2016.09.24
札幌のトイレで見たこのマーク。
どっかで見たかと思ったが・・・・・
やっぱり、コレですよね。
「少年よ大小をいたせ。」
女子トイレも同デザインでした。
”And, also girls !”
2016.09.19
17日(土)夕刻のフェリーに乗り、まずは船内の大浴場へ。
乗客が夕食どきでお風呂が込まない時間を狙って、
また、体中に気になるジンギスカンの匂いを早く落としたいため(^-^;
フェリーのお風呂は大好きだ。
夕食は階段の歩行が大変なので、室内で。
そのために帰りはデラックスルームを奮発した。
北海道ではから揚げのことを「ザンギ」という。
デパ地下で「塩麹ザンギ」と「味噌ザンギ」を買ってきた。
スカパーオンデマンドで、浦和レッズ対FC東京の試合を生中継で見るが、
港を出てほどなくインターネットが切れてしまいました。
残念。
あとはひたすら、本を読んだり、寝たり、飲んだり、食ったり。
船旅はいいなあ。
朝は妻が大量に買い込んだパン、昼は妻はパンだが、ワタシはカレーうどんにしました。
お昼を食べたらもう陸が見えてきた。
乗ってる時間は同じなのだが、行きの夜8時着に比べて午後2時につくのはずいぶん早いような感覚。
荷物を積み込んでいざ下船。
自宅に直行だが、そのあとワタシは夜、伊勢崎でライブのためすぐ出発なのだ。
2016.09.18
朝起きて札幌に向かう。
高速を使い約1時間15分。
札幌近郊の道路は交通量も多く片側2車線だが、
なぜか交差点に右折車線がなく、
注意していないと右折待ちにハマってしまう。
路面電車も走っている。
けっこう車と近い。
さて、今回は5年前より経過も良く、
無事1週間で退院となった。
退院後向かった先はまたしてもココ。
11時半の開店を待って入店。
何故ならまた夕方クルマを運転しなければならないので、
ビールを醒ます時間が必要なため。
そのため泣く泣く飲み放題コースは諦めたが、
かえって飲み放題コースではチョイスできない
北海道限定ブランドであるサッポロクラシック生が飲めた🍺
退院おめでとうございます。
ここに来ないとどうも北海道に来た気がしない。
ビールはセーブしましたが、
ジンギスカンは食べ放題でガッツリ何度もお代わりしました。
タクシーで中心街に戻り、
アルコール抜き(と、大量に食べた肉の消費)をかねてお買いもの。
歩いていてとても気持ちのいい気候である。
パン食派の妻は病院の三食米飯にかなりたまっていたらしく、
お気に入りのパン屋さんで「爆買い」。
デパ地下で食料も仕込み、夕刻、苫小牧港に向かう。
フェリーに乗船。
また19時間の船旅である。
それにしても、往復38時間船に乗って、
札幌滞在は約6時間であった。
まだ、旅は続く。
2016.09.17
苫小牧着は午後8時。
今晩は苫小牧に泊まり、明日、札幌に向かう。
ホテルのほぼ向かいにある居酒屋。
昭和の演歌の流れるイイ感じのお店。
やはり港の居酒屋では魚が新鮮で美味い。
当然、サッポロ🍺
苫小牧といえばホッキ貝が名物。
これまた絶品で日本酒🍶もいただいてしまう。
地酒を冷やで。
ホロ酔いでホテルに戻ると、こんなサービスが。
ここはひとつ、シメのラーメンを。
あー、マンゾク\(^o^)/
このホテルはビジネスホテル的で部屋にはシャワーも無いのだが、
なんと階上に天然温泉があり。
しかも、露天風呂つき。
たしか1日前が、中秋の名月。
月を愛でながら旅情にひたり
なんとなく旅の目的を忘れてしまいそうだが、
明日は退院のお迎えです。
2016.09.16
診察は19:30に終了。
検索では大洗港まで1時間40分。
フェリー乗船手続きは22:30までなので、
足利を20:30に出れば間に合うだろう。
てなことで、準備万端出発したはずが、
音楽聴きながら気分良く走ってるうちに、
北関東道へのジャンクションを過ぎてしまった。
大急ぎで鹿沼インターまで行き、
折り返す。往復30㎞以上、ヤバイ。
大洗港フェリー乗り場に着いたのはギリギリ22:30であった。
もう人影も少なく 最後に乗船手続きをする。
まあ、出航は1:45だし、ネットで予約済み、
カード決済していたので、
多少遅れても乗船できたと思うが、まあ、間に合ってヨカッタ。
このフェリーは主として
トラック便のヒトビトが利用する深夜便なので
レストランなどの施設は無い。
そのため、あらかじめ食材を調達、持ち込んでおいた。
船内に自由に利用できる電子レンジがあるのもリサーチ済み。
クーラーボックスにビールも用意。
このラウンジは、おそらくかつてレストランとして
使われていたもののようだ。
自販機も揃っていてアルコールの自販機もあるが、
ナント深夜帯は販売停止。
乗船が23:00だが、コレはチェックしていなかったので、
準備してきてヨカッタヨカッタ。
部屋は個室ではなく、カーテンで仕切られる寝台車的なつくり。
実は、こういうの好きなんっす。
隣のいびきがチョットだけ気になるけど、
船の揺れがいい感じで休めます。
おやすみなさい。