2023.09.01
第三話からの続きです。
さて、ピッチャーとして試合に臨むのは大変不安な状態になったが、
またまた事態は急展開となった。
ずっと練習をサボっていたユウスケが、
突然またやってきたのだった。
最初から練習はかったるいので試合だけ出るつもりだったのか、
監督や関係者が直接彼に復帰を説得したのかは分からない。
だが、これで助かった。
監督から、ピッチャーは彼で行く、と発表。
どーぞ、どーぞ、ワタシに異存はありません。
そして迎えた本大会。
1回戦の相手は抽選の結果、通6丁目に決まった。
いやー、こりゃあ、ダメだ。
「通6」のエースはイエズミくん。
ワタシの親友であったが、ともかくスポーツ万能。
その後、中学では野球部のキャプテン、エースとして大活躍する男だ。
ほかにもチーム内は野球経験者が多く優勝候補の筆頭であった。
ワタシは、ファーストに戻され、
なぜか打順は4番を打つように言われた。
そして、試合が始まった。
打席に立つが、なにせイエズミくんはサウスポー。
左投手の球をバッターボックスから見るのは初めてだ。
そして速球はもちろんカーブも投げられる。
たぶん、ワタシはノーヒットだったと思う。
守備のほうでも、ずっとピッチャーの練習をしていたので、
ファーストの守備練習などほとんどしていないため、
プレーもぎこちなく、エラーも多し。
どうせファーストやるならファーストミット
誰かに借りておけばよかった。
スコアは覚えていないが、完封負けだっただろう。
その後「通6」は順当に勝ち進んで、前評判通り優勝した。
閉会式の時の夕陽が、
雲の切れ間から旭日旗のように見えたのを鮮明に記憶しているが
その後、慰労会で食べさせてもらったはずの「かつ丼」が、
美味しかった記憶はまったくない。
何となく、もう少しやりたかったような気持になったのが
我ながら不思議であった。
すべてが遠い記憶のかなたである。
今でも、ほんとにこの自分がグローブはめて
野球の試合をしたことが信じられない。
しかも、ピッチャーまでやってしまったとは。
そんなわけで小学6年生、1971年の夏、
ひと夏限りの野球少年は、
夏休みの後半、普通の少年に戻って、
その後やり残した宿題の山に取り組んだのだった。
蛇足ながら、この年、台風23号が
8月29日深夜、過去最大級の勢力で鹿児島県に上陸。
30日から31日にかけて大阪から東海、関東地方をかすめるように進み、
9月1日に本州の東で温帯低気圧に変わった。
近づく台風の中で、台風情報を聴きながら。
宿題を懸命にやった記憶はかなり残っています。
完

2023.08.29
高校野球も終わりました。
まったく野球に興味のないワタシですが、
実は一度だけ、小学校6年生の夏は野球をやりました。
昭和30年~40年代、ワタシの少年時代は
野球は国民的スポーツでした。
ワタシの通う小学校も、当時は児童数が多く、
各町内ごとに野球チームを作って大会を行う
「町内野球」が行われていました。
たいがい町内に住む野球好きのおじさんが
監督やコーチになって子供を休日に指導します。
大会は8月。
当時はワタシが通う西小学校地区は
通4丁目~7丁目、今福町、西宮町、栄町1丁目、2丁目、
緑町1丁目北、南、緑町2丁目、
と、計11チームが揃い、なかなか盛り上がっていました。
男の子は早い子は3年生くらいから
自分の町内の野球チームに入ります。
6年生を中心に5年生が加わったメンバーが
トップチームを形成します。
参加は任意。
やりたい子供がやる、ということでしたが、
その年、ワタシの住む通4丁目チームでは
大問題が起きていました。
それは1年前から予想されていた事態だったのですが、
1971年度のチームに6年生が一人もいない、というもの。
町内に6年生がいないわけではない。
ワタシを含めて7,8人いたはずだが、
例えばワタシはサッカーばっかり、
ヤナブーは学年で一番水泳が上手かったし、
電気屋のハセタは鉄棒で大車輪が出来たりと
皆、たまたま野球に興味がなかったのだ。
おそらく5月の連休明けの頃のある日曜日だったと思う。
通4丁目在住の小学6年生男子に育成会から、
町内の公民館に午前11時に集合するように連絡があった。
集まったワレワレは、育成会のおじさんたちの目的に気づいていた。
「これ、町内野球だろ。」
「お前、野球やる?」
「いやあ、野球なんて、やだよ。」
「日曜日つぶれちゃうしなあ。」
ワレワレ小6男子は、町内野球に参加する意思はさらさらなかった。
さて、育成会のおじさんが数人やってきて、
ワレワレに向かって話し始めた。
予想通り、町内野球に参加してほしい、という話であった。
通4丁目チームは歴代最多優勝の名門チームであるということ、
もし君たちが参加しなければ
5年生、4年生のチームで戦わなければならないという泣き落とし、
そして少年野球の魅力、大会の意味、
参加はあくまで任意であるが、
皆さんの活躍を期待している、という激励を、
オジサンたちが入れ替わり立ち代わり熱く呼びかけた。
この時点で、ワレワレの意思は揺らいでいたが、
まだ、この夏を野球に捧げる、という気分には至っていなかった。
しかし、その後決定的な出来事が・・・
ひととおり、育成会のオジサンたちが話をしたあと
では、ちょっと移動しましょう、と。
ワレワレ6年生男子は織姫公民館を出て
歩いて50メートルほどの幸軒(さいわいけん)食堂へ。
みんなお腹もすいたことだろうから
ここでご飯食べて、
あとは家に帰って町内野球参加についてよく考えてくれ。
ということで、全員がそこで「かつ丼」をごちそうになった。
これが、感動的にウマかった。
そもそも外食なんかあまりしなかった時代、
たまにデパートの大食堂で
スパゲッティ・ナポリタンなぞを食うことはあっても、
大衆食堂のかつ丼を食べる機会は、それまでなかった。
ほかのみんなも同じだったと思う。
町内野球をやれば、またかつ丼が食べられるかも。
家に帰る前にワレワレの心は決まっていた。
よし、野球、やろう。
(【注】この映画は1984年の作品なので時代的には相前後します。)
続く。

2023.08.18
BOOK-OFFの110円コーナーで買ったこの本。

大変面白く、久々に一気読みしてしまった。

そんな折にWOWOWでドラマ版を放送したので観てみたが、

これがとんでもなくつまらなかった。
WOWOWの制作するドラマWは非常にクオリティが高く、
地上波ではほとんどドラマを観ない我が家でも
いつも感心して観てるのだが、
今回は、どうも。
主役がいまだに素人役者の域を出ない小泉孝太郎だというのもあるが、
脚本が原作の面白さをスポイルしてしまっていた。
ていうか、ストーリーが原作と違いすぎ。
原作の舞台は昭和30年代初頭。

これが、ドラマでは1990年のバブル期に置き換えられている。
手形詐欺の金額が原作の3000万円から、
一挙に2億円になってたというのはまあ当然。
被害にあう課長が部長になってたり、
主人公の大学時代の仲間の新聞記者が、
太っていつも大汗をかいてるキャラだったのが、
普通のイケメン風になっているあたりは
まあ、許すとして。
原作では主人公と接触のない謎の女性が
いきなり行動を共にするし、
黒幕である右翼と政治家のつながりも無視されてるし
(これは主演男優が自民党と関連の深いせい?)
何より自殺するはずの課長(部長)が拉致されてるし、
逆に弁護士は殺されないし、
原作の犯人はドラマには出てこないのだ。
殺される人も、犯人も、トリックも違う、というのはどうなのか。
そして、主人公が殺人犯に間違われて警察に追われるという、
原作にはない、安易すぎるサスペンス設定。
偽ウルトラマンのようなこの設定は
はっきり言って嫌いだ。
ところで、原作の面白さは、実は別のところにもありました。
当時は当たり前にあったが、今はもう無いシチュエーション。
読んでいると昭和30年代のワタシの子供時代の記憶が
懐かしくよみがえる。
昭和30年代なので、給料の受け渡しはすべて現金。
小説の冒頭で課長が手形を換金してから、
社員全員の給料袋につめるのにかかる時間を
考えるシーンがあったりします。
ワタシが医者になって初めて手にした給与は封筒に入った現金でしたが、
2年目から給与が現金から振り込みに変わりました。
モチロン新幹線はない。
拉致した弁護士を担架に乗せて名古屋行きの列車で運ぶトリックで
名古屋まで行く列車の窓から担架を落とすことは新幹線では無理だ。
名古屋まで行く飛行機の乗客から特定の人物を割り出すことが出来るのは、
航空会社が新聞記者に乗客名簿(住所、電話番号入り)を
簡単に見せてくれたからですが、
名古屋に行く便の乗客が27人しかいなかったことも(定員は31人)。
調べてみると定員が31名の旅客機といえばダグラスDC3で
全日空(当時の会社名は日本ヘリコプター、通称日ペリ)は
この機体を昭和30年11月に導入し、
この機体から初めてスチュワーデスが搭乗したそうです。
小説でも主人公と新聞記者が、
スチュワーデスさんに話を聞きに行く場面があります。
当然スチュワーデスさんは1便に1人だけ。
この機体だ。
尾輪式なので駐機時は機内は坂道になり、
スチュワーデスさんはさぞかし大変だったであろう。

ちなみに日ペリが全日空になったのは昭和32年12月のことなので、
この春から秋にかけての物語の年代は、
DC3の導入時期とあわせると、
昭和31年か32年のどちらかに絞られるが、
おそらく週刊読売に連載された
昭和32年4月から12月までのリアルタイムの出来事として書かれている模様。
その他にも長野県を走る路線バスが未舗装の山道を延々と上り、
1時間走ると峠の茶屋で5分間休憩、というのも時代を感じさせるし、
路線バスに車掌さんが乗ってるのも懐かしい。
こういった昭和の記憶が、
小説を読みながら映像のように浮かんでくるのだ。
やっぱり松本清張は昭和のベストセラー作家なので、
その時代背景がないと物語の立体感が出ないのだ。
そういえば、小説で犯人のモンタージュ写真が作られるが、
これが似てない、というのも物語のカギになる。
モンタージュ写真というのは当時最先端の画期的な技術であったはずだが、
かえってわかりにくいとのことで、
今は用いられていないようです。
モンタージュ写真といえば思い出すのは3億円事件ですね。
最後に、死語、つまり今は使われなくなった言葉が出てくるのも楽しい。
謎の女性を追いかけてタクシーに乗ったときに
タクシーの運転手が、
「新宿から荻窪あたりまでは、
ゴーストップが十二か所もあるから追いつけますよ。」
みたいなことを言う場面があるのですが
「ゴーストップ」、知ってます?
昔は信号機のある交差点のことを「ゴーストップ」と言いました。
ワタシはよく覚えていますが、
今は全く使いませんね。
あまりにナツカシイ言葉なので
妻に訊いてみたら「知らない」とのことでした。
ちなみに、女の乗った車は「53年型のダッジ」であった。
追いかけるタクシーがたまたま「ルノー」で、
主人公が、「これはルノーだな、
ルノーならば、万一の時には速力が出せるな」と考えるシーンがある。
当時は国産車はまだその性能では外車に全然かなわなかったのですね。
そして、そのころ我が家にはまだ自家用車がなくて、
父はスクーターに乗って往診に行っていたときいています。
ワタシの生まれる2年前の話です。

2023.08.01
前にも書いたが最近は自宅の本棚の奥にあった
古い推理小説を再読しています。
これはドラマ版では「雲をつかむ死」という邦題であった。

飛行中の旅客機の中で起きた殺人事件を扱ったものですが、
当時の旅客機の客席が少ないので、
ほど良い登場人物の数になるのだなあ。

読もうと思って、裏表紙の登場人物一覧を見て、お、と思う。
ほぼ真ん中あたりにあるブライアント博士は
耳鼻咽喉科医ではないか。

記憶に残っていなかったが、はて?
このあいだ聴いた耳鼻咽喉科臨床学会での知念実希人氏の特別講演でも
その前2018年の横浜での耳鼻咽喉科臨床学会での海藤尊氏の特別講演でも、
フロアからの質問の中に、
「ぜひ耳鼻咽喉科医を主人公にした小説を」
というコメントがありました。
以前も書きましたが、小説、映画、ドラマで医療モノというのは
確立したジャンルで多くの作品があるのですが、
耳鼻咽喉科医の登場は少なく、
まして主役のものは一つもない。
天才外科医は言わずと知れたド定番ですが、
救急救命、脳外科、小児科、内科、産婦人科、美容外科、皮膚科、病理学、法医学、
監察医、看護師(男性、女性)、薬剤師、放射線技師まであるなかで
耳鼻咽喉科医は出てこない。
なので、期待して読んだのですが・・・

ネタバレになりますが、全然ちょい役で、
しかも耳鼻咽喉科医である必然性はなく、
内科医でも精神科医でも、
そもそも医者でなくてもいい役でした。
しかも、歯科医が犯人だった・・・
鼓膜切開刀を使った殺人トリックとか、
聴力検査によって暴かれる犯人の偽証、
などという小説、ドラマ、誰か書いてくれないかなあ。

2021.10.01
コメントもいただきましたが、
ワクチン陰謀論のなかで有名な説に
「ワクチンを打つと5年後に死ぬ」
というものがあります。
この議員さんのコメントにも5年とあるようです。
なぜ「5年」なのか。
多分、5年くらいが一番都合が良いのではないでしょうか。
例えば、1年後に死ぬ、とかだと、
すぐ1年後が来ちゃうのでウソがばれてしまう。
かといって20年、30年後に死ぬ、ということだと
先過ぎて、実感がわかない。
やはり5年くらいが、不安を煽るには
ちょうどイイ線なのではないでしょうか。
1970年の英国特撮ドラマ「謎の円盤UFO」は
設定が1980年で、すでに人類は月面に基地があって
地球防衛システムを構築している、
という設定でしたが、実際はそうはなりませんでした。
1950年代から続いた米ソの宇宙開発のスピードが
1969年のアメリカの月面着陸の成功によって
1970年代に入って以後、急減速したためです。
1968年の映画「2001年宇宙の旅」も同様。
近未来の管理社会の恐ろしさを描いたジョージ・オーウェルのSF小説
「1984年」が出版されたのは1949年のことでしたが、
ワタシがこれを知ったのは1974年のデビッド・ボウイのアルバム
「ダイヤモンドの犬」で取り上げられていたからでした。
小説の方も、そのころ読みました。
当時中学3年生。1984年まではまだ10年ありました。
1999年に地球が滅亡するという、
ノストラダムスの大予言が出版され、
大きな話題になったのは1973年でした。
日本中で大ブームになり、映画まで作られましたが、
実際に1999年を迎えるころには、みんなすっかり忘れてしまっていて
コンピュータが誤作動するかもという2000年問題の方が話題でした。
さて、5年後、ワクチンによる大量死は起こっているのでしょうか。
そういえば、デビッド・ボウイの1972年の大傑作アルバム
「ジギー・スターダスト」のオープニング曲は
「5 years」でした。(リンクに歌詞の和訳あります)
歌詞は、地球が差し迫った終末論的な災害によって破壊されるまで
あと5年しか残っていないというニュースが流れてきた、
というものです。
