2018.06.24
ワールドカップを見ていて、耳にとまったのが、
デンマークのゴールキーパー、シュマイケル。
え、シュマイケル?
調べたら、果たしてあの名キーパー、ピーター・シュマイケルのお子様でした。
ピーター・シュマイケルは元デンマーク代表。
マンチェスターユナイテッドで8年間プレーし、
ベッカム、ギグス、スコールズらとともに
ファーガソン監督時代の意黄金期の不動の正キーパーであった。
ピーター氏は54歳、息子のカスパー氏は31歳。
うーん、時代の流れを感じますね。
時代の流れ・・・・。
先日のNHKあさイチにも出てましたが、
朝の連ドラで原田知世さんが、お母さん役をやっています。
ワレワレ世代にとってはあの「時をかける少女」が、
お母さんとは、とこれも感慨ひとしおです。
ちなみにおじいさん役が「われら青春」の沖田先生だし。
かつて夏になると角川映画の2枚看板であった薬師丸ひろ子さん主演の映画と
原田知世ちゃんの映画が、2本立てで併映されていた時期がありました。
このころワタシは大学生でして
同級生の大塚くんがたしか原田知世ちゃんのファンだったので、
付き合わされてよよく男2人で阿映画館に足を運んだものです。
2人とも彼女いなかったし。(T_T)
当時、「薬師丸ひろ子」派と「原田知世」派があったような気がしますが、
ワタシは・・・・・・・
「菊池桃子」派でした。(^_^;)
ただ、その後原田知世さんが主演した
「私をスキーに連れてって」「彼女が水着に着替えたら」は
ワタシの青春のバイブルです。
原田知世さんのお母さん役など、35年前には想像もつかなかったですが、
こうして同時代を生きた彼女の姿を見るとなかなか感慨深いものがありますな。
ワタシもそれだけ歳をとったわけで。
そういえば、大河ドラマでは、南野陽子さんが
あの「篤姫」で松坂慶子さんが演じた「幾島」役をやられてましたね。
あの2代目スケバン刑事のナンノちゃんがですねー。
初代麻宮サキの斉藤由貴さんが
あんなことになるとも当時は想像つかなかったし・・・。
これも時代の流れ・・・・、だけじゃないか。(-_-メ)
あ、ちなみにスケバン刑事の中では3代目、
浅香唯ちゃんのファンでした。(笑)
2018.06.16
さて、ワタシのエッシャー体験ですが、
買い求めた図録に1970年ころに
少年マガジンでエッシャー特集が組まれていた、
との記載あり。
コレですね。
「巨人の星」「あしたのジョー」「無用ノ介」・・・
黄金時代ですね。
ワタシは間違いなくこれ見てるはずです。
ただ、何となく、別のところで見たような。
中学・高校生のころ、お世話になった(?)雑誌「GORO」で見た記憶があるのです。
そう思って、ネットでググると・・・・・
出ました\(^o^)/
「GORO1974年9月23日号」
スゴイなインターネット検索。
たしかに、表紙にはないが、収録作品のところに
「M.C.エッシャーのふしぎ世界「無限百貨店」 by 山野浩一(SF作家)」
の記事ありますね。
これで、スッキリしました。
ただ、ここに1974年とありますが、
アグネス・ラム・ブームはワタシが高校生のころのはず。
1974年では、どうも計算合わないので別検索したところ
この雑誌は1976年9月23日号でした。
1976年と言えばワタシは高2か。
付録のジャンボ・ピンナップは「アグネス・ラム/原田美枝子」。
たぶん貼っていたのは「アグネス・ラム」の方だと思う・・・。(^^;)
2018.06.07
今日、6月6日、関東甲信越、梅雨入りですか。
水曜日午後、上野公園に向かう道、目的はコレ。
この雨で、シャンシャンはどうしてるでしょう?
まあ、そっちは目的地ではないので。
着きました。
平日午後というのにスゴイ行列。
雨で、動物園から流れてきた人もいるか。
このような順路で進みます。
循環器・泌尿器系⇒神経系⇒消化管・呼吸器系⇒運動器系⇒発生・・・
残念ながら感覚器系はない・・・。
さて、館内は原則撮影禁止。
画像はネットで拾ってきました。実際は、押すな押すなの大混雑でした。
通算入場者が先日40万人を超えたとか(@_@)
お客さんの話している内容を聴くと
その人たちが医療に関してどんな距離のヒトだかがわかります。
ある程度医学的な知識があって、彼女に説明してる男性は医学生か。
それに受け答えする女性は看護師さんかも。
あー、オレココ手術したんだよ、右の肺は3つに分かれてんだよ、
などと言う男性は入院経験者。
うわー、キモイ、血管やベー、などと言ってるのはフツーの人。
ワレワレといえば、学生時代の人体解剖実習の記憶がよみがえり、
思い出話に花が咲く。(^^)v
半年にわたる解剖実習は医学生時代の最初のハイライト。
お互い、苦い思い出、ウケるエピソードが山ほどあります。
それにしても実習を担当した第2解剖学の教授、
発生学のアコちゃんこと滝沢教授は怖かった・・・。(^^;
さて、ココからは撮影可能エリア。
NHKスペシャルで放送された「人体 神秘の巨大ネットワーク」の特集コーナーです。
テレビに登場したブロックタモリさん。
おおー、これこれ、見ました。
タモさんが入った「子宮」の模型もありました。
コレは・・・・・、
お子様連れのお母さんは質問されたら答えに窮するかも・・・(^^;
そして、その奥にはネットワークシンフォニー、と称し、
NHKで紹介された臓器間のネットワークをイメージ的に再現した空間。
なんか、ディスコみたいだなあ。(感性が古いっすけど。)
でも、そういう世代なので。
音楽は違いましたけど・・・・。
最後は人体各部の顕微鏡写真にイメージで着色して芸術作品ぽく仕上げた写真のコーナー。
内耳の細胞出ました。
おお、これは「伊東細胞」。( ゚Д゚)
肝臓にある脂肪、ビタミンAの貯留細胞である「伊東細胞」は1956年、
ワレワレの母校、群馬大学の伊東俊夫先生によって発見されました。
この間の「遅発性内リンパ水腫」に続き、なんかウレシイぞ。
そんなわけで、「人体」展、
興味深い内容と、学生時代を思い出させるナツカシイ事象もあり、
なかなか楽しめました。
その後、上野精養軒で遅いランチ。
目ざとく妻が食後に頼んだのはこの期間限定パンダ誕生記念カフェラテ。
コレですね。
さっそく、インスタに投稿か。
だが、かき混ぜると消えてしまう・・・(^^;
2018.05.30
先日のウイスキーの話で思い出しました。
ウイスキーといえばスコッチ、という時代があった。
かつてのサントリーウイスキーのヒエラルキーでは
ローヤルが高級ウイスキーであったが、
別格であったのがスコッチウイスキー。
まあ、クラウンに対してのベンツ、BMW,
グランドセイコーに対してのロレックス的な。
時は1979年冬、群馬大学教養部のスキーツアーがありました。
医学部、教育学部、工学部の三学部の1年次は
教養部といわれ同じ荒牧キャンパスで学びます。
まだ、各学部の専門分野ではなく
語学、数学、心理学、文学、化学などの共通一般教養を学ぶので教養部。
その3学部合同のスキーツアーで大学主催なので教授連も同行します。
昼間のスキー教室は
スキー初心者には教育学部体育科の学生がコーチしてくれます。
そして、夜は当然ロッジに宿泊。
大食堂での夕食のあと各々部屋に持ち込みのアルコールで二次会宴会となります。
そのとき親が医者やってる同級生が、
親がお歳暮でもらったスコッチをかすめ取ってきました。
ジョニーウォーカーブラックラベル、いわゆる「ジョニ黒」です。
いまなら2000円ちょっとで買えちゃう「ジョニ黒」ですが、
当時は多分1本8~9000円。
いつも安酒飲んでる貧乏学生にとってはなめたこともない超高級ウイスキーです。
さて、友人数人とわいわい飲んで、あっちゅうまにビンはからっぽ。
ほかの持ち込みアルコールもしこたま飲んで、
誰かがふと言い出しました。
この空き瓶にサントリーを詰めて教授の部屋に行こう。
ドイツ語の教授に酒を飲ませて試験のことをお願いしよう。
教養部で取得しなければならない単位の中で
ひときわ難関なのはドイツ語でした。
よし、行こう、ということでジョニ黒のビンに国産の安いウイスキーを詰めて
教授連の泊まっている部屋のドアをたたきます。
こちらも酒盛り酩酊状態です。
教授、 I 君が親父さんからかすめ取ってきたジョニ黒です、どうぞ。
と、教授のコップになみなみと注ぎます。
おお、そうか、そうか、
うーん、やっぱりスコッチは違うねー。
大変失礼ではありますが、
地方国立大学の教授レベルではスコッチウイスキーの味など当然わからず、
もっとも、あれだけ酔っぱらってれば誰でもわからないか。
先生。ささ、もう一杯、
あートリンケン、トリンケン、ビッテ、ビッテ、
後期の試験、よろしくお願いします。
((注)トリンケン:trinken 【独】意味;(酒を)呑む、英語だとdrink
ビッテ:bitte【独】意味:どうぞ、英語だとplease)
ああ、わかった、わかった。
かくして、無事われわれはドイツ語の試験をクリヤーしたのでした。
だが、実際のところまさかそんなことで温情をかけて通してくれるはずはなく、
さらに、あんだけヨッパラってたので、
そんな約束はおそらく覚えてもいなかったでしょうから、
そりゃ、ワレワレは実力で通ったと思ってはおりますが。(^_^;)
今は、いろんな意味で、こんなことはないでしょう。
古き良き時代のお話です。
昭和は遠くなりにけり。
もうすぐ平成も終わっちゃうね。
2018.05.26
本日は運動会の小学校が多かったようです。
ムカシは運動会は秋と決まっていて、運動会シーズンなんて言葉もありましたが、
最近は秋にやるとこも多いらしく、足利市のホームページを見ると、
市内の小学校全22校中、12校が春の開催で、開催日はすべて本日5月26日。
なんと、今や5月開催の方が多いのだ。
もはや「運動会」は秋の季語ではないのですな。
ワタシの子供のころは子供が多く運動会がにぎわったが、
最近は少子化でスカスカなんでしょうか。
ワタシ自身は土曜日仕事の関係で、子供の運動会ほとんど行ったことないし、
ワタシが子供のころも親が小学校の運動会に来たことはなかったです。
なので、運動会のお昼というと
あらかじめ販売された食券をもってお弁当の交換所にいき
「助六寿司」を受け取って、やはり親の来ない友人たちと食べる、
というのが運動会の思い出です。
今と違って週休二日の会社はほぼなかったから、
親が来ない子供はけっこう多かったと思います。
親が来なくてさびしいかというと、さにあらず。
むしろ逆で、もともと、親が学校に来るとうっとうしいし、のびのびできない。
そしてワタシは何よりそのお弁当の「お寿司」、
特に「稲荷寿司」が毎年楽しみで楽しみで。
ムカシは外食なんかほとんどすることなかったので、
その「店屋物」のお稲荷さんを食べるのが運動会の最大の楽しみだったなあ。
いまは、「手作りの味」「おふくろの味」が、ありがたがられるけど、
当時はこの「よそ行きの味」が、ごちそうだったのです。
さて、土曜日に運動会があると、月曜日は学校が代休。
時節柄、あさっては学校検診の紙持ってくる子供たちが多そうです。
2018.05.24
原酒不足でサントリーの白洲12年、響17年が出荷停止。
ジャパニーズウイスキーの価格が高騰してるそうだ。
ネットでは定価の数倍で取引され、
白洲で4~8万、響にいたっては平均価格が10万超。(゚Д゚;)
買ったことないので定価知りませんが・・・・。
今朝のニュースでは高級ジャパニーズウイスキーが投資の対象となり、
中国人バイヤーが買い漁り、
オークションでは1本3250万円で落札されたウイスキーもあるらしい。(@_@)
飲むのか、それ?
ワタシ自身ウイスキーは愛飲しますが、
銘柄は学生時代からほぼ基本はほぼサントリーホワイトです。
以前も書いたことがあるかと思いますが、
サントリーウイスキーは価格によるヒエラルキーがあって、
ワタシがウイスキーを飲むようになった大学生のころ、1980年ころは
下から、トリス<レッド<ホワイト<角瓶<オールド<リザーブ<ローヤル
の順であった。
この辺、かつてのトヨタ自動車の年齢別、収入別ヒエラルキーに似ていて
同じ1980年当時は
スターレット<カローラ<カリーナ/セリカ<コロナ<マークⅡ<クラウン
という鉄板のラインナップがあった。
このころのトヨタのCMにある
「いつかはクラウン。」
という有名なコピーがこの会社の体質をよく表している。
当時カローラレビンが欲しくてトヨタディーラーを訪れたワタシに
学生はスターレットにのってろ、的な対応をした
トヨタディーラーの態度が不快であった。
(それ以後、ワタシはアンチ・トヨタである。)
ちなみにその時買ったのはホンダのCR-X(初代)でした。
閑話休題。
そんなわけで、学生時代はホワイトを愛飲しており、
サラリーマンが飲むサントリー・オールドは憧れであった。
安いトリス、レッドも試したが、
舌の先でピリピリする感じがなじめずホワイトに落ち着いた。
家庭教師のバイト先で年末にお歳暮がわりに
サントリーオールドのお年賀ラベルのボトルもらったときは、
ありがたくて大事に飲んでたなあ。
さて、その後、医者になり
接待など受けてリザーブや、ローヤルやら、はたまた山崎やらを飲むことはあったが、
ハッキリ言ってウマさの違いがそこまで分からない。
いつも、1次会でビール、日本酒をさんざん飲んでから
2次会のスナックで飲むせいかなあ。
なので、一貫して、家呑みウイスキーはほぼホワイト。
学生時代は4リットルだかの取っ手付きのでっかいビンで買っていたが
最近は酒量も減って通常ボトルです。
一時角瓶でしたが、最近はまたホワイトですね。
よって、シングルモルトがどうのということに
知識もテイスティング能力もほぼ皆無なワタシにとっては、
ウイスキーの品薄、価格の高騰は全く関係なく、
1000円ちょっとで買えるホワイト派で良かったです。
ちなみにいつもほぼ水割り、時にロックで飲みますが、
流行りのハイボールは全く飲まない派です。
2018.05.09
NHK朝の連ドラは何となく見てるけど、
今回の主人公たちの年代ははワタシより10歳くらい若い時代の設定。
今放送中なのはちょうど高校を卒業するころの場面ですが、
現代よりはワレワレの時代に近いのだが、なんか、だいぶ違う。
何より違うのが共学であることですね。
ワタシは男子校であったので、当時、同世代の女子と話すことはほぼなく、
男女共学のこの高校はまるで夢のようだ。
当然、彼女などいませんでしたし・・・・。(ーー;)
そして、卒業式前後の様子もまるで違う。
ワタシの卒業した昭和53年は
現在のセンター試験の前身にあたる「共通一次試験」導入の前年であり、
国立一期校、二期校があった最後の年です。
国立一期校の受験日は3月上旬、たしか3日~5日ころ、
そして高校の卒業式はその入試後、合格発表前の10日ころだったと記憶している。
ただし、東大だけは1次試験、2次試験があったので、
卒業式の時点で1次試験の合否は判明しており、
東大受験者にとっては卒業式への出席はビミョーなのであった。
二期校の試験前で卒業式に参考書の類を持ち込む輩はまれではなかったし、
受験勉強のために欠席するヤツもいました。
そして、卒業式の1,2日後に国立一期の合格発表があるわけだが、
二期校の受験前にもう一つすることがあるのです。
予備校の受験です。
もし、一期も二期も落ちた場合、予備校通いとなるわけで。
当時、河合塾は東京にはなく、
「いつやるの、今でしょ。」の予備校もなかった頃、
駿台高等予備校(今は駿台予備学校)は
医学部・東大受験の最高峰といわれていました。
で、一応これを受験し、そのあと二期校の受験が3月の20日前後だったかなあ。
そんなわけで、ワレワレ当時の受験生は、
卒業式の時点では進路はほぼ決まっておらず、
誰が、どこに行ったというのは、新聞発表で知るほかは、
(昔は合格者の名前が新聞掲載された。)
卒業後風の便りで耳にするくらいなのでした。
なので、卒業式で母校や恩師や友人との別れを惜しんだりするゆとりはなく、
まして、お別れ会やパーティーなどあり得なかったです。
もっとも進路決まってても男子校だと、やっぱ、パーティーはないだろうなあ。
考えてみると、そもそも、高校に関しては卒業式の記憶そのものが無いかも。
結局、一期校、二期校ともに落ちて、
駿台に通うことになったのですが・・・・。
ただし、ひとこと負け惜しみ言っときますと、
ワタシが合格した駿台午前部理3は
偏差値的にはワタシが受験した国立二期校よりは高かったんですよー。
ところが予備校に入ってみると隣の隣のやつはワタシと同じ大学を受験してて、
「あそこは受かると思ったんだけどなー。」
と話をしてました。(笑)
2018.02.11
今を去ること30年以上前、
「月刊WIND」という前橋・高崎の若者向けタウン誌がありました。
当時、群馬大学の学生だったワタシは、学園祭の宣伝のために
同じく学園祭実行委員の佐野くんと一緒にその「WIND」編集室を訪れた。
その後、そこのスタッフと仲良くなったワタシと佐野くんは
そのタウン誌の企画する「MiniFM局」の仕事に関わることになる。
当時、電波法の改正で「MiniFM局」が認可され、
アマチュア団体が限られた出力で実際にラジオ局を開くことができた。
ワタシはそこのパーソナリティの一員として、日曜日に
前橋市の敷島公園のスタジオからラジオ番組を放送していたのです。
その「敷島放送;SBS」は、時にスタジオを飛び出し、
前橋西武のサテライトブースや、高崎慈光通りにあったBIBI高崎のサテライトスタジオ、
はたまた夏は流れるプールの高崎カッパピア、
冬は嬬恋スキー場のリフトから放送を流し、
全国のミニFM局のイベントで渋谷の特設野外ブースからDJをしたこともありました。
飲んで、遊んでの楽しい仲間たち。
学生時代から医者になってもしばらく続けていました。
で、昨夜はその「月間WIND」「SBS」のスタッフが
30年ぶりにあう同窓会的なパーティーがありました。
30年の時を経て、再会。
まさにツインピークス・リターンズ的な。
当時10代、20代だった若者はみんないいオジサン、オバサンになりました。
ただし、話し始めると、ああ、この話し方はコイツだ、変わってねー、と。(笑)
もともと「しゃべる」人たちなので皆、話が面白く、盛り上がらないわけがない。
もう、子供たちが当時のワレワレの年齢になってるわけで。
オレと佐野くんはいつもあってるけど、他はお互い30年ぶりのヒトも多い。
今回の発起人の木幡くんは、このコミュニティで知り合った彼女と結婚。
しかし、今夜はすべて「旧姓」で呼び合う。
大学時代の同窓会と違い、それぞれ職業もさまざまなのでオモシロイ。
大変楽しい一夜でした。
二次会では当時の写真も披露され、また大ウケ。
髪があったり、黒かったり・・・(≧◇≦)
また、会いましょう。
2018.01.26
サムイ、サムイ。
関東地方は最高気温が3℃とか4℃とかで、48年ぶりの大寒波だそうだ。
48年前というと、1970年、昭和45年。
とするとワタシは小学4年生であったか。
通学していた足利市立西小学校の新校舎が落成したのが、
昭和45年の春だったと思うので、
1月はまだ、以前理科室とか音楽室とかとして使用した教室で
授業を受けていた仮校舎だったはず。
ということは、石炭ストーブの最後の冬だったわけだ。
家庭のストーブはずっと石油だったし、
新校舎になった時には石油ストーブが設置されたが、
それまでは教室では石炭で燃焼するいわゆるダルマストーブ。
石炭当番の日直が毎朝バケツもって裏庭にある石炭置き場から石炭を運んできた。
鋳鉄製のストーブはなかなか温まらなかったが、
温まってくると、シューシュー音を出してきて、
熱くなると時にキンキンという金属音が教室に響いたものだ。
ストーブの前の席の子は顔がかっかと暑くなっちゃうわりに、
教室の後ろの方は寒かった。
本体に触ると火傷しちゃうので
周りには鉄のさくがあって、
雪合戦のあとはそこに手袋を載せて乾かしたものでした。
今どきの人たちには、想像つかないでしょうね。
自分は、生まれたときからテレビも冷蔵庫もある
文明化された時代に生まれ育ったと思っていたが、
こう考えるとオレもすげージジィってことだなあ。
2018.01.17
本日1月17日は何の日?
というと、ほぼ「阪神淡路大震災」の日という回答でしょう。
23年前の今日、未明の神戸を大地震が襲いました。
当時、ワタシは群馬中央病院に勤務しており、
外来休憩室のテレビでニュース映像を見ました。
もちろん、1月17日は阪神淡路大震災の日として記憶していますが、
その前から、別件でこの日は記憶していました。
1959年1月17日は山口百恵さんのお誕生日です。
中学時代、ファンでした。
はじめて好きになった芸能人、でしょうかね。
初めて買ってもらったラジカセでデビュー曲「としごろ」を
ラジオから録音した時はウレシかった。
当時、わが家にはステレオがなかった。
一番好きだったのはこの「としごろ」。
デビュー当時からファンでした。
次の「青い経験」にはビックリしたけど、
「横須賀ストーリー」からは何となくあまり好きではなくなってしまった。
(その後、「キャンディーズ」に移行(^^)v )
人の誕生日というのはいくつか覚えていますが、
家族を除いては数人だけ。
幼稚園からの友人の家泉くんの誕生日は5月21日です。
ワタシの誕生日が5月13日なので
いわゆる「お誕生会」を一緒にやった仲なので、
覚えてしまいました。
ちなみに彼は幼稚園、小、中、高と、学部は違えど大学まで一緒の唯一の人物です。
中学の同級生の勅使河原くんの誕生日は5月14日。
同じ、サッカー部所属ですが
ワタシの誕生日の次の日だから覚えている。
もう一人は小峰くんで、あの薬剤師のショーグン様ですが、
こいつはワタシと全く同じ1959年5月13日生まれなので、
忘れたくても忘れようがない。
で、その同級生関連以外で唯一覚えているのが山口百恵さんなのだ。
ムカシ、好きになった女の子の誕生日なんかも覚えたはずだが、
みんな忘れてしまった。
その後好きになったアイドル歌手や、女優さんもいるのだが、
そちらは誕生日を確認したり覚えた記憶もない。
やはり、最初は肝心(?)
山口百恵さんは、ワタシと同じ1959年生まれだけど、
早生まれなので学年は1個上。
森昌子さん、桜田淳子さんと「花の中3トリオ」だった頃、
ワタシは中2だったというわけだ。
するてーと59歳になったわけですね。
今晩、三浦家では誕生会とかあるのかしら。