ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.06.08

にゃんにゃん物語3

 ウチの「ネコズ」もすっかり家族の一員、いや三員だ。
 「シャム」ちゃんはイヌ小屋 ネコ小屋をすっかり自分の家に決めている。
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 「トラ」ちゃんと一緒に時には家まで侵入してくれる。
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 食事が終わると「トラ」ちゃんはベッドに。
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 またはハウスで「シャム」ちゃんと。
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 ところでわが町内には多くのネコがいる。
 正直、どれがノラで、どれが飼いネコか分かんないのだが、
ウチで餌をあげてるのはこの2匹+「かあちゃん」 の「仲良しファミリー」だけだ。
 例えば、これは我が家の「トラ」ちゃんに似てるけどやや色が薄い別のネコ。
「ニセトラ」 と呼んでいる。
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 某薬卸の「H君」の車におしっこをひっかけたのはこの「ニセトラ」の方だ。
 こいつは 「クロ」 。
「アメショー」とともに「トラ」ちゃんを狙っていた。
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 そして、これが 「パパシャム」 。
その出で立ちからウチの「シャム」の父親と思われるが、家族と一緒にいるのは見たことが無い。
一度家族に追い払われてるのを見たこともある。
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 このほかにも画像が無いが「ホコリ」という奴が時々出没する。
 こいつは顔も体もでかく、
おそらく「ペルシャ」とか「ヒマラヤン」とかの系統が入ってるようだが、
灰色にすすけていかにも汚く、
まるで「掃除機のダストパックの中身」のようなので
我が家ではこう呼んでいる。
 さて、そんな「ネコワールド」に、一切関与せず、
ソファーで惰眠をむさぼる我が家の 「レディア」 ちゃんなのだった。
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(予告)近々「にゃんにゃん物語4」もアップしますので乞うご期待。
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1件のコメント
2010.06.07

「水ぼうそう」の頃(最終話)


~前回からの続き
 さて、緊急入院した「T君」は、私とほぼ同じ経過をとったが、
周囲も2回目となって慣れている分もあり、
またまた若いせいか私より軽症だったようで、じきに元気になった。
 ものがものだけに感染の恐れがあるわけで、
元気になっても病室を出て出歩くわけにはいかない。
 それより、全身にできた水疱は、次第にカサブタになって来て、
顔中に スイカの種 を貼りつけた状況なので、
とても恥ずかしくて、外なんか出られない。
 足の裏にも水疱ができて歩くのも一苦労だし。
 まあ、そんなこんなで、歳の近い「ルームメイト」は、
格好の話相手で我々はじきに仲良くなった。
 それでも、一日中話してるわけではない。
 静かな昼下がり。
 昼飯も終わり、夜の点滴までは間がある。
 個室と言ってもテレビやビデオがあるわけではない。
 ボーっとして過ごしている。
  ・・・・・・・・・・・
 
「かさっ。」
「あっ、先生、今の音、カサブタむしってゴミ箱に捨てたでしょ。」
「わかった?」
「皮膚科の先生が、カサブタとると『あばた』が残るからダメっていってましたよ。」
「でも、なんとなく、気になるし、ヒマだしなあ。」
「実は僕もついむしっちゃうんですよ。」
「だろ?ちょっと位大丈夫よ。」
   ・・・・・・・・・・・・・
      ・・・・・・・・・・・・・
「がさっ。」
「センセイ、今のは、ちょっとデカくなかったすか。」
「ん、・・・うん、ちょっと・・・・。」
 まあ、そんなこんなで、約1週間で無事退院できた。
 しかし、耳鼻科の部長からは、もうヒトに感染しないとはいえ
そのスイカタネ顔では患者が怖がるからもう1週間休めと言われた。
 かくして、新人イケメン独身ドクターとして病院デビューするつもりだった私は、
赴任早々水ぼうそうになったオマヌケドクターとして病院中に知られてしまった。
 さらに、入院中、親以外見舞い客がいなかったため
「彼女がいない」ということも、みんなにバレてしまった。
 それでも、入院生活を共にした「T君」とは、仲良くなり、
その後も、一緒に飯食ったり酒飲んだりした。
 偶然、同じ時期の、同じ病気が取り持った二人の若者の縁。
 そんな二人の事を、誰が名付けたか
 人呼んで 「ぼうそう族」。
   ~完~
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2件のコメント
2010.06.06

「水ぼうそう」の頃(第3話)

 ~前回からの続き
 そんなわけで、暫定的に内科に緊急入院となった私でしたが、
まだ、病名も、主治医も決まってない。
 朝になり、ドクター間で相談してるらしい。
 若い内科の先生が診察にも来た。
 なんかムニャムニャ言ってたが、結局よくわかんないらしく、すぐ行ってしまった。
 少しして看護婦さんが来て
「これからCT撮りに行きますので準備してください。」
 ・・・・CTっすか。
 あとで聞いたが、どうもあまりに状態が悪いので
なんかあったらヤバイからとりあえずCTくらい撮っとけ、
ということだったらしい。
 若い看護実習生の女の子に車いす押してもらいCTを撮ってくる。
 ああ、恥ずかしい。
 まあ、もちろん異常なし。
 そのうちに発疹は水疱化してきて
「ああ、こりゃ水ぼうそうだ」と分かるようになってきた。
 部屋も個室に移された。
 お昼前に、若い女医さんがやって来た。
「小倉さん、ですよね。
お久しぶりです。Aです。
水ぼうそうで皮膚科入院になりましたから、私が診させていただきます。」
 なんと、主治医は一コ下の、それも私の所属してた「軽音楽部」の後輩の女の子だった。
 うーー、カッコわりーーー。
 「よ、よろしく・・・・。」
 さて、診断はついたものの状態は一向に改善しない。
 当時はまだギリギリ水ぼうそうの抗ウイルス剤が世に出ていなかった。
 ヴェノピリンもまた打つが全然ダメ。
 午後になり、別の先生がやって来た。
この病院は皮膚科が2人いて1人は研修医の彼女、
もう1人は、院長の次に年配の部長先生だった。
「熱が下がんないね。じゃあ、メチロン打ちましょう。痛いけど、効くから。」
 メチロンとはショックなどの副作用が多発したため、これまた今は使われないが、
注射用の「ピリン」。
 「・・・どうにでもして。」
 しっかし、これが痛い、痛い。
 ヴェノピリン漏れても、全然わかんなかったのに、この筋注は相当なものだ。
 だが、そのおかげで久々に解熱。
 食事も摂れた。
 今の医学的常識では、こんな治療はダメダメだが、そん時は助かったと思ったものだ。
 その後、再び熱発し、もう一回メチロン打って、ようやく落ち着いてきた。
 
 そんなこんなで、病態も落ち着き、体が楽になったので、
朝晩の点滴がやだなあ、と思うようになった3日目。
 病院の事務のヒトが来て、
「センセイ、申し訳ないけど、患者がいるんで相部屋にさせてください。」
「へえ、全然平気ですが・・・。」
「実は、病院の事務の男の子が水ぼうそうになっっちゃったんで。」
 というわけで、同じ病院の事務に勤めてる二十歳前の「T君」が緊急入院してきた。
  ~もうちょっと、続く
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2010.06.05

「水ぼうそう」の頃(第2話)

 ~前回から続く
「じゃあ、ココがベッドです。トイレはこの右奥、これがナースコールです。
トイレに行く時はこのコップを持って、お小水を取ったら名前の書いてある箱に入れておいてください。
入院に必要なものがこの紙に書いてありますから、あとでお家のヒトに届けてもらってください。
そして、ここに、保証人の方、ご家族以外の方のお名前とハンコを・・・・」
 看護婦さんの声は、どこか遠くの方で鳴っているラジオのように思えた。
 6人部屋の入り口のベッドだった。
 夕食も摂れず、倒れこんだ。
 高熱で意識が朦朧としてるのだが、体中痛くてよく眠れない。
 夢と現(うつつ)の世界を行ったり来たり。
 抽象的な悪夢を何回も見る。
 呼吸は荒く、自分のうめき声で目が覚める。
 しばらく、うなされた後、ふと、尿意を覚え、トイレに行きたくなった。
 今、何時だろう。
 どこかその辺に置いたはずの腕時計を探そうとしたがあきらめた。
 いつの間にか「消灯」になっており、あたりは薄暗い。
 ナントカ、起き上がる。
 ふらついて立ち上がるのも大仕事だ。
 トイレは、確か右と・・・。
 あ、コップ、コップ。
 「コップに尿をとる」ってのがプレッシャーになって、
何回も尿をとる夢を見たような気がする。
 ふらふらと廊下に出るが、わずか十数メートルのはずが、果てしなく遠い。
 壁伝いにナントカたどり着き、ことを済ませ、また帰りが大変だ。
 どんなに頑張っても全然病室までたどり着けない。
 冬山でテントまであと10メートルのところで遭難しちゃうってこんな感じだろう。
 ともかく膨大な時間と労力を費やして
(実際、どれくらい時間がかかったかわからないが)
自分の寝場所に倒れこんた。
 
 しかし、以前、高熱でうめき続けていた(らしい)。
 ふと、気づくと看護婦さんの姿がベットサイドにあった。
「小倉さん、楽になる様に注射をしましょう。」
 どうやら、あまりに苦しそうな私の様子に、
これはヤバそうだ、と隣りのベッドの患者さんがナースコールしたらしい。
「ヴェノピリン、ですか?」
「そうです。」
「ヴェノピリン」とは、今は使われていないが、「静脈注射用」のアスピリンで、
内服よりはかなり強力な解熱鎮痛作用がある。
 ヴェノピリンだろうが、覚せい剤だろうが早く楽にしてくれー。
「お、お願いします。」
「ちょっと、我慢してくださいね。あっ、ごめんなさい。」
「へ?」
「もれちゃったので、もう一回します。」
 自慢じゃないが、私、血管出るのが自慢で、
医学生同士の採血練習でも、みんな楽勝だったのに。
 それにしても、注射もれてもその痛みが全然わからないくらい弱っちゃっていたようだ。
 しかし、残念ながらそのヴェノピリンでも全然熱が下がらないまま、翌朝を迎えたのだった。
 ~まだまだ続く
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2010.06.04

「水ぼうそう」の頃(第1話)


 何気に「水ぼうそう」はやってます。
 子供の時にかかっちゃう、ってのも手なんですけどね。
 実は、私、大人になってから「水ぼうそう」にかかって、
大変な思いをしたことがあります。
 私が医者になって2年目の事でした。
 1年間大学病院で、研修をし、2年目から外の病院に出ました。
 国家試験の関係で当時は6月が異動でした。
 その前からなんとなく体調が悪かったのですが、
土曜日の晩、当直にあたり、翌朝、日曜日の事です。
 ああ、昨夜は救急車がいっぱい来て、何回も起されて大変だった。
早く、回診を済ませて帰って休もうと、
当直室の洗面台に向かった時の事。
 鏡をのぞきこんでびっくり。
 なんと顔中にぶつぶつが。
 あわてて、シャツをはだけると、胸から体も発疹だらけ。
「なんじゃあ、こりゃ。」 (松田優作ふうに)
 昨夜、深夜に急患の頭の怪我を縫ってた時にはなんもなかったはず。
 あわてて、もう一人の「内科当直」の先生を呼び出す。
(総合病院なので「内科系」「外科系」と2名の当直医がいる)
「うーーーん、なんだろーねー。わかんないなあ。」
「どっちにしろウイルス感染だから、薬って解熱剤くらいしか無いですよね。」
「うーーーん、まあ、そーゆーことだねー。」
という内科の頼りない先生の意見も聞いて、
自分で処方箋書いて
薬剤部で薬もらって自宅に帰った。
 ところが、家に帰って、ぐんぐん熱が上がる上がる。
 解熱剤も全く効かない。
 月曜日になっても高熱なので、病院に電話して休ませてもらった。
 しかし、高熱は一向に下がらず、食事も取れず。
 ついに夕方、病院に電話して診てもらうことに。
 とても車の運転はできないので、タクシーで救急外来にかかった。
 「よく、わかんないけど、入院しましょう。」
 んで、やっぱり「よくわからない」まま、
とりあえず内科の大部屋の空きベッドに
生まれて初めての入院をしたのだった。
    ~つづく
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