ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.07.31

8月2日のメモリー(第3話)


 前々回からの続きですので、そちらを先にお読みください。
 やっと来たおまわりさんは、明らかにめんどくさそーだった。
 まだ、やっと日が上ったくらいのこんな時間だから、
きっと前夜からの当直なのかもしれない。
 警察の勤務がどんなかしらないが、
あとちょっとで時間が来て非番、ってことになるタイミングだったのかもしれない。
「それで、キミが単独でここでスリップして岩に乗り上げたと、こういうわけだね。」
「はい。」
「どこ行く途中だったの。」
「九州です。」
「ほー、九州、男ばっかりでねえ。」
「はい。(大きなお世話だ、ほっとけ。)」
「キミたち、学生だろ。」
「はー、いい車、乗ってなあ。でも、こりゃもう、ダメだな。」
「はあ・・・・。(別に親に買ってもらったんじゃなく自分でバイトして買ったんですが。)」
「じゃあ、ちょっとね、測ったりするから、交通整理しといて。」
 と、いうわけで、おまわりさんは自転車のタイヤみたいので
周りを測り、書類をつくりだしたので、
前後に分かれてまた交通整理を始めた。
 オレは事故現場の山側に行って、交通整理を始めた。
 だんだん、車の数も増えてきた。
 と、その時、何か視界の端の方にモノの動きを感じた。
 「ん?・・・何かヘンだ。」
 振り返ってみると私の斜め後ろに止まってるパトカーが
するすると動き出すではないか。
 「???!」
 もちろん、車にはだれも乗ってない。
 パトカーのサイドブレーキの引き忘れだ。
 ヤバい!
 と思ったオレは、とっさに駆け出して、パトカーに追いつき、
走りだした車の、あいていた窓にアタマから飛び込んでサイドブレーキを引いた。
 運よく、それほどスピードが出る前に、無事、停車させることができた。
 「どうした、どうした?」
 あわてて戻ったおまわりさんに、
「サイドの引きが甘かったみたいです。」
 と説明すると、急にしどろもどろになり、
「あ、ああ、そう、そりゃ、ど、どうも・・・。」
「じゃ、じゃあ、書類作ったから。これで、レッカー移動できっから。」
「じゃあ、まあ、そういうことで・・・・。」
 といった感じで、そそくさと帰ってしまった。
 そりゃ、そうだ、あれでパトカーが谷にでも落っこったりしたら
ちょっと簡単な始末書くらいでは済むまい。
 オレのジーパン刑事ばり(?)の活躍に、もっと感謝しろよ。
 まあ、それにしても、考えてみれば、
我々もスリップしたのが山側でよかったわけだ。
 もし反対側にすべっていたら、下は数十メートルの谷川だったので、
オレ達の命は無かったかもしれない。
 JAFが来て、屋根の潰れた車はもう修理不能だから、
廃車手続きをします、と言われた。
 先に行ったファミリアも、異変に気付き戻って来て合流した。
 さて、これからどうしよう。
 レッカー車でふもとの茅野の駅前まで送ってもらった我々は、
今後を考え、途方に暮れるのだった。
  ~さらに続く
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2010.07.30

8月2日のメモリー(第2話)


 前回からの続きですので、まず第1話をお読みください。
 さて、早朝の山道を快調に飛ばしていた。
 前夜雨が降って、路面はぬれていたが、
日の出とともにさしかけてきた夏の日差しが、
暑い真夏日を予感させていた。
 昼間には大いににぎわい、渋滞するこの時期の白樺湖であるが、
まだこの時間、すべてのお店はシャッターを下ろし、
車も人の姿もない。
 白樺湖を抜け、ここからは下り道。
 大門街道を抜け、茅野を通って諏訪インターから中央道に入る予定だ。
 2台の車は猛スピードで走っていた。
「いやー、すいてて気持ちいいなー。」
「ここいつもすごい渋滞だもんなあ。」
 カーブの続く山道をレースのように、
「攻めて」いた。
 先行するファミリアと、ちょっと間があき、
よっしゃ、差を詰めるぞと、アクセルををさらに踏み込んだ時・・・
 雨上がりの路面で滑ったか、
カーブでハンドル操作を誤ったオレのセレステはコントロールを失った。
 「うおおおおおおおおおおーーーーー・・・・・
 そのままカーブを曲がり切れず、外側に突っ込む。
 ガリガリガリという激しい震動とともに車は斜面に乗り上げていく。
 カーブの向こうは山になっているため、車は次第に直立に近くなり、
そして、横に回転してタイヤを上にしてやっと止まった。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「おい、だ、大丈夫か?」
 逆さになってハンドルを握ったままオレは同乗者に声をかけた。
「ああ、オ、オレは大丈夫・・。」
「こっちも、平気、みたい・・・。」
 幸い、みんな、大事は無いようだ。
 車は逆さまでみんな天井に頭がついてるが、
カーステレオからは太田裕美ちゃんの歌が依然、のんきに流れていた。
 「こっちドア開かないけど、そっちはどう?」
 「ん、ナントカ開くかも。」
 ということで、2ドアクーペから何とか全員脱出に成功した。
 車から出て、3人は腰に手を当てて呆然とした。
 トンデモナイことになった。
 しかも、その責任はすべてオレにある。
 「よし、ともかく、警察とJAFに連絡だ。」
 先行するもう1台は、我々の事故に気付かず、
先に行ってしまっていた。
 もちろん、当時携帯電話なんて便利なものは無い時代だ。
 まして、人家も店もない山道、しかも早朝。
「こっからだと、まだ、白樺湖の方が近いから、
上ってくる車を止めて、上まで乗せてってもらおう。」
 夜も明け、夏休みなので、少し待つと上ってくる車があった。
「じゃあ、オレとKは、ここに残って交通整理するから、
お前、この車乗せてもらって、連絡してくれ。」
 と、オレは、仲間に指示して連絡に行ってもらい、自分はその場で警察を待った。
 逆さになった車は車線を半分塞いでいたので、
交通整理をしないといけない。
 もっとも、事故車は山から下りる車線だったから、
上ってくる車ばっかりのこの時間帯の交通整理は比較的簡単だった。
 次第に朝日が昇り、白樺湖へ向けて車が上ってくる。
 「大丈夫ですか、怪我人は?」
 などと声をかけてくれる自家用車のヒトもいるし、
 観光バスから身を乗り出すようにして、
「あーこりゃ、何人か死んだかもな。」
 などという、やじ馬まで。 
 「事故見物」の徐行運転で少しずつ渋滞がはじまりかけたころ、
やっと、長野県警のパトカーが上がって来た。
 ~まだまだ続く
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2010.07.29

8月2日のメモリー(第1話)


 今年もまた8月2日がやってくるなあ。
 毎年、この時期に思い出す夏がある。
 今を去ること27年前、昭和58年は、暑い夏だった。
 私は、当時大学5年生。
 その夏、我々は同級生6人で夏休みを利用して九州旅行を計画した。
実は、同じメンバーで前年夏は北海道を車で回った。
 北海道なら、次は九州だ、という安易な発想。
 車で安い宿を泊り歩けばコスト的にもなんとかなるだろう。
 ということで、男ばかり6人、
8月2日朝3時に車2台で前橋を出発したのだった。
 予定としては夕方までに大阪港につき、そこからフェリーで九州にわたる。
 東名、名神、中央道はあるが、上信越や長野自動車道はまだなかった時代だ。
 軽井沢から白樺湖を超えて諏訪インターから中央道に入るルートを選択した。
 2台の車は、T橋のファミリアと私のセレステ。
 理由はエアコンがついてるから。
 いまどき軽でもなんでも、エアコンの無いクルマは無いと思うが、
当時はエアコンついてる方が少なかった。
 私の車は「中古」で買ったので、たまたまエアコン付きだったのだ。
 さて、まだ夜明け前の真っ暗な国道17号を西へ向かってスタートを切る。
 高崎、安中、松井田を抜け順調に碓井バイパスへ。
 その後、南に進路を変えて、白樺湖を抜けていく頃、
ようやく、夜が明けてきた。
 おお、いい感じ。
 はっきりいって、我々は「浮かれて」いた。
 医学部の5年生といえば、事実上「最後の夏休み」だ。
 翌年は卒業試験、国家試験で勉強、勉強に追いまくられ、
夏休みに遊んでるヒマは到底、無い。
 メンバーで九州に行ったことのある奴は誰もいなかった。
 阿蘇山、熊本、雲仙、長崎、博多・・・・。
 あちこち行って、ウマいもん食って、焼酎のんで。
 あわよくばフェリーとかで、可愛い女子大生グループと遭遇するかも。
 旅行への期待やあらぬ妄想は膨らむばかりだ。
 カーステレオをがんがんかけて、朝からテンションあがりっぱなしだったのだ。
 その時点では無論、この先に待ち受ける恐ろしい運命など知る由もなかった。
  ~続く
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2件のコメント
2010.07.29

久々に勝ちましたが


 昨夜は医師会の会議があり、
家に帰ってから録画観戦。
 なかなか終わらないのでじりじりして、
最後は車飛ばしてダッシュで帰って来た。


 2010年J1第15節
  京都サンガ   0-4    浦和レッズ  (西京極陸上競技場)
    (前半   0-0)
    (後半   0-4)


 京都はこの10戦勝ち星が無く、今節から監督が交代した。
 なんと、あの秋田かよ。
 フォワードには柳沢がいるし、なんか、不快。
 それより、この
「10戦勝ち星なしで、監督が交代して」
というのが引っ掛かる。
 毎度言ってるが「連敗ストッパー」の浦和はこのパターンにヨワイのだ。
 しかし、試合は、結局京都のミスに助けられた形。
 相手がつぶれてくれたおかげで、久々の完全勝利を味わうことができた。
 裏を返せば、最下位レベルの不調のチームに通用することが
そのまま上位陣に通用するわけではない、ということ。
 収穫は、サヌの攻撃力。
 やはりサヌは、あの辺で使いたい。
 これまた初ゴールの宇賀神をSBにおいて、一列前にサヌ、ってのはどうよ。
 あと、スピラ、すごく良かったです。
 守備もさることながら、彼の前線へのフィードがしばしばチャンスを演出していた。
 前試合では、スタミナ面からの交代だったが、
でき自体はかなり良かったので、期待してたのだが、
今回は彼の実力を確信しました。
 時節、またまた「下位」との対決だが、
(今回の相手教徒が最下位、次節の大宮がそのすぐ上)
この辺で勝ち癖をつけて勢いをつけたいとこだ。
 週末は同窓会なので、またまた残念ながら、スタジアムには行けないんだけど。
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2010.07.28

Pの悲劇

 昨夜は足利日赤で耳鼻咽喉科のカンファレンスでした。
 3か月に一回の割合で、
足利の耳鼻咽喉科の開業医と足利日赤の耳鼻咽喉科の医師で、
症例を持ち寄ってああだ、こうだ意見交換をする。
 内科や小児科の開業医の先生も熱心な先生は出席する。
(その代わり、耳鼻科医も全員出るわけではなく、いつも出るヒトは決まってるけど)
 もちろん、飲み食いする会ではなく、
病院の会議室でキチンとお勉強をする会です。
 夜7時から始まり、2時間半くらい。
 さて、昨夜取り上げられた症例で、気管支異物がありました。
 1歳代の子で、ピーナッツと大豆の2症例でした。
 気管支異物は幼児と老人に多いわけですが、
子供の異物で注意しなきゃならないのは、何といっても「豆類」です。
 これらは、声門を通過して気管に入り、
運が悪いと、そのまま 窒息して死んでしまう か、
蘇生してもいわゆる 植物状態 になってしまう事が少なくありません。
 治療は耳鼻科で気管支鏡で摘出するわけですが、
全身麻酔のムズカシイ手術です。
 ともかく、ここで声を大にして言いたいのは、
子供の口にそんなもんを入れてはイカン!
ということ。
 事故は未然に防げます。
 今回1例目はほかのお母さんがおやつにあげたピーナッツ、
2例目は保育園で保育士さんがあげた煮豆だったそうです。
 新米お母さん(?)はともかく「保育士」はやべーだろ。
 いや、このお母さんも自分の子じゃないから、もしなんかあった時には、
相当悲劇的な状況になったかもしれないのだ。
 今度、幼稚園講演会があったら気管支異物の話をしようか。
 そういえば、以前、まだウチの子が小さい頃、家族旅行で電車に乗った。
 その時、近くに座ってたおばあちゃんが、
「あら、かわいいわねえ、はいどうぞ。」
と、お菓子の袋をくれたのだ。
 その瞬間、そばで見ていた、我々両親の顔色が変わった。
 なんと「バターピーナッツ」。
 二人とも耳鼻科医である我々夫婦は、
 「ピーナッツの悲劇」 を多くこの目で見て知っている。
 あわてて、子供の手からひったくるように奪い、
「ああ、ありがとうございます。あとでいただこうねー(汗)。」
と、バッグに素早くしまった。
 ずーっと、そうやって来たので、
いまだに我が子はピーナッツは食べません。
(もうすっかり大きいから別に大丈夫なんだけど。)
 それにしても、子供のピーナッツは本当に怖いです。
 皆さんもくれぐれもご注意を。
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