ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.11.12

ロックな高校生リターンズ(第7話)

 そんなわけで、8月のある日、我々はKレコードの前に集まった。
 Kレコードは楽器屋さん部門が今でもあるが、場所は、今の場所ではなく、
本町通、足銀足利支店の並びの(今は足銀も友愛ホールになっちゃったけど)
現在のラーメン屋、Y貴楼の建物だ。
(ここは今もバンドの打ち上げで3時過ぎまで足利の街を飲み歩くと
最後にシメのラーメンを食べに入るとこなので、ロックな場所なのだ。)
 「いや、今年の夏は、あっついなー。」
 「受験の年に猛暑ってついてねーな。」
 1977年の夏は、確かに暑かった。
夏目雅子の「Oh!クッキーフェイス」で幕を開け、キャンディーズは「暑中お見舞い申し上げます」
と歌っていたし、「勝手にしやがれ」は「渚のシンドバッド」を蹴落として1位にかえりざいていた。
王貞治は、9月に達成することになる756号の世界新記録に向かって着実にホームランを重ねていた。(はずだ。)
 さて、Kレコードのスタジオは、店舗の2階にあり、多分倉庫かなんかを改造したものだ。
ドラム、アンプ、PAなんかが、雑然と並べられており、とても狭かった。
今の貸スタジオみたいなしゃれた雰囲気はなく、
ダンボールなんかもつんである狭い階段廊下を通って行った。
 「Oの工場より相当せまいなー。」
 「でも冷房あるからいいよ、暑いから早くエアコン入れろー。」
 「よーし、久々にいっちょやるか。」
 「スペース・トラッキンから行こうぜ。」
 ジャジャッ、チッ、チッ、チッ、ジャッジャッジャッ、ジャージャージャジャッ・・・
 おー、いい感じ、さてボーカルだ。
「We have o lot of lack in Venas~」
と歌いだしたとたん、急に音が切れた。
 「あれ、停電?」
 「別に、昼間だし、カミナリも鳴ってなかったぜ。」
 「おい、ちょっとO、お店の人に訊いてこい。」
 「わかった。」
 と、お店に下りていくO。
 「しっかし、エアコン切れると暑いなー。」
 「窓もねえしなー。」
 少しして、店員さんを連れてOが戻ってきた。
「あー、やっぱりダメかー、まいったなー。」
 「何なんですか。」
「いやー、ここんとこ暑いだろ。このエアコン結構電気食うのよ。
だから、アンプ、PA、キーボードまで全部使うとブレーカーがおっこっちゃうんだよねー。」
 「えー?!」
「だからさ、君たちさ、演奏中は、送風にしといてアンプ切ってから冷房にしてくれるー。
ウチのアンプ、チューブだから電気食うからさ。」
 そ、そんなー、殺生なー。
「じゃあ、そういうことで、がんばって、ごめんねー。」
と、店員さんは降りていってしまった。
 「おい、どうするよ。」
 「どうするったって、4時間分まとめて前金で払っちゃったし。」
 「やっぱ、練習しなくちゃなんないでしょ。」
 「しっかし、冷房なしだぜー、この真夏の暑いのに。」
 「しかたねー、やるかー。」
 というわけで、5分間演奏しては、アンプを切って全員でエアコンの前に張り付いて
体を冷やし、また勇気を奮い立たせてまた演奏をする。
 でも、すぐ暑くなってきて、
「(おい、アドリブのギターソロいつまで弾いてんだよー、早く終わりにしろよー、)」
という気持ちになってしまう。
 まるで、ガマン大会のような練習に、集中が続かず、結局あまり成果が上がらなかった。
 「あー、暑かった、まいったなー。」
 「あと、練習、どうするか・・・。」
 「うーん、金かけてこれじゃあな。」
 「後、何回か練習しないと。」
 「そうだ、学園祭の練習なんだから、学校で出来ないかな。」
 「学校でー?」
 「日曜日の、空き教室とか音楽室使わせてもらえば・・・。」
 「そうだな、学校行事だからな。」
 「よし、インドネシアに頼んでみるか。」
 さて、どうなるか。

 

コメントはまだありません
2008.11.11

ロックな高校生リターンズ(第6話)

 7月になった。
「おい、期末テスト、どうだった。」
「いやー、円運動の角速度ωの扱いでトチっちゃって。」
「あー、オレ文系だから物理Ⅱやらなくてすんで良かった。それよりオグラ、イミテーションって単語知ってる?」
「イミテーション?~tionで終わるから名詞だな。すると動詞はイミテイト・・・、知らんなー。
出る単にあった?」
「ふふふ、模造品、まがい物という意味だ。」
「おー、できるなーO、さすがだなー。」
「実は今度の山口百恵の新曲が『イミテーション・ゴールド』ってんで、覚えたんだ。」
「なーんだ、でも入試に出るかも。」
「それは、どうかなー。それよりバンド練習しないとな。」
そうそう、練習しなければ。
 ロック・ボックス以降、バンドとしての練習は、全くしてない。
「で、どこでやる?」
 そうなのだ。
われわれがかつて、練習場所として使っていた、O君ちの工場あとは、
ロック・ボックスが終わるまで、という条件で、近所に頼んで回ったので、
いまさらそこを使うわけには行かない。
「やっぱ、スタジオ借りるか。」
 当時、足利にはKレコードのスタジオしかなかった。
 1階は、レコード、楽器を売っていて、スタジオは、その2階にあった。
「金かかるけど、しょうがないな。」
「いつやる?」
「夏休みの補習が終わったらだなー。」
「あ、俺、夏期講習で、東京行くよ。」
「ギターのEもどっか行くらしいぜ。」
 何だ、みんな足利にいねーのかよ。
 そういや、俺も去年は東京の予備校に夏期講習に行ったっけ。
そもそも、ベースのOと一緒に行ったんだった。
 ・・・記憶は、ちょうど1年前にさかのぼる。高校2年、期末試験の近づくある日・・・
 俺の席の後ろのO崎が
「おい、オグラ、夏期講習どこ行くの?」
と、たずねて来た。
「カキコーシュー?おお、夏期講習、いや、別に。」
「何、行かねーの、俺、代々木ゼミだぜ。」
O崎は、俺と同じ国立理系だが成績がいつも俺のちょっとだけ上なので、やつが夏期講習となると、何か負けたくない。
(こやつは結局東工大に入った)
うーん、代々木ゼミナールか、有名だ。聞いたことあるぞ。
あわてて、そのまた後ろのO合に訊いてみる。こいつは国立文系で一橋大にいったやつだ。
「おい、O合、お前は夏期講習、行くの?」
「行くさ、駿台だよ。予備校としては最高だな。」
 その頃、受験オンチの私は、「駿台」の名前すら知らなかった。
(実はその後、大変お世話になっちゃうんだが・・・。)
「いや、俺も行きたいよ、夏期講習。どうすりゃいいの。」
「あのなー、今もう6月末だぜ、夏期講習なんかどこも締め切りだよ。
駿台なんか5月中に締め切ってるよ。」
「5月中にー?夏期講習をー?」
 あせった私は、前の席のO(あー名簿順だからイニシャルOばっかでわかりにくい、要するに
バンドメンバーのベースのOだ。)の、背中をつっつく。
「おい、お前、夏期講習は。」
「いや、俺はまだ申し込んでないよ。」
「(あー、よかった)もう、どこも締め切りかなあ。」
「でも、探してみよう、なんかあったら一緒に行こう。」
 てなことで、Oが探してきたのは「代々木学院」という、
名前からして、いかにもパチモンみたいな3流予備校だった。
 行くには行ったが授業も、学生もレベルが低かったので、ほとんどためにならなかった。
良かったことといえば、2週間の東京暮らしで、こっそり成人映画を見に行ったことくらいだ。
(何せ、当時はビデオなんか無かったし、っておいおい。
そーいや、成人映画とか、ピンク映画って死語だなー。)
 ともかく、3年生の夏は、駿台行くぞー、と、思ったものだ。
 ところが2年生の秋、親父が急に死んだため、
夏期講習で東京の予備校に行く、なんて経済的な余裕は我が家にはなくなっちゃったわけだ。
そこで夏休みは、学校の補習以外は(クーラーもない)自宅で勉強、ということになっていた。

 ・・・で、話は3年生の時点に戻る。
 「じゃあ、日を決めて、集中的に練習しよう。」
みんなの夏期講習が、微妙にずれてるので、夏休みのある日を、集中練習日に決めて
スタジオを、4時間ぶっ通しで借りて、練習することにした。
 「よし、それではそれまで個人練習ってことで。」
 「よーし、スペース・トラッキンの歌詞、覚えなきゃ。
  試験に出そうな、重要単語が入ってるといいんだけどなー。」
 「スタジオにこもる、か。なんかカッコいいぞ。」
 しかし、実は、これが、悲惨な結果を招くのである。

コメントはまだありません
2008.11.10

ロックな高校生リターンズ(第5話)

 企画書を作って、3人で職員室のF先生をたずねた。
「ロックやフォークなど、ポピュラー音楽に親しんで学生間の、交流や親睦を深める」
・・・実際、何て書いたかは覚えてないが、ロック・コンサートを認めてもらうために、
まあ、適当に文句をでっち上げて、それらしい、企画書を作成したわけだ。
 「まあ、そんなわけで、F先生にひとつ顧問として、お名前を、貸して頂きたいわけです。」
 しばらく、黙ってその企画書を繰り返し、読んでたF先生。
おもむろに顔を上げて、我々の顔を眺め渡したあと、口を開いた。
「じゃあ、君たちはゴーゴーみたいなことがやりたいわけ?」
「・・・!?」
「だからー、ゴーゴーパーティーみたいなのをするのかな?」
「・・・え、ゴーゴー、・・・ですか?・・・いやー、ゴーゴーって・・・。」
 こいつ、何歳だ?そもそも今、昭和何年だ?
 確かに昭和40年前後、ベンチャーズなんかのいわゆる”エレキ”の音楽に合わせて
踊るような、「ゴーゴー」っていうのがあって、「ゴーゴー喫茶」なんてのもあったらしい。
しかし、その当時昭和53年頃にあっては、ゴーゴーなんてすでに完全な「死語」だった。
 うーん、やはり氏家高校だ。こいつに頼んだのは間違いだったかも。
しかし、こいつ東京で4年間、一体どんな暮ししてたんだ?
「いやあの、ロックのコンサートで、みんな聞いていただくわけで、
踊る人は、絶対いないとはいえないけど、多分みんな聴いてるだけだと思います。」
「別にただの、コンサートなので、風紀上問題になるようなことはありません。」
「いや、先生にはお名前をお貸しいただくだけで、
そのほか、一切ご迷惑をおかけするようなことはありませんから。」
 どうも、気軽に引き受けて、何かあとで自分に責任がかかることになると困る、という
態度が見え隠れしたので、我々は口々に訴えた。
 そして、あれこれ説得して、何とか企画書にハンコをもらうことに成功したのだった。
「いやー、しかし、あの態度、やっぱ、あいつも小物だな。」
「しょせん、大人なんかあんなもんだよ。」
「それにしても、”ゴーゴー”にはまいった、一瞬何のコトかわかんなかったぜ。」
「オレもだよ。びっくりしたよ。」
「今どきゴーゴーはねえよなー。」
「でも、これで、コンサート出来るな、良かった、良かった。」
 ところが、事はそう簡単には運ばなかったのだ。

コメントはまだありません
2008.11.09

セル、セル、セル!

 すでに降格、最下位が決定した札幌。
あー、札幌のアウェイ・ゲーム行きたかったなー。
実は、J2時代も一回も行っていない。(そーいや、J2ん時は一回も勝てなかったなー。)
1年で、J1に帰って来てね。
今度は、石狩ナベ食いに行くから。


 2008年J1第31節 
  コンサドーレ札幌   1-2  浦和レッズ  (札幌ドーム)
         (前半  1-1)
         (後半  0-1)


 などと、悠長なことを言ってる場合ではない。
もう、全勝しか許されない残り4試合だ。
 さて、フォーメーションをみてびっくり。
セルがスタメン!4バック!!
 先日の愛媛戦の勝ったあとのブーイングは賛否両論だが、
あの場にいた者としては、自然な感じだった。
 それが、効いたかどうだか、今日は選手の動きはいいようだ。
よくプレスが効いて、パス・スピードも速い。
 何よりも、セルヒオ!
今までの彼のプレーの中では間違いなく最高の出来。
ドリブル、パス、プレス、運動量、体キレてるぞ。
細貝が抜けてパワーダウンが懸念された中盤を、見事に活性化してる。
 達也も、闘莉王のボランチも機能していた。
 ただ、問題点は依然多い。
 札幌はこれしかないとわかっていながら、ダヴィのカウンターにやられるってのはお粗末すぎ。
エジミウソンの、決定力不足も相変わらず。
4バックにしても、相手が札幌だったから何とかなったようなもので、
組織的に攻撃してくるチーム相手では、かなりの不安。
 しかし、勝つことによってチームのムードが良くなり、
歯車がいいほうに回りだす、ということはある。
新潟、愛媛、札幌と、格下のチームといいスパーリングをこなし、
3連勝したことで、最後の正念場、清水、ガンバ、横浜と力のあるチームとの終盤戦を勝ち抜けるか。 
 そして、そして何と今節、名古屋、川崎、ガンバが負け、鹿島、大分が引き分けたので
単独2位、首位との勝ち点差「1」という、予想だにしなかった状況になった。
 ガンバはここはACL優勝してもらって、もうごちそうさま、ってことで失速して欲しい。
清水も、もうACL圏内はないから、勝ち点なくてもいいでしょ。
マリノスも残留決まれば、もういいよね。
 キイプレーヤーは、細貝、相馬、達也、永井だと思ってるんだが、
ここに来てセルヒオにもグーンと期待が高まった。
あとは、ポンテのコンディション・アップと闘莉王のフィジカル、メンタルだ。
 あー、代表戦、よけいだなー。
マリノスとの天皇杯もあるのか。これは勝っといてもらわんと。
 最終節で鹿島が札幌に負けて、昨年のウチみたいになる(涙)事だって、
絶対ない、とはいえないよねー。 

4件のコメント
2008.11.07

ロックな高校生リターンズ(第4話)


「・・・このように『寺田の鉄則』を用いれば、かんたんです。では、諸君、がんばって勉強してください。」
「以上で、旺文社ラジオ講座、寺田ブンコー先生の数学Ⅰを終わります。」
うーん、また解き方間違っちゃった。数Ⅰも受験問題になると結構ムズカシーなー。
 ・・・と、言ってるうちに
「セーイ、ヤァーン」
と、セイ・ヤングが始まってしまう。
「ジャン、ジャーン、チャカポコチャカポコ・・・よーあけがー来る前にー・・・」
あー、バンドもやりてー。
 と、いきなりギターを持って弾いてみたりする。
もちろん深夜なんでアンプにはつながないから、ペンペンペンてな感じなんだけど・・・。
 今はまだ6月だが、足高祭が行われるのは11月、
受験生にとってはもう、追い込みをかけ始めるころだ。
特に、我々の世代はいわゆる旧制度、国立1期校、2期校の最後の年に当たり
翌年から共通1次試験(現在のセンター試験の前身)が始まることが決まっていた。
 浪人すると制度が変わって大変なので、
そのために、何とか現役で大学にもぐりこもうと、受験戦争は過熱していた。
 同じ5組のベースのOに、まず話を持ちかける。
なんせ、こいつとは席が前後だ。
「いや、だからEの奴は、もうギター閉まっちゃって、入試終わるまで弾かないって言ってるぜ。」
「でもさ、高校生活で一回きりの学園祭じゃん。バンドやろうよ。お前はどうなんだよ。」
「いや、俺は、どうしてもだめってことはないけど・・・。」
「よし、じゃあ、2人でEを説得しよう。」
「あ、ああ・・・。」
 というわけで、まず押しに弱いOを丸め込み、二人で何とかEも説得し、ドラムの I にもOKがとれて、
学園祭出るってことで、話がまとまった。
意外と、かんたんだった。
 「まずは、企画書と顧問だな。職員会議通すには、顧問を立てないと。」
「顧問たって、先生でロックわかる奴なんかいねーぜ。」
「あ、あいつどう、英語のインドニージャン。」
「あーインドニーチャンかー、なるほど・・・。」
 インドニージャン(またはインドニーチャン、インドネシアともいう)ことF先生は
今年、大学を卒業して赴任した英語の教師だ。
挨拶のとき、出身大学が東京外語大ということで、
生徒はいっせいに色めき立った。
何せ進学校の生徒は、大学のブランドに弱い。
ところが、外語大だが学科は英語科ではなく何とインドネシア語科ということがわかって、一気にテンションが下がった。
(自分たちは、決してそんなこと言える身分じゃないくせに・・・)
それで、ニックネームでインドネシアまたはインドニージャン(インドネシア語、インドネシア人の意)
と呼ばれるようになったのだ。
 新任の若い先生なので、
「僕と一緒に勉強しようっ。」
みたいな青春ドラマ的なノリ(錯覚?)があって、
しきりに、「僕は若いから君たちの気持ちがよくわかるんだ、」という雰囲気を作ろうとしていた。
 ビートルズの歌詞を、教材に取り上げたり、
FENやポピュラーミュージックのことを話題にしたり、それなりに努力していたが
俺たち高校生に言わせると、
「20歳過ぎてて、しかもネクタイなんかしてる奴は、みんな向こう側の人間だ。だまされちゃいけねえ。」
みたいな意識があり、あまり信用してなかった。
 あるとき授業で
「これは”not~but”の構文だねっ。
ほら、君たち、スタイリスティックスの歌にあるだろ、
”I can’t give you enything but my love”.この”but”の使い方だよ。
スタイリスティックス、知らないかなあ、あの女性ボーカルの。」
・・・いや先生、スタイリスティックスくらいよーく知ってますけど
あのグループ、女性じゃなくて、男性がファルセット(裏声)で歌ってるんですけど。
と、いおうと思ったがやめといた。
 やっぱ、氏家高校じゃあ、そんなもんか、底が見えたな。と、思ったものだ。
(後に彼の出身高校は氏家高校だということが判明していた・・・。
いや、別に足高だって、相当イナカの高校なんすけどね)
 「・・・インドネシアかー、何となくビミョーだな、あいつ。」
 でも、ほかにこれといった候補もない、
「よし、じゃあ、企画書作ってインドニージャンのとこに行ってみっか。」
 さて、ともかく、学園祭ライブに向けて前進を開始した我々であった。

コメントはまだありません
医療系をまとめました。
2020年9月
« 8月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  
最近の投稿 最近のコメントカテゴリー アーカイブ