2016.02.28
いやー、冬眠してました。(^^;)
いよいよシ-ズン開幕。
リーグ戦に先立っての対戦はACLのホームゲーム、相手はオーストラリアのシドニーFC。
オーストラリアに勝つ⇒オージービーフにカツ⇒CoCo一番館ビーフカツ流出事件
と、連想が働いて今回はコレで。
ビーフカツカレー野菜トッピング。
実はココイチ初体験だったが、チョーウマかった。また来よ。
いざ埼スタへ。
今シーズンからいつも利用してる駐車場が|¥1000から¥1500に値上げ。
おまけにレッズ戦はチケット代が前売りと当日が同じだったのが、
今シーズンから当日券は¥500アップになっていた。(T_T)
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2016 アジアチャンピオンズリーグ グループステージ第1戦
浦和レッズ 2-0 シドニーFC (埼玉スタジアム2002)
(前半 1-0)
(後半 1-0)
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さあ、今年もこの場所に帰ってきた。
平日のカップ戦とあって、メインアッパーは空っぽ。
バックアッパーもこんなもん。
相手チームサポは、ウーヴァ栃木レベル(^^;)
まあ、オーストラリアですからね。
それにしても寒い。
手袋、ニット帽、ニットマフラー、ブランケットのほか
この冬初めてジーパンの下にヒートテックのタイツを履いた。
昨シーズンはACLホーム初戦、オーストラリアのチーム相手に開始早々に「うっかり」失点して、
結局、そのまま連敗してあれよあれよという間にACL敗退が決定してしまったが
今回は開始8分、まだ相手がほとんどサッカーらしきものをしないうちに武藤の先制ゴール!
これでペースをつかんだが、その後、レッズのゴール前のパス交換で、
なんとキャプテン阿部が相手FWにパスを送ってしまう大ピンチ。
これは帰宅してからのテレビ録画の写真だが、スタジアムでは目の前で見てて、ホント、死んだ。
コレはいってたら流れ変わったかもだが、何とかディフェンダーが体に当ててセーフ。
その後、後半、興梠がPKをゲット。
これを決めて、試合を勝利に導いた。
大事なホームゲームできっちり勝ち点3を確保した。
埼スタを出るころからポツポツ降り始めた雨は、次第に本降りになり、
高速下りて足利に入ったころから本格的な雪に。
レッズがACLで勝つと雪が降るのか・・・(^^;)
2016.02.09
2月7日(日)はSANO HEART ROCK FESでした。
開演13時、我々の出演は19時過ぎだが、集合は8時45分。昨夜夜間急患診療所だったのでキツイ。
リハ済ませ、いったん解散。
我々の出番の前に受付当番がある。
そこに通りかかったデーモン閣下に記念写真をお願いする。
実は今回、聖飢魔Ⅱのコピバンが2つも出る。
一つは栃木の「Black Diamond」、もう一個は群馬の「GGG」というバンド。
この方は多分、栃木の方の方。
(イントネーションが栃木弁だったので・・・・)
他にも、たくさんの「悪魔」が入り口付近を闊歩する。
ステージでは「YOKOTA BAND」。
曲はショッキング・ブルーからサザン・オールスターズまで幅広い。
ノボリがスゴイ。
8人の大所帯。女性ダンサーもいて華やかである。
お次は「Power Puff Nori-P’s」。70~80年代のHR/HM。
ツインリードはハードロックのキモ。
パープル、ラッシュなどを歌うリード・ボーカルのセクシーなお姉さんに目が行くが、
リーダーはドラムの「のりピー」さんで50過ぎてからドラム始めた女性の方。
ドラムの方の写真は取れませんでしたが、
パワフルなドラムとフツーの主婦のような外見のギャップがステキでした。
続いて「GGG」。
いわゆる群馬の聖飢魔Ⅱw
結成1999年、いわゆる「世紀末」からやってもう17年という大ベテラン。
さすがにこなれたステージはプロ以上!?サイコーでした。
お次は「デス@ヘルニアンズ」。
デスメタルではなくグリーンデイなんかやってました。
次は栃木の聖飢魔Ⅱ「Black Diamond」。
残念ながら、次がわれわれの出番なので準備しながら舞台袖からチラ見程度。客席で見たかったー。
しかし、21世紀に聖飢魔Ⅱのこんな完璧なコピバンが栃木、群馬双方にあるとは!
ひょっとして、日本全国47都道府県に存在しているのか?
今回、気合の入ったバンドばかりで大変楽しい。
そして、ステージ衣装気合入り率、およびそれに伴うズラ率高し。
楽屋に行ったら、大変な騒ぎになっていた。
オレもズラ買おうかなあ。
そして、我々「C5-dips」登場。
実は今回、2週間ほど前から個人的に健康上の理由でかなりテンション下がっており
コンサートへのモチベが盛り上がり切らず本番に臨んでしまった。
何とかなるだろうと思っていたら、失敗、ヘタこいた。
まこと、オハズカシイ。ワタシの責任です。
次ガンバリマス。
まあ、でも楽しかった。
最後は「I Am The Walrus」初めてのお披露目。これも2回しか合わせてないのでとちったが・・・(T_T)
そして、トリは主催者の星さん率いる「Crued Head Bangars」。
モトリークルーのコピバン。
手練れのミュージシャンを集め、
さすがの迫力でオオトリとしてイベントを締めてくれました。
最後はみんなで後片付け。
いろいろあったが、また新たな知り合いも出来、バンドやっててよかったなと思えた1日でした。
2016.02.06
何となく、ブログ更新しないまま過ぎてしまった。
いきなりですが、明日です。
我々「C5-dips」の出番は19:10~19:50。
(よく見るとフライヤーに各バンドの出演時間が赤字で書いてある。)
まあ、11バンド目なんでその頃になると時間が押したりまいたりですんで時間に余裕もってお越しください。
そもそも、入場無料、出入り自由。
他のバンドは皆スゴソウ。
聖飢魔Ⅱが2個出て、デスナントカも出て、我々のあとが主催者の方のヘビーメタルバンドなんで、
ウチらなんておとなしい方でしょうねー。
応援ヨロシク。( `・∀・´)ノ
新曲もやりますよー。
2016.01.21
いま、ラストアルバム「ザ・ロングラン」を聴き終えました。
デビッド・ボウイに続いてのグレン・フライの訃報である。
イーグルスはデビッド・ボウイに比べ活動期間が短いので、オリジナルアルバムはすべて持ってます。
1枚目から順番に全曲聴いてみました。
イーグルスとの出会いは1975年。当時高校1年生。
ニューアルバム「呪われた夜」の発売に合わせて、FMラジオや音楽雑誌でイーグルス特集が組まれ
過去の曲も多くオンエアされたのでそれを録音しまくってイーグルスの概要を知った。
「呪われた夜」は誰か友人のレコードを借りてカセットに入れたような。
エクソシスト以来のオカルトブームのイメージのジャケットですが、このアルバムは良かった。
何回聴いたことか・・・。
当時ウェストコーストの3大バンドといえば、
「ドゥービー・ブラザース」「スティーリー・ダン」とこの「イーグルス」であった。
(もともとウエストコースト・サウンドは日本だけの呼称らしいが
今や日本でも若いヒトはウエストコーストといってもわからないだろうなあ。)
だから、ワタシにとってのグレン・フライは上の写真よりはこっちのイメージ。
イーグルスとしてももちろんベースランディ・マイズナーで
ジョー・ウオルシュはまだ加入しておらず
バニー・レドンの印象が強い。
(バンジョーってちょっとあこがれました。)
「テイク・イット・イージー」はずっと大好きな曲だ。
あちこちで演奏した。
ところで、実はワタシ、グレン・フライのシグネチャー・モデルを所有しています。
シグネチャーモデルといえばクラプトンのストラトとか、ザック・ワイルドのレスポールとか、
マイケルシェンカーの白黒フライングVなんかがパッと浮かぶけど、
グレン・フライのギターって何?タカミネ?マーチン?
コレです。
なんとリッケンバッカー、しかも普段なかなか見ないレアモデル。
このギター、リッケンバッカー230GFといい、GFはグレン・フライのイニシャル。
ソリッド・ギター、ボルトオンネックでレスポールで言えばジュニア、メロディメーカー
フェンダーで言えば、ムスタング、ミュージックランダーのような
スチューデントモデル的な位置づけらしい。
だが、このギター、当のグレン・フライ本人が使ってるのを見たことがない。
噂ではリッケンバッカー社からシグネチャー・モデル製作の打診があった時、
シンプルなモデルを、というグレン・フライの希望があったとかなかったとか。
アコギ主体であまりエレクトリック・ギターを弾かないグレン・フライだが
(一番上のタカミネのアコギはグレン・フライのシグネチャーモデルがあるらしい。)
このジャケットではバインディングなしの真っ黒のレスポール・スタジオ(?)を持っており
リッケンのこのモデルは、このギターのイメージに近いので好みのタイプなのかも。
で、リッケンバッカー社からシグネチャー・モデルとしてグレン・フライに渡されたこのギター、
本人が弾いてるのは見たことないが、イーグルスのギタリストであるジョー・ウオルシュが気に入っちゃったらしく
しばしば拝借してステージで使っているらしい。
エリック・クラプトン主催のクロスロード・ギター・フェスティバルでも弾いてた。
ちゃっかりしたヒトだ。
ワタシも入手後何回かライブで使ってみた。
写真を比較するとジョー・ウオルシュのデカさがわかる(笑)
シンプルでカッコよく、コンパクトなんで取り回しが楽である。
ところで、このギター、中古で買ったわけだが鑑定書付きである。
それによるとワタシのギターは1000本製作されたうちの48本目。
最初の100本にはグレン・フライが鑑定書に直筆でサインしたとあるので、
このサインは本物らしい。
ギターのサインは無論刻印だが。
ワタシはコレクターではなく、使ってなんぼのヒトですので、鑑定書なんかは実はどうでもいいのです。
そもそもリッケンバッカーのこのモデルは高校生の時雑誌で偶然その存在を知り
カッコいいなあと思いずっと探してたギターなので
グレン・フライのシグネチャー・モデルだったというのはタマタマなのです。だって、本人使ってね―し。
(ファンのヒトに怒られそうだなあ。)
ただ、青春時代、ことあるごとに聴き、歌ったイーグルス、大好きなバンドであることに違いはない。
グレン・フライ氏への追悼の意味を感じて今度のライブで使ってみようかなあ、と。
もちろん、演奏する曲は全く関係ないんですけど。(^^;)
2016.01.12
メイポールのライブを終え、連休2日目は写真の整理やブログ更新、
Facebookをチェックしていたら突然飛び込んできたのが
デヴィッド・ボウイの訃報であった。
にわかには信じられず
Facebookにはよく「ガセネタ」や「飛ばし」があるので、
いそいネットを漁って確認。
ショッキングなニュースは残念ながら事実であることが確認された。
現代の偉大な音楽家、芸術家の一人であり、
ロックという20世紀半ばに生まれた音楽ジャンルに限って言えば間違いなく
歴史的に見ても欠かせないパーツを担当する存在であった。
さて、ワタシがデビッド・ボウイのファンかと訊かれれば
そうであるともそうでないともいえる。
ワタシがロックに目覚めたころ、デビッド・ボウイは最初の絶頂期を迎えていた。
アルバム「ジギー・スターダスト」が発売されたのが1972年6月。
そのわずか前、1972年4月にワタシは中学校に入学。
まだ、洋楽は聴いていない。
その後、フォーク少年になり、ラジオを聞きまくるようになり
ほどなくビートルズから洋楽の道を後追い始める。
中学2年生、1973年のことである。
そのころデビッド・ボウイは傑作「ジギー・スターダスト」の姉妹作ともいえる次作「アラジン・セイン」をリリースし、
「スパイダース・フロム・マース」を率いてのツアー中であったはず。
買い始めた「ミュージック・ライフ」誌には
「レッド・ツェッペリン」「エマーソン・レイク&パーマー」などとともに
奇抜なメイク、中性的ないでたちのデビッド・ボウイの写真も良く取り上げられていた。
当時はビートルズが解散し、
サイケデリックブームのあとに来たハードロックも、もはや時代遅れといわれ、
プログレッシブ・ロックとグラム・ロックが時代を席巻していた。
その中でグラム・ロックの2大スターとされたのが
「T・レックス」のマーク・ボランと
デビッド・ボウイであった。
ハード・ロックにあこがれる中学生であったワタシのお気に入りは
「ディープ・パープル」や当時デビューしたての「バッド・カンパニー」。
男らしい、カッコいいロックにあこがれたロック小僧としては
デヴィッド・ボウイのルックスは「気持ち悪い」ものでしかなかった。
なんだあの「オトコオンナ」。
その後のファンク・ムーブメントにより
ボウイは「ヤング・アメリカンズ(1975年)」「ステイション・トゥ・ステイション(1976年)」を発表。
時を同じくしてレッド・ツェッペリンはアルバム「フィジカル・グラフィティ(1975年)」から
ファンク・ナンバー「トランプルド・アンダーフット」をシングル・カット。
ディープ・パープルも「嵐の使者(1974年)」収録の「ユー・フール・ノー・ワン」でファンクを取り入れ、
その流れは次作「カム・テイスト・ザ・バンド(1975年)」さらに明確になっていく。
この「ファンク」の流れに全くのれなかったワタシが衝撃を受けたのが
1977年の「勝手にしやがれ/セックス・ピストルズ」だ。
いわゆるパンク・ロックの登場である。
ロック・ミュージックの閉塞感に進むべき道を模索していた高校生のワタシはここに出口を「発見」した。
そして、パンク・ロックはニュー・ウェーブ、オルタナティブへと昇華していく。
このいわゆる「ポストパンク」の流れの中で急に取り上げられたのが
デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどのいわゆるアートなロックへのリスペクトである。
それは、1970年後期から80年代初頭にかけ
ジャパンや、デビッド・バーン(トーキング・ヘッズ)などのボウイ信奉者を通じ、
デュランデュラン、スパンダーバレエ、カルチャークラブ、ヒューマングリーグなどのフォロワーを生んでいく。
実は、ちゃんとデビッド・ボウイを聴いたのはその頃からなんです、ワタシ。
中高生のころ、デヴィッド・ボウイのヒット曲は一通り知っていても
アルバム通しては積極的に聴いてなかった。
まず、「ロウ」と「ヒーローズ」はスゴイな、と。
この辺、ブライアン・イーノつながりです。
そして、「ジギー・スターダスト」はやっぱりスゴイアルバムだったのだと。
このころ、レンタルレコード屋ができたのも大きい。
youtubeはおろか、洋楽の番組も少ない時代、LPを買って聴くというのは
大変な勇気と決断であった。
レンタルで借りまくってみんなカセットに入れました。
その後リリースされた「レッツ・ダンス(1983年)」がボウイ最大のヒットになった。
時代の必然だったのでしょうね。
ただ、これも自分ではレコードは買わなかったけど(笑)
ビートルズみたいなバンドをやりたいとか、
イアン・ギランみたいに歌いたいとか、
ピストルズみたいな曲を演奏したい、と思ったことはあったけど、
デビッド・ボウイのようになりたい、と思ったことは一回もないので、
コアなボウイファンなのではないと思いますが、
彼の音楽は一生聴いていくと思います。
ご冥福をお祈りいたします。