54年ぶりの鍾馗
今月号のタミヤニュースの巻頭に
大人になって古いプラモデルを作る醍醐味とは、
少年時代には持ちえなかった工具や塗料と
スキルアップした製作技術を用いて、
当時達成できなかったイメージ通りの作品を作ることが出来ることだ、
みたいなことが書いてあって、
激しく同意した。
例えば、当時は技術的についに完成させることが出来なかった
1/12のF1モデルなどもそうであり、
エアブラシを持っていなかったために
再現できなかった戦車や飛行機のボカシ迷彩。
これもその一つ。
急に作りたくなってオークションで購入。
タミヤの1/72フライトシリーズの「鍾馗」は
初版は1964年、このボックスアートは1970年の再販時のもので
ワタシが買ったのも確かにこのパッケージでした。
当時¥100。
当時は塗装はすべて筆塗りしかできないので、
この説明書のうち一番上と一番下はボカシ塗装なので作れない。
本来なら2番目の塗装が無難だが、
ボックスアートにあった3番目の
「赤×銀」がカッコ良くてどうしても作りたかった。
ボカシがなければ大丈夫だろうと思ったが、
マスキングテープもない当時、
フリーハンドの筆塗りでヘロヘロの赤ストライプになってしまい、
思い描いていたイメージとのギャップに非常に悲しい思いをした。
だが、今ならできる。
ということで製作開始。
ランナーの外枠がない昭和40年代のプラモのテイスト。
ナツカシイ。
コックピットは無し。
ムカシはこれが標準だった。
ゆえにパイロットは宙ぶらりん。さぞ心細かろう。
ともかく部品少ないので、手間は塗装だけ。
説明書に無い追加工作はアンテナ線以外一切無しで完成。
あれから54年の歳月を経て再現された赤×銀の鍾馗。
小学5年生のワタシはこれが作りたかったのだ。
このフライトシリーズには、こんなスタンドが付属します。
脚をたたんだ飛行状態にするか迷ったが、
離陸直後、ということで。
ついでにこちらも並行して製作。
同じく1/72の「鍾馗」だが、こちらはハセガワ製。
こちらは1996年発売だが、原型は1973年発売。
従来のキットにホワイトメタル製の40㎜砲付きのスペシャルエディション。
タミヤの鍾馗から10年たって、コックピットはバスタブ式になりました。
だが、操縦桿などはありません。
カラーリングはほぼ同じ。
タミヤの方は「飛行第47戦隊・震天制空隊機」
ハセガワ製は「飛行第47戦隊・第2中隊 成増飛行場」
と説明書にあります。
尾翼のマークは数字の「47」をデザイン化したものらしい。
太平洋戦争当時の日本陸軍戦闘機は
一式戦闘機から四式戦闘機までがあり(五式戦闘機は正式名称ではない)
それぞれ一式戦「隼」三式戦「飛燕」四式戦「疾風」のニックネームがあるが、
この二式戦「鍾馗」のネーミングはちょっと異質である。
大出力エンジンのための太い機首と、
軽量化のために絞り込んだ短い胴体は
軽快な「隼」、優美な「飛燕」、端正な「疾風」と比較して、
いかにもごつくて、力強い。
また連合国側の呼称であるいわゆるコードネームも
「隼」は「オスカー」、「飛燕」は「トニー」、
「疾風」が「フランク」なのに対し、
「鍾馗」のそれは「トージョー」である。
おそらく東条英機からとったと考えられるが、
やはり異質である。
そもそも「鍾馗」の戦闘機としての役割は
飛来する敵爆撃機を迎撃するインターセプターであり、
その意味で中国で疫病神を追いはらい魔を除くと信ぜられた神である
「鍾馗」のネーミングは実にしっくりくる。
その任務のために軽快性、旋回性を犠牲にして、
上昇力と高速と重武装が求められた。
12.7㎜機銃に変わって搭載されたこの40㎜砲もそのための装備だ。
こちらの震天制空隊はB29に対し、体当たり攻撃を行ったという。
ただし、パイロットは落下傘で脱出、生還することが求められており、
いわゆる特攻とは少し異なるが、成功率は高くなかったようだ。
日本陸軍機として疫病退散の期待を込めた「鍾馗」、
子供のころ夢見た赤×銀のカラーで作りました。
なんたって赤×銀のカラーリングはウルトラマンカラーなので、
まさに外敵から国民を守る、というイメージにぴったりだなあ。
コメントはまだありません