ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2008.12.10

A美ちゃんの瞳

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 日を追うごとに、街はクリスマスムードが高まっていきます。
街路樹のイルミネーション、お店のショウ・ウインドウ、テレビのコマーシャル、子供たちの会話。
 私は、この年の瀬の雰囲気、大好きなのですが、
毎年、この時期に思い出す、心の中にトゲのように刺さってるチクチク痛い思い出があります。
 今からもう15年も前、私がまだ、病院の耳鼻科医長として勤務医だった時代のことです。
 A美ちゃんは、もう2歳になるのに、まだ1回も立った事はありません。
立ち上がるどころか、起き上がることも、寝返りすら出来ません。
 彼女は全身の筋肉が次第に萎縮して動かなくなる難病でした。
生まれた時から、NICU(新生児集中治療室)を一歩も出たことがありません。
 知的発達は阻害されません。
次第に成熟していく精神の中で自分をどう捕らえてたのでしょう。
 私とA美ちゃんの出会いは、小児科からの依頼でした。
呼吸や栄養管理のため鼻からチューブが入ったA美ちゃんは、
寝たきりのこともあってしばしば中耳炎を起こしたのです。
 白衣を脱ぎ、消毒薬で入念に手を洗ったあと、
ガウンに着替え、帽子をかぶってマスクをつけNICUに入ります。
新生児のクベースがたくさん並ぶ中、A美ちゃんのベッドは一番奥にあります。
部屋中で鳴っている心電図のモニター音をかいくぐるようにして、
A美ちゃんのベッドに向かいます。
 中耳炎の処置は痛いものです。
しかも、A美ちゃんは、緑膿菌や、MRSAといった、
抗生物質の効きにくい菌が原因となることが多かったのです。
生まれた時から、咳や痰が上手く出せないため、しばしば気管支炎や肺炎になり
抗生物質を繰り返し使っていたためです。
 治療は、長引き、私は毎日のようにNICUに往診しました。
 A美ちゃんは、外に出たことが無いので肌は真っ白です。
そして、真っ黒い髪と、冬の夜空のような澄んだ大きな瞳が印象的でした。
何回か通ううちに、私の姿が見えると、また中耳炎の治療をされるとわかり、
私が、ベッドサイドに立った時には、もう大きな目からは涙があふれそうです。
 顔の筋肉も動かないので、顔をしかめたり、泣き顔を作ることはありません。
もう、呼吸筋の働きも衰えたので、人工呼吸器を使っていますが、
眼球を動かす神経は最後まで、傷害されないので、
目だけがあちこちキョロキョロ動きます。
 顔の表情は、全く無いのですが、その分、目の表情が豊かです。
 ああ、俺を見てまた怯えている、痛いことされて怒っている、
 目が雄弁に物語っています。
 俺のこと大キライなんだろーなー。
 やがて、反復する中耳炎のコントロールのために、私が両耳にチューブを入れる手術をしました。
その時も、怯えていたけど、その後はおかげで中耳炎のほうはだいぶ良くなりました。
 数ヵ月後、小児科の先生からまた依頼がありました。
 今度は、呼吸管理のため彼女に気管切開をして欲しい、というものでした。
 人工呼吸器を使うため、鼻から気管までチューブが挿入されていたわけですが、
やはり長期の呼吸管理のためには、首の前の部分に穴を開けて、
そこから気管に人工呼吸器をつないだほうがいろいろ具合がいいからです。
 「気管切開ですかー。うーん。」
私は思わずうなってしまいました。
気管切開の手術自体は、よく、内科から依頼があり、ベッドサイドで行うことは珍しくありません。
高齢や、肺の合併症、ガンの末期などの患者さんの呼吸管理に、気管切開をしばしば行います。
 しかし、子供となると、ほとんど経験がありません。
ましてA美ちゃんは、2歳といってもサイズはほとんど赤ちゃんと同じ。
手術中なんかあったら、即、生命にかかわります。
モノの本には
「乳幼児の気管はウドンのごとく細く、やわらかいため、しばしば視診、触診にても術中の指南が困難である。」
なんて、書いてあります。
 でもやるしかない。
「じゃあ、やりましょう、その代わり念のために麻酔科の先生にスタンバイしてもらっててください。」
 それからというもの、毎日毎日、その手術のことが心配でした。
昼飯食ってても気になります。
特に、お昼にウドンなんか出るとなおさらです。
その頃、薬剤師のF君とよく職員食堂で一緒にお昼を食べてました。
 「・・・ウドンかー。」
 「先生、そのウドン、どうかしましたか。」
 「いや、細いなーと思って・・・。」
 「そうですか?(ずるずる)そーいや、このウドン、あまりコシがないですね。
 まあ、病院の食堂のウドンじゃ、(ずるずる)こんなもんでしょう。」
 「コシねー、そう、コシがあると指でわかるから、いいんだけどねー、この箸くらいあればなー。」
 「(ずるずる)・・・へっ?」
 やがて、手術当日。
緊張で、手が震えそうだったけど、何とか麻酔科の助けも借りず、無事手術は成功しました。
 ほっとしていると、数日後、また小児科の先生から。
 「先生、カニューレが上手く入んないんで見てください。」
 気管切開したあとには、首の穴が閉じないように、
気管切開孔にツバ状のものがついたカニューレという短いチューブを入れておきます。
そこに人工呼吸器のチューブをつなぐのです。
カニューレは定期的に交換して消毒しなければなりませんが、入れるのにちょっとしたコツがあり、
特にA美ちゃんは小さいので、小児科の先生には交換が難しかったのです。
 「わかりました。今度から私がやります。」
 ということで、また私のNICU通いが始まりました。
中耳炎の処置ほどではありませんが、やはり彼女にとっては多少の痛みを伴ういやな時間です。
 往診に行くたびに、彼女の視線の攻撃を浴び続けました。
 秋が過ぎ、冬が来て、クリスマスが近づいてきました。
 私のいた病院は、大きな病院だったので、養護学校が併設されていました。
 毎年、クリスマスの日に事務員の一人がサンタクロースの扮装をし、
小児病棟と養護学校の子供たちにプレゼントを配る、ということが我々の病院の恒例になってました。
 その年、私は事務長にお願いしました。
「今年、是非僕がサンタ役やりたいんですけど。」
「うーん、お医者さんがやったのは前例が無いですよ。」
「いや、そこを何とかお願いします。」
「まあ、いいでしょう。」
「じゃあ、その日手術が3件あるので、1件目が終わったらすぐ来ますので。」
 ということで、クリスマスの日、一つ目の手術が終わって、あわただしく一旦手術室を飛び出します。
「センセ、早く、早く。」
小児病棟の婦長さんが待ってました。
生まれて初めて、サンタの格好をします。
「うーん、お腹になんか入れたほうがいいわねー。」
お腹にそこらへんにあったクッションを突っ込んで、いざ出陣。
 まずは、小児病棟へ。
 「わー、サンタだ、サンタだー。」
やっぱ、サンタはもてるなー。
「わー、サンタ、耳鼻科のオグラ先生だー。」
「わー、耳鼻科だ、耳鼻科だー。」
ま、メンは割れてるんで・・・。
 そして、NICUへも行きます。
赤ちゃんはまだ、サンタはわかんないけど、一緒にいるお母さんがうれしそうです。
 そして、部屋の奥のA美ちゃんのところへ。
 A美ちゃんはそれまで、ベッドを回るサンタを目で追っていましたが、
そばに行ってサンタの私の顔を間近で見たとき、一瞬、A美ちゃんの目の様子が変わりました。
 明らかに、あっ、このサンタは・・・、と息を呑む様子が見て取れました。
 「しまった、やっぱり、わかっちゃったな。まずかったかなー。」
 しかし、次の瞬間です。
突然、彼女の瞳に喜びの光が輝きました。
笑顔を作ることができないはずの彼女が、ぱっと満面の笑みを浮かべたように見えました。
A美ちゃんの大きな瞳が、冬の澄みきった星空のようにキラキラと輝きだしました。
部屋のあちこちで鳴っていた、心電図のモニター音が、一瞬、すべて聞こえなくなったような気がしました。
    「メリー・クリスマス!」
 ああ、サンタ、やらせてもらって、ホント良かった。
涙を浮かべたお母さんにも、何度も何度もお礼を言われました。
     
 ・・・・その後、病院を離れたのでその後の彼女の消息は知りません。
経過した年月、病気の予後を考えると、もう、天に召されているでしょう。
 今でも、夜空を見上げると、吸い込まれるような彼女の瞳を思い出します。
 今年も、クリスマスがやってきます。
    すべての子供たちに、素敵なクリスマスが来ますように。

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