ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.06.07

影響を受けたレコード(国内編)⑫「COVERS/RCサクセション」

当初10枚のはずが、おさまりきれなくなってしまい

ついに12枚目。

あともう1枚あるので全13枚で完結予定です。

今のところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、12枚目はコレ。

「COVERS/RCサクセション」1988年8月15日発売。

今回の企画、洋楽、邦楽通じて

唯一、同一アーティスト2回目の登場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1988年といえば医者になって3年目。

桐生厚生病院から大学病院に戻ってきており、

外来だ、手術だ、検査だ、学会発表だ、論文翻訳だと、

毎日目まぐるしく活動しており、

朝早く病院に行き、帰宅は深夜、

休日もほぼ無給出勤で、

当直も月に4,5回と、バンドはもとより

音楽を聴いている余裕すらほぼありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

労働基準法もへったくれもないタコ部屋のような研修医時代ですが、

音楽雑誌で、最低限の情報は得ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、見過ごしにできない重大な問題が発生。

1988年8発6日、広島原爆記念日に発売予定であった

RCサクセションのニューアルバムが不自然な形で

急遽発売中止になったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことの真相は、歌詞の内容に

「原子力発電」の問題が含まれており、

発売元のレコード会社東芝EMIに、

原子炉サプライヤーである親会社東芝が圧力をかけた、

というものでした。

当時、東芝EMIの社長は本社東芝からの天下りだったといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親会社の圧力に屈した東芝EMIは、

反原発、反核の内容を含んだ数曲をカットして

ミニアルバムとしての発売を求めたが、

忌野清志郎は、これを拒否。

上記のような広告を出して発売中止を発表しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、発売を求めるファンの声、

メディアもこのことを取り上げたことによる世論の高まりもあり

このアルバムは、一転、RCサクセションがかつて所属した

キティレコードから同年8月15日の終戦記念日に

発売されることになったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果、このアルバムはその話題性もあり、

RCサクセションとしては唯一オリコンチャートの1位を記録したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルバム自体はタイトル通り

洋楽ロック、ポップスのカバー集なのですが、

そこに忌野清志郎が日本語詞をつけた形になっていて、

素晴らしい歌詞によりオリジナルをしのぐ

存在感とメッセージ性を持った作品になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清志郎の高校時代からの友人である三浦友和氏をはじめ、

元「村八分」の山口富士夫、泉谷しげる、ジョニー・サンダース、

などのワタシ好みのミュージシャンのほか、

おニャン子クラブの高井麻巳子(現・秋元康夫人)も参加。

桑田佳祐はレコード会社の問題で

「桑竹居助(くわたけ・いすけ)」の偽名で参加しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべてがメッセージソングではありませんが、

アルバムを通じて感じられるのは

忌野清志郎氏の人類愛、正義感で、

音楽に対する愛情に満ち満ちた、

非常に「ロックな」アルバムにしあがっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

権力に屈せず、このアルバムが世に出たことはまことに喜ばしい。

発売までの経緯も含めて

まさに日本のロック史に残る1枚といっていいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアルバムが発売停止になったのは、

原子力発電に対する問題提起がその原因でしたが、

その13年後、東日本大震災による

福島第一原子力発電所の事故で、

忌野清志郎氏の危惧は現実のものとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残念ながら忌野清志郎氏は、

その2年前にすでに他界してしまっていましたが、

ファンの間でこの曲が再評価され、

当時ラジオ局にはこの曲のリクエストが多く寄せられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あらためて、

忌野清志郎氏のロックスピリットに敬意を表すとともに、

今また、ワレワレはこのアルバムを聴く必要があるのかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、オレのパソコンTOSHIBAだ。マズイなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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