ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2018.08.31

恩師

ワタシが小学校に入学した時の1年2組の担任はK先生であった。

 

 

 

 

 

 

 

ワタシは幼稚園時代、幼稚園ギライで登園拒否。

けっこう親や、周りの先生を困らせました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、小学校に入ってK先生に出会いました。

メガネをかけた男の先生です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園には男の先生いませんでしたし、

小学校も3クラスでしたし、1組と3組は女の先生でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんと、この子は学校に行くかしら、

と親は心配していたかと思いますが、

ワタシは小学校ダイスキになりました。

間違いなくK先生が、良かったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今にして思うと上から目線ではなく、

子供の視点に立って、いろいろ生徒の

「言い分」を聞いてくれたように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、何かやらかすと怒られますが、

その時もきちんと事情を聴取して事象を分析し、

それに合った量刑(?)を科してくれたので、子供的には納得でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直、その後であった小、中学校の先生は、

あまり子供の人権を尊重してくれた先生はいなかったように思うので、

今だ、教師という人種は実は好きではありませんが、

K先生だけは「例外」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そのK先生、今でも時々当院に受診されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前の「恩師」の中には、

教え子の病院にかかって「高飛車」なもの言いをする先生もいないわけではありませんが、

K先生は無論そんなことはなく、いつも大変丁寧な物腰です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルテを見ると80歳。

ということは、ワタシが1年生の時は26,7歳。

小1の時に先生からいただいた年賀状に

多分その頃2,3歳と思われる先生のお子さんが書いた

「パパのスバル360」の絵がプリントされてたのをよく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳が遠くなったので、先日検査をして補聴器を処方しましたが、

それ以外は、大変お元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小2の時には学校が移動になり、

受け持っていただいたのは1年生の時だけですが、

我々の学年が小学校を卒業するとき、

旧1年2組全員に手書きの色紙を書いてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学級委員だった関係で、ワタシのところに一括して託され、

クラスメートと手分けして、春休みに自転車でクラス全員の家の配って回りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色紙にはそれぞれの生徒に向けて

K先生が選んだ二文字の言葉がかかれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全員違う言葉で、各々の生徒を思い浮かべて、

K先生が選ばれた言葉でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにワタシ宛ての色紙に書かれていたのは

「明朗」の二文字でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あわただしい外来の診察の合間では、

なかなか改まってお礼の言葉を言うこともできませんが、

いつまでも、お元気でいてください。

 

 

 

 

 

 

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