ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2014.10.01

夢の超特急

 今日2014年10月1日は東海道新幹線開業50周年の記念日である。

 

 

 

 

 

 昭和39年、東京オリンピックの年はワタシは5歳、幼稚園の年中組でったからかすかに記憶がある。

 

 

 

 

 

 少年雑誌などでも取り上げられ「夢の超特急ひかり」というフレーズは何度も目にした。

 

 

 

 

 

 当時の愛読書であった月刊漫画雑誌「少年」は「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が連載されていたが、

藤子不二雄氏の「忍者ハットリくん」も好評連載中であった。

(当時はまだ「ドラえもん」はこの世に生まれていなかった。)

 

 

 

 

 

 その中で開業とほぼ同時に掲載された「新幹線」絡みのエピソードが記憶に残っている。

 

 

 

 

 

 たしか、ハットリくんとケン一氏(うじ)が

おじさんかだれかの見送りに東京駅に行き、停車中の新幹線に乗ったが

そのまま列車が発車してまい、京都まで行ってしまう、という話だったと思う。

 

 

 

 

 

 その作中の2人が羨ましかったこと。

 

 

 

 

 

 当時は「夢の超特急」の呼び名の通りそれに乗ることは「夢」であった。

 

 

 

 

 

 ワタシは、その後、雑誌その他で「ひかり号」のスペックをいろいろ調べ、

最高時速が210キロであること、列車の窓はあかないこと、

線路は従来のものより広いいわゆる「広軌」であること、

その枕木は木でなく、コンクリート製であることなどを知り、

いちいち驚嘆したものだ。

 

 

 

 

 

 その後放送されたウルトラQの「地底特急西へ」のイナズマ号も夢の超特急のイメージをふくらませた。

3images

 

 

 

 

 

 

 そして、その夢が叶うのは6年後、1970年の大阪万博に行った時だった。

 

 

 

 

 

 

 まさに夢が現実になった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 今はない車内の速度計と連結部分にある給水器が懐かしい。

 

 

 

 

 

 

 

 当時、自動販売機みたいな形で無料の給水器が有り、

コップではなくお年玉の「ぽち袋」みたいのを引き抜いて、それに水を入れて飲めた。

 

 

 

 

 

 

 

 タダなので、うれしくて何回も飲んだ記憶があり。

 

 

 

 

 

 もろ、小学生の男の子の行動だww

 

 

 

 

 

 

 

 

 先の「大阪出張」では帰りの車内でこんな弁当を食べた。

 

 

 これは「京都・新大阪」版で

少しづつ中身の違う「名古屋」版、「東京」版もあるらしい。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 あ〜、全部、試したいかも。

 

 

 

 

 

 そういえば、1970年当時、

大阪万博の帰りの新幹線の中で食べた「ハンバーグ弁当」美味しかったなあ。

44年前のことだが、これまた覚えてるんだなあ。

 

 

 

 

 それだけ、「夢の超特急」だったってことでしょうね。

 

 

 

 

 

 

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