ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.11.23

オー・ロビー・ビッテ・ゴール

 サボってた関係で、
サッカーの記事が連戦になった。
今回も所用で参戦できず、次節も等々力14時は無理なので、
行けるのは最終節だけかなあ。
 実は最終節も夜7時からライブなので、ちょっとキビシイところなんだが。


 2010年J1第32節
  横浜Fマリノス   1-4    浦和レッズ    (日産スタジアム)
       (前半  1-2)
       (後半  0-3)


 スカパー、今日はハイビジョンじゃないので、残念。
 さて、今日の試合はポンテのゲームだった。
 今季限りの退団が決定したポンテ。
 残された時間で、チームに何かを残そうとする彼と、
偉大なる10番のために何かをしてあげたいチームが、
まさにうまく一つになったゲームだった。
 ポンテにボールを集めるのは、
彼に「預けて何とかしてもらう」のではなく、
彼から「何かを引き出してもらう」ため、
というチームメートの意思が強く感じられた。
 ポンテに渡して、スペースに走る、
第2、第3の選手ももらう動きをする、
それを、巧みに紡ぐポンテのゲームメークが、
ここ最近では最も美しく表れたと思う。
 ホームで1-4の敗戦は、マリノスの選手、また木村和司監督にとって、
半年前ナビスコ予選勝ち抜けを逃したときと同等、
あるいはそれ以上の悔しさだったでしょうね。
 我々としては、残り数試合、
このチーム史上「もっとも10番らしい10番」の活躍を
少しでも多く見届けたいですし、
最後の試合は、是非、国立で見たいなあ。
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2010.11.23

現在のチームの位置

 広島に行ってたので、
土曜日のホームゲームは日曜日の夜録画観戦であった。


 2010年J1第31節
   浦和レッズ    0-2     ガンバ大阪   (埼玉スタジアム2002)
        (前半 0-0)
        (後半 0-2)


 今を去る13年前、できたばかりのJリーグ、
ヴェルディと覇権を争ってきたマリノスにジーコを擁す
鹿島アントラーズが加わり「3強時代」を迎える。
 その時、「3弱」と言われたのが、
名古屋グランパスエイト(当時)ガンバ大阪、そして浦和レッドダイヤモンズだった。
 もちろん、レッズはその中でもほぼダントツに
一番弱かったわけだが、
その3チームの間には奇妙な3すくみがあって、
グランパスはレッズに強く、
ガンバはグランパスを得意とし、
そしてレッズはガンバに相性がいい、
という関係があった。
 これは、ある程度それぞれのチームが実力チームになったからも続き、
特に2006年頃の浦和の絶頂期には
リーグ戦や天皇杯などで常に覇権を争うも、ガンバはレッズに勝てなかった。
 しかし、それも遠い昔。
 ここしばらくはずっと勝てず、
今日の負けで、ついに通算も負け越しになってしまった。
 内容は、力負け。
 ガチャピンにやられたあと、お約束のように
コーナーキックから変わって入ったルーカスに決められる。
 まさに「台本」通り、ってか。
 現時点でやはりガンバは優勝~ACLを争う資格のあるチーム、
レッズはやはり中位~下位グループの力しかないチーム、
という印象が明らかになったような。
 それにしても、レッズのコーナーの時は全然得点のニオイがしないのに、
相手コーナーの時は、もうすぐ取られちゃう感じがして仕方ない。
(それで実際取られてるし。)
 
 そして、かつて、その「3弱」の一つだった、
「名古屋グランパス」のリーグ優勝が同じ日に決定した。
 ああー。
 思わず、遠い目をしちゃうのだ。
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2010.11.23

トラ・トラ・トラ


 そんなわけで、11月19日(ヒトヒトヒトキウ)未明、単冠(ヒトカップ)湾に集結した我々は、
一路、目的地を目指す。
 ホノルル放送を頼りに進むとやがて夜明けだ。
 おお、ライジング・サン!
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 目的地はもちろんハワイのオアフ島ではなく、広島県呉市。
 午後1時過ぎに到着したが、
まず攻撃に先立って、糧食を補給した。
 「大和ミュージアム」の敷地内にあるレストラン。
 「海軍カレー」をオーダー。
「旭日旗」が「気分」だ。
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 海をモチーフにした店内の奥には、
何となく元海軍軍人風のおじいちゃんが、ビールを飲みながら
オレくらいの歳のオジサンに向かって、ムカシ話をしてる様子。
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 まあ、でもこのおじいちゃん、今生きてるってことは、
少なくとも海軍時代は新米水兵で、甲板そうじかなんかだったんだろうが。
 さて、燃料も補給し「全軍突撃せよ」と「トトト・・・(ト連送)」なのだが、
我々の攻撃目標は2か所である。
 もちろん、
 「フォード島の航空施設」と「真珠湾内の米軍艦艇」
ではない。
 「大和ミュージアム」および、隣接する「てつのくじら館」
である。
 まずは「てつのくじら館」を、第一攻撃目標に設定した。
 これは実際の潜水艦「あきしお」を中心とした「海上自衛隊資料館」である。
 基準排水量2250トンの「あきしお」だが陸に上がるとさすがにデカイ。
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 何せ「ホンモノ」の潜水艦だ。
オタクの血が騒ぐ。
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 館内には「元海自隊員」と思しきオジサンたちがいて、いろいろ説明をしてくれる。
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 乗務員用のベッド、セマイ!
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 操舵席にも座らせてもらった。
でも、ホントは「女は乗せない潜水艦」なのだ。
後ろの潜望鏡のヒトも見学者ですが、なりきってますなあ。
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 さて、しこたまお土産を買って、
今度は第2次攻撃目標である「大和ミュージアム」に突撃。
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 目玉は何といってもこの10分の1の戦艦大和。
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 そして、開戦時の連合艦隊旗艦である
「戦艦長門」の軍艦旗(実物)も展示してあった。
PB190602_convert_20101122144401.jpg
 ううう、感無量である。
 「ゼロ戦62型」。
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 しかし、個人的には62型はちょっと・・・・。
やっぱ、ゼロ戦っつったら「21型」だなあ、ワタシ的には。
 しかし、一番感動したのは、これ。
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 ガラスケースの中なのでうまく写真撮れないが、
これナント、あの「平賀譲」博士の直筆ノートなのだ。
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 「平賀譲」とは、旧日本海軍の造船中将で、軍艦の設計者だ。
「軽巡夕張」や「重巡妙高型」など傑作を次々とモノにして
「造船の神様」ともいわれ
「戦艦大和」の設計にもかかわった。
 ともかく死んだ親父が「夕張は本当にスゴイ艦(ふね)なんだぞ。」とよく言っていた。
(親父は元海軍軍医でラバウル航空隊にいた。)
 しかし、この辺になるとますますアツくなる私を差し置いて、
ウチの女房殿はすっかり退屈して、
そこらへんで休んでいた。
 まあ、ショウガナイ。
 最後に大和ミュージアムのテラスからまた「あきしお」をバックに。
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 ああ、呉の港が暮れて行く。(シャレか。)
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 いやあ、本当に来られて良かった。
 次はラバウルだなっ。
(いくらなんでも、そっちの方で学会はないわなあ。)
 今回の記事は一般の読者に対して難解な表現や言い回しがありますが、
原作者の意図を尊重しそのまま掲載いたしました事をご了承ください。

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~しかし、今日はちょっと続きもあるので・・・・。

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