ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2009.03.27

嚥下のリハビリ(その2)

(これはつづきです。その1からお読みください。)
 とりあえず、起きられるようになんないと。
 栄養チューブを鼻から入れて、検査結果が出るまで安静にさせられていたので
起き上がることも出来なくなちゃったのだ。
カロリーの面からは足りてるので、生物学的には生きているが、人間としてはこれではまずい。
 耳鼻科に転科して調べても、やはりこれ、とういう異常は見当たらず、
まあ、内科であれだけ調べてるし。
 文献を調べても、あまり参考になることが見当たらない。
ついに私は5000円もする「嚥下障害」なんていう、本まで買っちゃったが、ダメ。
 看護師さんとあれこれ作戦を立てる。
 当時、この手のリハビリのプロトコールなんてものは皆無だった。
 そして、手探りで、たどり着いたのが「トロミ」。
 ある朝、当直明け、
「先生、患者さんが食べなかった朝ごはん食べますか。」
「おー、食べる食べる。」
何せ、研修医は金がない。
当直ったって、病院から朝飯が出るわけではないので、こういうのは大歓迎。
 看護婦さんの控え室で食べさせてもらった。
「あれ、センセイ、生卵あまってますよ。」
「しまった、あせって食べたらご飯にかけるの忘れた。ショーユかけて飲んじゃうか。」
つるつるつる、ごくっ。
お、ナンカ、ひらめいた。
これだこれこれ。
こーいうツルリと入るものがいいのでは!
 そのころ、患者さんの食べ物の性状は「かたい」⇔「やわらかい」しかスケールがなかった。
病院食は「かたさ」「塩分」「カロリー」「添加物」などで細かく分類されてたが
嚥下に関しては「粘りけ」「トロミ」が重要だったのです。
 つまり、モノがかたまりでつるっと入っていけば
気管に入ってむせることが少ないわけです。
 最近の嚥下指導では「トロミ」は最重要ファクターで
かなり細かく研究されてるらしいです。
我々も、何とかそこにたどり着いたので、何とか解決の糸口が見つかったわけです。
 そして、リハビリ。
当時はリハビリ専門の部門がなかったので
整形のリハビリの人をよんで、独自のメニューを作ってもらいました。
マーゲン・チューブ(鼻から胃に入れる栄養チューブ)を抜き、
ベットの角度を上げ、少しづつ動く範囲を増やしていきました。
 毎日、ベッドサイドに行くたびにTさんの表情が豊かになります。
「どうですか、Tさん。大分、動けるようになったみたいですね。」
「いやー、センセイ。いつも、歩けー歩けーと言われてるので、
軍隊時代に行軍訓練をさせられてる夢を見ちゃいましたよ。」
なんて、言われたけど、歩けるようになったTさんはどんどん元気になり、
トロミ食も、功を奏して、経口摂取が可能になりました。
 約1ヶ月後、Tさんは、めでたく退院しました。
もちろん、自分の足で歩いて。
 今だったら、きちんとしたプログラム、ガイドラインがあるのでしょうが、
当時は何も参考になるものがありませんでした。
 その時思ったのは、人間は治る力がある、ということです。
治療といえば、それまで薬と手術のことだ、と思ってたのですが、
その薬や手術にしても、人間の治癒力の助けをしてるに過ぎないんだなということに
改めて気づかされました。
 そして、薬や手術やその他、リハビリ、生活指導等を用いて、
人間の「治る力」を最大限に発揮させるような状況を作ってあげるのが
医者をはじめとする「医療者」の役割なんだなーと感じたわけです。
そこが機械の修理と人間の治療の違うとこなんだよなー。
 地道にこつこつとリハビリを指導する理学療法士、作業療法士などの皆さん、
すばらしいなーと思います。
 自分の足で歩いたり、自分の口からご飯食べるって、大事なことですよね。

コメントはまだありません
2009.03.27

嚥下のリハビリ(その1)

 昨日の夜は「嚥下研究会」という学会に出席して話を聴いてきました。
学会、研究会はちょくちょく行くのですが、大体「アレルギー関係」か「感染症関係」が主です。
昨日は、初めてだったのですが、若い女の人が多いのでびっくりしました。
なるほど、介護やリハビリ関係の人が聴きに来るので、若い女性が多いんだー。
時代は、こういう方向なんだなー、と思いました。
 嚥下、リハビリ、ときいて思い出したのは
20年以上前に大学病院で受け持った患者さんのことでした。
 「オグラさん、この患者さんを受け持ってください。」
教授に呼び出されじきじきに頼まれたTさんは、ある耳鼻科の開業医の先生のお父さん。
もう80歳以上のご高齢です。
 主訴は「嚥下障害と誤嚥」つまり物をうまく飲み込めず、気管の方に入ってしまうのです。
 えー、嚥下障害、困ったなー。と、思いました。
当時、医者になってまだ3年目。
嚥下障害に対する知識も経験もなかった。
 「じゃあ、オグラさん、頼みましたよ。」
ウチの教授(当時)は、医局員をすべて「さん」付けで呼ぶ礼儀正しい人でした。
 患者さんはすでに2ヶ月前から、第1内科に入院しており、
いろいろ調べたけど、わかんないので耳鼻科へ、と廻されたのです。
 さっそく1内にいって、カルテを見せてもらいました。
「うわー、内科のカルテはいっぱい書いてあるなー。」
オペ記事主体の耳鼻科のカルテとはえらい違いだ。
 そこには身長体重から始まって、瞳孔、結膜、眼球運動から
皮膚、呼吸音、心音、腹部、各腱反射等々、ありとあらゆる所見が網羅されており
ページをめくると、血液、尿の検査が何ページにもわたってずらりと並んでいる。
そして心電図、レントゲン、CT、エコー・・・・ともかくあらゆる検査が列挙されていた。
良く、こんなにやったもんだ。
 病室に行って、Tさんの顔を見て、
これから耳鼻科に転科して私が診ますのでよろしく、と挨拶してきた。
 で、内科の前の受け持ちの先生に
「じゃあ、明日ベッド用意しときますから、お願いします。」
と言ったら、
「じゃあ、ストレッチャーでお迎えお願いします。」
とのこと。
「ん?この人、歩けないんですか?」
「はい。」
「何で?」
「何でったって、ハテ、何でだろう?ねえねえ、看護婦さん何でこの人歩けないの?」
 おいおい、冗談じゃねえ。
カルテの一番最初に
「Admssion on foot」って、書いてあるじゃん。(独歩にて入院って意味です。)
この、じいちゃんは、歩って入院したんだぜ。
検査、検査でずっと安静臥床してたので、歩けなくなちゃったんだ。
ったく、もう。
 今では考えられないが、当時の内科なんてそんなもんだった。
 よし、オレが何とか食えるようにしたる。
 その日から、手探りの嚥下障害治療が始まったのだった。
(つづく)

コメントはまだありません
医療系をまとめました。
2009年3月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
最近の投稿 最近のコメントカテゴリー アーカイブ