ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2014.08.16

終戦の日

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 昨日は69回目の終戦記念日であった。

 

 

 

 

 

 ワタシの父は、太平洋戦争に参加している。

 

 

 

 

 大正8年生まれの父はワタシが高校生の時に亡くなったが生きていれば今年95歳。

 

 

 

 

 大学卒業後、海軍軍医として戦地へ赴いた。

 

 

 

 

 行先はラバウル航空隊であった。

 

 

 

 

 大学卒業、国家試験合格後すぐ軍医になったらしい。

 

 

 

 

 計算すると、卒業がおそらく昭和17年春。

 

 

 

 

 昭和16年12月8日のハワイ攻撃で開戦して半年後である。

 

 

 

 

 父に、生前聞いたところによると祖父が海軍軍医だった関係もあって海軍を志望、

そして航空医学に興味があり、と希望を出したらしい。

 

 

 

 

 

 そんなわけで、航空母艦へ搭乗予定だったが

そのまさに直前の昭和17年6月にミッドウェー海戦があり日本海軍は主力空母4隻を一挙に失う。

 

 

 

 

 

 その関係で勤務先が空母ではなく海軍航空隊の主力基地があるラバウルになったときいている。

 

 

 

 

 父は生前、戦争のことはあまり語らなかった。

 

 

 

 

 空母「翔鶴」を実際に見てその大きさにびっくりしたとか、

「二式大艇」に乗ったことがあるとか、

そういった話はちょこちょこ口にしたが戦闘の話はほとんどしなかった。

images

 

 

 

 多分、思い出したくない悲惨な体験をたくさんしたのであろう。

 

 

 

 

 多くの仲間が傷つき、命を落としていくその現場に

新人医師として毎日のごとく立ち向かい、

基地に敵戦闘機ロッキードP-38の空襲があり

自らも機銃掃射で危うく死にかけたこともあったらしい。

p38

 

 

 

 

 

 

 もし、時代が別のシナリオを用意していたら、ワタシも海軍軍医になったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 戦後69年間、日本は一人の戦死者も出していない。

 

 

 

 

 

 父が生まれた大正世代は男子の7分の1が戦死している。

 

 

 

 

 

 

 もちろん、大戦末期には空襲などで戦闘に関与しない何十万人もの民間人の命が奪われている。

 

 

 

 

 

 

 我々は戦争のないことの素晴らしさをよく理解しないといけませんね。

 

 

 

 

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