マクラーレンM8A
F1もル・マンもインディ500も、WRCも、
昔からずっと続いているモータースポーツ・イベントであるが、
中には一時的に非常に盛り上がったが、
今は存在しないものもある。
CAN-AMシリーズと聞いても、今の若い人は分からないかと思うが、
1960年代絶大な人気を誇ったモーターレースであった。
正式にはカナディアン‐アメリカン・チャレンジカップ、といい
日本でも「カンナム」の通称で通っていました。
この間作った「シャパラル2E」が戦ったレースイベントです。
2シーター、オープンカーのレースで、1966年から1974年までが第一期、
第二期は1977年から1986年まで開催されたようですが、
もっとも人気のあった1967年から1971年あたりが、
ワタシの小学生時代レーシングカー大好きだった時代と同じです。
その時代、カンナムを席巻していたのが、マクラーレン。
F1コンストラクタ―のマクラーレンですが、
もともとはブルース・マクラーレンという
ニュージーランド人ドライバーが始めたレーシングチームでした。
そこで、今回のタミヤ1/18マクラーレンM8A。
作ったのは去年です。
2013年に再版されましたが、もともとは1970年発売のこのキット。
発売時は1000円。
当時小学5年生だったワタシは、1/32や1/24の
100円から500円くらいまでのプラモデルを作っていたので、
この1/18チャレンジャーシリーズは敷居が高く、
手を出せませんでした。
当時はみなモーター内蔵で走らせて楽しむプラモデルでしたので、
電池を入れる場所やスイッチ類もモールドされていますが、
これらのギミックは再版ではすべてオミットされています。
当時の自分にとっては、とても完成できないような複雑なキットだったのですが、
今、この歳になってみると、こんなスカスカだったのか、という感じ。
マクラーレンのチームカラーはパパイヤオレンジ。
ワタシにとって「マクラーレン」といえば、ずっと、こちらでした。
その後、1988年からのマクラーレン・ホンダの時代になって、
やっと赤白マルボロカラーのイメージになるのですが・・・。
ということで、オレンジを塗ってみますが・・・・・
うーん、なんか頭にあるイメージと違うなあ。
そこで、イエローを増量して再調整。
うーん、こんなもんかな。
要するにパパイヤオレンジは、オレンジではなく、むしろ黄色であった。
黄色といっても総武線の黄色ではなく、銀座線の黄色ですね。
かくして、完成。
素組みというのもあるが、なんだかやたらあっさり完成してしまった。
チーム・オーナーのブルース・マクラーレンが、自らハンドルを握っていました。
ニュージーランド出身の彼にちなんでチームのシンボルマークは「キウイ」です。
もともとはモーターで走るキットなので、無人車が走ってはおかしいというわけで
ドライバーの人形が付属しています。
つまり、このヒトがブルース・マクラーレンさんです。
「呼んだー?」
首は真鍮線を入れているのでクルクル回ります。
わき見運転は、イケマセン。
この時期、オープン2シーターのカンナムスタイルは日本でもブームで、
1968年の第5回日本グランプリではニッサンR381とトヨタ7という
ワークスのオープン2シーターマシンがエントリーされた。
優勝したニッサンR381は、
当初は屋根のあるスポーツプロトタイプでプレスリリースされたが、
本番ではオープン2シーター仕様になっていた。
しかし、このブルース・マクラーレン氏は1970年テスト中の事故で帰らぬ人となる。
わき見運転が原因ではないはずだが、
この時代、レーシング・ドライバーの事故死は非常に多かった。
日本でも同じようなオープン2シーターである
トヨタ7のテストをしていた福沢幸男、河合稔の2名が相次いで事故死。
1969年に亡くなった福沢幸男氏の恋人は小川知子さん、
1970年に亡くなった河合稔氏の奥様は半年前に結婚したばかりの
「オー!モーレツ」の丸善石油のCMで有名だった小川ローザさんだった。
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