デヴィッド・ボウイとワタシのロック史
メイポールのライブを終え、連休2日目は写真の整理やブログ更新、
Facebookをチェックしていたら突然飛び込んできたのが
デヴィッド・ボウイの訃報であった。
にわかには信じられず
Facebookにはよく「ガセネタ」や「飛ばし」があるので、
いそいネットを漁って確認。
ショッキングなニュースは残念ながら事実であることが確認された。
現代の偉大な音楽家、芸術家の一人であり、
ロックという20世紀半ばに生まれた音楽ジャンルに限って言えば間違いなく
歴史的に見ても欠かせないパーツを担当する存在であった。
さて、ワタシがデビッド・ボウイのファンかと訊かれれば
そうであるともそうでないともいえる。
ワタシがロックに目覚めたころ、デビッド・ボウイは最初の絶頂期を迎えていた。
アルバム「ジギー・スターダスト」が発売されたのが1972年6月。
そのわずか前、1972年4月にワタシは中学校に入学。
まだ、洋楽は聴いていない。
その後、フォーク少年になり、ラジオを聞きまくるようになり
ほどなくビートルズから洋楽の道を後追い始める。
中学2年生、1973年のことである。
そのころデビッド・ボウイは傑作「ジギー・スターダスト」の姉妹作ともいえる次作「アラジン・セイン」をリリースし、
「スパイダース・フロム・マース」を率いてのツアー中であったはず。
買い始めた「ミュージック・ライフ」誌には
「レッド・ツェッペリン」「エマーソン・レイク&パーマー」などとともに
奇抜なメイク、中性的ないでたちのデビッド・ボウイの写真も良く取り上げられていた。
当時はビートルズが解散し、
サイケデリックブームのあとに来たハードロックも、もはや時代遅れといわれ、
プログレッシブ・ロックとグラム・ロックが時代を席巻していた。
その中でグラム・ロックの2大スターとされたのが
「T・レックス」のマーク・ボランと
デビッド・ボウイであった。
ハード・ロックにあこがれる中学生であったワタシのお気に入りは
「ディープ・パープル」や当時デビューしたての「バッド・カンパニー」。
男らしい、カッコいいロックにあこがれたロック小僧としては
デヴィッド・ボウイのルックスは「気持ち悪い」ものでしかなかった。
なんだあの「オトコオンナ」。
その後のファンク・ムーブメントにより
ボウイは「ヤング・アメリカンズ(1975年)」「ステイション・トゥ・ステイション(1976年)」を発表。
時を同じくしてレッド・ツェッペリンはアルバム「フィジカル・グラフィティ(1975年)」から
ファンク・ナンバー「トランプルド・アンダーフット」をシングル・カット。
ディープ・パープルも「嵐の使者(1974年)」収録の「ユー・フール・ノー・ワン」でファンクを取り入れ、
その流れは次作「カム・テイスト・ザ・バンド(1975年)」さらに明確になっていく。
この「ファンク」の流れに全くのれなかったワタシが衝撃を受けたのが
1977年の「勝手にしやがれ/セックス・ピストルズ」だ。
いわゆるパンク・ロックの登場である。
ロック・ミュージックの閉塞感に進むべき道を模索していた高校生のワタシはここに出口を「発見」した。
そして、パンク・ロックはニュー・ウェーブ、オルタナティブへと昇華していく。
このいわゆる「ポストパンク」の流れの中で急に取り上げられたのが
デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどのいわゆるアートなロックへのリスペクトである。
それは、1970年後期から80年代初頭にかけ
ジャパンや、デビッド・バーン(トーキング・ヘッズ)などのボウイ信奉者を通じ、
デュランデュラン、スパンダーバレエ、カルチャークラブ、ヒューマングリーグなどのフォロワーを生んでいく。
実は、ちゃんとデビッド・ボウイを聴いたのはその頃からなんです、ワタシ。
中高生のころ、デヴィッド・ボウイのヒット曲は一通り知っていても
アルバム通しては積極的に聴いてなかった。
まず、「ロウ」と「ヒーローズ」はスゴイな、と。
この辺、ブライアン・イーノつながりです。
そして、「ジギー・スターダスト」はやっぱりスゴイアルバムだったのだと。
このころ、レンタルレコード屋ができたのも大きい。
youtubeはおろか、洋楽の番組も少ない時代、LPを買って聴くというのは
大変な勇気と決断であった。
レンタルで借りまくってみんなカセットに入れました。
その後リリースされた「レッツ・ダンス(1983年)」がボウイ最大のヒットになった。
時代の必然だったのでしょうね。
ただ、これも自分ではレコードは買わなかったけど(笑)
ビートルズみたいなバンドをやりたいとか、
イアン・ギランみたいに歌いたいとか、
ピストルズみたいな曲を演奏したい、と思ったことはあったけど、
デビッド・ボウイのようになりたい、と思ったことは一回もないので、
コアなボウイファンなのではないと思いますが、
彼の音楽は一生聴いていくと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
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