ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2010.01.21

ジェット機の時代

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 1968年公開の映画「2001年宇宙の旅」では冒頭に、
「美しき青きドナウ」のメロディーに乗って月に向かう旅客宇宙船が出てきます。
 その宇宙船の翼のエンブレムは、当時世界最大の航空会社だった
「パン・アメリカン航空」、通称「パンナム」でした。
 それを見た、世界中の誰もが、
ああ、なるほど、宇宙旅行の時代にはパンナムがスペースシャトルをとばすのか、
と、納得したことでしょう。
 ところが、その後、経営の悪化から「パン・アメリカン航空」は1991年に経営破たん、
「パンナム」は消滅してしまったのです。
 このほど日本航空が経営破たんしました。
 うーん、そういうこともあるのか、と思いますが、
内部の事情が明らかになると、
これも、なるべくしてなった破たん、のようですね。
 政府出資の半官半民で、親方日の丸体質が抜けず、
民間企業として生き残っていくだけの企業体力が無かったわけですね。
 ただ、めたらやったら地元に空港を作って、
そこに日航便を就役させたり、
アメリカの顔色を伺ってジャンボジェットを大量購入させた、
自民党政治家にも大きな責任があるような気がしますね。
 実は私は、ずっと「全日空派」だったのですが、
1998年の親会社全日空の撤退、横浜フリューゲルスの消滅以来、
サッカーをないがしろにするとはとんでもない会社だ、といって
「日航派」に鞍替えしてました。
 まあ、民間企業としては全日空の判断のほうが健全だったわけですね。
 しかし、日航は「アテンション・プリーズ」や「スチュワーデス物語」でなじみがあったんだがなー。
 我々の少年時代は、パイロットやステュワーデスは、
それぞれ男の子、女の子の代表的な憧れの職業だったわけです。
 初めてヒコーキに乗ったのは、中1の時、
オヤジの大学時代の同窓会にくっついて夏休みに北海道に行ったときです。
あん時は、コーフンしましたねー。
 確か、日本航空のダグラスDC-8だったと思う。
帰りはボーイング727だったかも。
スチュワーデスさんに旅客機のプラモデルや絵葉書をもらった。
 その頃はクラスの中でもヒコーキ乗ったことあるやつは殆どいなかったはず。
(ちなみに、その次ヒコーキ乗ったのは、大学受験の時だった。)
 当時は
東京タワー<新幹線ひかり号<ジェット旅客機 の順で
「乗ったことあるヒエラルキー」があったように思う。
 今とは、大分違います。
(今は、かえって、東京タワーのほうが希少かも。そーいや「ジェット機」ってのも言わないなー。)
 今だと、
東京ディズニーランドのホテル<グァム、ハワイ<アメリカのディズニーランド
なんて感じなのかしら。
よくわかんないけど。
 まあ、ともかく、そんな、ジェット機が夢だった少年時代のことを振り返ると、
日航の経営破たん、別の意味で大変残念です。
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