高校卒業のころ
NHK朝の連ドラは何となく見てるけど、
今回の主人公たちの年代ははワタシより10歳くらい若い時代の設定。
今放送中なのはちょうど高校を卒業するころの場面ですが、
現代よりはワレワレの時代に近いのだが、なんか、だいぶ違う。
何より違うのが共学であることですね。
ワタシは男子校であったので、当時、同世代の女子と話すことはほぼなく、
男女共学のこの高校はまるで夢のようだ。
当然、彼女などいませんでしたし・・・・。(ーー;)
そして、卒業式前後の様子もまるで違う。
ワタシの卒業した昭和53年は
現在のセンター試験の前身にあたる「共通一次試験」導入の前年であり、
国立一期校、二期校があった最後の年です。
国立一期校の受験日は3月上旬、たしか3日~5日ころ、
そして高校の卒業式はその入試後、合格発表前の10日ころだったと記憶している。
ただし、東大だけは1次試験、2次試験があったので、
卒業式の時点で1次試験の合否は判明しており、
東大受験者にとっては卒業式への出席はビミョーなのであった。
二期校の試験前で卒業式に参考書の類を持ち込む輩はまれではなかったし、
受験勉強のために欠席するヤツもいました。
そして、卒業式の1,2日後に国立一期の合格発表があるわけだが、
二期校の受験前にもう一つすることがあるのです。
予備校の受験です。
もし、一期も二期も落ちた場合、予備校通いとなるわけで。
当時、河合塾は東京にはなく、
「いつやるの、今でしょ。」の予備校もなかった頃、
駿台高等予備校(今は駿台予備学校)は
医学部・東大受験の最高峰といわれていました。
で、一応これを受験し、そのあと二期校の受験が3月の20日前後だったかなあ。
そんなわけで、ワレワレ当時の受験生は、
卒業式の時点では進路はほぼ決まっておらず、
誰が、どこに行ったというのは、新聞発表で知るほかは、
(昔は合格者の名前が新聞掲載された。)
卒業後風の便りで耳にするくらいなのでした。
なので、卒業式で母校や恩師や友人との別れを惜しんだりするゆとりはなく、
まして、お別れ会やパーティーなどあり得なかったです。
もっとも進路決まってても男子校だと、やっぱ、パーティーはないだろうなあ。
考えてみると、そもそも、高校に関しては卒業式の記憶そのものが無いかも。
結局、一期校、二期校ともに落ちて、
駿台に通うことになったのですが・・・・。
ただし、ひとこと負け惜しみ言っときますと、
ワタシが合格した駿台午前部理3は
偏差値的にはワタシが受験した国立二期校よりは高かったんですよー。
ところが予備校に入ってみると隣の隣のやつはワタシと同じ大学を受験してて、
「あそこは受かると思ったんだけどなー。」
と話をしてました。(笑)


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