ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2024.01.06

飢餓海峡

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 最近ハマっていることに、

昭和30年代の小説、映画というのがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは昭和34年、1959年生まれなので、

モノゴコロついたのは大体昭和30年代後半。

1964年の東京オリンピックなどは断片的に記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この歳になり、自分がいなくなった死後の世界、

を想像することがときどきありますが、

それは想像しても、予想もつかないこともあるでしょう。

自分の記憶と繋がってるものもあるが、

全く新規に現れるものもあるからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いっぽう、自分がモノゴコロつく前、

あるいは生まれる前、というのは、

同じく自分がいない世界なので、

ある意味死後の世界と同じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、それはすべて存在した過去なので、

いろいろな記録が残っており、

それらを見たり読んだりすることができるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 江戸時代や明治時代だと、ワタシの生きた時代とは

時間が離れすぎていますが、

昭和20年代、30年代だと、

ワタシは存在しませんが、その痕跡やイメージが

子供のころの記憶とつながって、

自分のいない世界を体験することができるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この間読んだ「眼の壁」は、その意味で大変面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回呼んだのはコレ。

上・下巻の長編だが、面白くてこの年末年始でほぼ一気読み。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またまたブックオフの110円コーナーだったりするんですが(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この小説1962年1月から1962年12月まで週刊朝日に連載されたものの

完結にはならず、その後、加筆し1963年に朝日新聞社にて刊行したとあります。

連載がワタシが3歳の頃、完成が4歳の頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、この小説の時代設定は、

昭和22年から、昭和32年にかけてで、

場所は北海道南部~青森県下北半島~東京~京都府舞鶴市が舞台となっています。

実際に昭和29年の9月26日に、同時に起きた

「洞爺丸海難事故」と「岩内大火」を下敷きに、

時代を戦後の混乱期に戻して書かれたフィクションです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストーリーは省きますが、

たとえば序盤で峠道を歩く犯人一行3人が峠のトウモロコシを売る店の

ガラス戸をあけて三和土の木の椅子に座って

トウモロコシを2本ずつ注文する、という場面がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街道筋のこの店は、街道ではあるがクルマではなく

歩いて通る人が立ち寄る店、

すると江戸時代の峠の茶屋みたいだが、

扉はガラス戸なのだ。

しかし床は三和土で、そこに木の椅子が置いてある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかも3人の服装は復員服。

トウモロコシ代として一人6円ずつ払ったとあるので

トウモロコシ1本の値段は3円だったわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供の頃、観光地などに行くと

床が土間であった飲食店もあったような気がする。

そんな風景を想像すると楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いっぽう殺される主人公の女性八重が移り住む東京は

まだ、戦後の焼け野原で、

バラックと闇市の世界である。

住宅地の世田谷から都心に向かうと次第に建物が無くなる。

渋谷駅を降りると、焼けただれた鉄骨の見るビルや、

塀だけを残して屋敷を草っ原のまま放置した区画地などがあると書かれている。

だが、秋葉原のガード下には

電気部品、ヒューズやヒーターなどを売る店が立ち並ぶ。

そこから末広町に向かうと広大な焼け野原になり、

松坂屋の城壁のように見える建物がすぐそこに見えるほど家がない、

というような描写がされている。

秋葉原の電気街は今もあるし、

御徒町駅のところの松坂屋の場所は変わっていないだろうから、

当時の風景を想像すると興味深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これだけで、何となくタイムマシンに乗った気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八重がまず働いた店は居酒屋と甘味処が併設されているが

そこのメニューはおしるこ8円、ぜんざい8円、カストリ10円、焼酎極上12円。

カストリは子供のころ聞いたことがあるが、

当時出回った粗悪な密造焼酎。

工業用アルコールを水で薄めた酒は

素人が粗末な設備で蒸留したため

失明や中毒死を起こすメチルアルコールが十分分留できていない酒もあり、

庶民が安価な酒を求め、危険な闇酒を飲用したために、

中毒事故が多発したそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぜんざいはズルチン入りと書いてあったが、

ズルチンとは何ぞや。

調べてみるとズルチンとは

1883年、ドイツで発明された人工甘味料で、

蔗糖の約200~400倍近い甘味を持っており、

砂糖が高価であった戦後の日本で広く流通したという。

しかし中毒事故が起こり、

肝臓機能障害や発癌性等の毒性が認められたため

1969年1月より食品への添加が全面禁止となったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1969年といえばワタシすでに10歳です。

そういえば同じく1969年に人工甘味料であるチクロが禁止になり、

話題になりましたが、ズルチンは知りませんでした。

日本では1947年 に 幼児が5 gのズルチンを舐めて死亡、

1963年 には 両親の留守中に、ズルチンを大量に舐めた子供2人が死亡、

などの事件があったのに禁止まで時間がかかっています。

昔は食品安全に対する認識が今とだいぶ異なっていたことが分かります。

そういえば、チクロに関しては

中国、カナダ、EUなどではまだ使用されてるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 売春禁止法が施行される以前で、

主人公の八重は娼妓になって暮らしていくのだが、

当時の遊郭は新宿二丁目、洲崎、吉原、鳩の街、玉ノ井、小岩、亀戸

などとある。

八重は亀戸の遊郭で働くのだが、

亀戸天神までの間に50件ほどの遊郭があったという。

亀戸天満宮には行ったことがないか、

何か痕跡や面影があるのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、本編のストーリーもさることながら、

それ以上に楽しい発見があるのがこの時代の小説なので、

この間の両親の九州旅行の謎解きと同じような興味深さを感じました。

コメントであの写真が太宰府天満宮だと教えてくださった方に感謝です。

この飢餓海峡、1965年に映画化されているので、

今度、映画の方も観てみようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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