ロックな耳鼻科:小倉耳鼻咽喉科医院院長、小倉弘之が日々思うこと。

2020.05.28

影響を受けたレコード(国内編)②:「黒船/サディスティック・ミカ・バンド」 


第2弾はコレです。

「黒船/サディスティック・ミカ・バンド」1974年11月5日発売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤和彦氏は日本のフォーク・ロック・ミュージシャンの草分けであり、

1967年フォーク・クルセイダーズとして発表した

「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットで、

その名を知られますが、

この曲は当時小学校2年生だったワタシも歌うくらい大人気でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、加藤和彦氏は北山修氏と

名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」などを発表、

当時のスタイルはドノヴァンの影響下にあり、

加藤和彦氏のニックネーム「トノヴァン」もそこから来ています。

そういえば、アメリカのボブ・ディランに対して

イギリスのフォークシーンの代表と並び称された

ドノヴァン氏は最近全く噂を耳にしませんが、どうしてますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、1971年、加藤和彦氏は当時妻だった加藤ミカ氏と

「サディスティック・ミカ・バンド」を結成します。

それまでのフォーク路線からロックへの転向は、

時代の音楽に敏感な加藤和彦氏としては当然の流れだったでしょう。

初代ドラマーはあの「メリー・ジェーン」の角田ヒロ氏、

そしてギターは高中正義氏です。

だが、この頃はまだワタシは小学生。

ほとんど売れなかったらしい「サイクリング・ブギ」は

後追いで聴きました。

CDは持ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシと「サディスティック・ミカ・バンド」の出会いは

1973年10月発売のシングル「ハイ・ベイビー」。

FM東京の番組で、パーソナリティーが、

「サディスティック・ミカ・バンドの曲は変わってる曲が多いですけど、

今度のシングルは、わりと聴きやすいですね。」

と紹介したニューディスクコーナーをエア・チェックしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、この「ハイ・ベイビー」のレコード音源は

Youtubeにはありませんでした。

TVKテレビでの映像がアップされていました。

ドラムは、のちにYMOを結成する高橋幸宏氏、

あー、もう、この時代から、この独特のドラミングです。

いいですねー。

ギターの高中氏は加藤和彦とケンカして、

この時期バンドを離れていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタジオ盤では、最初電話のベルが鳴り、

受話器を上げるガチャッという音のあと曲が始まります。

この直後、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」も

電話のベルから始まったので、

ミカバンドのマネじゃん、と思ったことがあります。

曲自体はギンギンのロックではなく、

どちらかというと当時最先端だったフィラデルフィアソウルの

影響が感じられます。

フィラデルフィアソウルの発端ともいえる

この「オージェイズ」の全米ナンバー1ヒットが1973年2~3月ですから、

加藤和彦氏、さすがの早さです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、「黒船」。

実は、デビューアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」は

日本ではロクに売れなかったがイギリスで話題になり、

このレコードを聴いた超大物プロデューサー、クリス・トーマスから

プロデュースの依頼があったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリス・トーマスといえば

ザ・ビートルズやピンク・フロイドもプロデュースした超大物なので、

当時も、いまも、ホンマかいな、

なんかあったんとちゃう?

と思いますが、

とにかく、そういうことになったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レコーディングに450時間かけた、というアルバムは

日本ロック史上にそれまで類を見ないトータルアルバムでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曲を寄せ集めたヒット曲集や、作品集とは違い、

1曲1強がアルバムを構成するパーツになってる組曲形式のアルバムを

トータルアルバム、あるいはコンセプトアルバムといい、

ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

デビッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」

カーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」

などが有名です。

いわゆる「プログレ」のバンドは多くがこの形式ですし、

先にあげたグリーンデイの「アメリカン・イディオット」

などもこれにあたります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曲調もバラエティに富みますが、

それを支えるのは屈指のテクニックを持ったメンバーたち。

ドラムの高橋幸宏、ベースの小原礼、キーボードの今井裕、

そしてクリス・トーマスの要請で、

バンドに復帰したギターの高中正義の組み合わせは、

あとから考えると、とんでもないスーパーグループだったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とくにクリス・トーマスが見込んだだけあって

高中正義氏のギターはカッコよかった。

彼はこののちギターをヤマハのSGにかえて、

フュージョン的な曲で大人気になるわけですが、

ワタシ的にはそっちに行っちゃったのがまことに残念。

ヤマハのSGなんて、あんなカッコ悪いギター、

サンタナくらいしか弾かないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 問題は加藤ミカのボーカルですが、

巷ではヘタクソ呼ばわりされることも少なくないですが、

ワタシは大変良いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと、加藤和彦氏の追っかけだったという

加藤ミカ氏はミュージシャンとしてはシロート同然だったはずですが、

手練れのメンバーに支えられることにより、

その奔放な魅力が発揮されたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逆に、金子マリやカルメン・マキのような実力派ロックシンガーでは

この味は出せなかったと思われ、

当時のライブ映像でも、そのコケティッシュな魅力が

バンドの大きなアピールポイントになっています。

ちょっと、その後のブロンディのデボラ・ハリ―を連想させます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もともと「サディスティック・ミカ・バンド」というバンド名は

ジョンとヨーコの「プラスティック・オノ・バンド」にあやかって

つけられたものですから、

立ち位置もオノヨーコと同じだったわけです。

むろん、全然ミカさんの方がステキですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1975年次のアルバム「Hot Menu」を録音。

ロキシー・ミュージックの前座として

イギリス・ツアーを行い、

そのロキシーを食うほどの人気を博したミカバンドは、

本格的な海外進出に向け、着実に前進していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そんな矢先、とんでもない事態になります。

元追っかけの本性が出たのか、

こともあろうにツアー中に加藤ミカさんはクリス・トーマス氏とデキてしまい、

その不倫が発覚した結果、加藤和彦氏と離婚、

バンドは解散に追い込まれることとなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリス・トーマス氏に見いだされ発展したバンドは、

また、クリス・トーマス氏のおかげで消滅する憂き目にあいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1973年に発表されたこの「黒船」は、

いろいろな偶然によってもたらされた孤高のモニュメントとして、

日本のロック史に燦然とその名を残すことになったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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