国立競技場ラストマッチ、ドローで首位陥落
大型連休最終日、GW連戦の締めくくりは国立競技場である。
途中秋葉原のヨドバシカメラによる用事があったので、
恒例の、試合前の「とんかつ」もここで食べていくことにする。
上のレストランフロアにトンカツ屋さんがあることは調査済み。
しかし、ここでもすんなりとはコトは運ばないようだ。
トンカツ関係がまさかの欠品ですと!
トンカツ屋でトンカツ欠品なのかよ、と焦ったが
「特選ロースカツならあります」とのことなので、
ここは「特選ロースカツ定食1636円」をフンパツ。
普段なら、エビフライでもショーガ焼でもいいのだが
試合前ではそうはいかぬ。
そして、国立へ。
昨年の甲府ホームもここ国立、
確か早々と梅雨明け宣言が出た7月初めの暑い日であった。
オリンピックに向け間もなく改修工事に入る国立競技場であるが、
実は今日がJリーグとしては最後の国立開催なのであった。
こんなハンドタオルをお土産にもらってラッキー。
これは、もらったがそれほどうれしくないペーパークラフト。
試合前には川淵三郎元Jリーグチェアマンの挨拶なんかもあって
セレモニームードもあり、
普段はともらない聖火にも火がともった。
さて、首位に立って3日が経過。
この位置は気分がいいぞ。
**********************************************************************
2014年J1第12節
ヴァンフォーレ甲府 0-0 浦和レッズ (国立霞ヶ丘競技場)
(前半 0-0)
(後半 0-0)
**********************************************************************
試合前の相手の選手紹介で唯一ブーイングが上がるのはこの選手。
盛田剛平は1999年大学ナンバー1ストライカーとして
各チーム争奪戦の中から浦和レッズ入団。
入団会見で「(FWとしての)利き足は頭です。」
と答えていたのが記憶に残っている。
鳴り物入りで入った大型FWであったが全く活躍できず、
その年レッズはJ2降格の憂き目にあう。
盛田一人のせいではないが、以後レッズサポーターの間では
この手の上背のあるいわゆる「電信柱タイプ」のFWに対する不信感があり、
事実、その後もこのタイプのFWでレッズで成功を収めた選手はない。
15年も前の話なので、
まあ、今の若いレッズファンは知らないでしょうが、
うーむ、盛田まだここにいたか。
もうラーメン屋になっちゃったっかと思っていたが・・・。
(注:彼のラーメン好きは超有名で
食べるばかりでなく実際に厨房でラーメン屋修行したこともある。)
さて、最後の国立、今節から首位を守る立場になったレッズ。
レイシズム事件以降、オフィシャルフラッグ以外の
ダンマク、ゲーフラはまだ禁止なので
スタンドは2002年のナビスコ決勝を思わせるオフィシャルフラッグの波。
しかし、なかなか甲府ゴールをこじ開けられない。
終盤、良い位置でのFKが2本続いたが決められず。
(絶対、壁、近いだろ。)
結局、スコアレスドローに終わり、順位も鳥栖の勝利により2位に転落。
周囲マスコミの期待通りの「三日天下」であった。
(ったく、すーぐ期待に応えちゃうんだから・・・・・。)
思えば、国立、いい思いもいっぱいしたが、
悔しい思い出も多かった。
勝利、敗北、歓喜、落胆、
いったい、どっちが多かったのか・・・・・。
思えばワタシがこの国立競技場に初めて来たのは小学校5年生の時、
1970年11月日本サッカーリーグの三菱重工対東洋工業の試合だった。
最後まで三菱に声援を送ったが0―0の引き分けであった。
東洋工業は現サンフレッチェ広島、
三菱重工は、もちろん現浦和レッズである。
最初も最後もレッズの試合で
しかも、ともにスコアレスドローだったわけだ。
ポール・マッカートニーのコンサートには来ないので、
これがワタシの最後の国立。
44年の長きにわたり
ワタシにたくさんの感動を与えてくれた
「聖地・国立」にアリガトウ、そしてサヨウナラ。


コメント/トラックバック トラックバック用URL: