中山先生のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
先日水曜日、ある先生のお通夜にうかがった。
足利市内で内科医院を開業されていた中山先生である。
患者さんを通じたやり取りでは手紙や情報の交換もあったが、
直接お会いして話をしたことは2回しかない。
一つは平成7年、ワタシが群馬大耳鼻咽喉科学教室を退局し、
現在医院のある足利市で開業することになったときである。
当時、足利市医師会の会長を務めておられ、
開業に先立って足利医師会館で医師会入会のお願いにうかがった。
やさしい物腰で、温厚な人柄が感じられるようであった。
実は、その時にあったのが2回目であったのだ。
1回目はさらにさかのぼり昭和51年。
ワタシは高校2年生であった。
10月9日夜、それまでなんら健康に問題のなかった父が突然急変。
翌朝、市内の内科医院にあちこち電話かけたが
体育の日の連休の初日とあって、どこもつながらず。
その時、中山先生に連絡がとれ、往診を受けることができたのである。
ポータブルの心電図で心筋梗塞と診断され、すぐ救急車で入院を指示された。
結果は、当時の医療技術では救命できず、
入院後わずか数時間で父は亡くなったわけだが、
あの日の朝、我が家に駆けつけてくれた中山先生がなんと頼もしかったことか。
中山先生は群馬大出身で、我々の大先輩である。
今回知ったが、海軍兵学校を出たが、終戦で東京教育大学に入り、
卒業後英語教師になり、その後群大医学部に入ったとか。
父も海軍出身で、群馬大でしばらく助教授をやっていたので、
生前何かつながりがあったかもしれない。
ともかく、中山先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
あの日は、本当ありがとうございました。


あなたのコメント
中山先生のご冥福をお祈りいたします。
心に残る医師との出会いは貴重な経験だと思います。
私にとっての忘れられないお医者様は小倉先生のお父様です。
小さいころから中耳炎を繰り返していた私は
それこそ昼夜を問わず小倉先生に何度も何度もお世話になりました。
先生も、奥様も、嫌な顔せず優しく対応してくださいました。
そしてまさしく昭和51年以来、私の中耳炎は再発がしておりません。
母に あんたは小倉先生に散々心配かけたから
きっと亡くなってからも先生が見守って下さってるんだねと言われました。
小倉先生、本当にありがとうございました。
にこにこさま
コメントありがとうございます。
ワタシも子供時代、急患の診察や往診に出かける父の姿を見ておりました。
医師としての先輩である父とはわたしが医者になってから言葉を交わすことはなかったわけですが、
その父の記憶や、また中山先生のような立派な先生を手本にしようと常々思っております。
次男が約1年2か月前にチューブを左耳に入れました。
毎月一度定期検診へ行ってました。現在6歳5ヶ月になります。
この3月の検診で、このままではチューブが外れないから入院施設の整った病院でアデノイドの手術をしてもらってほしい。とのことで、紹介状をもらって行きました。
しかし、そこの病院で言われたことは、扁桃腺は、確かに大きいけれど、10歳までは大きいのが当たり前で、子どもはいびきもかく。チューブを外せない理由がアデノイドを取る要因にはならない。
といったような内容を言われ、手術を勧める感じは全くありませんでした。
睡眠時無呼吸症候群や扁桃腺による熱が年に3回以上出る場合等、
生活に支障があるときに積極的に行うとの説明を受けました。
セカンドオピニオンとして、別の耳鼻科にも行きましたが、同じようなことを言われ、
アデノイドの手術をする場合は、チューブを入れる時に同時に行う。今しなくてもいいような…
かかりつけ医を否定するわけではないけど、僕ならしないかな。
と言われました。
この2人のドクターの意見を聞いて、手術はしない方向で考えてますが、
チューブを除けるために手術を勧めたかかりつけ医に行かないといけないのが憂うつです。
かかりつけ医を否定してるようで、言いづらいのもあります。
先生の場合は、どう考えますか?
どちらの意見も間違いではないのかもしれませんが、手術はしなくて良いのならしたくないのが本音です。