ロックは滅びるのか(前篇)
ちょっと前の朝日新聞の記事。
この夏、フジロック、サマーソニックに行ったが、
ロックフェスといいながら、ロックは「少数派」。
とくに若いミュージシャンは、ヒップホップや打ち込みが多く、
リズム&ブルースやJポップはあっても
ロックバンドは数えるほど、それも「中高年」が多い。
ロックの衰退、ロックの終焉は、商業ロックが成功を収めた
1970年代半ばから言われてきた。
この記事にもあるように
セックス・ピストルズのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)が
「ロックは死んだ」といったのは1978年、
1981年に「ロックは恥ずかしい」といったのは
この間フジロックに見にいったP-MODELの平沢進であった。
ロックの黎明期にあった、
社会への反発、体制への抵抗、自由への渇望、戦争反対、
などの「初期衝動」は、
「爆発」の大きなエネルギーをもって「拡散」するが、
やがてビジネスとしてのロックが成功を収めると、
その初期にかかげたモチベーションがあいまいになる。
大金持ちになったロックスターが、
資本家を攻撃するメッセージを歌うのは自己矛盾で、
労働者や、若者はストレートに共感できない。
この発想から生まれたのが「パンク・ロック」である。
しかし、ロックの初期衝動を再び奮い起こしたパンク・ロックも、
また、市民権を得ることによって、同じ道を歩むことになる。
「ザ・クラッシュ」のジョー・ストラマーの言葉に、
「パンクはスタイルじゃない、アティチュードだ。」
という名言があるが、
これは
「ロックは音楽スタイルではない、スピリットだ。」
という言い換えもできると思う。
1960年代後期から1970年代初頭のいわゆる「ロック黄金時代」に
音楽を聴きはじめた、ワレワレ世代にとっては、
やはり「ロック」は精神であったり、生き方であったりする。
つまらない大人にはなりたくない、という思いはいつもあるし、
それが、自分の心の支えだったりする。
苦しいとき、悲しいとき、心が折れそうになったとき、
常に傍らにロックがあった。
ローリング・ストーンズが、セックス・ピストルズが、
いつも前に進む希望を与えてくれた。
ジョン・レノンが、忌野清志郎が、必ず正しい道を示してくれた。
その意味では「宗教」と言ってもいいかも。
ともかく「ロック」に出会って本当に良かった。
だから、「ロックな耳鼻科」があるのです。


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