ロックな高校生(第5話)
さて、ロック・ボックスに応募して、結果を待ってるうちにトンデモナイ事件が起きた。
ナンと、私の父が急死しちゃったのだ。
やはり耳鼻科医をやってた私の父は10月9日の土曜日までフツーに診療を行っていたが
10月9日夜、急に体調を崩し、激しい胸痛に襲われる。
ところが10月10,11日と連休の前だったためか、知り合いの医者は誰も捉まらず、
翌10日早朝、救急車で日赤に。
しかし、その日のお昼過ぎには息を引き取ってしまった。
急性心筋梗塞、57歳だった。
今、私が考えると、働きすぎとタバコの吸い過ぎかな。
何か、前兆は無かったのか、何とか回避できなかったのか、悔やまれる。
毎日、毎日朝から晩まで、夜間、休日は急患の診察も絶対断らず、
何でこんなに仕事するかな、と思ったものだ。
しかも、翌11日から私は、足高の修学旅行に行く予定だった。
当然旅行は行けず。
まあ、旅行に行く前で、親の死に目に会えたのは、まだ良かったのか・・・。
旅行から帰ってきた同級生たちが、線香上げに来てくれたが、
その時、ベースのOが、
「あのさー、こんな時に、なんなんだけど、ロック・ボックス通ったんだけど・・・。」
「お、ああー、よかったじゃん。」
「でも、小倉、出れる・・?」
「いや、出ようよ、出るに決まってんじゃん。」
いきおいで、答えた面もあったが、ここでやめちゃうとますます落ち込んじゃう気がしたし、
バンドに打ち込んで、悲しみを忘れたい、っていうのもあった。
北海道帝国大学出身で軍医上がりの父は、男が音楽やるなんてとんでもない、という感じで
ロックはもちろん、クラッシックも演歌もジャズも興味なし。
風呂で歌うのは、軍歌か大学の寮歌だった。
オレがいつもギターを弾いてると、しぶい顔して、露骨にうるさがるくせに、
その土曜日だけは、昼間、「やってるな、修学旅行にカメラもってげよ。」
と、珍しく、ニコニコ声をかけられた。
たまにそんな事いうから、死んじゃうんだよ、まったく・・・、親父の奴・・・。
後で、調べると、ロック・ボックスの当日は、ナント父の四十九日の日だった。
結局、母と交渉して、法要が11~2時までなので、そのあと会場に向かうことになった。
さて、予選通過の結果を聞いてドラムの I も修学旅行をあきらめ、私も出場の目途がついた。
メンバーも固まり、このまま、本番まで、突っ走るぞー、と思ったが、
さらに最大の試練がわれわれを襲うのであった。
さて、その試練とは・・・。(まだ、つづく)


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まさかその日が49日だったなんて・・・。私は確か治之氏と一緒に客席にいたと思い込んでいたのか、彼も法要のあと、駆けつけたのか?まあ今ではどうでもいいんですが・・。
で、なんでガイタンも修学旅行行かないのでしょう?
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ごめんなさい!前話にございました。それとがいたんではなく、ドラムはI橋さんでしたか?
関係各位に謹んでお詫び申し上げます。